第4話
3
始業式が終わり、裏門付近での掃除は早く済んだ。
美化委員会の日頃の活動の賜物だろう。
ヨロズ先輩はそう思い、感心した。
学校の一斉清掃も、労力は非常に少ない。
級友たちに他のポジションを手伝うようにお願いし、一人でゴミ置き場へと袋を運ぼうとすると、ヨロズ先輩の目前に保羽リコが立ち塞がった。
「……聞いたわよ……清太との事……」
がしっと肩を掴まれ、ヨロズ先輩はたじろいだ。
保羽リコは顔を暗くうつむけている。
その声もいつになくドスが利き、低かった。
保羽リコにとって森田君は溺愛の対象である。ヨロズ先輩は身構えた。なにせ、結果的に森田君をひどく傷つけてしまっているのだ。
「別れ、たんですってねぇ……」
「……ええ」
「いやぁ、ほんっっっっと残念だわぁ~。もう、すっごくお似合いの二人だと思ってたからぁっ、んんンー、めちゃくちゃ残念だわぁ~」
ぱっと顔を上げた保羽リコは、満面の笑みだった。溺愛する孫の結婚式でおばあちゃんが見せる笑顔以上の幸せに満ちている。
さすがのヨロズ先輩も、これには眉がぴくりと動いた。
「……ちっとも残念さを感じ取れないのだけれど?」
「そんなことないって。あたしから溢れ出るこの弔問の心遣いが分かんないの?」
「弔問って……死んでいないわ、何も」
「そう? でもまぁ、ほら、必要でしょう? ……遅かれ早かれ、似たような事にはなる訳だから、早めに言っておこうかなって……さ」
「――っ!! っ………!」
「~~~~っ!」
ヨロズ先輩が悔しそうに返答に窮するのを見て取り、保羽リコは嬉しさに背筋をぞくぞくと震わせているようであった。
舌戦でここまでヨロズ先輩が追い込まれるなど、かつてなかった事なのだ。
快感のあまりか、保羽リコは身体をよじっていた。
ひとしきりヨロズ先輩を見遣り、保羽リコはふっと息を吐く。どこでいつ勝利したのか全く不明であるものの、勝者の余裕が保羽リコにはあった。
そしてヨロズ先輩の肩を優しくぽんぽんと叩いた。
「それじゃ、がんばって。応・援、してるから」
人間はここまで想いと言葉を切り離して使う事ができるものなのかと、いっそ感心すら覚えるほど、額面と真価がかけ離れた励ましの声であった。
「…………」
「あら、そんな素敵な目で見つめられたら照れちゃうわぁ」
ヨロズ先輩の険悪な眼差しを浴びる事が嬉しくてたまらない、と保羽リコは余裕の笑みでうけながし、悠然と背を向けて歩き去って行った。
(遅かれ早かれ、弔問が必要……?)
まったく腹立たしい。
どれほど性格が曲がりくねって居たら、あんなセリフをまっすぐ言えるのか。むしろ一切曲がっていないからこそ、言い放てるセリフでもあるのか。
居ても立っても居られず、ヨロズ先輩が足早に歩いていると、
「先輩!」
渡り廊下で、そう声をかけられた。
ヨロズ先輩が振り向くと、森田君がそこに居た。
ゴミ袋を持っている。
「ちょうどよかった」
「どうしたの?」
「さっき美化委員長が、先輩にお話があるって探していましたよ。そのゴミ袋、貸してください。ボクがもっていきますか――らぁ!?」
森田君はつんのめった。
差し出した森田君の手を、ヨロズ先輩がぐっと引っ張ったのだ。森田君を胸元に引き寄せるように、ヨロズ先輩はぎゅっと抱きしめた。
「せ、せせっ、先輩!? あの、ちょっと……!?」
あわわっと森田君は取り乱している。
森田君の初々しい反応に、ヨロズ先輩は喜びを感じた。
(ほら、森田君はまだ、こうやって。弔問だなんて、そんなこと――)
「先輩、リコ姉ぇと何かありました?」
やんわりと、しかし強い意思で身体を離し、森田君がそう言う。もう事態を飲み込んでしまったのか、とても冷静な口ぶりで、慮るような上目遣いだった。
図星を突かれ、ヨロズ先輩は面食らった。
「……え?」
「だってほら、急にその、こういうこと……変だな、って」
「その、森田君……わたし――」
「焦らなくていいんですよ、先輩。ゆっくりいきましょう」
森田君は優しい口調で、困ったように微笑んでいた。
(……まただ……)
ヨロズ先輩は自分の馬鹿さ加減が嫌になった。
(また、やってしまった……)
イヴの後、保羽リコへのあてつけではなく、ちゃんと森田君自身を見て欲しいと森田君に言われたのに。気付けば同じことを繰り返してしまっている。
「ごめんなさい」
「いえ、あの……ゴミ袋、貸してください」
「ええ、おねがい」
「では先輩、また後で」
ほんとうにいつもいつも、森田君に気遣われてばかり。だが落ち込むよりも、やらねばならない事があるはず。ヨロズ先輩は気を引き締めた。
本日、午後の授業は無い。
昼食を済ませ、森田君とヨロズ先輩はスタント部の元へやってきた。数名の者たちが、体育館の檀上付近で宙返りやバク転を行い、激しい格闘を行っている。ヨロズ先輩の姿を認めると、彼らはぱっと動きを止めて、すばやく横に整列した。
アクション・スタント部。
部員数は四名で、今は二年生と一年生のみらしい。
ヨロズ先輩の計らいによって本日は体育館を使えているが、普段は違うそうだ。校舎の空きスペースを見つけては、そこを練習場所にしているらしい。
「快く協力してもらったわ」とは、ヨロズ先輩の言葉である。
日戸梅高校において強い権能を持つ生徒会長に、とにかく親切にしておけば、部費や待遇の面で有利になる、という打算がスタント部に動いているのか。
スタント部の面々は、余計な事を一切聞かなかった。
「精一杯協力させて頂きます、銀野会長」
「助かります」
「つきましては銀野会長、例の件、お忘れなく」
「もちろんです」
ヨロズ先輩とスタント部の部長が、こそこそと短く話している。
なんだかグレーな会話だった。
仮に部費の配分などでスタント部が優遇されるような事があったとしたら、森田君は良心に従い、色々と苦しい立場に立つ事になるだろう。
そこら辺のバランスをヨロズ先輩が見誤るとは思えない。
が、ヨロズ先輩の事をより知って行くにつれ、森田君は気付き始めていた。リカバリー能力が高いだけで、ヨロズ先輩はミスをしない人ではないぞ、と。
「……職権濫用的な何かじゃないですよね、先輩……?」
念のために、森田君は聞いてみた。
「ええ、もちろん」
ヨロズ先輩は頼もしく頷き、続けた。
「スタント部の立場があまりにも弱く、演劇部や文芸部、映研と話し合いの場を設けて欲しいらしくて。その場で、多少の口添えをすると約束を」
「立場が弱い……ですか? アクション・スタント部の?」
「そうなんだよ、書記くん!」
スタント部の部長が横手から割り込み、ぐっと森田君に顔を近づけた。独特の熱量だったが、奇人変人の香りは感じない。比較的まともそうな男子生徒だ。
「我が部の地位はあまりに低いんだよ!」
「小劇場は演劇部がほぼ独占状態なのよ」
「アクションシーンを下等なものだと思っているんです、演劇部の連中は!!」
「台本書いてる文芸部や、映研ですらそうだもんな!」
スタント部の面々が一斉に不満を吐き出した。
溜まるものがあったらしい。
「日本では地位が低すぎるんだよ、スタントマンの!」
「ワクワクさせ、恐怖すら感じさせるスタントの数々。見ただけで心の奥へと飛び込んでくる、弾けるような迫力! それが下等なもののはずがないのに!!」
「あいつら、日曜朝のスーパーヒーロータイム見てないんっすよ!!」
「くそぅ! そんなに偉いのかよ! 古典演劇ってのが!」
「『ヴェニスの商人』がなんだ! 『ロミオとジュリエット』に階段落ちと爆破スタントを導入するくらいの斬新さを見せてみろよ!」
「そうだそうだ!」
「でもこの前やってた『ハンバーガーショップの野望』はメッチャ面白かったよね」
「ああ、あれはたしかに」
「あいつら、お堅い古典より現代コメディの方が上手いよな」
「あんまりやんないけどね」
どうやらスタント部の面々は演劇部の良い観客でもあるらしい。
純粋な人達のようだ。
ヨロズ先輩の申し出に二つ返事でスタント部が協力してくれたのは、自分たちの活動の良さを知って欲しいからだろう。
森田君はそう思い直した。
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