シロウ、問4がわかりません。

 レキの家に来てから三日目の夜、クイズ番組を見ていた俺に、レキが表情を変えないまま質問した。

「それ、おもしろいですか?」

「まあ……」

テレビ以外にひまをつぶすもんがねーから、天井や壁を見てるよりは面白いわな。

「わかる問題、出るんですか?」

「地理とか科学はわかるだろ」

テレビから視線を外さずに言ったが返事がない。不思議ふしぎに思って振り返る。レキはテーブルに片肘かたひじをつきながら「頭、いいんですねえ」とつまらなそうに言った。

「別に普通だったけど」

「私にわかる問題は一つもないです。全然おもしろくないです」

「……。……お前、一昨日おとといだかに諦めた問題、見せてみろよ。高校生レベルならまだ解けるかもしんねーから」

いわゆる気の迷いで俺がそんなことを言ったために、その日の夜は勉強会になった。


 レキがわからないと言っているのはかなり基本的なところで、しかも公式は完璧に覚えていた。なぜ問題が解けないのかと言うと、「問題文の意味がわかりません」。……要は、『展開せよ』、『証明せよ』と書かれた問題をどんな形にすればいいのかわからない、ということだった。

「ここはこの公式をつかうんだよ」

「じゃあこうして、こうして、こうですか」

「そうそう。次の問題は応用だから、ルートの中で分数にして……」

「あ、じゃあ、6の約分で……これで合ってますか?」

「えーと、問2の4番だから、……お、正解」

レキは理解が速く、やり方を教えればどんどんコツをつかんで問題を解いていった。わからないって言ってたけど、わかんねえんじゃなくて、単純にコツを知らなかっただけって感じだ。昨日も思ったが、こいつは基本的なことさえ教えればちゃんとできんだよな。……なんで知らないのかは疑問だけどよ。

「シロウは勉強もできるんですね。それに、……面倒見がいいです」

「はー? そーか?」

「そうです。お米の炊き方も数学の解き方も、一から十まで教えてくれるでしょう。きっと先生とかに向いてるんです」

「ああ俺、二つ年下の弟いんだよ。だからかもな」

「弟」

レキが顔をあげる。気になるような顔をしていたので、なんとなく弟について話してみようという気になった。……普段はあんま、弟の話って、したくねーんだけどな。変な話、こいつにはしてもいいかって思った。

「スゲェ優秀だよ。いま大学生でさ、俺みてーに短気じゃねえし、要領ようりょうも良くて……ホント、優秀」

「シロウだって頭はいいんじゃないですか?」

「全然だっつの。大学行けるよーなアタマ持ってねえよ」

じっと、レキが俺を見る。う、と思った。なんでそんな見つめるんだよ。……なんでずっと、見つめるんだ。

「本当に、アタマがないから、大学に行かなかったんですか」

「……」

嘘だ。高校生だった俺は、不真面目ながらも弟の学費のことを考えた。国公立なんか行ける頭はなくて、でも他の大学じゃかかる金のケタが違う。弟は中学で成績トップで、将来は良い学校に入れるだろうと言われていた。何もかも中途半端な俺を大学に行かせるよりも、優秀な弟を大学に行かせる方が正しい判断だった。

「シロウ」

「…………」

これ以上聞くなよ。その辺あんま、深く考えたくねェんだよ。ズカズカ聞いてくるんじゃねえよ。それ以上聞かれたらキレちまいそう、とうつむいた俺にレキが投げかけたのは、このタイミングでは不自然な、

「問4がわかりません。これはどうするんですか」

という質問だった。

「は……問4……。これは……さっきやっただろ、この式で一回直してから……」

「ああ、そのタイプの問題ですね」

……俺が不機嫌になったからわざと話を変えたのか? そんな器用なこと、こいつにできるのか? でも助かった。これ以上突っ込まれたくない過去だ。


 数学を解き終わり、レキが問題集をかばんにしまう。

「ありがとうございました。次回のテストは少し成績が上がりそうです」

「おー」

成績が上がったからって、こいつは喜ぶんだろうか?

「あのね、シロウ」

突然そんなふうに話しかけられて、ドキリとした。一瞬で、変に体が緊張する。

「……なん、だよ」


「隠しごとはしてもいいです。でも私に嘘をつくのはだめ」

レキの視線はいつになくまっすぐで、まるで俺の両目から入り込んで心臓にくいを打つみたいな鋭さを持っていた。こんなガキに言い聞かせられてなんで、こんな動けねえんだ。

「他の人にはいいけど、私には嘘をつかないでください」

「…………」

なんでだよとか、俺の勝手だろとか。偉そうなんだよ、何様のつもりだよとか。言いたいことはたくさんあったのに、なんでだろうな。そう俺に言い聞かせるレキの目はまっすぐなのにどこか不安定で、ここで俺が拒否したら泣きそうだなコイツ、なんて思った。感情なんてあんのかねえのかわかんねえヤツなのに。

 でもなんか、泣きそうだから。無表情なまま声も出さずに泣きそうだから、しかたなく。

「わかったよ」

お前にだけは嘘をつかないと、俺はレキに約束した。

「私もあなたに、隠し事はしますけど、嘘は絶対に、つきません」

レキは安心したように笑んだ。

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