第12話




     10



 テスト明けの土曜日、森田君は早朝からうきうきしていた。ヨロズ先輩と出かける事になっている。湖や池など、候補地の下見に行くのだ。

 二人きりで。


 つまりこれはデート……と定義できない事もない、事もないような気もする事である。

 目的はヨロズ先輩を水に沈めるため、というぶっ飛んだものだ。


 だが、結果としてはデートに非常に近い。


 傍から見ればそうとしか見えない以上、森田君としてはワクワクがとまらない。期末テストを何とか乗り切った後は、どんな服を着ていくかで悩みっぱなしだった。


 前日の夜はちゃんと眠れたが、当日の朝早くに目が覚めたのだ。

 森田君の準備は万端だった。


 待ち合わせ場所の駅前に、森田君は三十分以上早くついてしまった。ヨロズ先輩の事を考えるだけで、そんな待ち時間もまったく苦にならない。

 胸を躍らせる森田君の背中へと、待ち人の声が届いたのは、予定の時間きっかりだった。


「お待たせ、森田君」

「いえそんな、今来たところで……先輩?」


 森田君は目をぱちくりさせて言葉を途切れさせ、ヨロズ先輩の姿をまじまじと見た。


 ヨロズ先輩はミニスカートだった。

 女子高生なら冬場でも珍しくない。着たい服を着るためなら、大寒波に見舞われたシベリアの奥地でもマイクロミニを選ぶのが、お洒落戦闘民族としての流儀であろう。


 だが、森田君は困惑した。


「えっと……」


 森田君は不安げな眼差しで、言葉を詰まらせた。


 問題は、ヨロズ先輩がミニスカートに加えて、ノースリーブだったことだ。さすがに靴下は履いているようだが、コートやマフラー、手袋などの主要な防寒着は無し。

 十二月のこの時期に、おもいっきり肩を出している。


 もちろん、ヨロズ先輩は元が良いので何を着ても様になる。間違いなく着こなしているが、薄手の生地は明らかに夏物のそれだ。インナーくらいは防寒仕様で体幹を冷やさないようにはしているのだろうが、見ている森田君の方が寒くなる。衣替え、などという日本の風習は、H2Aロケットに乗せて衛星軌道上へと打ち上げてしまったらしい。


 戦闘力が高すぎる。測定装置がぶっ壊れてしまうレベルのお洒落民族だ。

 森田君は目を白黒させて、ヨロズ先輩へと問いかけた。


「……その服装で、このまま行くんですか……?」

「ええ」

「ほんとに、だい、じょうぶ……なんですか?」

「問題ないわ、森田君」


 ヨロズ先輩は顔色一つ変えず言い切った。

 季節に合わせて服を選ぶなど片腹痛い、季節が私の服に合わせろ――ヨロズ先輩の堂々とした佇まいは、覇王の哲学すら感じさせる。


 もしかして冬にコートを着ている自分の方が間違っているんじゃないか、などと一瞬森田君を錯乱させてしまうほどだった。


 すれ違う人達がヨロズ先輩を見ている。ヨロズ先輩が美人だから、という理由もあるかもしれないが、森田君が中年女性でも振り返るだろう。

 奇異の視線を森田君は感じる。


 身体が温かく感じるのは、冬にしては陽気が良いほうだからなのか、それとも気恥ずかしさからなのか。森田君がドギマギしていると、停留所へとバスがやってきた。


 ヨロズ先輩を野ざらしにはできないと、森田君は停留所を手で示した。


「とりあえず、バスが来たみたいなので、いきましょうか」

「そうね、そうしましょう」


 そう言うなり、ヨロズ先輩は早足でバス停まで歩いて行った。

 そしてバスに乗って暖房を浴びると、ヨロズ先輩は強張らせていた肩をなでおろすように、ほっと一息ついているようだった。どうやら、かなり無理をしていたらしい。


 森田君にはそう見えてならなかった。


「先輩。やっぱり相当、寒かったんじゃ?」


 バスが発車してから森田君がそう問いかけると、ヨロズ先輩は冷静な目でこう答えた。


「森田君、心頭を滅却すれば火もまた涼しくなるものよ」

「その言葉の理屈からすると、この時期に滅却しちゃうと凍り付いてしまうんじゃ?」

「……森田君」

「はい」

「今さらそんなまともな事を言われても困るわ」

「今さらじゃないです。結構前からちょくちょく言ってると思います」


 こんな塩梅で会話しながら、森田君は近隣の湖や池をヨロズ先輩と見て回った。

 棒を突き刺して水深を調べたり、ヨロズ先輩の納得のいくロケーションを探して歩く。ヨロズ先輩には先輩なりのこだわりがあるらしく、難しそうな顔をしていた。


 春や秋には桜や紅葉で賑わう湖や池も、この時期ではほとんど人の姿はない。雪化粧もされていない寒空の水辺に用があるのは、釣り人や野鳥観察の者くらいか。小高い山で街の光を遮れるので、夜には天体観測を趣味とする人たちが集まる事もあるだろう。


 森田君はヨロズ先輩へと切り出した。


「あの、先輩。ボク、何度かコンクリートの固まり具合を試してみたんですけど、速乾セメントでも、水に入れても大丈夫なくらい堅くなるには時間がかかりました。養生する日数をちゃんとしないと、結構崩れやすかったです。このままだと、その……」


 と、森田君は計画の問題点を示した。

 ヨロズ先輩の現在の計画では、湖の間際でコンクリをこねる、という事になっていた。だが固まるまで待っていたのでは、計画にスピーディーさが失われてしまう。


 寒空の下で長時間じっとしておかねばならない。

 水に沈む前に体調を崩してしまうだろう。


 森田君の指摘に対して、しかしヨロズ先輩は譲らなかった。


「沈む前にコンクリートはこねたいわ、自分の手で。雰囲気が出ないもの。ああでも、沈められる側の私がコンクリートをこねる、というのはすこし不自然ね」

「いえ、そんな事はないです。設定上ボクは酷い男なので、先輩に上手い事言ってコンクリートをこねさせて自分の労力を軽減する、という感じで行けば問題ないかと」

「森田君、素晴らしく外道な発想ね。それでいきましょう」


 ヨロズ先輩はぽんっと手を叩いて、森田君を絶賛した。

 だが森田君としては、褒められたはずなのに褒められた気がしない。


 それでもヨロズ先輩がそう望むならと、森田君は一つのアイデアを出す。


「わかりました、先輩。現地でコンクリートをこねるのと、そのこねたコンクリートを使うかどうかは、また別の問題として考えて行った方がいいかもしれません」

「そうね」

「あと、砂利の粒の大きさとか、量とか、掴めてきたのでもう少し待ってください」

「わかったわ」

「一つの案として、コンクリートブロックに括り付ける、というのはどうでしょう?」

「うーん。やはり足をこう、すっぽりとコンクリートで固めたいわ」

「では、それはまた考えた方が良いですね」

「ええ、そうしましょう」


 森田君とヨロズ先輩が交わす会話は、ほとんどそんな感じだった。

 貸しボート一つ乗る事は無い。デートというよりロケハンだったが、それでも私服姿のヨロズ先輩と一緒に出歩けるだけで、森田君は幸せだった。


 公園の池を調べたその帰り、バス停でしばし待つことになった。

 歩き回っている時とは違い、ヨロズ先輩は寒そうにしていた。


 自販機があれば、あったかい飲み物の一つでも持って来られるのだが、見回すかぎりバス停の周囲にそんなものはない。雨露をしのげる屋根と座席があるのみだ。こんなことなら魔法瓶に紅茶でも入れて持ってきておくんだった、と森田君は思った。


「先輩、どうぞ。その、鼻が……」


 そういって森田君はポケットティッシュを差し出した。


「……ありがとう」


 小さく控えめに鼻をかみ、ヨロズ先輩はすんすんと鼻を鳴らしている。

 森田君は自身のコートを脱いでヨロズ先輩に差し出した。


「あの、やっぱりボクのコートをですね」

「気持ちだけ、もらっておくわ」


 立ち上がってコートを脱いでいた森田君を、ヨロズ先輩は手で制した。

 お洒落戦闘民族としての矜持というものは、かくも堅いものなのか。


「だったら、その、せめてこれを……いくつか持ってきたので」


 そう言って森田君が使い捨てカイロを差し出すと、ヨロズ先輩はすこし迷った末に受け取った。森田君がほっとして着席すると、ヨロズ先輩が体をぐっと寄せて来た。


「せ、先輩……!?」

「……その……さ、寒くて……」


 ヨロズ先輩の声は震えていた。


(そりゃそうでしょう)


 ほんと支離滅裂だ。

 だったら薄着などしなければ良かったのに、などと森田君は思わなかった。ムードは一かけらも無かったが、ヨロズ先輩と密着しているのだ。


 ヨロズ先輩はほんとうに良い匂いがする。

 その感触と温もりと香りで、森田君の頭はくらくらした。


 ヨロズ先輩への文句などあろうはずがない。

 森田君の感想としては、たった一つしかない。


(冬に薄着……最高っ!!)


 その一言だった。




     11



「くぁあああっ!! な、なななっ、何よあれ!?」


 森田君が一時の幸せを噛み締めているバス停から、少し離れた茂みの中。そう言って保羽リコは地団駄を踏んでいた。


「ふ、ふふっ、二人で肩をよせあって!! バスを待ったりなんかしちゃって!! ロマンチックが止まらなくなっちゃってるじゃないの!! 清太っ、騙されちゃだめよ! 女は薄汚い生き物なの! その女は初めからそれを狙って薄手の服をむがっ――」

「落ち着け、取り乱すな、そしてうるさい」

「むがっ、うがっ、むーぬーっ!!」


 香苗が後ろから羽交い絞めにするも、保羽リコはヨロズ先輩への非難を続けているようだった。向こうがこちらを見ていないというのに、腕を振り回して威嚇している。


 香苗と保羽リコは変装して尾行していた。

 せっかくの休日に何をしているんだろうと香苗は悲しくもあったが、保羽リコに協力すると言った手前、ついて来ないわけにもいかない。


「しっかし、あの二人……」


 香苗としても、得るものはあった。


「池や湖ばっかり、これで三つめ。一体、どうなってんの? 長い棒きれを湖に差し込んで……あれは、深さを確かめてたのよね? 戦国時代の斥候じゃあるまいし……カップルならボートくらい乗りそうなもんだけど……」


 ヨロズ先輩と森田君が何を探っているのか、香苗は思案していた。

 少なくとも何かある。


 森田君が訪れた湖と池に関して、香苗はばっちりと記憶に刻んだ。





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