第15話
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校舎裏で森田君がカミングアウトをした、ちょうどその時。
さらなる波乱の種が、お昼休みを満喫する一年三組の教室へと駆け込んだ。
「おい、ニュースだニュース! 森田が委員長に告ってたぞ!」
一年三組の教室に駆け込んできた男子生徒は、クラスメイトたちに食後のデザートとなる話題を放り込んだ。波紋は素早くクラスに広がった。
「遠くからだったから、はっきりとは聞こえなかったんだけど、『欲しい!! キミしか居ない!』って言ってたぞ。しかも土下座してた!」
「土下座っ!?」
「マジか!? しっかし、すげぇセリフだな。がっつきすぎだろ」
「森田君って、大人しそうな顔して野獣系だったのね……」
「ほんとかよ?」
「ほんとだって。アレは告白だ。顔真っ赤だった。委員長も真っ赤になってた」
「あれ、たしかあいつ、銀野会長に惚れてるんじゃ?」
「告白して撃沈だろ? なんか森田、月曜日にすっげぇ凹んでたし」
「いやいや、付き合ってるとかなんとか」
「付き合ってる情報って、二年のリコ先輩からでしょ?」
「まあ、風紀の保羽先輩は思いこみの激しいトコあるから」
「わたし、リコ先輩と森田君って付き合ってると思ってたよ……すごく仲良いし」
「銀野会長と二人で山の坂道を歩いてたって、うわさもあるぞ」
「歩いてただけで付き合ってるとは確定しないだろ」
「そもそも噂だろ? 信憑性のかけらもねぇよ」
クラスの中心であるグループが興味深そうに話題を突いたかと思うと、瞬く間にクラス中の他の少数グループが寄って来て、撒き餌に群がる小魚の様相を呈した。
「銀野会長に振られて、森田、次は委員長へ狙いを変えた?」
「だとしたら森田のヤツ、けっこう節操がないなぁ」
「森田君って、もうちょっと一途で真面目な人だと思ってたよ」
「しっかし森田、愛の告白で土下座って…………」
「成功したのかな?」
「ないない」
「だよねー、ありえないよねー」
「さすがの委員長でも引くだろ、それは」
「まぁたしかに、委員長は土下座すれば大抵の事はしてくれそうではあるが……男としての尊厳はねぇのかよ、あいつには……」
「でもなんかこう、呆れを通りこして同情するよな」
「いたたまれない気持ちになるわね」
「もののあわれ、ってヤツだな……」
「森田もほら、いろいろ、あるんだろ。生徒会の仕事とか、大変だって聞くし。文化祭でも、いろいろ走り回ってたし」
「そうだな……優しく、してやらねぇとな」
クラスメイト達が話し合っている内に、昼休みの終わりを告げる予鈴が鳴った。
時間をずらして帰ってきた森田君と生瀬さんの様子は、どこかよそよそしかった。そしてひどく初々しくもあった。互いの事が気になるのか授業中にチラチラお互いを見やり、時たま目線があった時などは顔を真っ赤にして逸らした。
こてこて過ぎる青春劇場の初公演である。
人並みの幸せに触れてきた者なら微笑ましく思い、干からびた青春の荒野を歩んできた者なら反吐が出そうになるかもしれない光景であった。
おおよそ失恋した男の様子ではなく、また男を振った女の様子でもない。
『……え? なにこの雰囲気……もしかして、告白、成功したの……?』
クラス中の男女がそう思った。
『いやいやいや、ありえないでしょう、それはっ!!』
とも思った。
ツッコミたくて仕方ないが、五時間目の授業は現代国語の厳島先生であり、『視線で人をショック死させたことがある』ともっぱらの噂であるほど人相と声が怖い。
厳島先生は自宅から学校へ向かうまでに二回、家に帰るまでにまた二回、警察官に呼び止められた事があるらしい。自宅と学校が徒歩七分の位置関係にあることを思えば、驚異的な数字といえる。職務質問の確率四百パーセントの男だ。車や自転車に乗っていれば盗難車だと疑われ、バスに乗っていればバスジャックだと通報され、電車に乗っていると通学中の小学生やベビーカーの赤ん坊が泣き叫ぶので、学校近辺に引っ越してきて徒歩で通勤するようになった、という話がまことしやかに流れている。
厳島先生の授業中に私語を話す勇者は、一年生の中では稀である。二年生では極稀になる。三年生になると一人として居なくなる。
森田君と生瀬さんを問い詰めたいが問い詰められない。
クラス中のフラストレーションが高まった。
授業終了のチャイムが鳴り、厳島先生が退室した瞬間、反動でクラスメイトは森田君と生瀬さんに殺到する事となった。
「どういうことなの!? ワッツハープン!?」
「いったい何をどうしたらそういう結果になるんだ!?」
「時空が、時空が歪んでおるっ」
「委員長っ、場の雰囲気に流されちゃだめよ!」
「そうよ、森田君は野獣系なのよ!?」
「森田っ、見損なったぞ。お前はもっと一途な男じゃなかったのか!?」
「デートならウチの甘味処を是非ご利用くださいな。初デート割引するから」
「森田よ……お主、できる……っ」
「どこまで行ったの!? 燃え上がった男と女は、もうどこまでいっちゃったの!?」
「清き学び舎でキャッキャウフフとは、まったく微笑ましくて反吐が出るぜ」
「……森田君……生瀬さん……おめでとう……」
「斬新な告白スタイルをぜひ、イケメンすぎるこの僕にもご教授願えないかな?」
「生瀬っ、土下座されたからって何でもかんでも引き受けていたら、女が廃るってもんだよ! もっと自分を強くもちなっ」
わやくちゃである。
ほとんど一斉にしゃべるので誰が何を言っているのか、森田君と生瀬さんにはよくわからなかった。ただ、どうやら昼間の校舎裏の一件を誰かに目撃されており、おそらく勘違いをされているであろう事は、なんとなくわかった。
生瀬さんが困ったように森田君を見た。『どういう風に言い訳すればいいのかな?』という生瀬さんのアイコンタクトを受け、森田君は立ち上がって皆を制止した。
「た、たしかに土下座はした! でも委員長の名誉の為に言う! それは違う!」
森田君は断言したが、クラスメイト達はまるで納得しなかった。
「……違う? 違うって、どう違うんだ?」
「そうだそうだ、言い逃れなんて見苦しいぞ。『欲しい! 君しかいない!』って告白のセリフまで掴んでんだぞ、こっちは!」
「もし違うのなら、なんで校舎裏で土下座してたのか、説明責任を果たすべきだわ!」
クラスメイト達から追及の声が上がり、森田君は口ごもった。
「それは、その……」
何か良い言い訳はないか、と森田君は考えた。
だが焦っている時にそうそう上手い言葉は見つからない。
生瀬さんと付き合うことになったという誤解を解きつつ、しかしなぜ校舎裏で生瀬さんに対して土下座などという、そんな真似をしていたのかを誤魔化さねばならないのだ。
もちろん、ヨロズ先輩の名前は絶対に出せない。
穴掘りに関することもそうだ。クラスメイト達の追及の手が及んでしまう。
森田君は頭を絞るが、無傷で切り抜ける解決法は浮かばない。
(いや、まてよ……あるぞ、一つだけ……)
ただ一つだけ、深い傷を負うことにはなるが、この場を収める方法が閃いた。なるべく使いたくない方法だった。だがクラスメイト達の猜疑の視線は強くなり、森田君は観念した。
「……すき、だからに決まってるじゃないか……」
「……え、森田君!?」
焦る生瀬さんを横目に、森田君は胸を張った。
「ボクが、女の子に土下座するのが大好きだからに決まってるじゃないか!!」
森田君は大声で言い放った。
より意味不明な発言によって、告白に関する事をもみ消してしまおう。
そう決意した瞬間、森田君の口はとても軽くなった。
「土下座をこよなく愛しているんだよ! いきなり脈絡もなく土下座されて困惑する女子の顔を見て、さらに申し訳なくなってより深く土下座をするっ。土下座のための土下座。肉体的にも精神的にもより強く土下座の深みへと沈み込んでゆくための、土下座スパイラルっ。分っかんないかなぁ!? 分かんないだろうなぁ! その幸せを、みんなにも教えてあげたいなあ!! 部活でも立ち上げて活動しようかなって思ってるんだけど、みんなどうかな!? ほんともう、今日の昼休みは最高だったよ!!」
「………あ、あのね、森田君。さすがにそれは通じないと――」
「わかる!! わかるぞ、森田!!」
生瀬さんの冷静なツッコミを遮ったのは、ある男の一声だった。
山下だ。
体育の授業を『生きる糧』と断言し、一年三組で最も端正な顔立ちをしていながら、クラス中の女子から距離を置かれている、アホな男子の中でも独特の異彩を放つ少年だった。生瀬さんに「おっぱい材質リスト」を頼み、学校中のさらし者になった男子生徒でもある。生瀬さんによって目覚めさせられたドM変態気質を隠そうともせず、マゾでありながらどこか達観したような妙な雰囲気すら漂わせる少年、それが山下だった。
森田君は山下の手を両手で握り、心の友よと言わんばかりに上下に振った。
「わ、わかってくれると思っていたよ、山下! あはっ、あははははっ」
「もちろんだとも、森田! お前の気持ちは、よく分かる!」
森田君が山下と親交を確かめ合っていると、クラスメイトたちの気勢がさぁーっと引いた。
近寄ってはいけない二人だとばかりに、森田君と山下を中心に人の輪が出来る。
クラスメイトたちのどよめきは、すぐさまざわつきへと変わった。
「え、森田君って、山下と同系列の人間だったの……?」
「ど、土下座愛好家?」
「委員長、そんなアホみたいな事に付き合わされてたの?」
「…………他人の時間を無駄に使わせるギネス記録樹立候補が、このクラスにまさか二人も居たなんて…………」
「……も、森田……お前って奴は……」
「こっちの想像の斜め上を行く奴だったんだな……」
山下の持つ嬉しくない説得力によって、クラス中に森田君の新たなる地位が浸透していく。なんとか窮地を脱したとはいえ、生瀬さんとの誤解を解けたとはいえ、新たな誤解で塗りつぶしたに過ぎない。クラスメイト達の視線を浴び、森田君は心の中でさめざめと涙を流した。
身から出た錆とはいえ、とんでもない受難だった。
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