第28話





     27



 森田君が山下に追っ手の撃退を頼んでから、道のりは順調だった。


(山下、生瀬さん、厳島先生、副会長、ありがとう……)


 森田君はそう思わずにはいられない。


 多くの者の助力があるからこそ、森田君はこうして山へと向かえている。

 バス停で風紀委員に捕まる事は無かった。これで風紀委員の追撃は完全に振り切ったはずだと森田君は思った。スタートこそ慌ただしかったが、事はつつがなく進行している。


 体力も十分残っている。

 トレーニングの成果だろう。


 トランクケースの状態も万全だ。

 空気穴も増やした。車輪にも何一つ不具合はない。

 各種道具もそろっている。


(悪くない調子だ)


 森田君は冷静にそう判断した。

 しかしバスを降りて山の車道を登り始めると、森田君は立ち止まらねばならなかった。


 行く手に立ちふさがる二つの影があったのだ。

 保羽リコと、生瀬さんだった。


 生瀬さんは保羽リコの付き添いなのだろう。

 公証人のように敵意が感じられない。


 だが、保羽リコの目には正義の炎が燃えていた。

 森田君の間違いを正そうとするかの如く、保羽リコには不退転の決意が感じられた。


「り、リコ姉ぇ………」


 森田君はそう呟き、保羽リコと対峙した。

 生瀬さんが情報を漏らしたとは、森田君は考えなかった。


 ヨロズ先輩をトランクケースに詰めてどこかに埋めようとしている事は悟られても、どこに埋めるかまで、生瀬さんには知りようがないはずだ。


 こうして待ち伏せをしてきたのは、保羽リコの実力なのだろう。

 森田君は甘く見ていたと口元を引き締めると、保羽リコがうっすらと笑みを浮かべた。


「どうしたの、清太? ずいぶん驚いているようだけれど。まさか風紀委員会を振り切った、とでも? 天下御免の風紀委員長を見損なってもらっては困るわねぇ」

「ど、どうしてここが……?」

「あなたたちが山中で何かしようとしているのなら、山林の所有者に許可を得ようとすると考えたのよ。兄さんの目撃情報を鑑みて、目星をつけた所有者に電話すれば一発だったわ。この山の地権者に電話一本すれば、銀野家とは昵懇の間柄だというし。目的地が分かれば、あとはこうしてタクシーを使って先回りすれば済む話だもの」


 あなたたちの行動なんて風紀委員会の前では無駄なあがきよ。おバカさんね、ふふふふ――とでも言いたげに保羽リコは口の端をあげた。

 最後の最後に立ちふさがる障壁に相応しい、強敵の雰囲気を醸し出している。


 だが、森田君は引っかかった。


「……え、じゃ、じゃあさ、リコ姉ぇ。ここに最初から、風紀の人たちを配置しておけば、追っ手を放つ必要もなかったんじゃ……? タクシー使うんだったら、スマホで連絡入れれば、もっと大勢の人員を連れて余裕で先回りだって出来るのに………」

「…………………………………………」


 森田君の冷静なツッコミに対して、保羽リコはぴたりと動きを止めたまま虚空を見た。

 どうやら盲点だったらしい。


 保羽リコが香苗に相談していれば、確実に森田君の目的は潰えていたことだろう。だが保羽リコのポンコツっぷりが、森田君に思わぬ活路を作り出してくれたようだ。


「り、リコ姉ぇ……」

「そんな残念な人を見る目をするなぁ!!」

「ものすんごいドヤ顔してたのに……」


 森田君が頬をポリポリと掻くと、保羽リコは虚空を鋭く手で薙いだ。


「あれよ、あれっ。二重三重に封鎖線を作るのは、風紀の常道なの! すべてはあたしの計画通りだったの!! うはっ、うははははっ!」

「取り繕うための早口は逆効果だと思うよ」

「だまらっしゃいっ。さぁ! そのトランクケースの中を改めさせてもらうわよ!」


 鋭く指をさす保羽リコの目を見つめ、森田君は悠然と頷いた。 


 森田君もいろいろと潜り抜けてきたのだ。警察屋さんに山中で呼び止められたり、生瀬さんに背後から不意打ちを食らったり、保羽リコにトランクケースを怪しまれたり、校舎裏で生瀬さんに土下座したり、クラスメイトにド変人と認定されたり。


 その経験のすべてが、この場で森田君の度胸を支えていた。


「わかった。じゃあ、令状を見せて」

「…………へ?」


 ぽかんとする保羽リコへと、森田君は冷静に言葉を紡いだ。


「風紀委員としての職務でリコ姉ぇがここに居るのなら、当然、学校の規則にしたがってもらわないとね。日戸梅高校では風紀委員の職務執行に、司法機関である教職員があたえる捜索差押許可証が必要なはずだよ。それがない限り、法的な強制力はない。このトランクケースは私物だし、ここは学校の敷地内じゃない」

「なっ!?」


 保羽リコは面食らい、言葉に詰まった。

 そんな保羽リコへ畳みかけるように、森田君は一歩踏み込んだ。


「なにか反論があるかな?」


 森田君は保羽リコの目を射抜くように見つめ、そう問うた。


 保羽リコはアホの子であっても、補佐の香苗は切れる女だ。それがこのように詰めの甘い包囲しか築けないという事は、森田君側の動きは不測の事態だったのだろう。つまり、このドタバタの最中に教職員が発行する令状など持っているとは考えにくい。


 という森田君の読みは鋭かった。


「うにゅ、うぐ、ぬぐぐっ……!!」


 保羽リコは歯ぎしりし、地団駄を踏んでいる。


「せ、清太っ!! いい加減にしなさい! お姉ちゃんのいう事が聞けないの!?」

「聞けない!!」

「みゃっ!?」


 森田君の鋭い返答に、保羽リコは奇妙な声を上げた。

 そんな保羽リコへと、森田君はさらに一歩踏み込んだ。


「他人から馬鹿にされるような小さな事でも、そうと決めたら全力でやれ――ボクにそう教えたのは、リコ姉ぇじゃないかっ!!」

「そりゃま、そ、そうだけどっ………」

「山の地権者に使用許可だってもらってる。そりゃ、不健全とは言わないまでも健全とは言い難い事かもしれない。でも校則や法律に反する事ではギリギリ無いし、リコ姉ぇが風紀委員会を動かしてまでどうこうするような案件じゃないはずだ」


 森田君が立て続けにそう言うと、保羽リコは首を激しく振った。


「清太っ、あなたは銀野ヨロズに良いように使われているだけよ! 目を覚ましなさい!」

「だったら何!?」

「ぴゃっ?」

「好きな人の為にがんばって、何が悪いんだよっ!?」

「……っ!」


 森田君の剣幕に、保羽リコはたじろいでいた。


「ボクだって訳分かってないよっ。もう、ほんとっ……意味分からなくて、なにがなんだか分からなくてっ!! でも仕方ないじゃないか! 先輩にお願いされたのなら、ボクを信じて頼んでくれたのなら、ボクはそれに応えて見せるっ。全力で!!」

「あう、いう、えう……」

「職権乱用で他人の事をこそこそ嗅ぎまわるなんて、見損なったよリコ姉ぇ!!」


 森田君の激しい口調に、保羽リコはぐらついた。突風に突き押されたようによろめき、三歩ほど後ずさると、保羽リコは情けなくへたりこむ。


「わ、わたしだって……こんな事したくないわよぉっ……でも仕方ないじゃないっ。清太が変な事に巻き込まれてるかもって、もう居ても立っても居られなくなって……」


 森田君の意思は動かしがたいという現実に、保羽リコは目を潤ませた。そして恥も外聞もなく、幼児のようにわんわんと泣き出した。

 保羽リコの元に駆け寄った生瀬さんに、森田君は会釈した。


「あの、生瀬さん。何度もごめんなさい。リコ姉ぇの事、お願いします。一度こうなっちゃうと、立ち直るのに時間がかかるので……」

「はい。リコ先輩には私がついてます」


 生瀬さんの返答に、森田君は頭を下げた。

 生瀬さんには感謝してもしきれない。


 たくさん嘘をついてきた上に、風紀の追撃を阻止するためとはいえ、保羽リコにきつい事を言ってしまった事も、森田君にとっては胸を締め付けられる思いだった。

 けれど、もう迷わない。


 難関を突破して、森田君は坂を進んだ。




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