シロウ、なんで泣いてるんですか。

 親父さんと彼女が帰ったあと、レキは「今日はご飯、何にしますか」と普段通りの声色で言った。普段通りの声というのはつまり、無感情で平坦な、とくにどんな色もない声ということだ。

「今日も野菜炒め」

俺は動揺をさとられないように気を付けた。レキの気持ちをどれだけ真面目に考えてみたところで明確な回答は出てこない。

「またですか。お肉多めにしたいです」

「肉なくなるだろ」

「そしたらまた買えばいいじゃないですか」

 なに普通に会話してんだよ。夕食の話なんかしてる場合じゃないだろ。悲しかったんじゃないのか。だって泣きそうだった。つらかったんじゃないのか。だってすぐに返事できなかった。嫌だったんじゃ、ないのか。……だから俺に念を押した。

「お前、泣きたかったんじゃねえの?」

ぽろりと、本当についうっかり、思考がそのまま声になった。言っちまった、と思う半面、聞くなら今しかないというような気もした。しかしレキは表情を変えない。質問の意味がわからないらしかった。

「なんでですか?」

否定じゃなくて質問返しときたか。これは本当にわかってないのか。マジで泣きたいわけじゃなかったってことか? あんな顔しておいて?

「泣きそうな顔してたからだよ」

「そんな顔してましたか」

うなずく。レキは「じゃあそうかもしれないです」と他人事のように返す。そうかもしれない?

「……ンだよ、それ」

曖昧あいまいな会話にイラ立つ。

「もうわからないんです。だって泣いても帰って来ないんですよ」

誰も、とレキが言い、俺はまた言葉を失う。

 泣いてたんだ、昔は。今はこうして感情表現が下手になったこいつも、昔は誰かの帰りを待って泣いてた。おそらくは長い時間。ずっと一人で誰か待ち人が帰ってくるのを待ってた。でも誰も帰って来ない。だからこいつは、泣いても無駄だって思って……違う、、泣くのをやめたんだ。そしてさっきも同じような理由で泣かなかった。

 こいつが感情をうまく外に出せない、その理由を深く、考えたら。

「シロウ?」

俺を見るレキの目が少し見開かれる。

「シロウ、なんで泣いてるんですか」

……頬に触れたら濡れていた。俺、泣いてる。マジでなんで……や、泣いて当然かもしれねー……。俺は確かに涙もろいが、例えば俺が涙もろくなくたってきっと泣いてただろう。

「お前も泣けよ」

理不尽に言いながらティッシュで涙を拭く。レキは少し笑った。

「理由もないのに泣けませんよ」

理由はあるだろ。本当はお前が泣くはずなのに。怒りなんだか悔しさなんだかわからない感情が全身に満ちる。泣けば、いいのに。

 泣いたら俺はお前をなぐさめてやれる。お前と違って全力で、うまくフォローしてやれるのに。


 レキはそれ以上、父親とその彼女については話さなかった。話したくないというよりは本当にどうでもいいんだろう。こいつにとって一番大事なのは今いる俺だけで、帰ってこない上に彼女を最優先する父親のことは、別に長々と話を続けるほど大事ではないのだろう。イラ立ちと同情のちょうど中間にあるような気持ちの悪い感情が、ずっと心臓に絡みついてる。

 そしてもう一つアタマを支配する考え。

 誰でもよかったんだな、こいつ。ずっと家にいて自分の『おもり』になってくれる人間なら誰だってよかったんだ。たまたま、それが俺だったってだけ。

 俺じゃなくてもよかった。当然だ。当たり前すぎること。


……なのに、なんでこんなに、むかつくんだろうな。

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