第23話




     16



「やはりかっ。リコ、ちょい待ち!」


 スマホを見て、香苗は叫んだ。

 先を走っていた保羽リコが止まり、振り返る。


「ど、どうしたの?」

「特別顧問から連絡があった。あれは陽動っ」

「イブの時と同じ手ね!?」

「私らの行く手を変人どもが塞いで無いのがその証拠!」 

「それじゃあ、銀野ヨロズは一体どこに?」


 香苗は相手の思考を読んだ。

 あの森田君の後ろ姿は陽動だ。


 イヴの時と同じく、生瀬さん辺りが変装した姿のはず。もし、風紀を誘いだすのならば、最も遠ざけたい場所から引き離そうとするだろう。


 それはつまり――


「香苗、アレ!」


 保羽リコが空を指さしていた。

 ついて来いと言うように空中で円を描いている。


 第二新聞部のドローンだ。

 第二も替え玉に気付いたらしい。


「あのドローンを追うわよ、リコ。草の者の道しるべだから!」

「学校に引き返すの!?」

「そうよ!」


 言うが早いが、香苗と保羽リコは踵を返した。

 第二新聞部のドローンを先頭にひた走る。


 早い段階で気付けた。

 時間の猶予はあるはずだ。


 校門をくぐった香苗たちの前に、しかし数名の人影が躍り出る。二つの人影は木の上から飛び降り、もう二つは駐輪場の屋根から飛び降りた。側転やバク転を凄まじい勢いで繰り返し、瞬く間に香苗たちの行く手を遮ってしまう。


 いずれも覆面をしているが、どこの誰かは丸わかりだ。

 体を使った威嚇の仕方が、日曜朝の雑魚戦闘員そのものなのだ。


「覆面を取りなさい。スタント部っ!」


 香苗がそう言うと、四名の人影は覆面を脱いだ。

 見破られては仕方あるまい、しかし貴様ら正義の風紀委員どもに、もはやなす術など無い――と、スタント部の面々はあくどい笑みを浮かべていた。


 やはりそうだったか、と香苗は自らの読みに手ごたえを感じた。ヨロズ先輩たちは間違いなく校舎に居る。クリスマス・イヴの二の舞は避けられた。


 だが、喜んではいられない。


「香苗!」

「おうよ!」


 保羽リコの鋭い声に、香苗は気を引き締めた。

 見ればわかる。


 立ちふさがるスタント部の面々は、尋常の使い手では無い。一対一でもかなり手こずるであろう身体能力を持った者が、よりにもよって四人。


 それも烏合の衆では無い。

 当然の如く連携行動を得意としている事が、ひしひしと感じられる。


 保羽リコと香苗は身構えた。

 嫌な汗で背中が湿る。

 この者たちを味方に引き込んだヨロズ先輩の、その晴眼に感心する。


「あんたたちが常日頃訓練してるのは、あくまで演劇、映画的なアクションでしかない。そんな派手で綺麗なもんじゃないのよ、本物の格闘術ってのはね!!」


 香苗の威嚇は、しかしスタント部の面々には通用しなかった。

 当たり前だ。

 

 数の利は揺るがない。

 狩る側はもはや、スタント部の方なのだ。


「来るわよ、リコ!」


 香苗はコートの裾を払った。

 スタント部の面々が勢いよく突っ込んで来たのだ。


 肉薄される前にまずは二人、最低でも一人は仕留める。

 香苗は投擲道具であるボーラを二つ取り出し、一つを保羽リコに渡し、風紀の二人は流れるような動作で放った。しかしボーラを用いた攻撃は、すんでの所で避けられてしまう。スタント部の動体視力と反射神経は、神がかっていた。


 二対四の激しい格闘戦にもつれ込む。

 当然のようにスタント部の面々は包囲してきた。


 香苗と保羽リコは互いに背中を預け、それぞれ二人を相手にせねばならない。スタント部の突きや蹴りを間一髪で捌き、隙をついて投げ飛ばすも、スタント部の面々は見事な受け身を取って、すぐさま襲い掛かって来る。


 極めて手強い相手だ。

 だが、保羽リコと香苗は異変に気付いた。


「か、香苗!?」

「リコ、あんたも?」

「うん。この人たち――」

「ええ、どうやら、そのようね……」


 疑惑を確かめるべく、迫りくるスタント部の一人を香苗は迎え撃った。全く体重を乗せていない、素早いだけの突きを見舞ったのだ。こんな一撃ではマネキンすら倒せない。さらに香苗はスタント部員の腹に直撃する前に、拳をしゃっと引き戻した。


 トントン相撲の紙のお相撲さんすら倒せないであろう、突きの一撃。

 ところが――


「ぐほぁっ!?」


 スタント部員の一人はとんでもない勢いで吹っ飛んだ。

 自動車に跳ね飛ばされたかのような、それはそれは気持ちの良い飛びっぷりだ。地面にぶつかってごろんごろんと転がり、勢いよく跳ね起きて口元をぬぐっている。動きも顔も、スタント部の面々は真剣そのもの。


 肩で息をして、額には玉の汗を浮かべている。それも、この戦いの最中にいつ施したのやら、化粧によって顔がやや黒ずんでいた。

 とてつもない激戦を経た感じを、自己演出しているのだろう。


「……やはり、そういうことか……」

「香苗、これってやっぱり……?」

「この子たち、負けるように身体が動いてしまうようね……」


 残念な子を見る目で、香苗はスタント部の面々を見た。


 アクション・スタント部の部員たちには、揺るがしがたい矜持がある。それが、常日頃の絶え間ない訓練によって体に染みついているのだ。


 つまり、『アクションシーンはやられ役こそ光る!』である。


 蹴りが飛んで来れば、空中を派手にくるくると何回転もした後、地面に激しく落下したいのだ。ぐるんっとド派手な後ろ宙返りを決めて、背中からガラステーブルを突き破りたいのだ。華麗な前転宙返りをして、噴水の中に飛び込んで水飛沫を上げたいのだ。


 アクション映画のあれやこれやが、したくてしたくてたまらないのだ。そして奇しくも、この状況はまさしく映画のそれと同じであった。


 二対四。

 数が多い方が悪役。悪役は倒されてなんぼ。

 倒されるシーンこそ最高の見せ場。


 これでスタント部の面々に「勝て」という方が酷というものであろう。

 要領さえ掴んでしまえば、香苗と保羽リコの敵ではなかった。


 派手な攻撃――回し蹴りなどは、スタント部の大好物らしい。適当に繰り出すだけで、スタント部の面々は吹っ飛んでいくのだ。香苗とリコの連携攻撃など、見栄えが良かったり、大技となるとほぼ百パーセント避けようとしない。


 おそらく、ド派手なリアクションが取りやすいからだろう。

 スタント部は次々と倒れていった。ある者は植え込みにずぼっと突き刺さり、ある者は木の枝にだらんと引っかかり、ある者は噴水に背中から突っ込んだ。


 そんでもって最後に、


「ぐっ……か、身体が勝手に……む、無念……」


 スタント部の部長はがくっと倒れ伏した。


 竜巻のように空中で四回転ひねりを決めて頭から地面に落ちたように見えたが、どうやら上手い事、受け身はとっているらしい。

 ため息が出るほど素晴らしい、やられっぷりだった。


 アクション・スタント部の面々は、見事な体捌きだ。無駄に洗練された一切無駄のない無駄な動きは、テレビや映画で見るものとほぼ同じ。

 尋常の練習量ではない。


 本気で投げ技を仕掛けようとした香苗や保羽リコの動きを、寸前で交わしていた。関節を押さえても、するすると逃れられてしまった。

 いわば、練習なしのぶっつけ本番。


 ちゃんと戦えば、香苗と保羽リコではまず勝ち目が無かったろう。後で風紀にスカウトしてみよう……と保羽リコがぼそりと呟くほどだった。


「……部の信念には逆らえなかったようね……」


 天晴れだと香苗は思った。

 天晴れなアホの子たちであった、と。


 ともかく、障害は取り除けた。上空からドローンが降りて来て、先導を始める。

 二階の廊下の窓付近に、別のドローンの姿がふと見えた。


「あれは……?」


 香苗は目を細めた。

 第二新聞部のドローンとは別の物だ。


 どうやら、何かを撮影しているようだが、いったい何をしているのか? さきほどアクション・スタント部と一戦を繰り広げた時も、たしかあのドローンがこちらを撮って居たような気がする。なぜ? 香苗はふと疑問に思ったが、考えている余裕はなかった。


 校舎に入ると、立ち塞がる人影が現れたのだ。

 来るとは予想していた。最後の関門となるであろう、その少年。


 山下だった。


 階段の手前で仁王立ちしている。つまり、ヨロズ先輩と森田君はその階段を上ったという事だろう。おそらく、屋上を目指している。


「あなたに関わってる暇はないわ」

「ほぅ、いいのか?」


 保羽リコの言葉に、山下はくすりと笑いこう続けた。


「俺がコートに手を掛けただけで、風紀としては見逃せまい?」

「ちっ……!」


 と香苗と保羽リコは同時に舌打ちした。

 あと一歩の所だというのに、忌々しい。


「悪く思わないでくれ。俺は服を脱ぐことしか芸の無い男だ……」

「ただのヘンタイじゃないの。渋い声で言ってるけど」


 げんなりしながら香苗は言った。


 まったく、何の進歩も無い一年坊主だ。

 だが、香苗は油断していない。


 違うのだ。山下の雰囲気が。イヴの時とは、明らかに。

 しなくてもいい洗練がなされたというのか、磨かなくてもよい精神性が磨かれたというのか、むけるべきではない皮が一皮むけたというのか。


 香苗の風紀委員としての勘が、警報をならしていた。


「小林先輩。イヴにあなたから言われた言葉、こたえましたよ」

「その割には、ちっとも反省が感じられないわね」

「そんな、まさか」


 大仰な身振りをして山下は微笑み、さらに続けた。


「己にあった驕りを、あなたは見事に踏み砕いてくれた。……感謝しています、心の底から。あの言葉のおかげで、より高みを目指せる」

「あんたらみたいなのに高みを目指されちゃ困るのよ、風紀としてはっ!」

「あなたの言う通り。常識無くしては立つ瀬なきほど、非常識は身薄いもの。…………だからこそ、だからこそなお、ビクンビクン!!」

「山下ぁあああああああ!!」


 ひどい川柳と共に山下は衣服を脱ぎ棄てた。

 香苗と保羽リコは飛びかかった。


 今までの山下ではなかった。

 脱衣の迷いの無さや素早さもさることながら、山下は逃げなかったのだ。風紀の二人を迎え撃ち、香苗と保羽リコの猛攻を、山下はなんと掻い潜っていた。


 山下の身体はテカテカしている。体中に油を塗っているのだ。ツルツルと滑ってしまい、関節を極めたり、投げ飛ばしたりすることが出来ず、組み敷けない。肌色のブーメランパンツを巧みなポージングで隠し、とにかく明るい山下は風紀を挑発していた。


 香苗たちはすぐに息が上がってきてしまった。

 スタント部との一戦で、案外体力を使っていたらしい。


「くっ、なんというしぶとさ!」

「イヴとの時とは、動きが違う……」


 保羽リコと香苗が呻く。


 水を得た魚と言うのか、ムチを得たドMと言うのか、油を得た変態というのか。例えをひねり出す事すら煩わしいが、山下は見違えるほど強かった。

 二対一でも全くひるまない。


 ただ服を脱いで走り出すだけだった変質者のサナギでは、もはやない。心技という二つの羽を身に付けた、実に厄介な変質者へと羽化していた。

 まさしく、完全変態であった。


 風紀の二人は翻弄されてしまっていた。


 さらにそこへ、かつん、かつん、と階段から靴音が近づいてきた。堅く、強く、揺るぎなく、艶やかで、迷いのない、強者の靴音。ヒールの音だ。


 香苗と保羽リコにとって、絶望の靴音だった。

 椅子の人を二人従えた、如奧先輩の姿がそこにあったのだ。




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