第13話
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森田君は落ち込んでいた。
先日の、生瀬さんとの一件だった。
保羽リコに異変をかぎつけられ、まさか尾行されていたとは。
(まるで気づけなかった……)
そのせいで、結果として生瀬さんをひどい目に合わせてしまった。
危うくとんでもない事になるところだった。
すべてが終わってしまうところだったのだ。
(不甲斐ない……)
ほんとうに不甲斐ないと、森田君は猛省した。
自分の弱さが恨めしい。
最初は山まで到達出来ていたのに、先週はバス停にすらたどり着けなかった。不測の事態であったとはいえ、何かしらの対策は考えておくべきだった。
生瀬さんに背後から不意打ちを食らったくらいで、焦って無茶苦茶をしてしまった。もっと悠然と構えていれば、あんなことにはならなかったはずだ。
それもこれも、何が原因なのか?
森田君がしっかり考えた結果、一つの答えが脳裏をよぎった。
(真剣さが、足りなかったんじゃないか?)
どこかそう、浮ついた気持ちで取り組んでいたのではないか?
先輩に頼り過ぎていたのではないか?
トランクケースにヨロズ先輩を詰めて、山の中腹に穴を掘って埋める。この行為に対してどこか他人事というか、我が事として考える気持ちが欠けていた。
(先輩だって完璧じゃない)
むしろ結構抜けている方かもしれない。
至らない部分があれば、自分がそれを補えばいいだけの話だ。
そう、森田君は己を恥じた。
ヨロズ先輩の言う通りだ。トランクケースに人を詰めて山中へ運び込んで埋める、という事を常識的に、ちゃんと地に足をつけて考えるべきだったのだ。
(もっとやれることはあるはずだ)
前例のないことをやるのだから。
誰もやっていない事をやるのだから。やれることはやれるだけやっておく。
そんな当たり前の事が出来ていなかったと、森田君は気付いた。
穴掘りは自宅の庭などで練習しているが、森田君はあまり納得がいっていない。どうにか教えは乞えないものかと、学校のホームページで部活動・同好会の一覧を森田君は探った。
森田君の母校である日戸梅高等学校には、その教育指針である『自主』と『創造』の精神を体現するかのように、多種多様な部活が存在しているのだ。
「っていっても、さすがにそんな都合のいい集まりなんて、あるわけ――」
あるのが日戸梅高校のすごい部分であり、変人ホイホイの由来でもあった。
森田君の目は部活リスト上の一つに止まった。
穴掘り同好会。
運動場の片隅を活動拠点としているらしい。
森田君がさっそく放課後にたずねてみると、タダならぬ雰囲気であった。三人ほどの男子生徒が、一心不乱にシャベルを動かし、ひたすら穴を掘っているのである。
運動着の色からするに、二年生が二人に一年生が一人だ。
単なる穴掘りでない事は、見ている内にすぐ分かった。基本二人一組で穴を掘り、土をかきだし、上手い具合にローテーションを行い、必ず一人が休憩しているのだ。疲労の蓄積を分散し、チームとして連携しているからだろう。みるみる穴が深くなっていく。
森田君が見ている限り、三名とも真剣な眼差しだった。
十分ほどするとタイマーの音がして「そこまで!」と声が上がった。乱れた息を整え、一年生が巻き尺で穴の深さを測り、二年生が結果を記録しているようだった。
穴を掘り終えると、再び土を戻していく。
穴を掘り、穴を埋める。
その繰り返しで培われたのか、同好会の三名とも腕の筋肉が引き締まっていた。
「先輩、穴を埋め終わりました!」
「わかった。十分間の休憩をはさんで練習二回目、いくぞ」
リーダーらしき上級生が、同好会の下級生へと指示している。
バカバカしい部活かと思いきや、情熱に満ちたやり取りだ。
森田君が声をかけると、リーダーらしき上級生が対応してくれた。手短に穴掘りに興味がある事を話すと、快く手ほどきをしてくれる事となった。
「……森田君。穴掘りは上級者を目指すなら頭脳勝負になるが、初歩は習うより慣れろだ。さあ、シャベルをもって。今年は上位入賞を目指しているから、興味のある人は大歓迎だ」
リーダーらしき上級生はそう言って、にかっと白い歯を見せた。
スポーツマンの如き清々しさが、鍛えられた身体から放たれている。
森田君は「上位入賞」という言葉に引っかかった。
「入賞、ですか?」
「全国穴掘り大会だ。知っているだろう?」
「た、大会!?」
そんな催しがあるのかと森田君が目を見開くと、リーダーらしき上級生は不思議そうな顔をした。「森田君、君はど忘れしたんじゃないのか?」とでも言いたげな顔だった。
「ほら、三十分でなるべく深い穴を掘るという夢とロマンに溢れる催しさ。その競技性はもはやスポーツに近く、いずれはオリンピックで種目化される可能性まで秘めているほど非常に奥深い、あの大会だよ。競技性以外にも芸術性やユーモアにもあふれ、エンターテイメントとしても極めて完成度が高く………………まさか、知らないのか?」
「ええ、その、穴掘り業界からは遠い場所で生きてきたものですから」
「だとしても、キミは生徒会の一員だろう? これくらいの事は常識だぞ」
「え? そ、そうなんですか……すいません。最近、よんどころない事情がありまして、常識というモノがよく分からなくなってきているんです」
なかなか変わった人たちと関係を持ってしまったと、若干後悔しながらも、この一日だけで森田君は穴掘りに関する様々な事を学んだ。色々な掘り方から、穴掘りのための道具の事や、掘るスピードが土の状態に強く作用される事などだ。
穴掘り同好会の面々は、かなり親切に森田君に手ほどきをしてくれた。
「ああ、そうそう。森田君、自主練習をする時は、くれぐれも気をつけてくれ。あまり深く掘りすぎると、土が崩れて危険なんだ。穴掘り大会の三十分と言う制限時間も、その為だ。埋まってしまったら大変だ。度胸試しに穴に埋まるなどという遊びがロシアで流行った事があるらしくてね、死亡事故が起きているくらいだから」
帰り際の上級生の言葉に、森田君ははっとした。
どうしてそんな簡単な事に今まで気づかなかったのか、と。
(ヨロズ先輩を安全に土に埋めて掘り返すには、事前の検証が必要じゃないか……)
つまり、まず森田君自身が土に埋まってみなければならない。
だが、それは難題だ。自分一人では、埋まれない。
穴掘り同好会の面々は間違いなく有能だが、信頼できるかは分からない。
親にも言えない。保羽リコは論外だ。香苗も同じく。ヨロズ先輩の手を借りるというのも、それは何か違う気がする。友人たちにも、どう説明してよいのか分からない。
誰か協力者が必要だ。
だが誰がいるのかと、森田君は考えた。
(誰かいないか?)
口が堅く、誠実で、几帳面で、信頼に値する人柄で、こんなバカな事に付き合ってくれる広い心をもっていそうな人……森田君の脳裏に浮かんだのは、たった一人だけ。
ある女生徒だった。
(仕事ぶりは極めて真面目で、丁寧で、真剣だ……そう――)
クラス委員長である生瀬さんなら、信頼できる。
公園で羽交い絞めにしたあげくトランクケースに詰めてしまっても、森田君が死に物狂いで謝ると生瀬さんは許してくれた。それどころか、ヨロズ先輩との一件を「誰かに知られたくないんだよね? 誰にも言ったりしないから」と、口外しない約束までしてくれたのだ。
生瀬さんは誠実だ。
そして優しい。面倒見もいい。
どんなにくだらない話でも、山も無ければ落ちもないグダグダな話でも、つまらなそうな顔一つせず聞き、たどたどしくも一生懸命答えようとしている姿をよく見かける。
答えが分からなければネットや図書館、教師、生瀬さんの交友関係を駆使して善処する生瀬さんの姿勢に、クラス中が好印象を抱いている。
森田君もそれにまつわるエピソードを一つ知っている。
(あれはたしか、夏になる少し前だったか……)
生瀬さんの生真面目さにつけ込み、あるアホな男子がホームルーム終わりの放課後に次のような話をした。
「俺は女の子のおっぱいが揉みたい。しかし相手がいない。日に日にこの衝動が増している。このままでは犯罪に走ってしまう。それでは困る。だから代用品がいるんだ、委員長。このほとばしる思春期の欲望を別の物で発散したい。つまり、女の子のおっぱいにもっとも近い材質が何であるか知りたいんだ。俺を立派な男にしてくれ、頼む」
彼は立派な男にはなれそうになかったが、すでに変質者の素質は立派にあった。
ネットを使えば済む話を、わざわざクラスメイトの女子に聞く。
普通の女子なら通報するか軽蔑するか引くか笑うだろう。あるいは顔を赤らめるかもしれない。アホな男子は生瀬さんの恥らう顔が見たかったのだろう。
健全な男子ならば女子の悲鳴を聞く為に公共の場でパンツの一つや二つは余裕で脱げるものだし、そのために両手に手錠を掛けられる事があったとしても、それはモノノフの本懐を遂げたとして割り切れる。武士道とは逮捕される事とみつけたり――アホな男子の堂々とした雰囲気からは、そのような哲学さえ感じられた。
だが、生瀬さんは恥らいながらも、
「へ? あ、……うん、わかった。ちょっと待っててね」
と言い残し、
「委員長っ!? こんなアホの言う事、真剣に聞かなくて良いのよ!! 他人の時間を無駄にさせる事に関してギネス記録を樹立しかねない男よ!」
という女子クラスメイトの助言も聞こえて居ないのか、たたたっと走り去った。
次の日、アホな男子は生瀬さんに土下座した。
ご要望通り『女の子のおっぱいに最も近い材質、一覧リスト』を手渡された。見事なリストであり、女性の年齢や体格、様々なサイズや形や質によって事細かく分類されていた。およそ一日でこれほどの仕事を成し遂げるとは、次期生徒会長も夢ではないほど。
ただ、アホな男子の代償は大きかった。
生瀬さんはリストを作成するために学校中に聞きまわり、いぶかしんだ教師が生瀬さんに詰問した。生瀬さんは決して口を割らなかった。が、生瀬さんが職員室に連行されたとの知らせにクラスメイト数名が救助へと向かい、教師たちは元凶を突き止める事となり、アホな男子生徒は学校中の晒し者になった。
クラスを代表する変態から、二日後には学年を代表する変態へとランクアップした。
アホな男子は土下座し、謝罪し、染渡った変態の称号に羞恥しながらも、なぜだかちょっと喜んでいた。なかなか将来有望な男であった。
アホな男子に土下座されている中でも、生瀬さんは戸惑うばかりだった。
「え? あれ? 私、なにか間違った事しちゃった……かな?」
「いえ、むしろありがとうございます」
「ど、どういたしまして」
と、ぺこりと返礼。
どんな変態相手でも礼節ある対応を忘れない。
生瀬さんはそういう女の子だった。
(生瀬さんしか、いない)
森田君は確信し、翌日の昼休み、生瀬さんを呼び出した。
場所は校舎裏だった。
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