レキちゃん、ゴメンね。

「お前、ふざけんなよ、まじで」

シロウの怒りは見たこともないくらいに高まっている。素直に怖い。どれだけ怒っているのか……。私が死のうとしたくらいで怒らないでほしい、もう会うこともないのだから死んだって同じでしょうと、心の中で自分勝手な言い分を並べてみる。サカワケンジは少しも怯えることなく言葉を発した。

「兄貴がキレんの、筋違いじゃん?」

「ざけんな! 女子高生巻き込んで遊んでんじゃねえよ!」

「はっはは、はははっ!」

状況がつかめず困惑する。シロウが怒っている相手は私ではなくサカワケンジのようだ。でもどうして。『女子高生巻き込んで遊んでんじゃねえよ』? 何を言っているのか全然わからない。どうなってるの。戸惑いながらサカワケンジを見る。

 サカワケンジは一瞬だけ私に視線を向けて頷いた。待ってください、意味がわからない。その頷きから何も伝わってこないです。状況は何一つ把握できないまま、私を見るサカワケンジに意図を問おうとした瞬間、シロウがサカワケンジを殴った。目の前で人が人を殴ったという事実に呼吸が止まりそうなほど驚いて、でも止めなくてはならないとだけわかっていた。声なんか出そうになかったけれど、叫ぶような気持ちで名前を呼んだ。

「シロウ!!」

「アあぁ!?」

聞いたこともない低くて獣みたいな声でシロウが私を威嚇する。ど、ど、どうして、どうしてこんなことに、なんで……。

 殴られて倒れたサカワケンジがゆっくり上体を起こすとシロウはすぐにその胸倉をつかんで引き上げた。ぼんやりとした明かりの下でサカワケンジが鼻血を出しているのが見える。

「待ってくださいシロウ、待って、 待っ……」

私がこんなに全力で止めているのにも関わらずシロウはさらにサカワケンジを殴る。怖い、ものすごく怖い、サカワケンジがなぜ抵抗しないのかわからない、この状況がサカワケンジの予想通りなのか、それともシロウが予想を超えて手が付けられなくなってしまったのか、もう何一つわからない!

「シロウってば!!」

喉が割れそうなほどの大声で呼びながら、シロウに思いきり体当たりした。ほとんどタックルだった。ドミノみたいに私、シロウ、そしてサカワケンジが倒れ、シロウが「何のつもりだよ!?」と怒りながら私を見る。

「サカワケンジは私を止めたんです、私が死のうとしたのを止めに来たんです!」

「なに言ってんだ!! 庇っていいことねぇぞ!!」

本当にものすごく怒っている。季節は冬で気温は低いはずだけれど、私の体は熱く、つかんだシロウの手も熱かった。背中の汗が冷や汗なのか、それとも焦りや動揺の汗なのかわからない。ただ全身が沸騰するみたいに熱い。

「本当ですよっ! サカワケンジもどうして黙って殴られてるんですか!?」

「ははは、はっ……、はあ、めっちゃ怒んじゃん、兄貴……」

サカワケンジはなぜか楽しそうなまま起き上がって笑っている。その表情を見たシロウも何かを察して呆けた。

「はあ!? おまっ……え、ら、……はぁ?」

シロウは数十秒のあいだ呆気あっけにとられたあと、自分の携帯を取り出して私に見せた。サカワケンジがシロウに送ったメールの画面。読んで思わずサカワケンジを睨みつけた。

「なんて嘘をつくんですか、シロウが怒って当然ですよ!」

メールの文面は『兄貴がいらないなら俺もらっちゃおっかなー?』と、その下にネクタイで手首を縛られている私の画像とこの廃アパートの屋上からの画像。……サカワケンジはわざとシロウを怒らせたのだ。でもどうして? 理由がわからずまた困惑し始めた私の手首をほどきながら、サカワケンジが笑う。

「これでチャラになんない?」

私ではなくシロウに言っているらしかった。シロウは「アホかよ」と呟いた。サカワケンジが照れくさそうに笑い、シロウが苦笑する。私の心臓は未だに落ち着かなかったが、この一連の流れで、二人は非常に不器用ながら仲直りのようなことを果たせたようだ。本当にわかりにくくて、私はもう二度と男性同士のけんかには首を突っ込まないと決めた。今回だって好きで突っ込んだわけではなく、目の前で始まったからやむをえず止めただけだったけれど。


「ゴメンね、レキちゃん」

「いえ、あの、……ありがとうございました」

「はは。何が?」

「……全部……」

サカワケンジは無言のまま嬉しそうに目を細めた。こっちこそ、と言っているようでもあったし、どういたしまして、と言っているようでもあった。静かに笑んでいれば少しはシロウに似ているのかもしれない。不器用なところも。

「じゃ、兄貴。母さんにはちゃんと連絡してよ」

「あー。……や、殴られ損だろ、お前も殴っとけば?」

言いながらシロウが楽し気に指したのは自分の頬。自分が二発も殴ったのだからお前にも殴る権利があるとシロウは言いたいのだ。もう本当にわからない。男の人がみんなこうなのか、それともこの二人が特別変わっているのかはわからないけれど、本当に理解できない。

 拳で語りすぎじゃないですか? 拳に乗せられる思いにも限度がありませんか?

「まじ? やったじゃん」

サカワケンジもサカワケンジで、ノリノリでシロウに近付く始末。もう放っておいたほうがいいのかもしれない……。フェンスに寄りかかって、意気揚々とシロウを殴るサカワケンジを眺める。二人とも楽しそうで何よりです……。なぜ殴り殴られるのが楽しいのかはわかりませんが……。


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