第5話




     4



「クリスマス……イヴ、聖夜、恋人……いやぁあああああああっ!」


 再び掛け布団と毛布を頭からすっぽり被り、自室のベッドの上で身悶えしている保羽リコを見ながら、面倒くさそうな面持ちで香苗は後ろ髪をぽりぽりと掻いた。


 保羽リコの母親から連絡を受けてきてみれば、これである。

 香苗は言わずにはいられなかった。


「……立ち直ったんじゃなかったっけ?」

「改めて本人の口から聞かされると、すっころぶに決まってるじゃないのっ……良い感じの男女がクリスマス・イヴにやろうとする事ってなによ!?」

「……まぁ、それは私の口からは何とも……そこは、察しろ、としか……」


 香苗がそう答えると、保羽リコは暗く顔をうつむけた。


「……ふっ……ふふっ……そうね、その通り……ありがとう、香苗。察したわ。いいえ、違うわね。今まさに、天の啓示が降りて来た……」

「……?」


 なんだか危ない事を言い始めた友人を、香苗はいぶかしげに見た。


「罪の十字架を背負ってでも粛清してやる!!」


 飛び起きて腕をクロスさせ、変なポージングを決めながら保羽リコは続けた。


「キリストもきっとそう望んでる!」


 保羽リコの断言に、香苗は首を横に振った。


「望んでないと思うなぁ、キリストさんは。だって心がイケメンで信者さん沢山居た人だし。かなり包容力あるタイプじゃないと、人集まって来ないと思う」


 香苗の冷静な指摘に対し、保羽リコは手をぶんぶんと振り回した。


「銀野ヨロズはきっと、また清太を使って変な事をしようとしているに違いないわ! それはそれは背徳的で、お天道様に顔向けできないような事を! あたしには分かるのっ、風紀の勘がビンビンしてるの! 放っておいちゃいけない、って!」

「ものすごい先入観で言ってない? それ」

「この前もそうだったでしょ。白日のもとにさらす事には失敗したけどっ」

「そういわれると、そうだけどさ……」


 痛い所を突かれて香苗は言い淀んだが、すぐさま切り返す。


「二人って今、親密な関係な訳でしょ? 下手にあんたが障壁になったらさ、ロミオとジュリエット方式で燃え上がっちゃうかもよ?」

「そうなる前に引き裂いてしまえば良いじゃない! 香苗、この前そう言った!」

「言ってない。待っておけば自然消滅するかも、つったの。ってか、さすがにそれはちょっと……あの二人の事だから健全な男女交際だろうし」

「健全? ……健全ですって?」


 保羽リコはわなわなと震え、香苗に食って掛かった。


「健全な男女交際って何よ!? 男と女がくっついた時点で不健全よ! ピザを野菜って言い張って八百屋で売るレベルでありえないわ!」

「常識的に考えてさ、恋仲の二人を裂くのはダメでしょ」

「恋仲の二人を引き裂いてはいけない、という法律は無いわ。つまり、引き裂かれてしまう程度の愛なんてものは、存分に引き裂いてやればいい」

「リコ、それは暴論すぎると思う……」

「この前、東原先生がそう言ってた!」


 保羽リコの発言に、香苗はため息をついて首を振った。


「リコ、そう言っていた人の顔をちゃんと見なさい。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られてなんとやら、って言うでしょう? サラブレッドに顔面を蹴りまわされて精神がズタボロになってないと、ああいう顔つきにはならないんだってば」

「それでも東原先生はノックアウトされてない。両足で踏ん張って、数え切れないゴングと共にリングに立ち続けてる。あたしはその心意気を見習う」

「世の中には、見習わない方が良い心意気も沢山あるから」

「……ふふふっ、くくくっ、そう、そうよ……これはね、試練なの。お姉ちゃんとして、二人に愛の試練を課してあげるだけなの……ぐふっ、ぐふふふふっ……」


 香苗の言葉が聞こえていないのか、保羽リコはうつむきながら笑っていた。

 なんだか幸せを遠ざけそうな笑みだった。


 東原先生は風紀委員会の特別顧問にして、最大の支援者だ。その熱意たるや、教義の業火にその身をくべる殉教者と言っても過言ではなく、風紀委員会の活動に助力を惜しまない。保羽リコは風紀委員長として、その薫陶を受けているらしい。


「特別顧問の若い頃ってこんなだったのかなぁ、ってあんた見てると思っちゃうわ」


 呆れたように香苗はそう言ったが、少し思案顔でもあった。


 ここで下手に保羽リコを思い留まらせると、きっと落ち込んで、再びダメダメの保羽リコになるだろう。すると風紀委員会での香苗の労力が増してしまう。そうなるくらいならば、多少方向性の間違った努力でも、やるだけやらせておくのが良いかもしれない。


「んー……まっ、あんたがそう言うんじゃ、仕方がない」


 そんじゃ一仕事しますかね、と香苗は肩をぐるぐると回していた。


「手伝ってくれるの?」

「風紀のボスがきな臭ぇってんだから、補佐するだけよ」


 正しい理由で無気力に塞ぎ込むくらいなら、間違った理由で突っ走った方が、保羽リコらしさがあって大変健康的ではないだろうか……?

 というのが、香苗の結論のようだった。




     5



 第二新聞部の部室は、プレハブの二階隅にあった。


 運動部のために新設されたプレハブで、元々は剣道部の用具入れとして使われるはずだったのだが、至極当然の様に居座っている。居座るどころか、何をどうしたものか屈強な剣士たちを追い出して、いつのまにか第二新聞部の部室として教師たちにすら黙認させていた。風紀委員会に窮状を訴えようとした剣道部の面々が、何かを恐れるように被害届を引っ込めて、その一件は結局うやむやになってしまったのだ。


 普通ならまかり通らない無茶をまかり通す。

 第二新聞部はそう言う連中だった。


「あんたのところの写真屋を貸してちょうだい」


 そんな第二新聞部の伏魔殿で、香苗は椅子にゆったりと腰かけて言った。


 どことなくウシガエルに似た新聞部部長は、探るような目で香苗を見た後、部屋の隅に控えていた一年の女生徒へと顔を向けた。

 女生徒はどことなくアマガエルに似ていた。


「……パシャ子、何かしたか?」


 デジタル一眼レフカメラの手入れをしていたらしい女生徒は、第二新聞部の部長にそう問われ、赤ちゃんでも扱うような手つきを止めた。


「きょ、今日はまだ何もしてないっす、部長。天地神明に誓って」

「……昨日はしたのか……」


 嘆息する部長を、香苗は手で制した。


「ちょい待ち。何か誤解しているみたいだけど、別にしょっぴこうって訳じゃない」

「……?」


 香苗の言葉に、部長は首を傾げた。

 そんな部長を諭すように、香苗は言葉を続けた。


「すねに傷がありすぎて裏の意図を勘ぐるクセが付いているのは結構だけれど、疑心暗鬼では報道にならない……違う?」

「……話を聞こう」

「さっき言った通り。写真屋のその子を、しばらく私に貸してちょうだい」


 香苗がアマガエル似の女生徒を手で示すと、部長はふんぞり返った。


「こちらに何のメリットが?」

「この子がカメラで撮ったものには、風紀はノータッチ。あんたらで好きにしなさい。その代り、スクープとしてすっぱ抜く前にこっちに情報をよこす事。あと、スクープの種類によっては、こちらの判断で記事を出すのは待ってもらう事になるかもね」

「……どんなヤマだ?」

「銀野会長の周辺で面白い動きがあるかもしれない」

「生徒会書記の事か?」


 新聞部の部長は、興味のなさそうな顔をした。


「くだらんな。旬は過ぎた。土下座愛好家で地面を舐める趣味があるだとか、あそこまで過剰に噂が盛られてしまうと、逆に話題性が薄れて三日も持たな――」

「銀野会長に関する事よ。書記を探るとしても、それはついで」

「…………なるほど。だから権力の犬である第一新聞部のカスどもには頼れない、ってわけか。飼い主相手じゃ、あんたらも不用意には動けない」


 わかってきたぜと、ウシガエル似の部長は笑みを浮かべた。


 生徒会傘下の組織とはいえ、日戸梅高校の風紀委員会は独特の力と行動理念を有している。個性を尊重しすぎる日戸梅高校では、暴走する部活動や変人奇人どもが後を絶たず、風紀委員会の取り締まりが無ければ学校運営に差し障りが出るほどなのだ。


 かつて、風紀委員会によって失権した生徒会長までいる。

 もちろん、パワーバランスを読み違え、免職処分となった風紀委員長もいる。


「それで、我が第二新聞部の出番と言う訳だ?」


 部長が問いかけると、香苗は肩をすくめて見せた。


「好きに考えればいいわ」

「協力要請なんぞ知るか、と言ったら?」

「そうね。ならせっかくのスクープの芽が台無しね」

「そいつは困るな。だが、あんたらも困るだろう? 俺たちは対等のはずだ。なにせ銀野会長率いる生徒会を相手にしようってんだ。だったら――」

「もしも、だけど……」


 深く暗い香苗の声が、部長の声をせき止めた。


「この一件を交渉材料に、より得をしようだなんて思っているのなら、覚悟なさい」


 普段はぬぼーっとした顔をしているが、ある種のスイッチが入った時の香苗は、目つきと共に雰囲気ががらりと変わる。元々の顔立ちの良さに拍車がかかり、その精悍さで男子の背筋をしゃきっと伸ばし、女子のハートを鷲掴みにできるほどだ。


 香苗はその精悍さで、部長へとさらに言葉を紡いだ。


「あんたんとこのカメラ屋がしでかした盗撮の数々、私の胸先三寸で白日の下よ。白日の下に晒されるとどうなるか、白日の下に晒しあげてきたイエロージャーナリズムの信奉者なら、良く分かるわよね? それが嫌なら、お互いに嘘くさい笑顔のまま手を取り合った方が得であると、まず断言しておくわ。それと……」


 香苗は立ち上がり、部長の上着からスマートホンをすっと取り上げた。作動中だったアプリの録音データを二度上書きし、復元し難くして削除した。さらに、椅子の裏にガムテープで止められていたICレコーダーも、同じように処理をした。


「ここでの会話は無かった、という事だから。よろしく」


 香苗がそう言うと、部長は呆気にとられたような顔をした。

 だが、すぐさま余裕の笑みを浮かべた。


「……悪い人だねぇ」

「力を貸してもらえる? あなた達に頼るしかないの」

「物を頼む態度にしちゃ、ずいぶんドスが利いてやしないか?」

「気のせいよ。か弱い女の子の、吹けば飛ぶようなお願いでしかない」

「わかった、わかったよ。パシャ子、いいか?」


 部長が呼びかけると、アマガエルに似た女子生徒は頷いた。


「ういっす。部長の頼みならしかたないっす」


 部屋の片隅で胸元のカメラを撫でつつ、女生徒がそう言った。

 そんな女子生徒へと、香苗は話しかけた。


「よろしくね、パシャ子ちゃん。お姉さん、素直な良い子には優しいけれど、そうではない子には容赦しないタイプだから。しっかり手を貸してね、パシャ子ちゃん」


 香苗はやんわりと微笑んでいたが、パシャ子はその雰囲気に後ずさっていた。

 言葉は柔らかくとも、言外に脅しが潜んでいる。


 部長が脂汗を浮かべつつ、眉をひそめた。


「うちのホープを、あんまりビビらせないでくれよ」

「ほんの自己紹介よ。上下関係を叩き込んだように聞こえたのなら、ごめんなさい」

「……ったく、風紀委員とは思えねぇよ、あんた」

「でしょう? 風紀は人材が多様なのよ」


 そう言って香苗は部室を出て行った。


 部室棟の階段から香苗の足音が聞こえなくなると、香苗の出て行った扉をゆったりと眺めていた部長は、パシャ子に鋭く目配せした。


「パシャ子、今の、撮れたか?」

「ばっちりっす!」


 満面の笑みでパシャ子はぐっと親指を立てた。

 そしてパシャ子はくぐもった笑い声を立てつつ、掛け時計へと近寄った。


「くひひっ、しょせんは公僕、詰めが甘い。今しがたの風紀との裏取引は、最初から最後まであの通り時計のカメラで――……あ、あれ?」


 パシャ子は首を傾げた。

 掛け時計に仕込んであった超小型カメラのレンズに、いつの間にやら小さな付箋が張られていたのだ。取引の録音はおろか、録画まで防がれてしまっていた。


 誰がこの付箋を貼ったのか。


 香苗に決まっていた。部屋に入ると同時に、すでに証拠が残らないようにしていたのだ。部長にもパシャ子にも、一切気づかれることなく、だ。


 パシャ子は息を呑んで、部長を見やった。


「……ぶ、部長……あの人、むっちゃ怖いっす……」

「パシャ子、ああいう手合いには喧嘩売るなよ。不良より性質が悪いからな」


 第二新聞部の二人はそう言って肩を震わせた。




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