『銀河鉄道の夜』編

安藤内

プロローグ

 チャイムが鳴り、先生が教室を出るやいなや、俺はケータイと昼飯を片手に主人公(しゅ じんこう)ことシュウに駆け寄った。

 主人公なんていうふざけた名前だからか比較的口数が少なく、少し地味だが俺にとっては大切な親友だ。

 シュウの焦ったところをほとんど見たことがない。たいてい何があっても平然としていて、今日の宿題を忘れても軽くため息をつくくらいでいつも通りに見える。一緒に初めて悪魔の書架に行ったときはさすがに驚いていたようだが。

 シュウは俺と目が合うと小さく笑い返した。

「おう、シュウ。結局なんだかんだ俺の作品見せてなかったからさ、最初のさわりだけでも読んで感想聞かせてくれよ」俺は近くの空いたイスを陣取り、ケータイをシュウの机に乗せた。

 ケータイの画面はすでに俺の小説「レディドラキュラ」を表示させている。準備万端だ。

「そうだったね。読む時間もなかったし」

 シュウがケータイに手を伸ばした瞬間、空間が揺らぎ、俺たちは二人して悪魔の書架に突っ立っていた。



 悪魔の書架とは、足下も、周囲を取り囲む円形の壁も、いくつもの本棚が折り重なっている空間だ。空間中央に鎮座する、先端を雲に突き刺すほど高い塔も大半が本棚を立てかけられてできているようだった。本が重力を無視し、列をなして漂っているせいで、現実味が薄れに薄れている。

「また間の悪い時に喚んでしまったかな?」

 低く、ものやわらかな声がした。

 山羊を模した奇妙な仮面の男が塔の近くから歩みよってくる。悪魔の書架の主催者であり管理人、本の悪魔だ。この世界に俺たちを毎度毎度引きずり込んでは、紙魚という物語を侵し、『その物語があった痕跡』すら消滅させる存在と戦わせている。紙魚を退治し終えたら願いを叶えてくれるらしいが、いつになることやら。

 本の悪魔の隣には二人の女の子が並んで座っていた。角のある茶髪で色っぽい格好をしたのは俺のキャラクター『レディドラキュラ』アーミリカ、紫の羽と翼を持つピンク髪の少女はシュウと関係のあるらしい誰かのキャラクターライラだ。

「まあ、ちょっとな……」俺がシュウに目を向けると、シュウは鼻で笑って肩をすくめた。

「それは悪いことをしたようだ、特に甲斐造太郎君にはね。さて、話は変わるが『銀河鉄道の夜』という作品は知っているかね?」

「おお、知ってる知ってる! 宇宙っぽい世界を鉄道で旅する童話……だったよな?」

 俺の問いにシュウが頷いて答えた。

「そう、日本の童話であり、その中でも名作と言われる一つだ」本の悪魔は顎に手を伸ばした。「その物語世界にも紙魚で侵されている。かなりひどい有様だ。さっそくで悪いが行ってもらえないかね? おそらく消滅まで一刻の猶予もないとい思われる」

「おう、やるぜ! 今すぐ行ける! なあ、シュウ?」

「……かりんは?」シュウが目を細めた。

「鳳かりん君は別の作品世界に行ってもらっている。浸食もさほど進んでいない世界だから安心したまえ。そちらが終わったら君たちに合流してもらう予定だ。質問は以上かね?」

 シュウが首を縦に振ると、本の悪魔は一冊の本を取り出し、ぺらぺらとページをめくっていく――




 汽車の走る音がうっすらと聞こえた。

 カタンカタン、カタンカタンと規則的な音が近づくにつれ、波音が混ざり込み、いつしか波のさざめきだけが耳の中でうねっていた。




 妙に暑く、気分が悪い。全身から汗がべっとりとにじみ出ていた。

「――ちゃん」

 かわいらしい少女の声が聞こえた。

「お兄ちゃん、大丈夫?」

 肩を揺さぶられて目を開く。ライラとレディ、シュウ、そしてかりんによく似た茶髪の少女が俺の顔をまじまじと覗き込んでいる。

「はっ!? かりん!」俺は飛び起きる勢いのままレディの額に頭突きしてしまい、うめき声を上げて二人して砂浜を転がった。

「何をしている、著者殿よ。痛いではないか。少し心配してやったのに失礼極まりないぞ! それにその子はかりんではない」白い砂まみれになったレディが涙目で睨んできた。

 よく見ればレディもライラも水着姿だ。レディは挑発的な黒の三角ビキニに、ライラは赤のパレオ。俺とシュウはブレザーを着込んでいるというのに……頭が痛いし吐き気もあって死にそうだったが、海で遊ぶ気満々の格好に思わず笑ってしまった。

「わりい、そうだよなレディ。えっと、ここは……海か」

 澄んだ青空、まぶしい太陽、白い砂浜にコバルトブルーの海。熱帯を思わせる森もあり、美しい夏の景色が広がっていた。日本ではあまり感じられないようなカラっとした暑さだが、長袖を着ているせいでプラマイゼロだと言わんばかりに汗が背中を伝っていく。

 ……そういえば、海に何をしにきたんだったんだ?

 鈍い痛みで思考がまとまらず、額をさすっていると、

「いたいのいたいの、飛んでけ」かりん似の白いワンピースを着た少女が俺の額を指先で突いた。

 かりんの背を小さくして目だけ大きくした感じの、満開の花が似合うかわいらしい子だった。肌がワンピースの白さに負けてないほどに澄んだ色で、顔立ちも作り物に思えるほど整っている。

「もう痛くない、お兄ちゃん?」少女が小首を傾げる。

 癒されすぎて痛みも何もかもが吹き飛んでいった。

「かわいい子きた! じゃなくて……もう痛くない。ありがとう! 君の名前は?」

「カンパネルラっていうの。お兄ちゃんは?」

「甲斐浩太郎!」

「そうなんだ、よろしくね。お兄ちゃんたちも遊びに来たんだよね? 早く着替えてきたら? 一緒に遊ぼうよ」

 ああ、俺たちは海に遊びに――

 頷き返そうとすると、シュウが俺の手首を思いっきり引っ張って制した。

「お、おうおう⁉ シュウ、痛いって」

「ライラ、先に遊んでて。レディも。浩太郎と少し話があるから」

 シュウの声音に焦りがにじみ出ていた。汗がひどく、微妙に顔色も悪い気がする。汗は暑いのにブレザーを着ているせいかもしれないが、どこか腹でも壊したのだろうか。

「わかりました、シュウ様。お先に失礼しますね」ライラはそんなシュウを気にも止めずに笑みを浮かべ、レディとカンパネルラを連れて浅瀬に向かっていった。



「浩太郎。いつ水着に着替えたの?」水遊びを楽しむ声を背にシュウが俺の腰部分――海パンを指さした。

 タンスから引っ張り出してきた昔流行った海パンに物申したい、という様子には見えない。俯きがちなせいでわかりづらかったが、シュウの顎がやや震えている。

「いつって……そりゃ、ここに来る前だろ。紙魚も倒したし、元の世界に戻るまで少しだけ海で遊ぼうってなって、水着でここに集合だって言ったよな?」

 俺はそっと海に視線をそらした。楽しそうに遊ぶ三人に混ざりたい気持ちがやまやまだったが、いつにもなく深刻そうに話すシュウも放ってはおけない。

 それにしてもどうしてシュウは水着を着てこなかったのか。暑くて大変だろうに。

 顔を戻すと目の錯覚か、シュウが一瞬水着姿に見えた気がした。

「……ちがうよ」シュウはゆっくりと首を横に振る。「まだ何もやってない。紙魚だって一体も倒してない。本来作品にとって僕たちは異物だから倒し終わったらすぐ帰るし、それにレディはなんであんなに元気そうなの? 日差しは苦手だったよね」

「日焼け止めを塗ってるんだろ。前もそうだったからな」

「じゃあ、かりんは?」

「……見てないな」

「そうだよね。後で来るって言われてたのに来てない。かりんの方の紙魚が終わってなくて、僕たちが終わってるなら、普通、海で遊んだりせずに助けに行こうとするよね? 浸食が酷いって本の悪魔が言ってたのにこっちより時間がかかるなら、かりんに何かあったのかもしれないって考えるよね?」

 珍しくまくしたてるように話すシュウに驚きながらも、思考を慎重に巡らせる。

 言われてみればかりんの姿はない。だが、すでにこちらが終わったと知って合流しなかった可能性もある。シュウが言っていることは憶測だとはねつけることもできるが、親友だから無碍にしたくないし、必死そうな物言いも引っかかるところがある。体調が悪そうなところに突っ込んでいいものかどうか……。海が苦手だから、だったら遊びに行くって言った時点で嫌そうな顔ひとつしていそうだが。

 だから俺のかけるべき言葉は――

「確かにそうかもしれないな。それなら一旦帰るのはどうだ? かりんが簡単な紙魚にやられてたら困るからさ、助けにいっていじってやろうぜ! かりんの水着も見れたら儲けもんだしな」

 シュウはほっとしたように頷いたが、どこか弱々しかった。

 かりんの様子を聞きに行っても、まだシュウの顔色が青かったりしたら、休ませないと危ないかもしれない。

 なんとなく海パンのポケットに手を突っ込んだところで気が付いた。

「なあ、シュウ。変なこと聞いて悪いけどさ、どうやって悪魔の書架に帰るんだったか、覚えてるか?」

「ごめん……」シュウが目を伏せた。


 帰る方法を思い出そうとしても、頭からすっかり抜け落ちていた。


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