第21話




     14



「リコ、ホシが動いたっ」


 定時連絡が無い。香苗の呼びかけに答えない。

 香苗が目配せすると、保羽リコが頷いた。


 火ぶたが切られたのだ。


 二人は物陰に隠れ、生徒会役員室を見張っていた。

 すぐ下の階には、風紀の一隊を忍ばせてある。ヨロズ先輩が動きを見せれば、迅速に対応するつもりだった。ガラス越しに、ヨロズ先輩の後姿はみえている。


 副会長や会計の少女と共に、机仕事をしているのだろう。

 しかしヨロズ先輩は動かない。


「……どういうこと?」


 香苗は訝しんだ。


 森田君が動いた以上、ヨロズ先輩もうごくはずだ。そうでなければ意味がない。向こうも風紀に動きを察知された事は織り込み済みのはず。一刻でも早く行動したいと考えるはずだ。それなのに、ヨロズ先輩の後姿は平然としていた。


「おかしい……変よ、香苗……」


 保羽リコは耳をそばだて、きょろきょろと周囲を見回している。犬笛に招き寄せられる犬のように、廊下の外窓へと身を寄せた。


 その途端、下側からぬっとそれが現れた。


 カメラ付きのマルチコプターだ。

 クルクルと円を描いて飛び、香苗たちの注意を引き、何かを指し示すようにカメラを裏門の方へと向けている。


「ど、ドローン? 一体誰の――」

「草の者のドローンよ、リコ」

「第二新聞部の?」


 保羽リコがふと見下ろすと、裏門の先に目が留まる。

 曲がり角を曲がる人影が、ちらと見えたのだ。


 服装から、おそらく男子生徒だった。

 紅いトランクケースを引いた、小柄な後姿。


 あれは――


「……清太っ!?」

「なに!?」


 香苗は面食らった。


「リコ、ほんと?」

「たぶんっ」


 二人が別々に動く?

 考えにくい。


 では、目の前のヨロズ先輩はどうして微動だにしない?


「……――っ!?」


 ヨロズ先輩は微動だにしていない。

 身じろぎ一つ、とっていない。


 香苗は勘付き、役員室に踏みこんだ。

 ヨロズ先輩に駆け寄り、香苗は舌打ちした。ヨロズ先輩だと思っていた後姿は、巧妙に偽装されたマネキンだったのだ。


「おや、どうしたのかな? 風紀の御二方。ノックもせずに」

「副会長、これは……!!」

「ああ、演劇部と裁縫部から預かっておいてくれと頼まれてね」


 七三眼鏡の副会長は、白々しくそう言った。

 まんまと謀られたのだ。


「リコっ、外よ!!」


 森田君はトランクケースを引いている。

 移動速度は速くはない。


 草の者も張り付いているはず。走れば必ず追いつける。香苗と保羽リコは部屋を飛び出し、階段を駆け下りた。階下には風紀の一隊を忍ばせてある。


 配下の者と合流しようと角を曲がり、香苗は足を止めた。

 後ろに続いた保羽リコもぐぬっと唸る。


 背中に書かれた『綱紀粛正』文字、紺の羽織が見えたのだ。

 ただ、計三名の風紀委員は、廊下に倒れ伏していた。ある者は柱を抱きかかえるように、ある者は傘立てに突っ込み、ある者は消火栓の蓋に頭をぶつけ、気絶している。


 その中央に一つ、人影が立っている。

 アイロン台の上で白いシャツに悠然とアイロンがけを行う、男子生徒。


 風紀委員でその顔を知らぬ者はいない。


「アイロニング部……」


 忌々しくつぶやき、香苗は身構えた。

 保羽リコも戦闘態勢を取る。


 日戸梅の奇人・変人は、スペックだけは無駄に高い。

 エクストリームアイロニング部もその例に漏れない。


 所かまわずアイロンをかけるだけの変人、と侮るなかれ。野球部がノック練習を行う内野で球を避けつつアイロンを掛け、校舎の外壁にロープで逆さ吊りになりながらアイロンを掛け、プールに沈みながらアイロンを掛け、真夏の炎天下に教頭先生の新車のボンネットの上で素足になってアイロンを掛け、襲い掛かる柔道部員をひらりと交わしながら柔道場のど真ん中でアイロンをかけ続ける人間なのだ。


 命を燃やしてアイロンかけろ――がモットーの部活だ。

 エクストリームアイロニングは一見冗談にしか見えなくとも、かなり過酷なスポーツでもある。ゆえに、極限状態で磨かれた肉体と精神は、並外れている。


 風紀ブラックリストの上位に食い込む実力は、伊達ではないのだ。


「アイロンを捨て、両手を上げて、ひざまずきなさい」

「……」

「もう一度言うわ。アイロンを捨て、ひざまずきなさい!」


 アイロニング部は優雅にアイロンをかけ続けている。

 香苗の警告は無視された。


 捕まる時はあっさり捕まるが、捕まらない時は酷く手こずる。それがエクストリームアイロニング部だ。部長の目を見ればわかる。

 酷く手こずる時の目だ、と。


 だが、今の香苗たちに時間は無い。


「リコ、私が抑える。走り抜けなさい」

「香苗、任せたっ」


 保羽リコ単独での追跡となるが、やむを得ない。

 香苗がコートの下に手をやり、保羽リコは全力疾走の構えを取った。


 部長と風紀の間に、意志の火花が散る。

 その時、がらりと戸の開く音がした。


 かと思うと、アイロニング部部長の真横から手が伸び、ひょいとアイロンを取り上げてしまった。香苗たちに注意していた部長は、完全に不意を突かれたらしい。その者は流れるような手並みで、アイロンを窓から突き出して言い放つ。


「ひざまずけ。さもなくば、アイロンを落とす」


 東原先生であった。

 仕事をさぼって寝ていたらしく、片手でよだれを拭いていた。


 人質をとって生徒を容赦なく脅す。教師の風上に置けないどころか、風下に置いてすら悪影響を及ぼしかねない、無慈悲な通告であった。


 部長は崩れ落ちた。

 アイロンが本体と言っても過言ではないのだから、当然だろう。


 日戸梅高校の問題児であるアイロニング部であろうと、それ以上の問題児である東原先生の前では、どうしようもなかったのだ。


「東原先生!」

「特別顧問、お見事です」


 無敵の援軍の到着に、香苗と保羽リコはほっとした。


 東原先生は風紀委員会の特別顧問だ。一人でも多くの若者に枯れ果てた恋の荒野を歩ませる事を天命とする、一騎当千の女教師にして青春の仇敵だ。


「保羽、小林、ゆくぞ」


 事情の説明など必要ない。

 血に飢えた狼のように鼻をすんすんと鳴らすと、東原先生は嗅覚のおもむくまま、裏門へと歩を進ませている。迷いなきその歩調は、しかしすぐに止まった。


 行く手に男性教師が現れたのだ。

 禍々しいオーラで、男性教師の顔付近の空間が歪んでいる。日戸梅高校随一の凶相にして常識人、厳島先生だ。厳島先生は生徒会の顧問でもある。


 どれほど後輩がサボり魔のアッパラパーであっても、根気強く付き合って仕事をさせようとする。東原先生が唯一、天敵としている先輩教師なのだ。


「保羽、小林、あとで必ず追いつく。どのような劣勢でも、決して退くな」

「はい、東原先生。分かっております」

「特別顧問、ご武運を」

「うむっ!」


 香苗と保羽リコを先に行かせ、東原先生は厳島先生と対峙した。




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