第10話




     8



「あら保羽さん、こんにちは」

「がるるるぅ……」

「そう、お元気そうでなにより」


 生徒会長と風紀委員長の仲は、いつにも増してこじれているようだった。

 早朝の何気ない挨拶ですら、そんな有様だったのだ。


 森田君の悩みの種でもあった。


 仲良くしてほしいヨロズ先輩と保羽リコは、恐ろしく仲が悪い。先日の議会での紛糾以来、より悪化しているようでもあると、森田君は日本史の授業に身が入らなかった。


「政治的対立によって険悪になっていく後白河法皇と平清盛の間に立ち、平重盛はなんとか二人の仲を取り持っていました。後白河法皇も清盛も権力者としてかなり我が強く、二人の仲を取り持つ事にそれはそれは苦労して、『忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず』とつぶやいたそうです。主君に忠義を尽くそうと思えば父親に孝行ができず、父親に孝行しようとすれば主君へ忠義が尽くせない。法皇と清盛の間で板挟みになった重盛の、その苦しい胸の内が良く分かりますね」


 その日の授業での一コマに、森田君はぐっときた。

 そして、ふとアイデアが一つ閃いた。


(……期末テストの勉強会は、ヨロズ先輩と二人きりでしたかったけれど。でも、二人の関係がマシになる、その足掛かりとなるかもしれないのなら……)


 試してみる価値はあるかもしれない。

 森田君はそう思った。


 そして森田君は期末試験の勉強会にかこつけて、土曜日に森田家で二人を引き合わせた。


 それは、お昼時だった。

 まだ三人とも食事を済ませてはいなかったので、ナポリタンでも作ろうかと言う事になった。食材は揃っていたので、森田君と保羽リコは手早く準備に取り掛かる。


 ヨロズ先輩もリビングからやって来て、加わろうとした。

 だが、保羽リコの対応はにべもない。


「お客さんはそこで待ってて良いわよ。邪魔だから」

「いいえ、手伝うわ。貸して、清太君」


 格好良くそう言って、森田君から包丁を受け取り、ヨロズ先輩はサクッといった。

 玉ねぎではなく、自分の指を。


 消毒液と絆創膏を取って来て、森田君が急いで手当てをした。幸い傷はとても浅かったけれど、ヨロズ先輩はかなり悔しそうだった。ヨロズ先輩にも苦手な事があるのかと、森田君は意外な心持ちになり、ヨロズ先輩の一面に触れた気がした。


「リコ姉ぇは年季が入ってますから、先輩が張り合う必要なんて――」

「へぇ、生徒会長さんは包丁一つ使えないんだぁ、ふーん」


 森田君のフォローを保羽リコが消し飛ばした。

 ヨロズ先輩がぐっと奥歯を噛み締めている。


「保羽さんが上手だというその事実に驚きを隠せないわ」

「美味しいって食べてくれる人がいるとね、自然と上手くなっていくものなの」

「その理屈だと、私もこれから先、必ず上手になっていくわね」

「さあ、それはどうかなぁ」


 保羽リコはとても嬉しそうに、しらじらしく肩をゆすった。

 数少ない、ヨロズ先輩より秀でている部分なのだ。


 ヨロズ先輩と保羽リコの仲が悪くなるばかりだと、森田君は手で示した。


「先輩は居間で、テレビでも見ててください。傷口が開くといけませんから」


 広くはない台所で素早くうごき、匙や計量カップといった器具を以心伝心で受け渡し、息ぴったりで料理を作り上げていく森田君と保羽リコを見ていたからか、お昼ご飯の最中、「とてもおいしい」と言いながらも、ヨロズ先輩は少しむくれているようだった。


 昼食の後は期末テストへ向けての勉強だった。


 森田家のリビングでテーブルを囲み、森田君とヨロズ先輩と保羽リコはノートを広げた。保羽リコが森田君のノートを覗き込み、いつものように身をぐっと寄せてくる。


「そうじゃないって、清太。そこはこう、こっちのカッコの中の奴を、しゅしゅっと持ってきて、ばばってやればいいのよ。ね、簡単でしょ?」


 保羽リコはテストの点数はいいが、教えるのは極めて下手なタイプだった。


 意味が分からない。感覚的過ぎて頭に入ってこない。

 森田君が困惑していると、今度はヨロズ先輩が身体をくっつけてきた。


「清太君、そこはこことここを結びつけて、この公式を当てはめた方がいいわ」


 さすがヨロズ先輩だ。

 するすると頭に入って来る。


 森田君はそう思い、憧れの眼差しをヨロズ先輩に送った。

 すると今度は保羽リコが非常に悔しそうな顔をした。


「り、リコ姉ぇは数学は得意科目、って訳じゃないから先輩に分があるのは仕方な――」

「教えるのが下手を通り越して喜劇的ですらあるわね、保羽さんって」


 森田君のフォローをヨロズ先輩が砕き去った。

 保羽リコがきっとした目でヨロズ先輩を睨みつける。


「言っとくけど、テストの総合点数ではあんたの次だからね、あたし。料理みたいに歴然の差がある訳じゃないからっ、そこんとこ、勘違いしないでよね」

「そうなの。気づかなかったわ。トップの座を脅かされる感覚が一度も無かったから」

「ぐっ!」

「清太君は、頭の良い女の人の方が好みよね? いろいろと上手に教えてくれる、すぐに感情をむき出しにしたりしない、落ち着いた物腰の淑やかな人のほうが」


 ヨロズ先輩が保羽リコへと見せつけるような優しい口調で、森田君へとそう言ってくる。


 森田君はどぎまぎし続けていた。

 なにかと衝突する二人のやり取りだけではない。


 ヨロズ先輩の何気なさを装ったボディタッチの頻度が半端ではない。とにかく距離が近い。保羽リコの青筋を増やしたいがために、森田君に触れて来るふしがある。


 嬉しいはずがまったく嬉しさを感じない奇妙な感覚が、森田君を覆っていた。

 そんな哀れな森田君が、さらに保羽リコとヨロズ先輩の火種になってしまう。


「あんたさぁ、この勉強会、清太がどういう思惑でセッティングしたか分かってんの?」

「保羽さんと私のためでしょうね。板挟みになった清太君を想うと、胸が苦しいわ」

「ならちょっとは空気読んで譲歩しなさいよ、その性格」

「その言葉、そのままそちらへ返します」

「譲る事を知らないわね、ほんと。譲り合わなきゃ交通事故のもとになるって、この前、学校で交通ルール教室をやってくれた警察の人が言ってたでしょ」

「譲歩しているからこの程度で済んでいると、どうして分からないのかしら?」


 ヒートアップしていく二人の間に、森田君は割って入った。


「……あ、あの、二人とも、落ち着いて……ね? ね?」


 この勉強会は失敗だったかもしれないと、森田君は後悔しながらなだめすかした。


 あちらを立てればこちらが立たず、こちらを立てればあちらが立たず。

 忠ならんと欲すれば孝ならず、孝ならんと欲すれば忠ならず。

 森田君の進退はここに窮まっていた。


 するとさすがに見かねてか、保羽リコが怒らせた肩を沈めて森田君を手で招いた。


「なに、リコ姉?」

「清太、ちょっと家からお茶菓子とってきて」

「リコ姉ぇの家?」

「そそ。食器棚の上に置いてる、美味しい方のクッキー。知ってるでしょ? あれ取って来て。女同士、少しだけサシでしたい話があるの」

「……喧嘩しちゃだめだよ?」

「しないから。ほら、今から二分だけ男子禁制」


 懐疑的な目で保羽リコを見ながらも、森田君は大人しく部屋を出て行った。森田君がいなくなると、二人はむしろ落ち着きを取り戻したようだった。


「なにかしら、保羽さん?」

「清太に変な事、させてないでしょうね?」

「変な事、とは具体的にどのような?」

「学生の本分から外れるような事よ」

「していませんよ、まだ。……ほんの少し、際を歩く程度です」


 そう言って、ヨロズ先輩は顔色一つ変えずお茶を飲んだ。

 実に含みのある物言いだった。


 くわっ……と保羽リコは激情のままになりかけたが、堪えた。ここで噛み付けばヨロズ先輩の調子に巻き込まれ、簡単にあしらわれてしまう。

 保羽リコはぐっと気持ちを押さえて、ヨロズ先輩に告げた。


「色々言いたい事はあるけど、とりあえず一つ。清太がすっごい笑顔になったら、それ、滅茶苦茶傷ついてる時の顔かもしれないから。そん時は、ちゃんと気遣いなさいよ」

「……言われなくても、そうします」

「どーだか。どーせ尽くされてばっかりのくせに、よく言う」

「あなたの見てない所では、手取り足取りやっているわ。お互いに」


 涼しい顔で言ってのけた分、ヨロズ先輩の一言は保羽リコにとって、より淫靡に聞こえたろう。ヨロズ先輩は知ってか知らずか、いたずらに挑発しているようでもあった。


「なっ!? て、ててっ、手取り足取りってそんな――」

「やっぱり喧嘩してる……」


 クッキーの缶を持って帰って来た森田君に見られ、保羽リコはたじろいだ。


「こ、これは、銀野ヨロズがっ」

「保羽さんがすごく怖かったわ、清太くん」

「こらぁ!」


 ドタバタと、保羽リコとヨロズ先輩の諍いは留まることをしらない。

 何度かこうして引き合わせて行けば、いずれは多少マシになっていくのだろうか?


 前途の多難さに、森田君は心の中でため息をついた。





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