第3話


     2



(二人そろってまぁ、新年早々お熱いこって……って感じじゃ、なかったな)


 何かあったのだろうか?


 森田君はいつも通りのようだったが、ヨロズ先輩の様子が少し違うようだと、香苗は感じた。とはいえ、ヨロズ先輩は相変わらずの表情だ。

 その変化は読みにくい。


(勘頼りってのは、私の性分には合わないか……)


 なにより、人の直感ほど博打なものはない。

 香苗はふと考えたが、答えは見えない。


 とりあえず今は目の前の人に集中しようと思った。


「まだ立ち直れないの?」

「ひっく……あたしはねぇ……もうどうでもよくなったのよぉ……」


 おちょこ片手にスルメイカをかじっている。

 こたつの上にぐだぁっと頬を張り付け、その女は甘酒をすすっていた。


 こんな様でも、日戸梅高校の風紀委員長だ。

 醜態と痴態を晒すだけ晒しても、不思議と人望を失わない。どころか「この子ほっとくと大丈夫かしら?」と、むしろ人望が集まってくる節すらある。


 香苗の同級生でもある、保羽リコであった。


 髪はボサボサで、毛玉だらけのスウェット姿。

 当然、目に生気は無い。


 普段はそこそこ締まりのある生活をしているのだが、ある一件によってこうなってしまった。森田君とヨロズ先輩の恋仲を引き裂く絶好のチャンスを見逃すどころか、あろうことか、保羽リコは森田君に喝を入れてしまったのだ。


 分かりにくい人と言うのも厄介なものだが、分かりやす過ぎる人というのも、これはこれで面倒なものがある。と、香苗は思いつつも家主にたずねた。


「甘酒で酔ったんですか?」

「みたいねぇ」

「……甘酒で酔えるんですか?」

「まぁ、尋常じゃ無い量を飲んだから、この子。……酔っているのか、自暴自棄になってるのか。飲む前からこんな感じだし。まぁ、学校始まるまでには何とかなるでしょ」


 保羽リコの母親はあっけらかんとそう言い、付け加えた。


「冬休みの宿題とかは、なんだかんだでやり終えたみたいだから」

「……根は真面目なんですよねぇ。方向性を選ばないだけで」

「そうなのよねぇ、ほんと」

「このままだとアレなんで、外に連れ出してみますね」

「お願い、香苗ちゃん。いつもありがとね」

「まあ、もう慣れましたから」


 台所へと引っ込んだ家主に代わり、香苗はコタツの前に立った。


「毎度毎度……あんた、いい加減にしなさいよ」

「もうやんなっちゃったのよぉ! あんなっ、二人の仲を引き裂く絶好のチャンスを前にして、大ポカやらかして……ううぅ……」


 ぐすっと保羽リコは鼻をすすった。


「あんたのアホは今に始まった事じゃないでしょ。しゃきっとしなさい。もうすぐ始業式だっつーのに。ほらっ、初詣いくわよ。帰りになんか買い物でもしてさ。この前あんた、駅前に出来たぬいぐるみ屋さん、行ってみたいって言ってたでしょ?」

「やぁ、うごきたくない!」

「そんなしまりのない格好してるから、そういう気分になるの。外側取りつくろっときゃ内側もそこそこ何とかなるもんなんだから。ほら、着替える!」

「ううぅ~、やぁ!」

「やあ、じゃない」

「やぁ!! やなのっ!」

「何でもかんでもイヤイヤイヤイヤって、三歳児か、あんたは!」


 香苗は叱り飛ばしたが、コタツの足に抱き付いて首をいやいやと振っている保羽リコに効果はない。香苗はため息をつき、保羽リコの部屋から服を数着取ってきた。


「これとこれ、どっちにするの?」


 なるべく語気を穏やかに言うと、保羽リコは右のシャツを指さした。


「じゃあ、ズボンとスカート、どっちにする?」

「ズボン……」


 同級生として扱うのを止めた途端、上手く行きはじめる。なんだかなぁと思いつつも、香苗は保羽リコの着替えを済ませて、家から引っ張り出す事に成功した。


 神社に向かうだけで一苦労だった。

 神社につくと、さらなる苦労が待っていた。


「何が神様よ、はん!」


 鳥居をくぐる段階で保羽リコは攻撃的であった。

 手水舎でガラガラとうがいをするわ、参道の真ん中をズカズカと歩くわ、狛犬に因縁をつけるわ、ほんとうにろくでもない。


「神と仏が仕事してりゃぁねぇ、もうちょっと世の中マシになってんのよっ」

「はいはい、んな事言ってないで。ほら、お賽銭」


 そう言って香苗はリコに五円玉を手渡した。


「たかだか五円ぽっちでねぇ、願い叶えてくれりゃねぇ、こちとら苦労しないっての! 駄菓子ですらほとんど何も買えないじゃないの、五円じゃ! 神さまってなに、もしかしてあれ? 明治時代の貨幣価値を今も採用してんの?」

「縁起もんなんだから、そういう事は深く考えない」

「安く済ませようって誰かが考えたこじつけでしょ、どうせ!?」

「だとしても、それっぽい感じになってんだから、ありがたく乗っかっときゃいいのよ」

「こらぁ、かみ公ぉ! かみ助ぇ!」

「罰当たるわよ、あんた。神様をそんな風に呼んだら……」


 声と眉をひそめて香苗は叱ったが、保羽リコは気にも留めなかった。


「仮にも八百万の末席を汚してんのならねぇ、あたしの願いをいっちょ叶えてみなさいよぉ、ばーか! どーせ出来ないくせに、人間にこんな立派な神社こしらえさせてねぇ、小銭稼ぎしてんじゃないわよ。そんなだから、どんどん廃れてくのよぉ」

「この神社廃れてないからね。むしろ繁盛してるから」


 境内はとても清らかに保たれ、ひどく傷んでいる部分など見当たらない。古びてこそいるものの、味わい深く感じるのは、手入れが行き届いているからだろう。


 だが、保羽リコのとんちんかんは止まらない。


「くやしかったらねぇ、力を見せてみなさいよ。そんな力があるならねぇ、お年玉でぎゅうぎゅうのこの財布の中身、賽銭箱にダンクシュートしてやるんだからぁ!」


 当然、返事は無い。

 保羽リコはこれ見よがしに鼻を鳴らした。


「へん。なにさ、うんともすんとも言いやしないでやんの」

「くだまいてないで、とっとと入れなさいよ、それ私の五円なんだし」

「……むぅ~」


 五円玉をしぶしぶと保羽リコは放り投げる。

 カランコロンっと賽銭箱に吸い込まれていった。


 こんな馬鹿丸出しの友人ですが根は良い人間なので、どうか許してやってください。と香苗は祈っておいた。新年一発目のお祈りが、すでに尻拭い。

 おみくじを引くまでもなく、香苗は今年の運勢を察した。


「リコ姉ぇ? 香苗さん?」


 おみくじを結んで再び鳥居をくぐると、横手から声をかけられた。

 森田君だった。


「あれ、どったの? こんなところで」


 香苗は周囲を見回したが、ヨロズ先輩の姿は見えない。


「銀野会長と出かけたはずじゃ?」

「遅まきの初詣で、一緒に。先輩を送って、その帰りなんです」

「ああ、そうだったの。だったら一緒にくりゃよかったわね」

「いやよ」


 不機嫌そうに即答し、保羽リコはぷいっとそっぽを向いている。

 森田君と香苗は苦笑した。


「なにが悲しくて冬休みに銀野ヨロズと顔会せなくちゃなんないのよ」

「まぁた、子供っぽい事言ってぇ」

「子供だしっ。未成年だし! お酒飲めないしっ! 選挙権もないし!!」

「ああいえばこういう。ほんっとガキなんだから、もぅ……」


 と香苗は呆れつつも、すこし安心もした。

 コタツの中でうじうじと愚図っているより、やはりこうして、臆面もなくハキハキと愚図っている保羽リコの方がずっと良い。


「これからリコと駅前に行くんだけど、どう? 一緒に来る?」

「いえ、ボクは家の方に。片付けたい事があるので」

「そう。んじゃ、またね」

「はい」

「じゃあね、清太」

「あ、リコ姉ぇ、あのね」


 袖をちょんちょんと森田君に引っ張られ、保羽リコは向き直った。


 森田君の様子がかなり真剣だったので、香苗は空気を読んで二人からすっと離れようとしたが、会話は耳にばっちりと入ってきてしまった。


「なに? 清太」

「実はね……この前、リコ姉ぇの言ってくれた事、自分なりに良く考えた結果なんだけど、銀野先輩との関係を一歩戻す事になったんだ」

「……って、いうと?」

「えっとね、だから、先輩とはもう恋人じゃないんだ」


 森田君の口振りはとても落ち着いていた。

 保羽リコは目を見開き、口をぽかんと開けている。なにせ急転直下なのだ。保羽リコの理解を待つように、森田君はどっしりと構えていた。


「……せ、清太が、そう決めたの……?」

「そうだよ。ボクが無理を言ったんだ」

「銀野ヨロズはなんて?」

「わかった、って」

「そう言ったの? 銀野ヨロズが?」

「うん」

「…………」

「リコ姉ぇには、言っておきたくて」

「………………――――ふんっ!!」


 保羽リコは全力で参道を取って返し、賽銭箱に財布ごとお年玉全額を叩き込んだ。一連の動作には一切のためらいがない。


 有言実行であるとはいえ、手首がねじ切れんばかりの手の平の返し方である。いかな香苗でも、ストップをかける暇などあるはずもなかった。


「リコ姉ぇ、なにやってんの!?」

「ああもう、家の鍵とか色々入れてるでしょうに、後先考えないんだから!」


 後を追いかけてきた森田君と香苗が、そう言って頭を抱える。


 神主さんに事情を話して財布を回収しようとしてくれている香苗や森田君の事など、ほぼ眼中に入れる事無く、保羽リコは賽銭箱の前で仁王立ちしていた。


 柏手を必要以上に何度も打ち鳴らし、鈴をがらんがらんと鳴らしている。願いを叶えてやった神様の方が、その変わり身の早さにびっくりするであろう。


 他の参拝客も「なんだあの子は?」と眉をひそめている。

 もう滅茶苦茶で、参拝の作法などあったものではなかった。



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