第24話
22
森田君が振動を感じて見回すと、教室にはもう森田君一人しかいない。いつの間にか放課後になっていた。着信に、森田君はのろのろとスマホを取り出した。
生瀬さんからだった。
風紀委員会の準備が整いつつあるらしい。
森田君にとっては、とてもまずい状況だった。
(もしこのまま……)
と、森田君は思わずにはいられない。
風紀による包囲網が構築されてしまえば、動くに動けなくなる。ヨロズ先輩の願いは叶わない。そうなれば、あの男の人とヨロズ先輩の仲は、進展しないかもしれない。
森田君の中で、禍々しい何かが鎌首をもたげた。
邪魔する訳ではない。
ただ、見過ごすだけだ。黙って見過ごすだけ。
ヨロズ先輩が尽くそうとする、その恋路を、これ以上利することをしないだけ。
(そうだ、このまま行けば―――何もしなければ………)
そう思いかけて、森田君は返す刀でこう思った。
何もしなければ……心の底から言えるのか?
ヨロズ先輩の事が好きだ、と?
好きという想いは、自分の益にならなければ、そんな簡単に切って捨てられるものか?
そんな簡単に捨てられるものを、「好き」と言っていいのか?
誰のための「好き」なのか? なんのための「好き」なのか?
好きというのは、いったい、なんなのだろう?
そういう堂々巡りに似た考え方に、森田君はどうすることも出来ず、腰が動かなかった。
「森田?」
声を掛けられ、森田君は顔を上げた。
日戸梅高校のアホな男子の中でも異彩を放つ、他人の時間を無駄にさせるギネス記録を樹立しかねない、端正な顔立ちの男。山下の姿がそこにあった。土下座愛好家の同志と認識されて以来、森田君は山下と何かと話す機会が多くなっていた。
山下は森田君の様子を、訝しむように見ている。
「どうした?」
山下にそう聞かれ、森田君は笑みを浮かべて手を振った。
「……なんでもないよ、山下。ちょっと、疲れてるだけだから」
「そうか」
何か忘れ物を取りに帰って来たらしい山下は、いったんはそのまま帰ろうと教室の戸を開いたが、思い直したように森田君の前の席に座った。
森田君の様子にただならぬものを感じたのか。
山下は椅子の背を右にして腰を下ろし、腕を組んで森田君に横顔を見せていた。
「話せ。軽くなる」
山下がぽつりとそう言って、どれほどの時間、沈黙が教室を支配しただろうか。
森田君はなかなか、言い出せない。
どう言っていいものか。誰かに言うべきなのか。
整理がつかなかった。
だが、そんな森田君へ、山下は何も言わなかった。
しんとした沈黙が長く続いたというのに、背筋をぴんと伸ばし腕を組んだ姿勢のまま山下は帰ろうとはせず、たとえ一年間このままでも付き合ってやる、とでも言うようだった。
そんな山下の姿勢に、森田君の心は動いた。
「…………実はさ」
森田君の口は自然と開いていた。
「いろいろな事があって。ほんと、この一か月くらいの間に、色々あってさ。すごく大切な人のために頑張って、でも大切な人なのに、その人の幸せを願えなくなってしまって……どうしたらいいのか、わからなくなって……自分の気持ちすら、あやふやになっちゃってさ……」
絞り出すように言った森田君に対して、山下は目を閉じてゆっくりと頷いた。
「森田、俺はパンツを脱ぐことが好きだ」
「…………………………え?」
まさかそんな返答が帰ってくるとは思わず、森田君は動揺した。
「あ、う、うん? そ、そう、なんだ……」
森田君には辛うじて、そうなんだと頷くことしかできない。今の流れから一体何をどうやったら「俺、パンツ脱ぐの好き」という返答が出て来るのか。森田君は果てしなく困惑しながらも真顔の山下に気圧され、適切なツッコミを食らわせる事が出来なかった。
森田君のそんな困惑をさらに深めるかの如く、山下は口を開いた。
「パンツというより、服を脱ぐことが好きだ。ただ脱ぐことが好きだ。脱ぐところを誰かに見てもらう事が好きだ。体育の授業が一番好きなのは、更衣室で脱げるからだ。心無い言葉を浴びせられ、公衆の面前で高圧的に『脱げ』などと言われたい。その様をビデオ撮影されてネット上に拡散されたとしても、おそらく俺は喜びこそすれ怒りは感じないだろう。トイレの個室や男子更衣室はもちろんの事、公道において脱ぎたいとも考えている」
山下の口振りは淡々としていた。
なんだか、武術を極めんとする到達者のようでもある。
「その結果、軽蔑されても本望だ。むしろ、クソ虫のように見下されたい。距離を置かれる事が好きだ。他者の無邪気さや親切心が仇となって結果的に俺を窮地に立たせるようなシチュエーションが大好きだ。表面上は理解を示す振りをしながら笑顔で接してきて、その実は陰でボロカスにけなされる事が、たまらなく好きだ」
山下の言葉は静かで、けれど熱い思いがこもっていた。
「だが、なぜ好きなのかは、正直なところ分からない。上手く言葉にできない。考えても分からない。分からないから、俺は脱ぐ。脱ぐために着る。脱衣というただそれだけの事に、ここまで考える俺自身を信じる。考えずに感じろと言うが、考えるという事は大切な何かを感じているという事のはずだ。誰が作ったのかも定かではない常識的な感性に従うくらいならば、俺は俺の感性に賭けてみたい。俺の感性の探究者となれるのは俺だけだ。他者との触れ合いで得られるモノはその謎を解くための鍵の欠片であって、鍵そのものは己で欠片をつなげ、作り上げてゆくしかない」
そんな変態的論理と自分の恋心を同列に扱ってほしくない……と思わないでもなかったが、山下の真剣な眼差しに森田君は考えを改めた。
「森田よ、それこそが人の矜持というものではないか?」
山下にそう締めくくられ、森田君は心動かされている自分に驚いた。もやもやとしていた心の中が、綺麗に晴れてしまったような気がする。
そんな自分に森田君は躊躇いながらも、頭を下げた。
「……あ、ありが、とう……ど、土下座愛好家の同志として、なんていうか、悔しいけど、参考になってしまった感じがするよ…………」
森田君はそう言った。
やるべきことがわかった。
初志貫徹。がむしゃらでもいい。
今はそれを目指そうと、森田君は腹の底に力を籠める。
そして森田君は椅子から腰を上げ、教室から飛び出した。
山下の言葉のおかげなのか、森田君の身体は軽かった。
森田君は模範たるべき生徒会役員でありながら廊下を走り、階段を二段飛ばしで上り、挨拶もなく生徒会役員室へと駆けこんだ。会計の女の子の姿はない。
ヨロズ先輩と副会長だけだ。
「森田? 体調不良で先に帰るんじゃ――」
副会長にそう聞かれ、森田君は一礼してヨロズ先輩へと話しかけた。
「すいません、副会長。先輩、お話があります!」
「どうしたの?」
ぽかんとしているヨロズ先輩へと、森田君は強い眼差しと口調で迫った。
「風紀に目をつけられました。もう土日まで待っていられるほど悠長な事態じゃなくて、決行するなら今しかないんですっ! 先輩、ボクを信じてください」
森田君のその言葉に、ヨロズ先輩はしばし迷う仕草をした。
なにせ、いきなりのことなのだ。
予定では、土日に決行するはずだったことだ。
あまりに急すぎる。心が追い付かなくて当然だろう。
だが、ヨロズ先輩の腹は決まったらしい。
綺麗な目が、森田君を見つめ返してくる。
そんな森田君とヨロズ先輩の蚊帳の外で、副会長が困惑している。
「森田? 会長? いったい何の話を――」
「……副会長。本日の生徒会業務はここまでとします」
ヨロズ先輩は副会長へとそう告げた。
ヨロズ先輩と森田君の真剣な眼差しを交互に見やり、副会長は頷いた。
「………わかりました。なにか、事情があってのことなのですね? ああ、書類はそこに置いてください、会長。急ぐのでしょう? 後始末はやっておきますから」
「ありがとう、副会長」
「ありがとうございます」
余計な事は一切聞かない副会長に一礼し、森田君とヨロズ先輩は学校を出た。
森田君たちは駆け足でヨロズ先輩の家へ戻り、息を整えながら道具をリストアップする。シャベル、スコップ、ビニル管、ライト、タオル、防寒着、軍手、輪ゴム、ビニル袋。
なにせ急場だ。
週末までに入手する予定だったため、道具のいくつかが無い。万全ではなかったが、必要最小限のもので何とかするしかない。そう森田君は決めた。
設定を大事にするヨロズ先輩には申し訳ないが、多少の融通は利かせてもらうしかない。
「先輩、ではトランクケースの中に入っ――……うわっ!?」
叫び声をあげた森田君は急いでヨロズ先輩から顔を背け、背を向けた。
いきなりヨロズ先輩が服を脱ぎ始めたのだ。
着衣の擦れる音と床に落ちる音に、森田君は見えても居ないのに目をつむった。音だけだとかえって想像力を刺激するものなのか、森田君は動悸で弾けそうになる。
「ちょ、ななっ、先輩っ、何してるんですか!?」
森田君が慌てふためいて聞くも、ヨロズ先輩は平然としていた。
「これでトランクを軽く出来るでしょう? ある程度は体重を落としたつもりだけれど、より軽いに越した事はないわ。それにこの格好なら、よほどの事が無い限り、このトランクから出ようとは思わないし、出してとも言わないでしょう? 私もトイレの一つすら我慢できない体たらくだったもの。改善していくのは当然よ」
ヨロズ先輩なりの覚悟らしい。
今日こそ成し遂げて見せるという、気迫をヨロズ先輩は漂わせている。
「ボクにとっては非常事態に陥った場合、改悪にしかならないですけど……」
でも肌着姿のヨロズ先輩が入っていると思うと、たしかに改善と言えなくもない。と思ってしまった森田君は、自分の男の性に喝を入れるように言葉をつづけた。
「とにかく急いでください!」
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