第四章
第20話
13
「待て!」
家庭科調理室に威勢の良い声が響いた。
声の主は風紀委員の一人。
鋭い眼光の二年生だ。剣道部のエースでもあり、ぴんと伸びた姿勢が美しく、威厳に満ちて居る。なにより、風紀のナンバー3だ。
「森田くん。ちょっといいかな?」
「なんでしょうか?」
調理台の上には料理の数々が並んでいた。
おやつ代わりの軽食だ。
現在は放課後である。
皿の料理の量は少ない。だがバラエティに富んでいた。
多国籍であり無国籍であり、物によっては無政府主義ですらある料理の数々が、それぞれの皿に盛りつけられていた。
昼間の内に上手く仕込みを終えていたのだろう。
「私の皿と君の皿、取り替えてもらえないか?」
「ええ、構いませんよ」
「ついでにコップも、いいかな?」
「はい」
森田君は事も無げにそう言った。
毒を盛られるのを警戒したのだろう。風紀のナンバー3は皿を取り換えるとき、森田君の目をじっと見て、心を探ろうとしていた。
他の風紀委員たちも、やや森田君を警戒しているようであった。
香苗から厳命を受けているのだろう。
ぴりりと場の雰囲気が引き締まる。
香苗や保羽リコの姿は、この場には無い。風紀にも通常業務があり、ここに居る風紀委員たちは非番組だ。結果的に、風紀委員を二手に分ける形になっていた。
「ではみなさん、いただきましょう」
場の雰囲気を和らげるように、料理部部長が手を合わせた。
薄幸そうな女生徒であり、この会食のホストでもある料理部部長にそう言われては、風紀のナンバー3もいつまでも疑っている訳にはいかない。食いしん坊である料理部の面々が、待ちきれないとばかりに手を合わせた。
「では、いただきます」
「いただきます」
料理に手を付け始め、雰囲気が和気あいあいとしてきたその時だった。
「むぐっ!?」
料理部の面々が奇妙な声を上げ、椅子から転げ落ちて倒れた。
その次に森田君が椅子からひっくり返った。
「――っ!?」
風紀委員たちは、がたっと椅子から立ち上がる。そして床に倒れた四名を見た。風紀委員たちは味に違和感こそ抱いたが、少々、反応が遅れていた。
当然だ。
風紀委員たちは食べ慣れていないのだから。
何を食わされたのか、味や食感だけで判断できるほど、彼らは被害にあった事がない。幸いな事であった半面、この場では不幸でもあった。料理部の面々のように「気を失う」という大切な防御反応を取る事に、風紀委員たちは一歩遅れてしまう。何かわからないがとんでもないモノを食わされたという事実が、彼らの意識を徐々にふらつかせた。
「こ、ここっ、これは、まさか……!!」
「この惨状は、この独特の風味は、つまり!」
「ご名答だよ、風紀諸君」
声がして、風紀委員たちが一斉に振り向いた。
いつの間にか生瀬孝也が立っていた。
どうやら、準備室に潜んでいたらしい。なにやら箱を抱えている。箱の中から、ゴソゴソと何かが動き回る音がしていた。
「どうだったかな? 特製ソースとミニハンバーグは?」
「な、なななっ、生瀬孝也ぁっ!」
「き、貴様ぁ!!」
「この箱の中、見てから気を失うかい? それとも、見る前に気を失うかい?」
箱を愛おしそうに撫でながら、生瀬孝也はにこやかに言った。
風紀委員たちがその瞬間、一人を残して全員気絶した。
正しい反応であった。
職務放棄をするものかと底意地を見せた風紀のナンバー3も、しかし体に力は入らなかった。両膝をつき、生瀬孝也を睨みつけることしか出来ない。
「謀ったなっ!?」
「ふふふっ、謀っただなんて、そんな酷い言いぐさはないよ」
やれやれと生瀬孝也は首をふった。
「忘れてもらっては困るなぁ。料理部は僕のフィールドでもあるんだよ?」
「よ、よくも料理部の者たちまで、無差別にっ……!!」
お前それでも人間かと、良識の塊である風紀のナンバー3が顔を歪めている。だが当然のことながら、生瀬孝也はいつもと変わらぬ涼しい顔だ。
「ぐっ……し、しかし、これでは森田くんも――」
遠のく意識の中、風紀のナンバー3は愕然とした。
倒れていたはずの森田君が、むくりと起き上がったのだ。
「なっ、なぜ!? 同じものを、食べたはず……!?」
「そりゃ、お正月から二週間近く、孝也さんに付き合ってきたものですから。気を失わない程度の耐性なら、嫌でもついてしまいますよ」
顔色を悪くしながらも、森田君は両足でしっかりと立っていた。順応力と精神力が尋常のものではない。修羅場をくぐり抜けてきた猛者の風格であった。
風紀委員に毒を盛ってくるものだとばかり、ナンバー3は考えていた。まさか、分け隔てなく毒を盛り、その毒に耐え抜いて来るとは。
なんという発想力であろうか。
「……なん……だと……?」
風紀のナンバー3は一度大きく目を見開き、がくりと倒れ伏した。
家庭科室は死屍累々の様相を呈していた。
見回して、森田君は胸が苦しくなる。
自らがひいた引き金ではある。しかし、それによってもたらされたこの惨禍は、引き金を引く時に感じた重みとは比べ物にならない。
無差別に被害がまき散らされたのだ。
何の罪もない風紀委員たちがこうなってしまったのは、森田君も覚悟の上だ。風紀委員会とは敵対してしまう以上、森田君としては対処せねばならない。
ぎりぎり割り切れる。
だが、何の罪も無かった上に、何の関係も無く、むしろ場所を提供してくれた恩人ですらある料理部の面々まで、こうして撃沈してしまっている。
さすがにこればかりは、森田君も割り切れなかった。
「あの、孝也さん」
「なにかな?」
「たしか予定では、料理部の皆さんには、虫料理は出さないはずでは?」
「……おお、これはしまった」
大げさな仕草で生瀬孝也は自らの額に手を当てていた。倒れ伏す料理部の面々を悲しげに見つめ、自らの罪を見つめるように首を振っている。
「なんという事だろう。僕としたことが、とんでもない手違いを」
(この人、ぜったいワザとやったな……)
生瀬孝也を信じてしまった自分を、森田君は悔いた。だが、いかに悔いても料理部の面々まで気絶させた事実に変わりはない。
「料理部の皆を巻き込んでしまって、心が痛むのかい?」
「……そりゃぁ、まあ」
巻き込んだのは主にあなたなのに、なんでそんな他人事の様に言い放てるのだろう――と森田君は少なからず思ったが、ぐっとこらえて言葉を続けた。
「料理部の方々は、無関係な訳ですし」
「なに、森田君。考えようだよ」
生瀬孝也はぴんっと人差し指を立てた。
詭弁を弄して法廷を混乱させようとする悪徳弁護士そのものだった。
「もし料理部が無傷なら、彼女たちにあらぬ疑いが行くかもしれない。少なくともこれで、風紀は料理部の関与を疑いはしないだろう。そう思わないかい?」
「……まあ、たしかに……」
「これは僕なりに料理部の行く末を考えた、いわば配慮だったんだよ。うんうん」
「手違い、だったんじゃ?」
「……森田君」
「はい」
「状況によって人は柔軟に考え方を変えて行くものさ」
「…………」
虫を料理して他人に食わせるという事に関して、どんな状況でも一ミリも考え方を変えないくせに、よくもしゃあしゃあと言ってのけるものだ。
敬意をまったく抱かせずに、ただ感心だけさせる。
ある種の名人芸ですらあるかもしれない。
これで大天使・生瀬さんの血を分けた兄だと言うのだから、遺伝子の性格に及ぼす作用など、本当に存在するのかと疑いたくなってくる。
森田君はそう思いつつ、作業に取り掛かった。
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