第2話
「ところで、森田君」
「なに、生瀬さん?」
「山下くんと連絡がつかないんだけど、森田君は詳しい事情、知ってる?」
生瀬宅から帰り際、生瀬さんにそう聞かれた。
生瀬さんの顔色は曇り気味だ。ずっと心配に思っていたらしい。
「山下は……イヴの一件で思うところあって武者修行中、らしいよ」
「しゅ、修行……?」
「あまりに未熟だった、自分を見つめ直したい……って山下は言ってたけど、どういう意味なのかはちょっとボクにも。事情を話してくれなくて……」
「そうなんだ。クリスマスイヴのお礼をしたかったんだけど、会わせる顔が無いってラインで」
「生瀬さんも?」
「森田君も?」
「うん。ボクも電話越しでしか話してくれなかったんだ」
イヴの作戦としては、山下とアイロニング部部長が捕まってくれたおかげで、風紀委員たちの油断を誘え、ミスリードが上手く行ったのだ。
むしろ森田君としては、山下は完璧な仕事をしてくれたと思っている。
「でもまぁ、山下には山下なりの基準があって、色々と思う所があったんだよ」
「そっか……話してくれたら、相談に乗れるんだけど……」
「もうすぐ学校も始まるし、山下の場合は、なんていうか、適度に放置された方が喜びそうっていうか。……今は、そっとしておいてあげた方が良いと思う」
「うん。分かった。森田君がそう言うなら」
信頼してくれているのだろう。
生瀬さんは少し安心したようでもあった。
翌日、あと一週間以上続く地獄の、その片鱗を森田君は見せつけられた。この調子で大丈夫なのかと森田君が青ざめていると、「大丈夫だよ、森田君。慣れて来るとね、意識が自然と飛ぶようになるから」と生瀬さんから励まされた。一種の防御反応として、そういう術が身につくらしい。
色んな意味で森田君は涙が出そうになった。
生瀬孝也の毒牙にかかっていると、森田家の呼び鈴が鳴った。
森田君が玄関を開けると女性の姿がそこにある。
日戸梅高等学校の生徒会長にして、文武両道の麗人、銀野ヨロズ先輩だった。雪女の末裔と囁かれる気品ある美しさと、近寄りがたい雰囲気をあわせ持つ。だが時折見せる言動の意味不明さから森田君が察するに、かなりのアホの子でもある。
森田君の想い人にして、憧れの人だ。
「こんにちは、森田君」
「こんにちは、先輩」
「……迷惑、だったかしら?」
「え?」
「いきなり来てしまったから」
「いえ、そんな。とっても嬉しいです」
遅ればせながら新年の挨拶を済ませていると、ヨロズ先輩が森田君の後ろを注視した。生瀬さんと生瀬孝也が、何事かと顔をのぞかせたのだ。
「あら、生瀬さん。……と、そのお兄さん?」
「はい。イヴの時の後始末……というのか、なんというのか。そういうので。これまでも、生瀬さんにはとってもお世話になってるんです」
「そうだったの……いつもありがとう、生瀬さん」
「いえ、そんな、銀野会長、頭を上げてくださいっ」
森田君が手短に説明すると、ヨロズ先輩は丁寧に謝辞を述べた。生徒会長に頭を下げられ、生瀬さんは恐縮しているようであった。
「それじゃ、森田君、私たちはこれで失礼するね」
「むむ? けれどエリ、本日の予定ではまだもう一品――」
「いいから、兄さん! 邪魔しないのっ」
不満そうな生瀬孝也を引きずるように、生瀬さんは慌ただしく去って行った。
とりあえず森田君はリビングへとヨロズ先輩を招き入れる。
すると、ヨロズ先輩から手のひらサイズの包みを手渡された。綺麗にリボンで包装されている。あまり重くはなく、おそらく、お菓子の類だろう。
「これはその、おみやげよ」
「ありがとうございます、先輩」
「その、バレンタインの時、なにも渡せなかったから」
「先輩が気に病む必要なんてありませんよ。イヴの後でボクが先輩に言った事は、あれはその……なんていうか、全部ボクの我がままですから」
「…………」
ヨロズ先輩の顔色が優れないように感じ、森田君は声をより朗らかにした。
「それで、今回の設定はどのような?」
「え?」
「『高層ビルから突き飛ばして欲しい』って、先輩、言ってたじゃないですか。その件で、来てくれたんじゃないんですか?」
「……え、ええ。そうね。そうよ」
「あ、お茶入れますね。紅茶で良いですよね?」
「ありがとう、森田君」
茶うけは餡子のお菓子が良いだろう。
以前、ヨロズ先輩に教えられた紅茶と餡子の組み合わせは、なかなかいける。ヨロズ先輩は結構がっつり食べていたから、お菓子は多めに盛っておこう。
そう考えて、森田君は羊羹を切った。
けれどヨロズ先輩は、出した紅茶を一口飲んだだけ。
お菓子には手を付けずに話し始めた。
「森田君はとんでもない犯罪を繰り返す変質者よ。薬を盛ってこん睡させた私を、廃ビルへと連れ去るの。森田君は劣情にかられて、口にすることも憚られるような事を私にしようとするのよ。私は間一髪、なんとか逃げようとするのだけれど、森田君に追いかけられて屋上へと追いつめられ、突き飛ばされて地面へと真っ逆さま、という設定よ」
「…………」
回数を重ねるごとに設定が酷さを増していく気がしてならないが、森田君は気を取り直した。ヨロズ先輩の言動がアレなのは今に始まったことではない。
「……なんだか、今回はアクションチックですね」
「かなり身体を使う事になると思うわ」
「……ん? でもその設定だと、ヨロズ先輩は昏睡してるわけですよね」
「ええ、そうね」
「すると廃ビルまでどうやって先輩を連れて……」
「…………」
「…………」
「……そこはその、安心と実績の――」
「トランクケースですね。わかります」
森田君は当然のようにそう頷いて、山中へとヨロズ先輩を埋めに行った時の事を思い出した。緩やかな坂道ですら、体力的にきつかった。
身体も鍛え直す必要があるだろう。ルートを選んで段差は避けねば。
などと、ぱぱっと森田君は予定を頭の中で組み立てる。
(……ずいぶんとボクは先輩の色に染められてしまっているなぁ……)
と森田君はしみじみ感じた。
「そうだわ、森田君。初詣」
「?」
「私、まだだから。……付き合ってくれないかしら?」
(……こんなまともな事を、先輩から提案してくれるなんて、珍しい)
森田君は驚きつつも快諾した。
良い変化なのかは分からないが、関係は少しずつ動いている気がする。
「先輩、お昼ごはんは、もう食べました?」
「来る前に済ませたわ」
「なら、さっそく行きましょう。初詣」
森田君がそう言うと、ヨロズ先輩はパクパクと羊羹を食べ始めた。ほっとしたような、あるいは残さない様にと焦っているような、微笑ましい食べっぷりだった。
「羊羹、ゆっくり食べてからにしましょうか」
「……え、ええ。お願い」
「紅茶、入れなおしましょうか? 冷めちゃってますし」
「いえ、このままで。私、冷めた紅茶も好きだから」
いつになく反応が可愛らしいな、と森田君には思えた。
いつもは綺麗でクールで知的な印象が強い分、特にそう思えるのか。
相変わらずヨロズ先輩は変化の読みにくい表情をしているものの、その物腰がほんの少しだけ、フワフワしているように感じたのだ。
身支度を整えて玄関を出ると、ちょうど香苗と出くわした。森田家の隣である保羽家の門扉を開けようとしている所で、よぅっと片手を上げて会釈している。
「こんにちは、小林さん。明けましておめでとう」
「これは銀野会長、明けましてどうも。これから、お出かけで?」
「ええ」
「香苗さんは、これからリコ姉ぇの家ですか?」
「まぁね。いつまでもあの様だと、ほら、こっちも困るから」
頭をポリポリと掻きながら、面倒くさそうに香苗は言った。ショートのソバージュに気だるげな瞳、風紀委員会のナンバー2である香苗はいつも通りの様相だ。
「保羽さんがどうかしたの、森田君?」
「……リコ姉ぇ、家にこもり気味になってて」
「心配いりませんよ、銀野会長。いつもの事ですから」
香苗があっけらかんとそう言った。
「そうですか……」
「お二人とも気にせず、どうぞ行ってくださいな」
「リコ姉ぇのこと、お願いします、香苗さん」
「あいよ、任せなさい」
「さ、先輩、行きましょう」
と森田君はヨロズ先輩をうながした。
ヨロズ先輩に余計な気をつかわせるのも良くないだろう。
保羽リコとヨロズ先輩の仲は、あまり良好ではない。
対面すると張らなくても良い意地を張り合い、絡まなくて良い糸が絡む。
ヨロズ先輩が下手に「お見舞いでもしましょうか」と言いだすと、少し厄介だ。今は適度な距離感が必要だろう、と森田君は思ったのだ。
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