第四章
第23話
20
森田君は翌朝、ヨロズ先輩と階段の踊り場で出会った。
周囲に人の気配はない。
「あの、先輩」
挨拶が済むなり森田君はヨロズ先輩にたずねた。
一晩中考えていた事で、告白するよりも勇気のいる事だ。
「昨日の放課後、その、先輩を見かけてしまって……男の人と、歩いているトコを……」
森田君がそう言うと、ヨロズ先輩の表情が曇った。
ヨロズ先輩の表情の変化は少ないけれど、ここ最近重ねた様々なやり取りのおかげなのか、森田君は読み取れるようになってしまっていた。
ヨロズ先輩にとって、見られては不都合なものだったらしい。
「先輩は、あの男の人の事……」
好きなんですか?
という直接的な言葉を使う勇気を、森田君は持てなかった。
「あの男の人の為に、埋めて欲しいって言ったんですか……?」
ほとんど確信しながらも、どうか違っていて欲しい。
森田君の想いは、しかし無情にも引き裂かれた。
「…………ええ、そうよ……」
ヨロズ先輩は頷いた。
朝練をする運動部の掛け声が、森田君の耳から遠のいていった。階段を上がってゆくヨロズ先輩の足音すら、壁を一枚挟んでいるかのよう。
生徒会長である地位を脅かしてでも、ヨロズ先輩がやろうとしている事。
それだけの覚悟を決めさせる事が出来る人。
森田君がヨロズ先輩を想うように、ヨロズ先輩もあの男の人を想っているのだろう。
先輩のあの表情は、森田君が一目で心を奪われたあの瞳は、きっと自分に向けられる事は無い。あの瞳の奥にあった想いも。
わかる。
森田君にはなぜだか、分かってしまう。
たとえ先輩を埋めて、告白を受け入れてもらえ、付き合える事になったとしても……きっと、先輩のあの表情は森田君には向けられないのだ、と。
21
「銀野会長と森田清太が、風紀委員会の目を気にして、隠し事をしているのはほぼ間違いない。私たち風紀に隠すという事は、風紀に見つけられては困るという事。よって、風紀委員会としてはぜひとも把握しておきたい。そういう建前で行くわよ、リコ?」
風紀委員会室で香苗にそう言われ、保羽リコは頷いた。
「わかった。香苗、動かせる人員は?」
「ほかの風紀業務もあるから、この案件へ人材を集中させるには少し時間がかかる。でも銀野会長たちが動くのは、おそらく週末。土曜か日曜でしょう。向こうにも生徒会業務があるからね。それまでにはこちらの態勢は整えられる。来週になれば平日でもつきっきりでこの案件に人員を割けるように出来るから、盤石ね」
「頼りにしてるわ、香苗」
『粛清あるのみ』の額を見上げ、背中越しにやり取りをしていた保羽リコは、くるりと向き直った。そして、お昼休みの風紀委員会室にいるもう一人の人物を見据えた。
「さて、待たせたわね、生瀬。わざわざ来てもらってありがとう」
保羽リコが硬い口調でそう言うと、生瀬さんの表情にひりりと緊張が走った。
「……なんでしょうか? リコ先輩」
「今回はね、いつもの要件とは少し違うの」
保羽リコの口ぶりは落ち着いていた。かつてないほど、冷たい口調だった。
生瀬さんは妙な連中に懐かれる傾向があり、変人や変態どもはどういう訳か、生瀬さんの言う事にはすんなり従う事が多かった。
そのため、生瀬さんが風紀委員会に助力した事は一度や二度ではない。
校舎天辺の時計の横――つまり絶壁でテントを吊るしてビバークしていたアホンダラに投降を促したり、とにかく全裸になりたがるドヘンタイにパンツだけは死守させたり、なにかと風紀委員会は生瀬さんを重宝していた。
いずれは風紀委員にスカウトしたいと、保羽リコは何度か食事などに誘っており、それなりの親交があった。風紀委員は主に体育会系の部活から引っこ抜いて来るため、身体を使ったハードの面ではかなり強力であるが、体育会系の強みが発揮され難い場面では無駄に労力や人員を必要としてしまう。
保羽リコとしては、生瀬さんのような人材がいてくれると何かとありがたいのだ。
故に、保羽リコは信頼していた。
疑いたくはなかった。だが、保羽リコが今までのことを考える限り、ヨロズ先輩の疑わしい一連の動きに、生瀬さんは何かしらの形でいつも絡んでいる。
「生瀬が公園で突然居なくなった時も。私が電話を掛けると、ちょうど玄関のトランクケースから音が鳴った時も。清太に土下座されて、家の庭で何かを手伝っていた時も。思い返すと、いつも生瀬の姿がちらついていた気がする。生瀬はあたしが求める答えの、すごく近くにいるはずよ。でしょう? ……知っていることを話して、生瀬」
保羽リコが促しても、生瀬さんは首を縦には振らなかった。
「……できません……」
風紀委員室に呼ばれていた生瀬さんは、そう言うと口を引き結んだ。
生瀬さんのその意思は固いと、保羽リコは見て取った。
だが、退くわけにはいかない。
「さっきのやり取り、聞いていたでしょ? こちらの手の内を見せた。あなたの行動によっては、すべて無駄になる。あたしの責任問題になるかもしれない。それでも?」
苦しそうにうつむく生瀬さんに、保羽リコは容赦なく二の句を放った。
「生瀬、それがあなたの選択ね? あたしの敵になるのね?」
「リコっ!!」
香苗の鋭い一声に、保羽リコははっとした。
しかし、もう手遅れだった。
「……ごめんなさい、リコ先輩。すみません………」
居た堪れなくなったのだろう。生瀬さんは伏し目がちに退室した。
足早に部屋から遠ざかってゆく上履きの音が、離れて行くほどに保羽リコを苛んだ。
どこからともなく響いてくる調子の外れた管楽器の音でさえ、のんびりとしたお昼休みに似つかわしくない保羽リコの表情を和らげる事はできない。
淀んだ空気の中で、香苗が深くため息をついた。
「リコ……なにやってんの? 生瀬ちゃんを責めるのは筋違いよ」
「…………」
「あの子は風紀委員じゃない。先にした約束を守る。生瀬ちゃんならそう動く。一度心に決めた事は守ろうとする子なのよ。今回は私たちの味方じゃなかったけれど、次、風紀に協力してもらう時、これほど信頼に値する子は居ないわ。でしょ?」
「……ええ。そんな信頼できる子を、追いつめ過ぎてはいけない」
自責の念に、こめかみに手をやりながら保羽リコは重く息を吐いた。森田君をヨロズ先輩の呪縛から救いたい一心で、生瀬さんを傷つけてしまったのだ。
香苗が溜息をついている。
「ちゃんと分かってんじゃないの、リコ。さっさと謝っておきなよ」
「ごめん」
「私に謝ってどーすんのよ」
香苗に突っ込まれて、保羽リコはこめかみに当てた手をぐりぐりと動かした。
「私情が入りすぎてるみたい。そもそも、こういうので風紀の子たちを動かすのって、良くない事だってのは分かって――ふみゃ!?」
保羽リコの真面目な顔が、ぐちゃっと崩れた。
香苗に両頬を掴まれ、ぐにぐにと動かされたのだ。
「か、かにゃえ……!?」
保羽リコの素っ頓狂な声を気にせず、香苗はひとしきり保羽リコの頬を揉みしだいた。そしてぱっと手を放し、両頬をさする保羽リコへと、香苗は人差し指を突き付けた。
「あんたが私情で動くのはいつもの事でしょ。何を今さら、殊勝な顔してんの。停学になりかけた一年のために頭下げたり、問題起こして無くなりかけた部活の存続に口添えしたり。私情にだって良い面と悪い面があるし、あんたが悪い面でやり過ぎそうになった時は、さっきみたいに私があんたのお尻を蹴飛ばしてやるから。安心して砕け散りなさい」
「……く、砕け散るのは嫌なんだけど?」
保羽リコが不安そうにすると、香苗はいつもの寝ぼけたような顔をした。
「ん、まあ、それくらいの気持ちで行けってことよ。わかった?」
「うん」
「よし」
香苗は頷くと、人差し指をぴんと立てた。
「じゃあ、リコ。計画の続きよ。森田清太はあの様子じゃ、あと一日はまず動けない。私たちが土日を見張り続け、来週からは平日まで人員を強化する事は生瀬ちゃん経由で向こう側に伝わるはずだから、相手はその前に動くはず。つまり――」
「今週の木曜日か金曜日が天王山になる可能性が高い」
保羽リコが答えると、香苗は満足そうに微笑んだ。
「私らはそこに向けて、人員を集中させればいい、って寸法よ。もちろん、相手には気取られないようにしてね。風紀委員会だってこの案件一つに、いつまでも人員注ぎ込める余力はないんだから、相手に動いてもらった方が早い」
「……香苗、もしかして、それを見越してワザと生瀬に?」
保羽リコが問いかけると、香苗は口の端を吊り上げた。
「私は風紀委員で、あんたの補佐よ。生瀬ちゃんがそうであるように、私は私の流儀に従うのみ。もちろん全力でね。それだけのことよ」
「悪い女だぁ」
「でしょう? たんと感謝しなさいな」
頼りになる風紀委員長補佐に、そんな悪い顔で微笑まれては、頭が下がるより他はない。
必ずや、ヨロズ先輩が隠そうとしている背徳的な秘密を白日の下に晒し、その光で曇ってしまった森田君の目を覚まさせて、ヨロズ先輩の毒牙から救い出してみせる。
保羽リコは心の帯をぎゅっとしめた。
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