シロウ、ネギは嫌いです。
レキの親父さんが家に来た日から三日。俺とレキが会って一週間と一日が経った。レキが「お肉が食べたいです」、「今日もお肉がいいです」と、覚えたての肉の味を何度もねだったせいで、多めに買っていたはずの肉はすぐになくなった。冷蔵庫の中にはレキが「嫌です」と拒絶し続けたニラや玉ねぎだけが残っている。……一週間も一緒にいるとだんだんわかってくるが、こいつ、意外と我が強い。自分の意志なんか無いような顔をして、その実、「ネギは
「……あれ、シロウ……お肉が見当たらないです」
冷蔵庫を開けたまま悲し気に言うレキ。肉に対する執着が強すぎンだよ、本当に女子高生かよ。
「そりゃ
「どうしましょう」
「だから今日こそ野菜炒めにすんぞ」
「お肉ナシで、ですか?」
不安そうに言う。……その表情筋、肉を欲するとき以外にも使えよ。スゲー顔に出てんぞ、肉を思う気持ちがよ。
「たまには野菜メインで食え」
今のこいつの体、ほとんど菓子パンと肉で構成されてるんだよな。早く野菜も食ってもらわねーと。
「えっ……やだやだ、絶対いやです」
慌てたように言う。ヤダヤダって。
「ガキかっ! ワガママ言ってんじゃねえ!」
「だって、やですシロウ、せめてお肉も少し入れましょうっ」
高校生のはずなのに、中学生どころか小学生くらいまで退化したようなダダこね方をするレキ。こいつ最近、だんだんこういうコトするようになってきたんだよな……。一回許したら味をしめやがって。そう何度も許すかよ。
「だめだっつってんだろ、野菜だけでも食えるようになれって!」
「し、シロウ……。残酷なこと言わないでください……」
……じっと見つめられ、数十秒。
「クソ……」
負けた、ちくしょう。こうやって折れるからこいつも調子に乗るんだって、わかってンのにああもーチクショー。
「!! シロウさすがです、優しいっ」
俺がおされ負けたことを察し、嬉しそうに言うレキ。なんだって料理に関する話題のときだけはこんなに表情豊かになるんだ? 普段からそうやって感情を素直に
「さっそく買いに行きましょう」
気持ち程度ルンルンしながら財布を持ち、玄関に向かうレキ。今さらだが、会話からわかる通り、この家の通帳は俺が管理してる。最初に買い物に行ったとき俺が商品を選んで会計をしたからだ。だからレキは俺に肉をねだる。他人の家の家計を調整するなんて変な話だ。しかも俺はニートなのに。
口座に金を入れてるのはあの親父さんという話も聞いたので、なんつーか、こう、……無駄遣いはしたくねえ、という気持ちが俺にもちゃんとあるわけで……。
「肉は少しな」
「はい」
素直な返事。まったくこいつは本当にしかたねーな……。
スーパーについて少し肉を買い、ついでに
誰だ? 親父さんの彼女かとも一瞬考えたが声が違う。暗くて顔がよく見えない。……見えないが、その女性の顔を数秒見つめてハッとした。レキに、似てる。
「
ガクガク、レキの肩を揺さぶりながら問う女性。レキはただただ黙っている。
間違いねェ。レキの本当の母親だ。目元が似てる。綺麗な人だが……レキを置いて彼氏をつくり、子どももつくったって人だ。レキはどう思ってるんだ? そういえば母親がいない経緯は聞いたが、どう思ってるかを聞いたことはない。まだ母親として好きなのか、自分を置いて行ったから嫌いなのか。
「離して!」
バチン、レキが女性の手を強く振り払う。そして睨むように俺を見た。そんなキツイ目で見られても。俺、俺はどうすれば……マジで何なんだ、この状況。
「れ、
「レキ、この人……」
お前のお母さんか、と質問しようとした瞬間。レキが走り出した。家に向かっているのはわかるが本気のダッシュだ。嘘だろ、まく気か?! この女性は……、俺はどうしたら、ああ、もう!
「レキ!」
追いかけてレキの腕をつかむ。こいつの足が遅くて良かった……とかいうことを考えるのは後にして、
「待てよ、あの人お前の母親なんだろ?!」
顔がそっくりだからという理由での予想をぶつける。レキはぶんぶんと頭を横に振るが、この反応は確実にYESだ。認めたくないが母親、ってことなのか。
「ばかっ、シロウ! 離してっ!」
初めて聞く大声でレキが俺を拒絶する。くそっ、俺スゲェ不審者じゃねえか。あんま叫ぶなよ、警察とか来て話がこれ以上こじれたらどうすンだ。
「離してください、シロウっ!!」
「おいっ」
「
女性が後ろからレキに抱き付く。うっ、視界がレキと女性でゴチャゴチャするっ……母親が抱き付いたことでレキはより激しく暴れ、俺は手を振り払われた。レキはまた走り出し、追おうとした女性がバタンと転ぶ。……ヒールかよ。
「あの……だいじょぶスか」
しかたなく、といった感情を前面に出しながら女性に手を差し伸べる。
「ご、ごめんなさい。あなた、
女性が顔をあげる。……本当に、レキに似てんな。化粧してるからってのもあるだろうけど、それを引いてもきっと美人だ。髪色は、明るいけど。
……それより。彼氏ではねえ、断じて。かといってなんて説明すんだろ。
「……や、俺は……勉強とか、教えてるカンジ……ッスかね……」
「そうなの……」
わやわやな答え方になったが、女性は一応納得したらしい。
「俺、サカワシロウっていーます。失礼ですが」
名前を問う。たしかレキの名字は、冴木って書いてサエキだったかサイキだったか、そんな感じの名字だ。
「サエキレイナ……、
やっぱりだった。
「あの子に会わせてっ、会わせてぇっ、うわぁあああっ…………」
言いながら突然泣き出され、俺は、こんな町中で感情を露わにして泣き崩れるこの人が、本当にあのレキの母親なんだろうかと、……そんなことを思った。
レキが嫌がるだろうとは思ったが、俺はしかたなく、母親をつれて家に帰ることにした。アパートが見えてきて「あれです」と指すと、母親は「あの子、ひとりでこんなところに住んでるの……?」と小さな声で言った。
「……ご存知なかったんですか」
「全然……急に、家からいなくなってて……」
家からいなくなって? レキの話では、母親が先に出て行って、って感じだったけどな。でもあいつは俺に嘘をつかない。隠し事はしても嘘だけはつかない。俺もレキにそう誓ったのと同じに。
母親の不安げな表情、左手のナイロン袋。鳴くカラスと夕焼けの赤。なまぬるい風に頬を撫でられながら、ドアノブに手をかけた。
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