第10話




 運動部のものだろう。明るい掛け声が、グラウンドから微かに聞こえて来る。本日は土曜日。のどかで平和な一日である。はずだ。本来なら。


 だが、森田君は鉄条網をくぐる兵士の気分だった。


「……ねえ、生瀬さん」

「なに、森田君?」

「ほんとに……ここで、あってる?」

「え?」

「その、協力してくれそうな人が居る所、って」

「……? うん、そうだけど……」


 質問の意図に戸惑う素振りすらみせ、生瀬さんは確かめるように部室名を見て、当然のようにそう言った。森田君も、もう一度見てみた。


 女王様研究部。


 異様な輝きを帯びるその部室名は、見間違えようがない。


 この部の名を見て、「ああ、歴史上の女王について研究する部なんだろうなぁ」だとか「日本には卑弥呼が居たから、きっとその関係でこの部を立ち上げたんだろうな」だとか、そういう平和な発想をする感性など、もう森田君にはあるはずもない。


(……これはやばい……間違いなくヤバイ……)


 嫌な予感を通り越して、嫌な確信を森田君は持った。

 持たざるを得なかった。


(い、いや、そう断じるには気が早いぞ……)


 部活名を見て決めつけていた自分に、森田君は待ったをかけた。

 まだ部室の前に立っただけではないか。


 海底人探求部の時の事がある。


 名前を見ただけで奇人・変人と決めつけるのは良くない。日戸梅高校は確かに奇人・変人・変態の坩堝であるものの、日々を真面目に過ごしている人だってちゃんと居る。ちゃんとした人には、森田君もちゃんとした心構えで接したいのだ。


(そもそも、生瀬さんがかなり安心した様子で紹介してくれた部活じゃないかっ。うん、そうだっ……先入観で物事を見るなんて、良くないよね)


 森田君はそう思って「失礼します」と部室のドアを開けた。


 ぴしゃあぁああああ! ひぃいいいいいいい!!


 先入観そのままの光景が広がっていた。

 男子生徒が一人、背中を鞭でしばかれている。一瞬自分には透視の超能力でもあるんじゃないのかと森田君がそう思ってしまうほど、嫌な予感通りだった。


「如奧先輩、お邪魔してもよろしいですか?」

「あら、エリちゃん!」


 鞭をふるっていた女生徒が、たおやかな笑みを浮かべて近づいてきた。美しい茶色の髪を、お洒落に結い上げている。髪を染めていないと感じるのは、その顔立ちゆえだろう。日本的な雅さとはまた違う、気品のある目鼻立ち。


 いたって普通の制服姿だが、練磨の森田君はしかと感じた。

 常人との格の違い、というものを。


「いらっしゃい。入部してくれる気になったの?」

「いえ。今日はその、すこし相談がありまして」

「そうなの。何でも言ってね。協力するから」


 貴賓に接するがごとく、如奧先輩は生瀬さんの手を優しく握っている。

 どうやら二人は旧知の仲のようだ。


(あれを見て、なんでそんなに平然としていられるの、生瀬さん……?)


 森田君は額に滲む汗を拭いた。

 生瀬さんはわけ隔てない性格だ。だからこそ、森田君の阿呆なお願いにも力を貸してくれるし、こういった奇抜な人脈も持っているのだろう。


「それでエリちゃん、そちらの方は?」

「えっと、森田君です。私のクラスメイトで、今日、如奧先輩にお願いをと」

「一年の森田清太です。生徒会で書記をやっています」

「あら、生徒会役員の。ふふふっ……如奧です。よろしく。さあ、どうぞ、二人とも。遠慮せずに入ってね。立ち話では落ち着けないわ」

「お邪魔します」

「さあ、みなさん、お客様よ。椅子を用意して」


 如奧先輩がやんわりと促すと、二人の部員は何の迷いもなく四つん這いになった。一人は如奧先輩のために。もう一人は、森田君と生瀬さんのために。そういえば、小奇麗な部室には椅子が一つも見当たらないな、と森田君はやっと気付いた。


 人間が椅子になるのだから、確かに必要ない。

 なるほど。


(なるほど!?)


 危うく納得しかけた森田君は、慌てて首を振った。


 そして、如奧先輩を畏怖するように見た。

 これは理に適っているな、などと思ってしまったのだ。

 流れるように非常識を常識と認識させられかけた。


 もはや疑う余地はない。

 この部は危険すぎる。


「さあどうぞ、おかけになって」


 如奧先輩はにこやかな笑みのまま、ごく自然とそう言った。


「はい、失礼しますね」


 生瀬さんがちょこんっと人間椅子に腰を掛けた。


「…………」


 森田君は自分の頭の方が変なのかと疑った。


「あの、部長さん、さすがにこれは――」

「森田君、だったわね」

「はい、部長さん」

「この部屋にはね、部長も部員も存在しないの」

「……へ?」


 だったらこの部室は一体何で、あなたは一体誰なのか?

 森田君の疑問の眼差しを受け止め、如奧先輩はたおやかな笑みを浮かべた。


「この部に居るのは女王様と豚だけ。だから、私の事は女王様と呼んでくれるかしら?」

(……あ、この人、うん……)


 確かめるまでもなく、森田君は確信した。


 如奧先輩は風紀ブラックリストのランカーだ。

 日戸梅高校の上位者だ。


「は、はい、女王様……」

「図が高いぞ、少年。もっと深く頭を下げたまえ」


 如奧先輩の椅子として待ち構え、微動だにしなかった男子生徒がそう言った。

 どうやら上級生らしい。いかつい顔立ちと逞しい身体だ。若いながらも口髭が似合っているのは、顔が少々老けており、渋さがあるからだろう。


「まったく、礼儀のなってない一年坊主のようだね、キミは」

「エリちゃんのお知り合いに、ずいぶんな口の利き方ね?」


 如奧先輩が椅子の部員を見つめ、やんわりと制する。

 如奧先輩の口調は普通であるのに、ひやりとしたものを森田君は感じた。


「お客様への非礼は、私への非礼も同じ。そうよね?」


 椅子の部員は直立不動の姿勢を取り、ばっと頭を下げた。


「す、すいません女王様! 分不相応な真似をいたしましたっ」

「言葉は無粋よ」

「はいっ。さっそく靴をなめて反省を――」


 そう言って部員はひざまずいたが、如奧先輩はおみ足をすっと後ろへ引いた。困惑する椅子の部員に対して、如奧先輩は微笑みを絶やさず言い放つ。


「あらあら、あなた、私の靴を舐めて良い身分なの?」


 こんなサディスティックな言葉を、ここまで上品に発する事が出来る人がいるとは、森田君は知らなかった。知らない方が良かったとも思った。


 人の心があれば出せないようなセリフを、臆面もなく言ってのける。常人なら気分を害するだろう。思い上がりを突き付けられ、椅子の部員は震えていた。


 怒りではない。

 苦しみと喜びに、椅子の部員は身悶えしていた。


 彼にとっては至上の幸福であるらしい。


「い、いえ! めっそうもございません。女王さまが踏んだ床を舐める事がかろうじて許されている、卑しい卑しい身分でありますっ!」

「よくできたわね、ほんと良い子。ほら、お舐めなさい」

「…………」


 山下に匹敵しかねない逸材に、森田君はドン引きした。

 が、生瀬さんを乗せていた椅子の部員は感嘆していた。


「な、なんという飴と鞭……さすが女王様」と。



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