第27話
25
「生瀬っ、乗りなさい」
アイドリングの音ともに保羽リコが促すと、下校中の生瀬さんはスマホをしまった。
日戸梅高校の塀の前を歩く一般生徒たちが、何事かと立ち止まっている。
保羽リコは自らが乗るタクシーへと、生瀬さんを手招きした。
「話があるの」
保羽リコは生瀬さんの目をしっかりと捉えていた。生瀬さんは少し躊躇ったのち、意を決したようにタクシーに乗り込んで来た。
ドアを閉めると、保羽リコは運転席へと呼びかける。
「出してください」
保羽リコが運転手にそう言うと、タクシーは扉をロックして発進した。
「今回の事には、生瀬もそれなりに関わっているみたいだし。どういう結末だろうと、見ておいた方がいいでしょう?」
保羽リコが尋ねると、生瀬さんは小さく頷いた。
「……はい」
生瀬さんがそう答えると、車内を気まずい雰囲気が包んだ。
それを破るように、保羽リコは生瀬さんに頭を下げた。
「さっきはごめんなさい」
「……え?」
「生瀬にきつく当たってしまったから」
保羽リコは生瀬さんの目を見て、もう一度頭を下げた。
「ほんとうに、ごめんなさい。生瀬は何も悪くない。自分の正しいって思ったことに、従っただけ。だから、さっき風紀委員会室では、あたしが間違ってた」
「いえ、そんな。私もその……今回は、風紀委員会の味方ではなかったので………」
生瀬さんは申し訳なさそうにそう言った。
気まずい空気が、さらに堅くなる。
タクシーの走行音だけが、しばし保羽リコと生瀬さんの合間を満たした。
物思いにふけるように、保羽リコは窓を眺めた。
「……清太はね、本当に辛い時、笑うの。もうね、全然辛そうになんて見えないくらい、自然な笑顔で。優しい声で。ほがらかにね、笑うの」
保羽リコは遠くの空を見ながら、囁くような声で続けた。
「初めて会った時から――隣の家に清太が引っ越してきた時から、ずっとそうで。清太のお父さん、出かけてばっかりで、清太は家に一人の事が多くてさ。それなのに、哀しそうな顔ひとつ、なかなかしなくて。……それでね、私は清太のお姉ちゃんになろうって、決めて。だから私は清太にあんな顔をさせた奴が……いいえ、違うわね」
保羽リコは首を横に振って、観念したとばかりに続けた。
「あんな顔をさせられる人が、大っ嫌いなのよ」
保羽リコは弱弱しい顔で、そう言った。
それは保羽リコの本心だった。
良くも悪くも、まっすぐ。包み隠さず、いつも一直線。
タクシーが信号で止まり、保羽リコは生瀬さんを見つめた。
「だからこれは、風紀委員会の役目より、あたしの私情が強いの。つまり、そんなに気に病まないで欲しい、ってこと。生瀬がした事は、何も間違ってないから」
「リコ先輩……」
胸の前で結び合うように握っていた両手と共に、生瀬さんの肩の強張りがほどけて行く。保羽リコはほっとしたように生瀬さんを見て、二人はようやく頬を緩める事ができた。
すると、タクシーの運転手さんが振り返った。
「とこであのぅ、お客さん……」非常に申し訳なさそうに、タクシーの運転手さんがおずおずと保羽リコや生瀬さんを見て言葉を続けた「……どちらに向かえばよろしいんでしょうか? まだ、目的地を伺っていないもんですから………その……」
「………………」
押し黙る保羽リコを、生瀬さんがきょとんとして見つめた。
「せ、先輩? ……行先、まだ言ってなかったんですか……?」
「………………」
保羽リコは生瀬さんの質問には答えずに、両手で顔を覆った。
そこそこカッコつけておいて、盛大にやらかしてしまう。いつもの事と言えばいつもの事だが、保羽リコの顔は羞恥心でみるみる赤くなって行った。
26
香苗は風紀委員の五名の内、脚力に優れた者三名を山下追跡に向かわせていた。彼らならきっと商店街に到着する前に山下を確保できるはずだ。
香苗を入れて残り二人。
(まずいな)
と香苗は奥歯を噛んだ。
すべてはあのド変態の一年坊主、山下のせいだ。
香苗は見誤っていた。
山下があのような秘儀をもっていたとは。
完全に不意を突かれる形となった。
追跡班は一瞬で半分以下になってしまった。
(いや、意識を切り替えないと)
香苗はそう考えて前を見た。
森田君追跡を続行し、駅前のバス停へと向かう。
下級生の風紀委員に不安と苛立ちを与えるというのに、香苗は舌打ちしてしまった。
(くそっ、完全に読み間違えたっ)
森田清太は精神的に参っていたはずだ。今朝の様子ではそうとしか見えなかった。あれが演技とは思えない。昼休みなど抜け殻のようになっていた。
それが、放課後のわずかな間に、これほど力強く動いてくるとは。
(一体何があったってのよ……)
香苗には分からないが、森田君に先行を許してしまっている。
何としてでも追いつかねばならない。
風紀委員会の威信がかかっているのだ。
そして、保羽リコの望みでもある。
だが、そんな香苗へと、下級生の風紀委員が鋭く注意を促した。
「か、香苗先輩っ!!」
「どしたの?」
「あ、アレを見てください!!」
「あれって一体――はぶぅあ!?」
沈着冷静な香苗ですら奇妙な声を上げてしまった。
一年生の風紀委員が指差すその先。
バスが、通っていたのだ。それ自体はごく普通の光景だ。
問題は、バスの屋根でしれっとシャツにアイロンを掛けている見慣れた顔であった。風紀委員ならまず知らない者は居ない、日戸梅高校の有名人の姿があった。
エクストリームアイロニング部の阿呆どもだ。
香苗の反応はほぼ脊髄反射だった。
「追うのよっ、早く!!」
香苗がそう指示して走り出すと、下級生の風紀委員が声を張り上げた。
「こらぁああああああああああっ、アイロニング部ぅうううう!! 公共交通機関を何と心得とるかぁあああああああああぁ!!」
香苗と下級生の風紀委員が追いかけるものの、バスは止まらない。
香苗はほぞを噛んだ。
変人と変態どもによる奇妙なチームワークが形勢され、風紀委員を巧みに撹乱しているようでもあった。第三者に指揮されているかのような配置だ。だが、日戸梅高校の変人・変態どもたちは、他人の言う事に『はいそうですか』と従うような連中では無いはず。
「ったくもう、次から次へと!」
香苗は吐き捨てた。
バスの上でアイロンを掛ける。許可など取っている訳が無い。
エクストリーム・アイロニングは本来、他人の迷惑になる様な場所で行うモノではないはず。趣旨から外れた反社会的ゲリラ・アイロニングだ。
アウトかセーフで言えば危険球であり、一発退場である。
香苗は追いかけながら、ピンときた。
(――間違いないっ。裏で糸を引いているのは、おそらく生瀬ちゃんだ……ああもう、さすが生瀬ちゃんね……敵に回すと本当に厄介だわ…………!)
「香苗先輩、このままじゃ追いつけませんよ!?」
「とにかく走る!! いずれはバスも信号で停車するはず!! 運転手に事情を話して、屋根の馬鹿を確保するのよ!」
森田君追跡よりはるかに重要度が高い――香苗はそう判断した。
判断せざるを得なかった。
五名いた手勢が二名にされてしまい、その二名すらこうして誘導されてしまっている。
元をたどれば、すべては森田君の懸命さがなした業なのか。
香苗は苦々しくも、感心する気持ちすら芽生えていた。
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