第20話




 時間にして数秒。

 しかし生瀬さんには、ひどく長い数秒であった。


「……ねぇ、生瀬」


 保羽リコの声の低さに、生瀬さんの心臓は縮み上がった。


「気のせいかしら。さっきから――」


 チャイムが鳴り、保羽リコの言葉を遮った。

 また来訪者だ。


「あ、森田君が帰って来たのかも!」


 森田君なら自分の家のチャイムを鳴らすはずはないのだが、狼狽していた生瀬さんはそう言った。とにかく保羽リコをこの場から動かしたい、という生瀬さんの想いに応えるように、もう一度、森田家のチャイムが鳴った。


 地獄から救い上げるお釈迦様の蜘蛛の糸ではないかと、生瀬さんには思えた。


「誰かな?」


 と保羽リコが玄関へと回っていくその後を、生瀬さんもついていった。


 郵便屋さんや宅配業者、お隣さんからの回覧板、宗教の勧誘、何らかのセールスだったならば、さほど意味はない。すぐさま保羽リコは庭へと戻って来るだろう。


 だが、神は信じる者を救うもの。

 来訪者は生瀬さんにとって救いの女神以外の何者でもない人だった。


「ぎ、銀野ヨロズ!?」

「ああ、保羽さん。と……生瀬さんも」


 保羽リコの背後で、生瀬さんは必死に庭の方を指さし、生瀬さん自身にも良く分からないジェスチャーを交えつつ、窮状を訴えていた。


 森田君と生瀬さんの味方となってくれる、この込み入った事情に気づいてくれそうな唯一の人物。それが、生瀬さんの知る限りヨロズ先輩なのだ。


「清太に何の用?」


 保羽リコがそう尋ねるも、ヨロズ先輩は首を横に振った。


「いいえ。清太君ではなくて、今日はあなたに用があるのよ。保羽さんのお家を訪ねたら、こちらに出かけたと伺ったものだから」


 ヨロズ先輩はそう言った。

 どうやら、生瀬さんのジェスチャーのニュアンスを感じ取ってくれたらしい。

 だが、保羽リコはつっけんどんだった。


「何の用?」

「先日の件で、どうやら誤解されてしまったようだから。丁度いい時間帯だから、食事でもどうかしら、保羽さん? 先日の議会で出来なかった事も、お話ししておきたくて。歩いて十分くらいのところに、美味しいお店があるの」


 ヨロズ先輩のその言葉に、生瀬さんは確信を持った。

 ヨロズ先輩はうまい具合に保羽リコを森田家から遠ざけようとしてくれている。


 生瀬さんは、ヨロズ先輩の理解力に心の底から感心した。


「買収は無駄よ?」

「同級生に奢るつもりはないわ。嫌かしら? 私たちの関係がこじれすぎるのは、清太君も望まないと思うけれど?」

「……そうね。この前もあたし、早とちりしたみたいだし。仲直りの良い機会ね」

「でしょう?」


 ヨロズ先輩の巧みな誘導で、話がまとまりかけている。

 生瀬さんがそう思っていると、保羽リコが振り向いた。


「生瀬も一緒にどう? お昼までは時間、まだ少しあるけど」

「ありがとうございます。でも私は、森田君が帰ってくるまでここに」

「そう。そうね」


 保羽リコが納得したようで、生瀬さんは胸をなでおろした。

 生徒会長と風紀委員長のぎすぎすした会話など、可愛らしいものとさえ思えた。生瀬さんがよしっと内心でガッツポーズをとっていると、ヨロズ先輩が微笑みかけてくる


「清太君が帰ってきたら、私たちに合流してくれて良いのよ? 清太君が帰ってきたら、来るか来ないか電話してね。一時間くらいは居ると思うし、お店の場所はスマホに送るから。二人の食事代なら、私が持つわ」

「いいや、ちょっと待った。後輩の飯代はあたしが持つ」

「私が食事に誘ったのだから、私が持つのが筋でしょう?」

「風紀委員会は生瀬によーっく世話になってるし、清太はあたしの身内だもの。こっちが払うのが筋ってもんよ」

「生瀬さんはクラス委員長で生徒議会の一員でもあるし、清太君は書記よ」


 ヨロズ先輩と保羽リコの意地の張り合いが止まらない。

 生瀬さんは横手から口を挟んだ。


「あのぅ。それなら、お二人それぞれに、一人ずつご馳走になる、というのは?」


 生瀬さんの案に、譲らなかった二人は矛を収めて頷いた。


「では、混雑する前に、席を取りに行きましょう」


 ヨロズ先輩に促されるまでもないと、保羽リコは門を出た。

 保羽リコに続こうとするヨロズ先輩に、生瀬さんは小さく声をかけた。


「助かりました、銀野会長」

「保羽さんの動きを抑えようと思って。間一髪だったようね」


 ヨロズ先輩はそう言って立ち去った。

 まったく優秀な人だと、生瀬さんは感心してやまない。


 二人が去ると、生瀬さんは急いで庭に戻った。


 素早く掘り起こそうとするが、森田君を傷つけてしまう恐怖から、土に思いっきりシャベルの刃を突き立てられない。かなりゆっくりとした作業になってしまう。森田君までの深さが分かるように、板を土と森田君の身体の間に挟んでおけば良かったのだろう。


 掘り起こす側もその方が、手ごたえが分かりやすい。

 この感覚は後で森田君に伝えておこう、と生瀬さんは思った。




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