第三章
第15話
13
12月24日、その日は日戸梅高校の終業式だった。
二学期が終わり、冬休みが始まる。なにより、日が暮れればクリスマス・イブが訪れる、愛と苦しみに満ちた聖なる日の前日だ。商業主義にまみれにまみれて土着化したイベントなど、ローマ教皇庁にとっては喜ばしくない事だろうが、色んな意味で戦いの日であった。
香苗は終業式が終わり、東原先生と共に渡り廊下を歩いていた。
渡り廊下には、生徒の姿はちらほらあるのみだ。
部活に精を出している者もいるが、友達と遊びに行く者のほうが多い。今混雑しているのは下足ロッカーのある場所であり、そこからやや離れた渡り廊下に人影は少なかった。
そんな少ない人影の中に問題児の姿を見つけ出し、東原先生は呼び止めた。
「おい、ヘンタイオリンピックの一年代表、ちょっと待て」
「やれやれ困ったな」
呼び止められた山下はやれやれと首をふり、続けた。
「人の顔を見れば変態だなんだと。昨今の青少年は傷付き易い繊細な心を持っているんですよ、東原先生。教育者として、恥ずかしいとは思わないんですか?」
「ごたくは良いから、とっととズボンを上げろ、山下。先生の広い心も、さすがに毎度毎度パンツ丸出しでは限界を迎えるぞ、この×××野郎」
「あふんっ……」
山下は嬉しそうにズボンを上げた。
もはやプレイの一環でしかない。
そう知っている香苗は、山下を「しっしっ」と手で払った。とっとと失せろという香苗のぞんざいな意思表示に、山下は嬉しそうに従って姿を消した。
(特別顧問を風紀委員会室に連れて行かないと……)
香苗はそう考えて、東原先生と連れ立って歩いていた。
生徒会主催のものとは別に、風紀委員会にはささやかな年末の宴があるのだ。
東原先生の誘導に、香苗は注意を払っていた。東原先生が程よく乾燥した黒色火薬だとするなら、本日はそこら中に火種が巻き散っている状況なのだ。
爆薬を管理するなど至難の業だった。
さらに問題なのは、東原先生自身が火種を吸い寄せる星の下に生まれたことだろう。
「じゃあ今夜、駅前で待ち合わせな」
「うん。楽しみだね、イルミネーション」
渡り廊下の片隅で、男女が初々しく話し合っていた。
すると東原先生がこめかみに青筋を浮かばせた。
「ふんっ!!」
「特別顧問!?」
香苗は焦った。
いつのまにやら、大きな鉄製のゴミかごを東原先生が持ち上げていたのだ。
ゴミかごは相当重たく持ち難いはずなのだが、重量挙げの選手もかくやと言うほど、東原先生は軽々とやってのけている。傾いた鉄カゴから、ペットボトルやらがカラコロとこぼれ落ちていた。東原先生は無言だったが「そんなにイルミネーションが楽しみなら、とびきり真っ赤で派手なヤツを今すぐに作ってやる」という、壮絶な意思の伝わる眼差しだった。
香苗の動きは素早い。
東原先生の前に回り込み、背中に生徒二人を庇ったのだ。
「特別顧問っ、おちついて、落ち着いてください! そこの二人、何してるのっ、さっさと逃げなさい! 殺されるわよ!?」
イヴの予定を話し合っていた男女は、香苗の言葉に従って一目散に逃げだした。
そうやって香苗は生徒を逃がしながら、東原先生へと穏やかに呼びかけた。
「ね、とりあえず頭の上の、それ、でっかいやつを、特別顧問、ね? おろしましょう。それは人に投げるものじゃないですから」
「……そうね、そうだわ、小林……」
東原先生は少し落ち着きを取り戻したらしいが、鉄カゴはまだ下さなかった。
「止めてくれて、ありがとう。でもほら、これ、人間二人ならちょうど入る大きさだから、あの二人を見た瞬間、ゴミかごにぶち込まなければという使命感がね……」
(どんな使命感だ、それは)
香苗はそう思ったが、ツッコミは禁だ。
今は東原先生を刺激すべきではない。
香苗は声を柔らかくしながら、丁寧に説得を続けた。
「わかります。わかりますけど、下しましょう。特別顧問も鬼じゃないんですから」
「そう、そうね……私も鬼じゃないから。片想いは見逃してやっても良い。ピュアっピュアなトキメキに胸を高鳴らせている若人なんざ見ているだけで反吐が出るが、こちらから率先して無茶苦茶にしてやろうとは思わない。そこまで私も荒んじゃ居ない。だがっ……だがな……両想い、貴様はダメだ。貴様だけは許さんっ――そういう使命感がね、ムラムラとね……自分でも抑えがきかない時がね……」
絞り出すようにそう言って、やっと東原先生はゴミかごを地面に下した。
東原先生は色々と手遅れであった。
風紀に暗黒面があるとしたら、間違いなく銀河共和国は滅ぼせるレベルだろう。
香苗は不思議で仕方ない。
「……いつも疑問に思ってるんですけど、なんで教員免許取っちゃったんですか……」
「一人でも多くの若者に、実り少なき青春の荒野を歩ませるために決まっている」
「特別顧問ってまったくブレませんよね、そういうトコ」
ある種の感心すら覚えつつ、香苗は東原先生を風紀委員会室まで導いた。
風紀委員会室には風紀委員たちが集まっていた。
年末の掃除を済ませ、机を並べてテーブルクロスを引き、飲み物をならべ、特別顧問の到着を待っていた。昼食がてらのささやかなパーティーだ。
テーブルの上には、出前の寿司やらフライドチキンやら天ぷらやら、なかなか豪勢な物が並んでいる。料理の大半は東原先生のポケットマネーからだ。
一番の出資者をパーティーに呼ばないわけにはいかない。
香苗が少々面倒でも東原先生を連れてきたのは、そういう訳だった。
「そいじゃ、みなさん」
と、香苗はパンパンと手を叩いて注目を集めた。
香苗は保羽リコへと目配せしつつ、いつものごとく場を仕切った。
「今年一年、お疲れさま。風紀委員長からのお言葉……は、終業式の時に聞いたから、もういいわね。それじゃ特別顧問、乾杯の挨拶をどうぞ」
「さっさと食おう、腹減った。乾杯」
東原先生の一言と共に、どんちゃん騒ぎが始まった。
今日かぎりは、品行方正やら綱紀粛正やら、堅苦しい職務など知った事ではない。呑めや歌えや裸で踊れや、でもパンツだけは勘弁な、という楽しい日なのだ。
三年だろうが一年だろうか、教師だろうが関係ない。
現に、風紀委員の一年坊主がジュース片手に、東原先生へと絡んでいた。
「バラ先生はイヴの予定とか、ないんですかぁ?」
「おう、夜まで仕事だこの野郎。てめぇら生学と違ってこちとら公僕様なんだ。有給使って連休爆撃かましやがった勝ち組野郎の尻拭いだ、ド畜生」
「へぇ、仕事が恋人なんですねぇ」
地雷発言をかました一年坊主の頭を、東原先生ががしっと鷲掴みにした。
「仕事は恋人じゃない。仕事は、仕事だ。それ以外の何物でもないし、何物でもあってはいけない。特に、今日はっ。……オーケー?」
「ぬごっ!? バラしぇんしぇ、あ、あたまが、ふぬごごごごっ……」
「おー、けー? デューユー、アンダスタン?」
「お、おーけー」
地雷を踏み抜いていくスタイルのおバカな一年坊主を助けてやる者は、それなりの結束を持つ風紀委員たちの中にも居なかった。
みんなの楽しげな様子を見て、香苗は保羽リコの肩を突いた。
話がある、と顎でしゃくり、二人でこっそりと部屋を抜け出す。香苗としては、ヨロズ先輩側の動きが今一つ見えてこず、なんだか気持ちの悪いものを感じていた。
森田君が変わった動きをすれば、保羽リコが気づくはずだ。
そこから何か手がかりは掴めないものかと、香苗は保羽リコに尋ねてみたかったのだ。戸越しに聞こえてくる楽しそうな声を聞きつつ、香苗は保羽リコへと話しかけた。
「……ねえ、リコ。どんな些細な事でもいいんだけど、ここ最近、森田清太の周辺でなにか変わった事とか無かった? もう少し思い出してみてくれない?」
「うーん、そんな事言われても……あっ」
と言って、保羽リコはぽんっと手を叩いた。
「兄さんの話しだと、この前の休みの日、清太は寒中水泳してたみたいね。近所の川で」
「利守さんがそう言ってたの?」
「うん。三人組だったって。たぶん生瀬と、あともう一人、男の子が一緒だったって。思わず手錠をかけそうになってしまう雰囲気のある男の子だった……らしい」
保羽リコはそう言った。
香苗の脳裏に、まず山下が思い浮かんだ。
それからもう三、四人の顔もすぐ浮かび、香苗の直感が揺らいだ。まったく忌々しい事に、日戸梅高校はその手の人間に困らないのだ。
香苗の考察など知ってか知らずか、保羽リコはのほほんと構えている。
「寒中水泳だなんて、清太は男を磨いていたのね。感心だわ」
「……寒中水泳? なぜに? ……意味がますます分からなくなっていくのに、事件の臭いだけはものすごく濃くなっていく……」
「そうか!!」
保羽リコがいきなり大声をだした。
見るからに『閃いた!!』という顔をしている。電極を右脳と左脳に突き刺せば、何かの間違いで豆電球くらいなら点灯するかもしれないほどだ。
香苗は捨て置いた。
どうせろくな発想ではない。香苗は数えきれない経験で知っていた。
だが、保羽リコは気にしない。
「分かったっ! 分かってしまったわ、香苗!」
「あ、そ」
「流すな!! ちゃんと聞きなさいよ、あたしの名推理をっ」
保羽リコにぐいぐいと袖を引っ張られ、香苗は面倒くさそうに頷いた。
「あー、はいはい。聞く聞く、さっさと言って、時間の無駄なんだから」
「コンクリートの裸像を作るつもりよ!! 嫌がる清太を無理やりに裸にしてっ、ロープで縛ってロウソクから蝋を垂らして、ピンヒールと鞭で痛めつけながら『芸術はSMなのよ』って一晩中、清太を調教しつづけるの!! そしてその屈辱と背徳感で困惑する清太をモチーフに、はしたない裸像を作るつもりなのよ! そうやって歪んだ上下関係を作り上げて、清太を生涯こき使おうとしているの! 間違いないわ!」
「うん、間違いしかない。……たびたび疑問に思うんだけどさ、あんたの中で銀野会長って、一体どんなキャラなのよ……?」
香苗のツッコミは宴会の声に紛れてしまった。
(なにか、変な予感があるのよね……)
香苗はそう思えて仕方ない。
ヨロズ先輩と森田君の動きに見当がつかない事には、香苗としても動きようがない。今まで香苗が収集してきた情報では断片的過ぎて、森田君側の動きが釈然としないのだ。
今日はクリスマス・イヴだ。
何かしらの動きはあるだろう。
保羽リコもそれを邪魔するつもりだ。だが、実際どうやるか。
相手がいつ、どう動くのか。それに対処するには、どうするのか。
それは香苗の裁量によるところが多い。
(まあ、森田清太を張ってりゃいい話なんだけど……)
香苗はむむっと眉根を寄せたものの、保羽リコと共に再び風紀委員会のパーティーへと戻った。せっかくの東原先生のおごりだ。
この一年間、風紀委員として香苗は仕事してきた。
忘年会くらい楽しもうと、香苗は気持ちを切り替えた。
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