第4話




     3



 保羽リコの復活により、日戸梅高校の治安は持ち直した様だった。放課後にすれ違った風紀委員の面々も、昨日よりやる気に満ちて居る。

 そのように森田君には思えた。


 放課後まで、あっという間だ。


 生徒会の仕事も終わり、森田君はヨロズ先輩を誘い、一緒に帰ることになった。

 すらりとした背の高いヨロズ先輩は、いつも通りの美しさながらも、そのいで立ちはかなりの薄着だった。

 防寒着といえばマフラーくらいしか見当たらない。


 ここ最近、気温はぐっと冷え始めている。

 森田君は首を傾げてヨロズ先輩を見た。


「先輩、今日はそこそこの寒さですけど……コートは着て来なかったんですか?」


 ヨロズ先輩と並んで帰路を歩みながら、森田君は聞いてみた。ヨロズ先輩はおっちょこちょいで抜けている所が極まれにあるので、心配になったのだ。


 だが森田君の心配をよそに、ヨロズ先輩は平然と頷いた。


「ええ、少し思うところがあって。マフラーも外そうかと思っているわ」

「身体、大丈夫ですか?」

「大丈夫かどうかを、調べようと思っているの」

「そう、なん、ですか……」


 森田君は辛うじて頷いた。

 ヨロズ先輩の考えている事は良く分からないが、そんな事は今に始まった事ではないので、これ以上疑問を投げかけるより森田君は深く考えない事を選んだ。


 それよりも今、森田君としてはヨロズ先輩に聞きたい事がある。


「……ところで、先輩」

「なにかしら?」

「十二月の二十四日の事なんですけど」


 森田君がそう切り出すと、ヨロズ先輩は相槌を打った。


「その日は終業式ね」

「ええ。えっと、午後からは授業もないし、その日はその……」

「分かっているわ」


 ヨロズ先輩は頷いた。

 当然よ、という顔だった。相変わらず変化の少ない表情ではあるけれど、森田君にも少しだけ、ヨロズ先輩の顔色が分かるような気がしてきた。


 ヨロズ先輩も恋人としてちゃんと考えていてくれたらしい。

 と森田君の声は弾んだ。


「それじゃ、先輩の予定とか、空けておいてくれますか?」

「もちろん。その日は特別な日ですもの」

「そうですよね。よかった」

「そんなに楽しみだったの?」

「そりゃ、もちろんっ」

「ふふ、そうね、森田君は初めてだものね」


 ヨロズ先輩の言葉に、森田君は引っかかった。


「……先輩は、初めてじゃないんですか?」

「ええ、まぁ、二年生だから……」


 ヨロズ先輩は少し困惑するように答えた。


 先輩は付き合った事のある人、居ないはずじゃ?

 誰と一緒にクリスマス・イヴを?


 混乱している森田君をよそに、ヨロズ先輩は続けた。


「生徒会関係者での忘年会は、これで二度目ね。厳島先生に話は通してあるから、先生方や各委員で予定の無い人たちと、仕事納めをささやかに祝いましょう。学生食堂の使用許可はもうすでに取ってあるから、あとは料理部との交渉次第ね」


 ヨロズ先輩の言葉の意味するところ、森田君のそれには大きなずれがあるようだ。ややほっとしたような、脱力したような、勘違いに気付いて森田君は肩を落とした。


「……そ、そうですね……」

「森田君、どうしたの?」

「い、いえ、なんでもないです。楽しみですね、忘年会」


 その日はクリスマス・イヴなんですよ、先輩。そしてボク達は恋人同士なんです。

 森田君はそう言おうとして、口ごもってしまった。


 ヨロズ先輩はすこし変わっているから、そんな世情には興味がないのかもしれない。お付き合いを始めて日も浅い。

 がっつきすぎかもしれない、と思ったのだ。


「それと森田君」

「はい」

「イヴの予定は空けておいて欲しいのだけれど、いいかしら?」


 ヨロズ先輩にそう言われ、森田君はぽかんとした。

 諦めたと思ったら、まさかヨロズ先輩のほうから申し出てくれるとは。


「…………は、はい! もちろん!」


 森田君は自分でも恥ずかしくなるほど、勢いよく返事をしてしまった。


 ヨロズ先輩の足をコンクリートで固めて湖に沈める、それは二十四日までに何とかして、ヨロズ先輩とクリスマス・イヴを過ごすそう。

 森田君はそう考えた。


 浮かれる森田君へと釘をさすように、ヨロズ先輩は咳払いした。


「それはそうと、もうすぐ期末テストよ。準備は大丈夫?」

「はい。だいぶ前から、副会長に言われていて」

「そう。成績が真ん中より上なら、副会長も文句は言わないはずだから」


 学年トップを独走するヨロズ先輩は、しごく簡単そうにそう言ったが、森田君の頭脳ではそこそこ大変だったりする。日戸梅高校は奇人・変人こそ多いが、近隣の進学校に追いつきかねないほど難関大学合格者が多く、学力だけは無駄に高い者が多いのだ。


 教師陣が誰よりも首を傾げる、日戸梅高校の七不思議の一つである。


(授業とかはしっかりノート取ってるし、テストの前に復習すれば問題は――)


 森田君は真面目にそう考えて、はたと気づいた。

 いや待てよ――と、森田君の脳裏に閃きが走る。


 その閃きのまま、森田君は言葉を濁した。


「ああいや、やっぱり、ちょっと不安なところも……あります」

「何の教科? 教えるわ」

「数学と英語なんですけど……」

「なら、丁度良いかもしれない。湖に沈めてもらう件についても話し合っておきたいし、勉強がてら、図書室か生徒会役員室で――」

「それだと……人目、が、ありますよ、先輩。落ち着けないし」

「なら、また私の家で――」

「あの、先輩っ」


 森田君が意を決してそう言うと、ヨロズ先輩は首を傾げた。


「なにかしら?」

「最近はずっと、先輩の家にお呼ばれしてもらっていて。お茶とか食事とか、色々ご馳走になってばかりで……だからその、今度はボクの家で、とか、どうしょう?」

「……そういえば、森田君の家にちゃんとお呼ばれした事、なかったわね。分かった。森田君が招待してくれるのなら、そうしましょう」

「はい、ぜひ!」


 森田君は手のひらを握り締め、小さくガッツポーズを取った。

 ヨロズ先輩が家に来る。

 しかも、二人きりの勉強会。


 不可抗力でトランクに詰めてしまった女の子を何とかするためや、自宅の庭に埋まった事を風紀委員の目からそらすため、などではない。


 罪悪感に苛まれる事もなく、清く正しくちゃんとしていて、学生らしい初々しさがあり、なによりお天道様に顔向けができる、胸が高鳴るシチュエーションだ。


 と森田君がむふふっと微笑んでいると、いつの間にかヨロズ先輩が歩みを止めていた。向かい側の古風な甘味処をじっと見ている。


「……先輩、寄って行きましょうか?」

「でもいま、持ち合わせが……」

「出しますよ。この前、生瀬さんと一緒にお昼ご飯、ご馳走になりましたし」

「……なら、甘えさせていただくわ」


 少しためらった後、ヨロズ先輩はそう言った。寒そうな様子では無かったが、暖房の効いた場所に立ち寄りたかったのかもしれない。注文の品が届くなり、ヨロズ先輩はお汁粉と羊羹をぱくぱくと食べ始めた。羊羹は二人前頼んでいる。


 よほどの好物らしい。


「先輩って、餡子が好きなんですか?」

「ええ。ずっと食べていられるくらい好きよ」

「てっきり洋菓子の方が好みなのかと思ってました」

「どうして?」

「先輩の家ではその、紅茶が良く出てきて。先輩もおいしそうに飲んでいたじゃないですか。だからその御茶請けといえば、洋菓子かなって」

「……紅茶と餡子というのは、おかしい組み合わせなの?」


 不思議そうにヨロズ先輩は首を傾げている。

 森田君は戸惑った。


「え? 紅茶と餡子、ですか? ボクはあまり馴染みがないですけど……」

「森田君は古風なのね。けれど、今どき和洋折衷は珍しくないでしょう?」


 ヨロズ先輩に言われると確かにそうかも、と思ってしまう。生クリームどら焼きや大福が流通しているのだから、その理屈からすると紅茶と餡子も別におかしくはない。


 森田君は頷いた。


「こんど試してみます。紅茶と餡子」

「ブラックティーをオススメするわ。ミルクや砂糖は入れない方が合うと思うから」

(先輩は餡子が好きなんだ……)


 これもイヴのプレゼントの参考になるかな、と森田君は思った。


 すると、甘味処の戸が開き、一人の女生徒が入ってきた。そして森田君と目が合う。それは保羽リコだった。

 保羽リコは一人きりのようで、森田君とヨロズ先輩を見ている。


「清太? ……と、銀野ヨロズ……」

「リコ姉ぇ?」

「あら、保羽さん。こんにちは」


 ドアの前に立っていた保羽リコは、当然のように森田君の隣へ座り、ヨロズ先輩と向かい合った。ここは保羽リコの贔屓にしている店だったな、と森田君は思い出した。


 保羽リコは腰を据える気配を見せつつ、会釈した。


「こんにちは。……邪魔かな?」

「ええ、とても」

「あたしは清太に聞いてるんだけど?」


 保羽リコとヨロズ先輩が交わしたのは、二言三言の会話だった。

 だが、火花がバチバチと散っている。


 人を笑顔にする甘味処に、ものの数秒で暗雲が立ち込め始めた。なんとかその物騒な雲を吹き払おうと、森田君は二人の間に割って入った。


「そ、そうだ、リコ姉ぇ。先輩も餡子が好きなんだって。リコ姉ぇと同じだね」

「へぇ、そうなんだ。でもあたしは羊羹、毎日必ず一切れ以上は食べないと気が済まないくらい好きだから。好きのレベルが違うと思う」

「その程度で満たされるなんて羨ましい。私は一日、最低三切れ以上は食べるから」

「一切れは一切れでも、あたしの場合、一本を半分に切った奴の事だから」

「私も三切れの羊羹にさらに餡子を上乗せしないと食べた気がしないわ」

「あたしなんて半分に切った奴に、残りの半分を上乗せして食べないと――」


 保羽リコとヨロズ先輩は止まらない。こんなしょうもない事で意地の張り合いに発展しているらしい。仲が悪いからこうなるのか、それともある意味、仲が良いからこうなるのか。


 二人は中学の頃から、事あるごとに小競り合いを起こしている。


 自己申告による二人の一日の餡子摂取量が、地球上の小豆の年間生産量を超え始めたあたりで、ようやく二人はやり取りの不毛さに気付いて会話を止めた。


 なんだか奇妙な疎外感すら感じてしまった森田君の、


「目の前の羊羹を、じっくり食べましょうよ、二人とも」


 という現実的な一言に、ヨロズ先輩と保羽リコは大人しく従った。店主のおばちゃんの咳払いも、二人に釘を刺してくれたようだった。


 甘味処を出てヨロズ先輩と別れ、保羽リコと共に森田君は帰路についた。


 保羽リコはすっかり元通りのようだ。

 毛布に包まって部屋の隅で震えていた、あの気配はもう無い。


 そういえば――と森田君は気付いた。


 まだヨロズ先輩との顛末について、保羽リコに話していない。別に隠し立てする必要も森田君は感じず、むしろ、保羽リコには知っていてほしい気もして、ヨロズ先輩と保羽リコの繋がりを強めようと、森田君は打ち明ける事にした。


 森田君は隣を歩く保羽リコの袖を、ちょんちょんと引いた。


「リコ姉ぇ、実はね……」

「なに、清太?」

「リコ姉ぇには言ってなかったんだけど、結構前に、ヨロズ先輩に告白したんだ」


 森田君がそう言うと、保羽リコは目をまん丸くした。


「……せ、清太から、告白したんだ……?」

「う、うん。それで、色々あって先輩とお付き合いする事になったから。リコ姉ぇには、報告しておきたくて。……その、この前、ひどい事言ってごめんなさい」


 森田君は改まって頭を下げた。

 保羽リコは驚いた様子だったが、頷いた。


「……そ、そう……おめでとう、清太。……いいのよ、何度も謝ったり、そんなに気にしなくても。朝も言ったけど、あたしはもう立ち直ったから」


 話題を変えようと保羽リコは焦っていたらしい。


「そ、そうだ清太っ。少し先の話になるけど、イヴは例年通り、あたしの家で――」

「あのね、リコ姉ぇ。その日はその……予定があるから、今年は無理なんだ」

「……そ、そうなの……」


 保羽リコはそう言って、天を仰いだ。

 クリスマスとは聖なる雪に覆われた地雷原である。


 そういう認識が甘い新兵は自ら突っ込んで、用心が足らずに地雷を踏み抜き、心が吹っ飛ばされて雪原に沈み、頭が真っ白になるのだ。

 今現在の保羽リコのように。


「それでね、リコ姉ぇに聞きたい事があるんだけど。クリスマスのプレゼントにお菓子とか貰ったら、リコ姉ぇは嬉しかったり――」


 森田君の話など、保羽リコがまともに聞けるはずは無かった。




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