第二巻

第一章

第1話




     1



「なら次は、コンクリートに詰めて湖に沈めて欲しいわ」


 愛しの彼女に頼まれたら、何とかしようとするのが彼氏というものであろう。

 頼まれた時はへなへなと崩れ落ちた森田君も、一日経てば前向きになった。


 憧れのヨロズ先輩と恋人同士になって、いわば初めての共同作業。


 想像しただけで森田君は胸が高鳴った。

 ヨロズ先輩と二人きりで話し合って計画を練り、明日が晴れますようにと祈りつつ、着て行く服を選ぶだけで一苦労して、静かな湖畔で仲睦まじくコンクリートをこねる。


「練り箱はもっと大きい方が良かったかもしれませんね、先輩」

「足を固めるだけで良いから、これで十分よ、森田君」

「あ、先輩、砂利を入れるのはセメントと砂を混ぜてからです」

「あら、そうだったわね。うふふ、わたしったら」


 なんて他愛もない話に、きっとお互い、頬が緩みっぱなしになるだろう。


 手漕ぎボートで湖上から景色を眺めていたはずなのに、ふとした事で目が合って、話が途切れるのも構わずそのままじっと見つめ合ったりしてしまい、なんともいえない気恥ずかしさに目を逸らして微笑みながら、小鳥のさえずりに包まれてヨロズ先輩を湖に沈める。


 ……………………

 …………


(……さすがに水中はまずくないか?)


 と森田君は思った。


 水の怖さは知っている。

 なにせ小学校の時、背の立つプールで溺れかけたのだ。その時の保羽リコの慌てぶりと、水の中でパニックになった恐怖はよく覚えている。


 泳ぐのは不得意ではないが、今なお、森田君は水泳の時間が少し苦手だ。

 しかし、森田君はトランクケースに詰めて山中まで運び、ヨロズ先輩を土の下に埋めることだって最初は無理なんじゃないかと思っていた。


 やってみたら案外やれた。

 その成功体験が森田君にはある。

 なにより、ヨロズ先輩とより親密になれるのだ。


 そう思うだけで森田君は興奮が冷めやらない。

 ただ、事に取り掛かる前に、やっておかねばならない事もあった。


「あの、森田君、ありがとう。ついて来てくれて」


 校舎の廊下を並んで歩いていると、生瀬さんがそう言ってお辞儀した。

 森田君と背丈はほぼ同じで、小柄な女生徒だった。


 表情も仕草も口振りも、ほんわかと柔らかくて優しさに満ちている。ともすれば良い様に扱われてしまいかねない性格だが、そうしようとする不届き者が居た場合、そうはさせるかと誰かしら止めに入るので、そう扱われる事は無い。森田君のクラス委員長でもあり、圧倒的な慈しみと博愛によって人望を集める人格者なのだ。


 生瀬さんの目を見つめ返し、森田君は首を横に振った。


「ううん、元をたどればボクのまいた種だから。気にしないで、生瀬さん」


 森田君がそう言うと、生瀬さんは安堵したようだった。


 日戸梅高校のお昼休み、森田君と生瀬さんは一年生の教室を抜け出していた。山下という男子生徒が、風紀委員会に連行されたという情報がクラスにもたらされたのだ。


 山下は先日、ほぼ全裸で一般道を疾走するという荒業をやってのけた。あやうく駅前の交番のご厄介になる所だったが、寸での所で風紀委員会によって捕らえられて事なきを得た。その件の事情聴取が、今日の昼休みに行われる事となったらしい。


 この一件に関して、生瀬さんと森田君は深く関わっていたのだ。

 山下が全裸で一般道を疾走したのは森田君を助けるためであり、森田君を助けるように山下へ協力を頼んだのは生瀬さんだった。生瀬さんはその責任を感じているのだろう。


 森田君の真横をてくてくと歩きながら、生瀬さんは不安げな面持ちだった。


「山下くん、大丈夫かな……」

「問題ないと思うよ」


 森田君は山下の人物像を考えつつ言ったが、生瀬さんの顔は曇ったままだ。


「けど、森田君。風紀委員会はその、すごく厳しいところがあるから……」

「あー、うん、でもまぁ、なんていうのか、山下は打たれ強い……というか、頑丈、というか、たくましい、というか、特殊、というのか……えっと――」


 森田君は言葉を選びつつ、なんとか続けた。


「独特の感性をもっているから、たぶん大丈夫だと思うよ。そんなに心配しなくても」


 森田君がそう言っても、生瀬さんの気は晴れなかったようだった。


 そうこうしている内に、目的地へと近づいた。

 風紀委員会には専用部屋が二部屋も与えられている。風紀委員会は体育会系の部活とも懇意にしており、部室や器具・人手を借りる事など造作もない。日戸梅高校の委員会の中では別格の扱いを受け、そして職権を与えられている。そう扱われるほどの功績をあげているのだ。


 森田君たちが訪ねたのは、そんな風紀の専用部屋の一つだった。

 なにやら扉越しに話し声が聞こえてくる。


『吐きなさいっ。誰に指示されたの!? 誰かの指示が無ければあんたらみたいな変人どもに、あんな的確なチームプレイ、出来るはずが無いわ!』


 女子生徒のものらしい、激しい詰問口調が聞こえた。


『ふっ……』


 男子生徒のものらしい、妙な余裕のある鼻息が聞こえた。

 どうやら、女子生徒が男子生徒を攻め立ているようだ。


『……なにがおかしいの?』

『我々の辞書に、チームプレイなどいう言葉は存在しない。あるとすれば、スタンドプレイから生じるチームワークだけだ』

『なるほどね……神さまは貴方に名言を汚す才能を与えたようだけれど、パンツのヒモをちゃんと結んでおく才能は与えなかったようね……。どこまで痛い目をみれば、一年坊やは結び方を覚えられるのかしら、ねぇ? 試してみましょうか?』

『……快楽攻めか、受けて立とう……』


 どうやら尋問的なものが佳境を迎え始めたらしい。

 やり取りは真剣で迫力があるのだが、妙にノリノリのようにも聞こえる。


「すいません! お話があります!!」


 森田君は大きな声を出し、部屋の戸を強くノックした。

 部屋の中の話し声が途絶え、一人の足音が近寄ってくる。


 そして、森田君と生瀬さんの前の戸が、がらりと引き開けられた。


「おや、お二人さん、おそろいで。早かったじゃないの」


 内側から戸を開けた二年の女生徒は、あっけらかんとそう言った。扉越しに聞こえてきた詰問口調が嘘のよう。けろりとしていて、森田君と生瀬さんを交互に見ている。ショートのソバージュをぽりぽりと掻き、感心しているようだった。


 風紀委員会のナンバー2にして実質的にナンバー1の実力を持つ、香苗だ。


 口ぶりからするに、森田君と生瀬さんがやってくる事を見越していたらしい。その事からも分かるように、かなり頭の切れる人だ。日頃はやる気のなさそうな顔をしているが、深謀遠慮で風紀委員長を幾度となく補佐してきた、風紀の要である。


「あの、香苗さん。山下は、その……」


 森田君が情状酌量を求めようとすると、香苗は肩をすくめた。


「残念だけれど、口を割らなかったわ。エクストリームアイロニングの部長もね。だから首謀者が居たとしても、残念ながら風紀は感知できなかった……ってことよ」


 香苗がそう言うと、生瀬さんが顔を明るくして一歩前に出た。


「香苗先輩、それじゃ――」

「彼に聞きたい事は済んだから、解放してあげたければ、どうぞ、生瀬ちゃん」


 香苗がそう言って道を譲ると、生瀬さんが部屋に入った。

 その生瀬さんの肩を、言伝でも思い出したようにポンポンと香苗が叩く。


「ああいう連中は使い方を誤ると危険よ、生瀬ちゃん。気をつけなさい」


 生瀬さんの耳元でそう囁くと、香苗は背中越しにひらひらと手を振った。見て見ぬふりも使いよう。振り返った生瀬さんは、何とも言えない表情で頭を下げた。


 森田君も生瀬さんに続いて部屋に入る。

 すると、部屋の中央で椅子に座っている男子生徒が目に入る。


 正しくは、男子生徒は座らされていた。

 なにせ、後ろ手に椅子に縛りつけられているのだ。


 顔立ちだけならイケメンと言って差し支えないが、彼をイケメンと公認する事には大抵の知人が差し支えを感じる。それが山下と言う高校一年の男子生徒だった。


 生瀬さんが足早に近寄り、後ろ手に縛られた山下の縄を解きにかかっている。


「山下くん、大丈夫?」

「……む? う、うむ……大丈夫だ。委員長、森田……助かった……」


 山下は少し残念そうに頷いた。


(もしかして、山下の邪魔、しちゃったかな……?)


 森田君はそう感じた。

 むしろ助けなかったほうが、山下は喜ばしかったのかもしれない。空気を読んであげられなかった事に若干の申し訳なさを感じつつも、森田君は山下を解放した。


 手首の具合を名残惜しそうに確かめる山下を横目に、森田君は香苗へと一礼した。


「あの、香苗さん。ありがとうございます」

「礼を言われる覚えはないけど?」

「でも、香苗さんにしてはずいぶん取り調べが手緩かったなぁ、っと」


 森田君がそう言うと、香苗は頭の後ろで手を組んだ。


「最近は取り調べも手緩くやらないと、先生方がうるさくてね。……ま、風紀としても、大事になる前に取り押さえられたとはいえ、校外でやらかした生徒を取り調べしない訳にはいかないし。そこは力加減、ってやつよ」


 二年生の余裕を漂わせつつ、香苗はそう答えた。


 生瀬さんと風紀委員会は昵懇の間柄でもある。下手に山下を追及して、生瀬さんとの関係性が悪くなるのは避けたい……という香苗なりの配慮なのだろう。

 風紀の職務遂行には、こういった類の力加減が非常に重要なのだ。


「ああ、二人とも、ちょい待ち」


 森田君たちが部屋を後にしようとすると、香苗が手招きして引き留めた。


「なんでしょうか、香苗先輩?」


 足を止めて、生瀬さんがそう聞いた。


「お二人さん、昼休み、他に何か予定とかある?」


 香苗に聞かれて、森田君は手を横に小さく振りつつ、生瀬さんを見た。


「ボクは特には。生徒会の仕事も無いですし」

「私も、今日は何も」


 生瀬さんが答えると、香苗はよしっと嬉しそうに頷いた。


「それじゃあ、風紀の活動に手を貸してくれない? 実は人手が足りないのよ」


 香苗のお願いに、森田君と生瀬さんは顔を見合わせた。

 この申し出は、おそらく香苗の気遣いもあるのだろう。


 一度敵対してしまった風紀委員会に対する心の障壁のようなものを、森田君や生瀬さんが取り払うには、そうするのが手っ取り早い。それに香苗にはもう一つ事情があるようだった。


「ほら、ウチのボス、ちょっと今、使い物にならないから、さ」


 香苗がそう言うと、森田君は申し訳なさそうにうつむいた。


 香苗が言うボスとは、森田君とは家族付き合いをしている二年生、保羽リコのことだ。風紀委員長である保羽リコがそうなってしまった事に関して、森田君にはかなりの責任がある。


 森田君が「やります」と頷くと、生瀬さんも頷いた。


「はい、わかりました」

「んじゃ、お二人さん、よろしくね。……あ、それとこれ」


 香苗はそう言って、紺の羽織を森田君へと差し出した。

 森田君が羽織を受け取って眺めると、背中には『綱紀粛正』と魂の籠った筆使いで書かれてある。ある種の怨嗟すら感じさせるほどの迫力が文字にあった。


 この羽織は、警察で言えば手帳や制服にあたるものだ。

 役職が一目で分かる上に、これを着ていれば、廊下を走っても見とがめられない。パトカーが法定速度を超えても良いのと同じ理屈である。

 風紀委員の活動には必須のものだった。


 羽織を身に着けた森田君の様子を伺いつつ、香苗は満足そうに腕を組んでいる。


「うん、よしよし。なかなか様になってるわね。ではさっそく家庭科室に――えっと、調理室のほうね、そっちに向かってちょうだい。まぁ、生瀬ちゃんがいるから何とかなるとは思うけど、独力で無理っぽかったら連絡して。応援を向かわせるから」


 香苗の言葉に、森田君は頷いた。


 生瀬さんのソフトパワーは心強い。なにせ、日戸梅高校に跋扈する百戦錬磨の奇人・変人どもですら、どういう訳だか、生瀬さんの言う事には大人しく従うのだ。生瀬さんのほんわかとした女神のような人徳がなせる、御業なのだろう。


 ハードパワーに優れた体育会系の風紀委員会とは、補完関係にある。

 森田君がそう考えていると、生瀬さんが背筋を伸ばした。


「では、いってきます」

「いってらっしゃい。気を付けてね、お二人さん」


 香苗に送り出され、森田君と生瀬さんは家庭科室へ早足に向かった。

 すると、何やら大きな声が聞こえて来た。


「も、もう、やめたげてよぅ!!」


 その声は切迫していた。




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