第6話
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「それで、先輩。コンクリートに詰めて湖に沈める、という件なのですが、どういう設定なんでしょうか? その、雰囲気作りの参考にしたいので」
生徒会室で二人きりになった時を見計らい、森田君は切り出した。
前回はいろいろとあり、結局、ややグダグダになってしまったが、今回はちゃんとしようと思ったのだ。
だが森田君の前向きな姿勢に、ヨロズ先輩は口に手を当てて笑い声を漏らした。
「ふふっ」
「……なにか、変ですか?」
「いいえ、ごめんなさい。なんだか、森田君がすごく頼もしくて」
「だってその……ぼ、ボクは先輩の……か、彼氏、ですから」
わたわたと森田君はそう言った。
その言葉を口にして、森田君は頬が熱くなる。顔が赤くなっているのをヨロズ先輩に見られているのかと思うと、恥ずかしさでさらに熱を帯びた。
そんな森田君から、表情を髪で隠すようにヨロズ先輩も顔を逸らした。
「……そ、そうね。私たち、付き合って、いるんだもの、ね……」
「は、はい……」
「…………」
気兼ねなくイチャつけるほど経験も度胸も無い初心な二人は、自分たちのやり取りの小っ恥ずかしさに居た堪れなくなり、妙な沈黙が訪れた。
森田君は指をもじもじとさせてしまう。
そんな空気を吹き払うように、ヨロズ先輩は大きく咳ばらいをした。
「それで、森田君の聞きたい、今回の設定なのだけれど」
「はい」
「森田君は最低最悪の殺人鬼で、息を吸う様に女性をとっかえひっかえ惚れさせては、彼女たちの人生を滅茶苦茶にしてくの。消費者金融で多額の借金をさせるなんて序の口で、家庭内暴力や、お金がなくなった女性には口に出すのも憚られるようなお店でお仕事をさせたりして、女性が愛想を尽かして森田君から離れようとすると、癇癪をおこして殺害して湖に沈めてしまう、という設定よ。ちなみに、私はその六番目の犠牲者だから」
「…………」
森田君は目をぱちくりとさせ、ヨロズ先輩の設定を聞くしかなかった。
あいかわらず酷すぎる設定である。
前回の設定も大概だったが、まだ同情する余地はあった。今回は一かけらも同情の余地のない、まじりっけ無し純度百パーセントの人間のカスである。
ただ、森田君には朗報の部分もあった。
「という事は、今回、先輩は現場までは歩いていける、という事ですよね」
「ええ、そうなるわね。そんな殺人鬼なら、言葉巧みに私を誘い出すはずだもの」
ヨロズ先輩の答えを聞き、森田君は少し安心した。
前回のはかなり体力的にきつかった。人一人入ったトランクケースと共に、緩やかとはいえ坂道をゆき、山の中腹で穴を掘らねばならなかったのだ。
必死だったからか、なんやかんやで結果的には成功をおさめた。
裏を返せば、前回は体力と道具さえそれなりなら何とかなった半面、今回は体力や道具だけではどうにもなりそうにない部分がある。
(まず第一の関門は……)
コンクリートだ。
森田君はそう考えた。
知識を深めるには、早急に助力が必要だろう。
しかしコンクリートに詳しい人物など、そんな都合よく身近に存在する訳が――
「あるんだよなぁ、うちの高校には……」
学校のホームページを調べて、森田君はつぶやいた。
「……なんであるんだろう?」
自分で調べておきながら、森田君は首を捻った。
それは日戸梅高校の七不思議に加わる可能性がある、謎の一つだった。
DIY部。部員数一名。
部室は校舎裏の隅っこの、日当たりの一番悪い所にあった。
通常の部室棟からは離れた場所だ。
樹木を中心に掘っ建て小屋が出来ている。
夏に実施された部活動調査報告書には『DIY部・部室所在地・校舎裏ツリーハウス』とあった。地上ゼロメートルだが、たしかにツリーハウスだ。グラウンドから聞こえて来るランニングの掛け声が、どこか遠くの声の様に森田君には感じられた。
日戸梅高校には合法・非合法合わせて多種多様な部活・同好会があるのだ。
「ドゥー・イット・ユアセルフ!! いらっしゃい、森田君だね!?」
部室の戸を開けた瞬間、二年生がそう言って勢いよく出迎えた。演劇部並みの声量と大げさな身振り手振りだったが、顔立ちにこれと言った特徴は無い。強いてあげるとするなら、着ている学ランがやや手作り感の漂ってくる代物だった、という事くらいだ。
部長の熱意を受け流しつつ、森田君は一礼した。
「は、はい。先ほど連絡した、一年の森田です」
「よろしく! DIYに興味があるんだね!?」
「……そう、です、はい……こちらこそ、よろしく」
「DIYとは精神だ!! 壊れても、壊れてもなお、また作る! 第二次世界大戦後の復興を成し遂げた紅き情熱、ヒト科の粋っ、それこそがDIYなんだ!!」
のっけから部長の熱量が半端ではない。
「さあ、見てくれ!」
ばばっとした動きで、部長は手招きした。
森田君は部室へとお邪魔した。
外から見るイメージより室内は広く、明るく、調度品などは洒落ていた。ただ、人間大のデッサン人形が椅子に腰かけていたり、窓辺でアンニュイなポーズをとっている。
それが森田君の不安を掻き立てた。
「部室もDIY。椅子も机もDIY。電球も、顧問の先生も、部員も、自転車も、青春も、そして、君と私との出会いもDIYの産物だ!」
天へと感謝を捧げるように、部長はばっと両手を広げている。
森田君は呆気にとられた。
対面して一分も経たず、その人となりを相手に伝えられるのは、さすがだろう。自己表現に苦しんできた事のある者なら、うらやましいとさえ思うかもしれない。
ただ問題もある。
日戸梅高校において、そういう強力な伝達能力を持っているのは、たいてい変人・奇人の類だという事だ。
そういった経験則を森田君はすでに持っていた。
いや別に経験則とか必要ないでしょ、こんなにあからさまなんだから、部活名と部長のテンションを見た時点で誰がどう考えても変人・奇人の類でしょうが……と、常識人ならそう思うかもしれない。しかし、この程度ならまだまだ一般人の範疇である。
ちょっと変わった事をやってみたいお年頃のやんちゃ君と、そうでは無い真正の奇人・変人では、格が違う。
魂に衝き動かされる者には、哲学が宿るのだ。
日戸梅高校では特にそうだ。
「さあ、どうぞ掛けてくれ。部員一号の隣の席へ」
部長はそう言って、人間大のデッサン人形を手で示した。
デッサン人形は部員という事になっているらしい。木製人形の妙な圧迫感を真横に感じつつも、森田君は机をはさみ、部長と向かい合う形となった。
森田君が椅子に座ると、部長は机の上の模型を指さした。
「ふふふ、これかな? これが気になるのかな?」
「……え、ええ」
正直まったく気にならなかったが、部長があまりにも嬉しそうに机の上を指さすので、よほど聞いて欲しいのだろうと察し、機嫌を損ねないように森田君はそう言った。
色々質問したい事もあり、部長には手数をかけさせる事になる。
「なんなんですか、部長、これ。なにかのスケールモデルですか?」
「その通り。近々、反射炉を作って製鉄に挑戦しようかと思っていてね、ははっ!」
部長は笑った。
鉄すらもDIY。
アイドルグループに限りなく近い農家兼音楽バンドに触発されたのかもしれない。
ちなみに、このDIY部は限りなく非合法に近い。いかに緩い校風の日戸梅高校でも、デッサン人形の部員や顧問を認可したりはしない。
黙認状態にあるのは、この部長さんがそれなりに皆の役に立っているからだろう。下足ロッカーを直したり、扉のがたつきを直したり、学生食堂や職員室の椅子や机をメンテナンスしたりと。用務員と一緒に作業している所を、森田君も何度か見かけた事がある。
森田君がそう思っていると、部長は熱っぽく立ち上がった。
「DIYとは世界大戦後の復興運動が出発点と言われている。空襲で荒廃したイギリスの国民運動がその起点さ。単なる日曜大工だと思われがちだが、その源を探れば、たくましい精神性に満ちている……深いっ、深いんだよなぁ、DIYって奴はっ!」
部長さんの熱量には、どことなく哲学の成分が混じっている気もする。
危険を察知し、森田君は急いで話を切り出した。
「実は今度、庭の一角をセメントで固めようかと思いまして」
「ほぅ、それはそれは。いい心がけだ!」
「コンクリートに関して、教えて頂きたいんです。その、どうやればすぐに乾くのか、とか、固めている途中で雨が降ったらどうするか、とか。色々と」
「なるほど、さっそく誤解があるようだ」
部長にそう言われ、森田君は驚いた。
「え?」
「森田君、コンクリートは乾燥して固まる訳ではないよ。セメントと水が化学反応を起こして固まるんだ! だから扇風機やドライヤーで強制的に乾かすと、セメントが水と化学反応を起こせなくなって強度が弱くなってしまう」
意外な事実に、森田君は目を丸くした。
「そうなんですか」
「セメントを使う時は、水に流して捨ててはダメだ! 水と反応して固まるから。下水管や排水溝が塞がってしまうかもしれない。土や泥と違って、一度固まったセメントを取り除くのは、ほんとうに大変だから。処分には気を付けてくれ!」
「知りませんでした」
「気温や湿度やコンクリートの質や量にもよるけど、数日は養生しないと頑丈にはならないんだ。庭の一角をセメントで固めたい、という事だけれど、どういう目的で?」
部長に聞かれて、森田君は俯いた。
本当の理由は言えない。何か別の理由を、と森田君は絞り出した。
「……あ、雨が……一度雨が降ると、翌日晴れても、洗濯物を干すときに泥が飛んでしまう事があったりして。なら、歩く部分だけでも、コンクリートで固めてしまおうかと」
森田君がそう答えると、部長は「そうか、そうか」と頷いた。
「森田君、もしも広い面積にコンクリートの打ち込みが必要なら、業者に頼んだ方が良い。人力では手間が掛かり過ぎてしまうから、初心者にはオススメしない」
「ほんの少しの面積ですから、自分でやろうかと」
「なるほど。なら、打ち込みから三日ほどで強度は問題なくなるはずだ!」
「そうですか。三日も……」
「三日というのは、歩いても大丈夫な強度になる、という意味だ。長いと思うかもしれないけれど、それでも短い方なんだ。なにせ、コンクリートがもっとも丈夫になるには、理論上、一年ほど必要だと言われているからね!」
部長の説明に、森田君は呆気にとられた。
「一年もかかるんですか?」
「うん。ホームセンターで売っている普通のセメントを使った場合、コンクリートの硬化力は三日で二割、七日で四割、一か月で八割、一年で九割五分ほどだ!」
「ゆっくり完璧に近づくんですね」
森田君がそう言うと、部長はぐっと握りこぶしを固めた。
「そうなんだよ、森田君っ。とてもゆっくりなんだ。コンクリートはまるで、人生のようだと思うんだ。早く強くなろうと体裁は整えて、頑丈になったつもりになるけれど、本当に成熟するには長い年月を必要とする。深い、深いんだよなぁ、コンクリートってやつはっ!!」
「は、はあ……人生、ですか……?」
森田君が聞くと、うんうんと感慨深げに部長さんは頷いている。
森田君は額の汗をぬぐった。この部長さんから漂ってくる、やや哲学すら感じさせる、ちょっとアレなタイプの人のにおいが濃くなり始めたのだ。
深く関わり合いになる前に、用事を済ませた方が良いかもしれない。
森田君はそう思って、メモ帳に筆を走らせた。
「他にも何か、コンクリートを扱う上で気を付けた方が良い事とか、ありますか?」
「あとはそうだね……強いアルカリ性だから、肌につくと皮膚を傷めてしまうんだ。悪くなると深層まで侵されて、皮膚移植が必要になる事もあるらしいけど、防衣を着ていれば大丈夫。セメントをあつかう際は、マスクやゴム手袋をしておけば問題ない」
部長さんは丁寧に答えつつ、弾けるような笑みで続けた。
「まあ、コンクリ詰めにされて海に沈められる人でも無ければ、肌についたら払い落したり、酢で洗い流せばいいだけだしね、ははっ!」
「は、ははっ……で、ですよねぇ……」
森田君は引きつった笑みで礼を述べ、DIY部を後にした。
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