第24話




「こんにちは、風紀の御二方。ずいぶん手こずっているようね」

「じょ、如奧っ!?」

「なんだって、こんな時にあんたが……」


 椅子の人を含めれば三名の新手だ。


 女王様研究部と表立っての抗争に発展した事は無いものの、水面下では何度か火花を散らしてきた。二名の椅子の人もかなり手強い奴らである事は、風紀も知っている。保羽リコと香苗の二人で、四人を相手にせねばならなくなった。


 それも、四人の内、日戸梅高校の上位者が二人も居る。

 山下一人でも手一杯だと言うのに。


「ぐっ!? か、香苗……」

「まずい事になったわよ、リコ」

「まだ、まだよっ、香苗。東原先生がっ、先生がきっと来てくれる!」

「……リコ、あれ」


 香苗にちょんちょんと肩を突かれ、保羽リコは見た。


 廊下の窓越しに、厳島先生に連行されていく東原女史の姿があった。顔をうつむけてトボトボと歩き、東原先生は手元に上着をかけられている。厳島先生の手にはロープが見えることから、どうやら東原先生はくくられているらしい。


 増援の望みは絶たれた。


「ひ、退かないっ。退けないっ!」


 それでも保羽リコは、階段を見つめて応戦の構えを取った。


 風紀のボスが戦うならば、その補佐として殉じるのみ。香苗はふっと息を吐いて、戦いの姿勢を崩さない。粘り強くない正義など、どんな悪にも劣る。

 それが香苗のポリシーだった。


 しかし、敵との戦力差は歴然たるもの。


 如奧先輩はヒールを履いている。その意味を香苗たちは知っていた。本気なのだ。容赦なく物事に臨む時、この女は必ずヒールを履く。


 眼鏡をかけた椅子の人が跪き、さっと如奧先輩に鞭を差し出した。細長く丸められた鞭は、家畜を追うために用いられる物に似ている。


「女王様、これを」

「やっておしまいなさい」


 ゆるやかに鞭を受け取り、如奧先輩は静かに一言放つ。その途端、口髭を生やした椅子の人が猛然と襲い掛かった。保羽リコと香苗ではなく、山下へと。


 香苗も保羽リコも、そして組み付かれた山下も戸惑った。


「如奧先輩!? これは、いったい……!?」

「ごめんなさいね、山下くん」


 如奧先輩はそう言いつつも、たおやかな笑みを浮かべている。

 ゆえに、一層不気味な迫力を放っていた。


「どういうことですっ。委員長の指示で、あなたは――」

「あなたは書記の子とも親密でしょう? エリちゃんがストップをかけたとしても、きっと止まらないだろうから。力ずくの方が良い、って私が進言したのよ」

「!? 委員長がっ? ……そうか、委員長が……」


 山下は少々困惑しながらも、しかし納得したように頷いている。


 目まぐるしく変わる形勢。

 香苗と保羽リコは慎重に如奧先輩の様子を伺った。強敵が援軍へと変わってくれた事はありがたいが、おいそれと信頼しては背中からやられかねない。


「どういう風の吹き回し? 如奧」

「言っとくけど、風紀はこれを借りとは思わないわよ?」

「ふふっ、相変わらず貧相な考えね、風紀のお二人さん」


 保羽リコと香苗の疑念を、如奧先輩は一笑に付した。


「見返りなど求めない。ひたすら与えた結果として多くを得るのが、真の女王というもの。……行きなさい、風紀。エリちゃんがそう望んでいるわ」

「生瀬が?」

「生瀬ちゃんは今回も銀野会長に協力していたんじゃ?」

「ふふふっ、女心と秋の空。それに、エリちゃんは一度だって銀野会長に協力した事などないはずよ、私の見立てではね。……さあ、早くお行きなさい」


 如奧先輩の意味深な物言いに、香苗と保羽リコは顔を見合わせる。そして、迷っている暇は無いと、階段へと向かって駆けだした。


「行かせはせん、いかせはせんぞ!」

「あら、いけないわ、山下くん。あなたの相手は私よ」

「――くっ!?」


 髭の椅子の人に前から、眼鏡の椅子の人に背後から組み付かれ、さしもの山下も身動きがつかない。油まみれの人間を押さえ込む術を、椅子の人は心得ているらしい。香苗たちの素通りを許してしまった。


「無駄な抵抗はいくらでもしていいわ。けれどね、心得なさい」


 如奧先輩はいつもと変わりの無い、たおやかな佇まいだ。


「私の操る絶対不可避の鞭からは、決して逃れられないと。ね? 山下くん」


 椅子の人に二人がかりで羽交い絞めにされ、さすがの山下も息を呑む。風紀の二人にすら捕らえ切れなかった山下の動きに、油まみれの山下に、椅子の人は容易く食らいついてきたのだ。大きく鞭を振りかぶる如奧先輩の姿が、山下の目に見えた。


 これが絶対不可避の鞭……なんという力技。

 もはやここまでか。


 山下はぐっと目をつぶった。


 ぱぁあああん! ぴしゃぁあああ!!


「……?」


 しかし来るべきはずの衝撃が来ない。山下は目をうっすらと開けた。

 如奧先輩は何もない虚空へと鞭をふるっている。


「? !??!?」


 さしもの山下も困惑した。

 これは、どういうことなのか?


 すると、髭の椅子の人が山下をほっぽりだして、如奧先輩の振るう鞭へと飛び込んで行った。そして激しく背中をばちんっとやられ、「ひょうひぁ!!」と奇声を上げた。お次は眼鏡の椅子の人も山下をほっぽりだし、鞭へと飛び込んで行って奇声を上げた。


 常人が見れば全く意味不明であろう。

 何がしたいんだコイツら? となるだろう。


 しかし山下には、その意味が十分すぎるほどわかった。

 もはや必要ないのだ。

 如奧先輩にとって、鞭を当てる必要などない。


 ドM目掛けて鞭をふるうのではない。それは二流の女王様だ。如奧先輩が鞭をふるったその場所に、ドMの方から当たりに来るのだ。


 来い、と言っているのだ。


 浅ましい豚の分際で「なすすべなくお仕置きされてしまった」などと体面を保とうとするなど、百年早いと。そのような免罪符で自らの浅ましさを包もうなど、愚かであると。その汚らわしい本性を見せろ、と。むき出しにしろ、と。世界中の常人が貴様ら豚から目を背けても、この私だけはその痴態と醜態を愛でてやろう、と。


 これは、そういう高次元の愛なのだ。

 故に、絶対不可避の鞭。


 力技などでは断じてない。

 崇高な精神性に満ち溢れた、美すら感じる妙技である。


「……そんな、俺はっ……森田っ、俺はぁっ!!」


 友情と欲望の境で揺れ動きながら、歯を食いしばって山下は汗を垂らした。椅子の人が鞭でしばかれている様子と、屋上へ続く階段を交互に見やる。


 山下の身体は、もう何一つ拘束などされてはいない。

 だが、恐るべき鎖が山下の心に幾重にも巻き付いていた。


 山下を責めるのは酷であろう。

 いかに研ぎ澄まされようとも、突き詰めてしまえば山下はドMである。

 如奧先輩の前ではどうしようもなかった。


「香苗、あの二人、捨て置いて大丈夫かな?」

「大丈夫」

「ほんと?」

「ってかさすがにもう知らん! アホの相手は手一杯よ!」


 階段を駆け上りつつ、香苗は言った。


「如奧と山下っていう組み合わせが、すごく不安なんだけど?」

「リコ、あんたの標的は?」

「銀野ヨロズ!」

「だったら捨て置き、上りなさい!」

「わかった!」


 階段を二段飛ばしで上り切り、保羽リコと香苗は屋上への扉を開け放った。

 ヨロズ先輩と森田君の姿がそこにある。


 立ち塞がろうとした森田君を香苗が押しのける。

 保羽リコの邪魔はさせない。


 香苗たちの到着の早さに驚いたのか、慌ててフェンスを乗り越えようとしたヨロズ先輩へと、保羽リコが飛びかかって取り押さえた。


 三度目の正直。

 雪辱の第三ラウンド。


 ついに風紀委員会は生徒会長を捕らえる事に成功した。


「観念なさい、銀野ヨロズ!!」

「くっ!!」

「銀野会長、現行犯です。取り調べさせてもらいますよ」

「…………」

「風紀委員会を舐めないでちょうだい。雪辱を晴らさせてもらうわ、銀野ヨロズ。屋上から飛び降りようとする変人として、あんたの地位と名誉は――」

「はい、カットぉおおおおおおおおおおおぉ!!」


 突如の事であった。


「…………」

「…………」

「…………」


 森田君のかつてない大声に、保羽リコも香苗も、そしてヨロズ先輩までもが一様にきょとんとした。ぽけっとする三名には目もくれず、地上や空撮ドローンに向かって身振り手振りを交え、森田君はスマホを取り出して声を上げ続けていた。


「美化委員も保健委員も、オッケーです。スタント部のみなさん、素晴らしいアクションでした。映研部長、良い画が取れましたか? ……はい、はいでは、そういうことで」

「…………」

「……どゆこと?」

「生徒会のPR用の動画を作ろうかと」


 困惑する保羽リコに対し、あっけらかんと森田君は言った。


「ぴ、ぴーあーる?」

「はい。生徒会長ですら取り締まる風紀委員会の不屈の闘志、散らかったものを即座に片付ける美化委員たちの姿勢、倒れたスタント部を手当てする保健委員の手早さ。一発撮りの冒険的な撮影で、かなり遊び心に溢れていますけど、生徒会執行部の実力はよく表現できたと思います。副会長に許可もとってありますよ」


 と言って、森田君はヨロズ先輩に目配せした。


「ね? 先輩」

「……え? え、ええ……」


 森田君にうながされ、ヨロズ先輩が辛うじて頷く。


「ちょいまち。さすがに、それはいくら何でも、こじつけが――」

「ほら、香苗さん、あれを見てくださいよ」


 森田君が指差す先、地上にはスタント部の面々がいた。

 設置していた衝撃吸収エアバッグの撤去作業をしているようだ。


「それと、これもどうぞ」


 と、森田君は書類を香苗に手渡してきた。

 まったく用意の良い事だ。


「風紀にはそんな連絡は何一つ――」

「ああ、そうですか? 何かの手違いだったのかなぁ。先生方の許可も、その書類にある通り。こうして脚本も作って、大体その通りになっているんですが……」

「せ、せいた……?」


 保羽リコが戸惑いがちに呼びかけるも、森田君は涼しい顔だった。

 香苗は奥歯を噛んだ。


「リコ、してやられたわ。この一連の流れ、すべて撮影にされてしまった……」

「ぐぬぬぅ……!!」

「でもまぁ、今回は引き分けって所ね。いや、違うな。こっちの目的は達して、そっちの目的は潰せたわけだから、ぎりぎり判定勝ちって感じよね?」

「なんのことだか。勝ち負けも何も、勝負なんてありませんでしたよ」


 平然と森田君がそう言い、香苗は舌を巻いた。


「そう。……なかなか、男の顔をするようになったじゃないの」

「せ、清太!」

「リコ、やめときなさい。無駄よ」


 香苗に押し止められ、保羽リコは大人しく引き下がった。


 森田君たちを屋上に残し、階段を下りていくと、保羽リコが立ち止まった。頭を抱えて悶えている。あと一歩まで追いつめて、上手くかわされてしまったのだ。


 ヨロズ先輩を重点的に攻めたのは良かった。

 雪辱の第三ラウンドは、ほぼ勝利と言って良い、引き分けなのだから。


 だが、香苗の見立て以上だった。

 森田君が一枚上手だったと言わざるを得ない。


「くぅうう~!!」

「……その気持ちはわかるけど、リコ。今回はあたしらだって善戦――」

「ああいう凛々しい清太も良い!! すっごくカッコいい!」

「…………あ、そ……よかったね」

「うん!!」


 そりゃもう幸せそうに保羽リコはうんうんと頷いている。この友人の頭は本当に都合よく出来ていて羨ましい、と香苗は思った。


 生徒会長と一戦やらかして、風紀の面目はほどほどに保たれた。

 保羽リコの目的も、それなりに達した。

 窮地を何度か幸運に救われはしたが、運も実力の内だ。


 お年玉全額を賽銭箱にぶっ込んだご利益とやらが、もしかすると、保羽リコにあったのかもしれない。まあ、今回はこれで良しとしておこう。


 香苗はそう思う事にした。



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