第2話




「も、もう、やめたげてよぅ!!」


 その声は切迫していた。


 森田君が急いで調理室のドアを開け放つと、やや手遅れの光景がそこにあった。

 料理部の部員たちが肩を寄せ合い、半泣きでカタカタと震えながらも、身を挺して倒れている女生徒を、ある男子生徒から守ろうとしているようだった。


 気を失っているらしき女生徒に、その男子生徒は馬乗りになっていた。ともすれば卑劣な犯罪現場以外の何物でもないが、少し様子が違った。調理台には時短料理が並び、良い香りを漂わせている。料理部の何気ない昼食風景だ。


 なにより、馬乗りになっている男子生徒はお箸を持っていた。

 お箸に料理をつまみ、倒れた女生徒に食べさせようとしていたのだ。おそらく素揚げされたらしき、スズメバチを。


 あれ、どこかで見た顔立ちの人だな……と森田君が思っていると、


「兄さんっ、待って、ストップ!!」


 生瀬さんが倒れた女生徒に寄り添い、男子生徒を押し止めた。


(兄さん………?)


 森田君は生瀬さんの言葉を受けて、お箸を持つ男子生徒をまじまじと見た。


 背丈はすらりと高く、ヨロズ先輩と同じくらいだろうか。小顔で、体形だけならモデルのようでもある。しかしあまりそう言う感じを受けないのは、その微笑みの無邪気さか、あるいは生瀬さんと同じく、目鼻立ちのほんわかした雰囲気のおかげだろう。


 もう一度調理台に並んだ料理を見てみると、その中の一つに、とても禍々しい一皿が紛れ込んでいる事に森田君は気付いた。フランス料理で良く見るドーム型の銀の蓋が、その一皿の脇に置かれている。料理がお目見えした時のインパクトは絶大だったろう。


 生瀬さんが男子生徒へと、「ストップ、ストップ」と腕を大きく振っている。


「部長さん、もう気絶してるでしょっ。見て分かんないの、兄さん!?」


 いつもの穏やかな生瀬さんとは違う、必死さのある声だった。

 だがそんな生瀬さんの様子を見て、お箸を持つ男子生徒は首を傾げた。


「……ふむ? 違うよ、エリ。まだ気絶しているとは確定していない」

「はい?」

「考えてみてほしい。彼女は僕の料理を見て気絶したんだ。まだ一口も食べていない。僕は今まで手を変え品を変え、彼女に手料理を振る舞って来た。だが、食べさせて気絶された事は今まで何度もあったが、見ただけで気絶された事はあまりない。つまり、だ。これは彼女の防御反応であり、いわゆる、気絶したふりをしている可能性がまだ存在しているんだよ。それを確かめる簡単な方法は、何かわかるかい?」

「わ、わからないけど……」

「こうして、彼女の口に僕の料理を突っ込む事さ。彼女に意識があれば何らかの反応を示すだろうし、そうでないのなら、彼女は気絶しているという事になる。彼女の容体をはっきりさせることが出来る上に、どちらにしろ、僕は自分の料理を口にしてもらえる。彼女にとっても僕にとっても、まさしくウィンウィンじゃないか」

「部長さんのどこにウィンの要素があるのっ。完全に兄さんの一人勝ちでしょ、それ! って、ちょっと、なに口を開けて食べさせようとしてるの、やめなさい!」


 生瀬さんにお箸を持つ手を掴まれて止められてしまい、お箸をもつ男子生徒は「納得がいかない」とばかりに口を膨らませた。


「むぅ」

「むぅ、じゃないの! ほんとにもう! さっさとその凶悪なお皿、片付けて!」

「美味しいのに……」


 生瀬さんに叱られ、男子生徒は少し気落ちした様だった。


 椅子に座り、ハチの素揚げをスナック感覚で頬張り始める。盛り付けもかなり創意工夫が施されて居て、とても立体的で躍動的で、創作料理のだいご味が詰まった一皿だ。なにせ、一目見ただけでスズメバチに巣を襲撃されるミツバチの気持ちが分かる。


 森田君が皿の迫力に圧倒されていると、倒れていた女生徒が目を覚ました。


「うっ、ううーん……」

「大丈夫ですか?」

「……あ、ああ、エリちゃん。……来てくれたのね、ありがとう……」


 もうすぐ死ぬんじゃないかと思う程か細い声で、部長さんはそう言った。可憐な風貌だが、ものすごく幸薄そうな女生徒でもあった。


「はうぁう、部長がやっと目を覚ましたよぅ」「うわぁああん、部長ぉっ、よかったぁ」


 部員たちが部長さんに縋りついている。


「え、ええ。みんなも、無事なようでよかったわ……」


 互いの無事を確かめ合って抱き合う料理部員たちへ、生瀬さんが頭を下げた。


「いつもいつも、すみません」

「……いいのよ、エリちゃん。あなたのせいじゃないわ。…………た、孝也くん?」


 部長さんが怯えた表情で見遣ると、生瀬孝也は神妙な面持ちで頭を下げた。もぐもぐしていたスズメバチの素揚げを飲み込み、生瀬孝也は申し訳なさそうに立っている。


「その……すまない。今回はすこし、盛り付けが刺激的すぎたかもしれないね。君の気持ちも考えず、僕は先走り過ぎてしまったようだ……ごめんよ」


 妹に怒られた事がこたえたのか、生瀬孝也はしおらしく謝罪した。謝罪の弁を受けて、強張っていた部長さんの顔が柔らかくなる。


 部長さんは人が良いのだろう。

 そんな部長さんへと、生瀬孝也はスープカップを差し出した。


「僕は心から反省するよ……さあ、これを飲んで、気を落ち着けてくれ」

「あ、ありがとう、孝也くん。あら、美味しい。不思議な味のスープね、これ」

「だろう? カミキリムシの幼虫を炙ってダシを取ってみたんだ」


 生瀬孝也がにっこりを微笑むと、部長さんが再び失神した。ごつっ、という部長さんが床に倒れる音がして、部員がわっと部長の身体に縋りついた。


「うわぁあぁん、ぶちょぉ! しっかりぃ!」「はぅあぅ、やっと目を覚ましたのにぃ!」

「なに流れるようにトドメ刺してるの、兄さん!?」


 頭を抱える仕草をする生瀬さんに責められ、生瀬孝也は眉を寄せた。


「むむぅ」

「むむぅ、じゃない!」

「でもね、エリ。スズメバチもそうだけど、カミキリムシも割と一般的な食材なのに……食べられる状態で捕まえるのとか、結構大変なんだよ……?」


 生瀬孝也が、生瀬さんへとそう言った。


 昔は知らないが、食料に事欠かない現代日本では、少なくとも一般的ではないだろう。妹の生瀬さんに叱られて、生瀬孝也はしょんぼりしている。


 繰り広げられる壮絶な展開に、森田君は小声で生瀬さんへと話しかけた。


「す、すごい人だね、生瀬さんのお兄さん。いろんな意味で……」

「……う、うん……」

「ほんとに、お兄さん、なんだ……生瀬さんの」

「……恥ずかしながら、そうなの……。森田君、部長さんの介抱をしたいから、兄さんを見張ってて欲しいんだけど。お願いできる?」

「うん、わかった」


 生瀬さんですら上手に御せないような逸材を、果たして相手に出来るのだろうかと森田君は不安だったが、頼まれてしまった以上はやるしかない。

 一時的とはいえ、森田君は背中に『綱紀粛正』の文字を背負っているのだ。


 森田君は身構えたが、すぐに拍子抜けした。

 生瀬孝也は大人しく座って、スズメバチの創作料理を黙々と食べている。


 森田君は聞かずにはいられなかった。


「……それ、美味しいんですか?」

「もちろん。食べてみるかい?」


 生瀬孝也に問われて、森田君は及び腰になった。


「いえ、その。すいません。ちょっと勇気と空腹感が足りなくて……でもなんで、虫を食材に? その、盛り付けの趣向の感じとか、相当料理を研究されていますよね? 普通の食材でつくれば、きっと、みんなが幸せになれるはずで――」

「君はハチミツが嫌いかい?」


 生瀬孝也のいきなりの質問に、森田君は目を白黒させた。


「? ……いえ、好きですよ、ハチミツ。甘くて。健康にも良いですから」

「そんな甘い蜜を作り出すハチだって、美味しいかもとは思わないのかい?」

「これはスズメバチだから、ミツバチとは違うんじゃ……」


 森田君はそう言うも、生瀬孝也は悠然として首を横に振った。


「乳牛だって最後に肉牛にされてスーパーに並ぶんだ。つまりはそういう事だよ」

「そ、そういう事……なん、ですかね……?」

「料理とは、知的探求なんだ。新世界を切り拓く者もいれば、切り拓かれた土地を耕す者もいる。どちらが欠けても、料理の未来は豊かにならない」


 生瀬孝也は静かな語り口で、森田君へと教え諭すような眼差しを向けた。

 話が微妙に噛み合っていないのか、論点を徐々にずらされているのか。


 どう考えても言っている事はまともでは無いはずが、一周回って正論に聞こえてきて、下手をすると感心したり、時には役に立ってしまう程の妙な説得力。


 この独特の感じは、日戸梅の奇人・変人の中でも上位者特有のものだ。

 森田君がそう感じていると、生瀬孝也は人差し指をぴんと立てた。


「昆虫はね、植物から動物性たんぱく質を作り出す事に関して、魚や恒温動物とは比べ物にならないほど優れているんだよ。日本では少子化だとか人口減少が叫ばれているけれど、これから世界的に人口が増えて行けば、食料の生産が間に合わなくなってしまうかもしれない。そんな未来の食糧危機を救ってくれる、いわば人類の食の救世主かもしれないんだ」

「まぁ、そういわれると……そうかもしれませんね」

「だろう? そんな救世主を『生理的に無理だから』なんて理由で食べようとしないなんて、あまつさえゲテモノ扱いし、食べものが無い人たちが仕方なく食べるものだなんて偏見に疑いすら持とうとしないなんて、これは冒涜的行為ですらあると僕は思うんだよ。嫌いなら嫌いで良い、でも嫌うならまず食ってから、のはずなんだ」

「ですけど、嫌いな人にも無理やり食べさせていませんか……? そこに転がっている料理部の部長さんなんか、すごく、そういう感じがするんですけど……?」


 森田君がおずおずと尋ねると、生瀬孝也は少し黙ってから口を開いた。


「森田君……だったね?」

「は、はい。あの、自己紹介が遅れてすいません」


 森田君はぺこりとお辞儀した。


「一年の森田清太です。生徒会で書記をやらせてもらっています」

「ふむ。僕は二年の生瀬孝也。エリの兄で、昆虫食研究会の会長だ。昆虫食の実践研究を始めて何年か経つが、この道は歴史も長く、奥が深くてね。研究はまだまだ途上でしかない。そして悲しい事だけれど、研究に犠牲はつきものなんだ」

「…………」


 あ、この人、顔立ちも口調も柔らかくて優しげだけれど、初志貫徹が酷すぎてすごく迷惑な事をまき散らすタイプの人だ――

 森田君は気付いて、料理部員へと話しかけた。


「なんで料理部の部長さんは、この方を出入り禁止にしないんですか?」

「それは、その……」


 森田君が問いかけると、部員は答えにくそうだった。


「なんというか、とても上手なんですよ、彼……」

「え?」

「虫さえ……虫さえ使わなければ、本当に素晴らしい料理を作るんです……その、部長は食いしん坊で、虫はダメなんですけど、孝也君の普通の料理が食べたいらしくて……」


 結果、先ほどの展開がループするらしい。

 まったく泥沼である。


 そういえば、と、森田君は思い当たり、生瀬さんを見た。


「あの、生瀬さんが虫がダメな理由って、もしかしなくても――」

「……兄の研究の最初の方からつき合わされて、その……初めは今以上に色々とすごくて……でも、最近は兄が高校で発散してくれる分、家での被害が減ったというか……結果的にスケープゴートになってくれているというか……あ、いや、その……」


 伏し目がちに生瀬さんはそう言った。


 生瀬さんが風紀委員会に協力的なのは、罪悪感がどこかにあるからかもしれない。森田君にはそう思えた。


 料理部部長を保健室まではこび、生瀬孝也に口頭注意を与えつつ、その後も、風紀の助っ人として森田君と生瀬さんは校内を右へ左へと駆けずり回った。


 体中に鳥の餌を括り付けて屋上で大の字に寝そべり、鳥葬を疑似体験しようとしている者など、まだ可愛らしい方だ。内野で捕球練習をやっている野球部のど真ん中で、玉ねぎのみじん切りを一心不乱にやっている者。部室の前を通りかかった一般生徒を引きずり込んで、女生徒に男装を施し、男子生徒に女装を施す者。演劇部のリハーサルに乱入してロミオとジュリエットの演目を、第一次世界大戦の塹壕戦の泥臭さで満たす者。


 あいかわらず、千差万別の意味不明さだ。もはや美術大学並みである。

 昼休みだけでは終わらず、放課後も生瀬さんと共に風紀委員会に助力する事となった。


「お二人さんさ、放課後もお願いできない? どうもね、いつにもまして、風紀の抑えが効かなくなってるっぽいのよ。……こっちも士気が上がんなくてさ。ほんと、なんだかんだで、この学校の風紀はリコがいないと締まんないのよねぇ」


 香苗にそう頼まれれば、森田君も生瀬さんも断り切れない。

 とにもかくにも、風紀委員長である保羽リコの一日も早い復帰が必要であった。




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