レキ、メシが終わったら。

 シロウはサカワケンジとの一件以来、なんとなくピリピリしていた。……私が他の人の変化に気付くなんて自分でも驚くことだけれど、それくらいあからさまに空気が張り詰めているということ。なんと言えばいいのか……、気を抜いたらガックリ膝をついてしまいそうな、何かの拍子に割れてしまいそうな感じが、ずっとしていた。

「シロウ、様子が変ですよ。疲れてますか?」

不器用ながら気遣きづかってみても、気遣きづかわれるのが好きではないらしいシロウはかえって居心地の悪そうな顔をする。どうしたら以前の快活なシロウに戻ってくれるのかわからず、私までそわついてしまう。何もできない。もやもやする。

「シロウ、元気がないです」

「元からだろ」

「最近笑ってくれていません」

「元からそんな笑わねーよ」

「でも、シロウ……」

「ヘーキだって。変に心配しすぎなんだよ」

そんなやり取りが一週間程度つづき、……私は、覚悟を決めた。


 夕飯にシロウの好きなコロッケを作った日、シロウの雰囲気が普段より穏やかなのを確認して話を切り出す。

「シロウ。あなたが最近、様子が変なのは、サカワケンジとの会話のせいですか」

「……だから別に」

いつも通りだっつってんだろ、と言うのを遮って、

「家に帰りたいんですか?」

もう最初から核心を突いた。残念ながら心理的な駆け引きは不得手ふえてなんです。直球でしか聞けません。そう自覚しているからこそ意を決した質問だったけど、

「ハァ?」

どうやらまったく的外れだったらしく、シロウは本当に呆れたような顔をした。

「違いましたか」

「……かすってもねぇ」

「弟さんの、お母さんが待ってるという発言が気になっていたのかと思ったんです。シロウは、私に脅されて無理やり、ここに連れてこられたから……」

「……本当にそれだけだったら、こんな和やかにメシってねーだろ」

「じゃあどうして変なんですか」

「…………」

「あなたには家族がいます。私とは違う。そんな簡単な事実が私には見えていなかったんです。反省しています」

シロウは黙ったまま私を見ている。私の言葉をじっと聞いている。

「……あの、なにか言ってください。どうして黙ってるんですか」

私ばかり懸命に話しているような気がして発言を促す。シロウは箸と茶碗を置いて「あのよぉ」とだるそうに言った。

「な、なんです」

「言うことが変わりすぎなんだよ。一人にすンな、ずっと居ろって言っといて、ちょっと家族が出てきたら『帰っていいですよ』? ふざけんなよ」

シロウの目つきが変わる。私をおびえさせるための演技ではなく、本当にいらだっている。私は気付かないうちにシロウを怒らせてしまったらしい。なぜ、どこで。

「シ……」

「つーかよ、俺のこと心配するフリして、本当はソレじゃねえの? 俺も嘘つき野郎だったって知ってイヤんなったんだろ?」

「違います! そんなっ……」

急に饒舌じょうぜつになったシロウの言葉を慌てて否定する。シロウはサカワケンジに見せた卑屈な笑みをまた浮かべた。そんな顔をされるくらいなら怒られたほうがマシ。

「……俺が嘘つきだって知ってどう思ったんだよ」

シロウの顔から笑みが消え、空気がひどく重くなる。回答次第では、シロウは二度と私にいつもの笑顔を見せてくれなくなると予想できた。でもどれだけ考えても回答は一つしか浮かばない。これが正答ならいいのだけど。

 嘘を嫌悪けんおする気持ちにシロウへの好意が勝った。だから私は。

「誰に嘘をついていても、そんなことはどうだってよかったんですよ。あなたは私に嘘をつかない。それ以外のことはどうでもいいと……思い、ました」

「……、……。……自分勝手すぎだろ……」

あのとき、嘘の内容を告白しようとしたシロウはとてもつらそうだった。だから私はシロウの罪の告白を止めたのだ。むりに言わなくていいと抑え込んだ。いま思えば、不思議な話。嘘は自分のためにつくものでしょう? 私が知ってる嘘はいつもそう。けれどシロウは、嘘をついた張本人にも関わらずつらそうだった。

 シロウのためについた嘘ならシロウがつらそうな顔をすることはないはずだった。そして嘘を追及されたら人は怒るもの。少なくとも両親はそうだった。自分のために嘘をつき、それを追及されたら怒った。

 じゃあ、シロウは?

「シロウの嘘は、誰のためについた嘘だったんですか」

「……急に何の話だよ」

「みんな……自分のために嘘をつくんだって思ってました。でもあのときのシロウを見て考えが変わったんです」

シロウは意味が分からない、と言いたげに私を見ている。どんなことを言いたいのかなんて私にもわかりません。口下手でスミマセン、シロウ。でも伝えたいことが頭の中にぐるぐるしていて、全部言ったらその中のどれか一つくらいはあなたに伝わってくれるんじゃないでしょうか? 私、あなたに伝えたい気持ちがあるんです。

「シロウが昔ついた嘘は、誰のためのものだったんですか? 自分のためじゃないんでしょう?」

「……ンで、そんなこと……。俺がついた嘘なんだ、俺の、自分のために、決まってンだろ……」

「嘘はつかないで」

言ったら、シロウがぐっと息をのんだのがわかった。嘘ですね、シロウ。嘘は重なるもの。誰かのためについた嘘の上に、これ以上の嘘を重ねることはできない。保身の嘘は擁護の嘘には勝てない。それは正当性や一貫性の問題ではなく、単純に心理的な強さの話で。

「あなたのための嘘なら……、あなたがつらいのは、変でしょう……?」

思わず笑ってしまった。私は何を言ってるんでしょうか? あなたと出会ってから、私はこんなことばかりです。変なことばかり。

「…………嘘ってのは……」

ぽつりと、きっと霧雨よりも悲しく弱い声でシロウが話し出す。普段の力強く快活なシロウとの落差は私を不安にさせる。シロウ、シロウ。あなたにはいつも通りでいてほしいなんて。

「確かに人を傷付ける。……お前も嘘に傷付けられてきたんだと思う。でも、その裏で、守れるものもあるんだ。それが本人だろうが……別な誰か、だろうが」

それは遠回しで、けれど確かな、シロウが自分以外の誰かのために嘘をついたのだという弁明だった。誰かを守るために嘘をついた。そしてシロウは今もつらい。

「でも結局、嘘を……ついたのは俺なんだ。それが正しかったのかどうか、今でもわからねえし……、その嘘のせいで、ケンだって今でもいろんな、ことを……」

「……シロウ、ごめんなさい」

「……」

「ごめんなさい、シロウ」

私が無遠慮に話を聞きすぎたせいで苦しい記憶を思い出してしまったのだと思った。謝って、この話は終わらせなくては。

「嫌なことを聞いてしまいました。さ、ご飯食べましょう」

 話を変えた、そのとき。パシリと、シロウが私の手首をつかんだ。

「メシ終わったら、話」

……それは『話を聞いてほしい』という意味なのか、それとも『話をしたい』という意味なのか。わからなかったけれど、私は「はい」と頷いた。どっちでもいい。今は言葉を交わすことが大事なんだと、そう思ったから。

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