シロウ、逃げたらだめですよ。

「おはようございます。よく寝れましたか」

起き上がるとリビングのテーブルでメロンパンを食べているレキと目が合った。……朝から菓子パンか。いや、俺も菓子パンを食べることになるんだろうけど。

「余計なことすんなよ」

毛布をつまみあげながらにらむ。俺は自分で言うのもなんだが目つきがかなり悪い。普通に見ていてもにらんでいると間違われるし、本当ににらんでみると結構使える、……はずなんだけど。

「余計でしたか? シロウ、髪も乾かさなかったので、冷えると思ったんです」

こいつにはまったく効いていなかった。初めて会ったときも思ったが、……こいつ、俺みたいなタイプをまったく恐れない。なんつーか、……俺みたいな人種じんしゅをあまり知らないんじゃねえかと思う。

「お前さ」

レキに文句を言うのは諦めて、冷蔵庫を開ける。大量の菓子パンの中から甘さ控えめそうな……コーヒーなんとかパンを取り出し、包装を破る。

「これからどうすんの?」

俺みてーなヤツを家に置いといて何がしたいんだ、という意味の質問だった。しかしレキの口から出てきたのは非常に平凡な、

「私は学校へ行きます」

という回答だった。

「そうじゃねーよ」、お前の一日のスケジュールなんか気にしてねえから、「この後俺をどうしたいんだって」。

「あなたは家にいてください」

「はあ?」

意味が分からず顔をしかめると、レキは少し考えてからこんなことを言った。

「私、さみしいんです。誰かがいないと死んでしまいそうなんです。だからあなたをそばに置くんです」

……嘘だな。

 誰かがいないと死んでしまいそうだから俺をそばに置く? 違うだろ。逆だろ? ほっといたら俺が死にそうだから、そばにいようとしてるんだろ。


 こいつがどうして、俺みたいな先のない人間を生かしておこうとするのかはわからない。でも、理由は何であれ、こいつは俺を家に置いておこうとしてる。俺はなんでだろう、それが少し、心地よかった。……情けない話だけど。

「……でも俺、生活費なんか入れられねーぞ。無職だし」

「それは大丈夫です。お金なら毎月余ってるくらいなので」

「そりゃ、菓子パンばっか食ってたらそうだろうよ。女子高生だろ? 何かしら作って食えばいいのに」

言うと、レキの咀嚼そしゃくがピタリと止まった。目が合う。……なんだ?

「……んだよ」

ゴクン、口の中のメロンパンを飲み込んだあと。

「じゃあ料理、してください。それならヒモでも気にならないでしょう」

……ヒモって言い方はさすがにこう、男としてのなんか、プライドみてーなもんが、……いや、まあ無職で女子高生の家に入りびたってたら確かにヒモなんだけど。

「ヒモはやめろよ」

「? わかりました。じゃあシロウ、行ってきます」

テーブルを立って軽そうなかばんを片手に持ち、玄関へ向かうレキ。行ってらっしゃいとはさすがに言えず、「おお……」とだけ返す。玄関でローファーをはいたレキが振り返って、ちいさく笑った。……思えばこれが、こいつの笑顔を初めて見た瞬間だったかもしれない。

「シロウ。逃げたらだめですよ。あの辺には監視カメラがあるんです。あなたがあそこで怪しげな薬を買って口に含んだって証拠があるんですからね」

「…………」

心なしか声も楽しげで、俺はそのとき、もしかしたらこいつはこうやって俺を動揺させ、苦しませるために家に住まわせるんじゃないか、……なんてことを思っていた。


 レキが学校に行ってから俺はしばらくリビングでテレビを見ていた、が、あんじょう数十分で飽き、家の中を軽く見てみることにした。風呂場と寝室は昨日見たが、それ以外の部屋は見ていない。レキの部屋には鍵がかかってるし、俺だって、女子高生の部屋をのぞき見るような趣味はぇ。

 初日で感じた生活感のなさは改めて観察しても変わらず、例えば漫画本やゲーム、飾るためだけのマスコットや置物さえ一つも見当たらず、当然のように、家族写真や思い出の品のようなものも見当たらなかった。……俺の家にはあったけどな。普通はないのか? や、逆だな。この家が普通じゃないんだ。

 ……俺の家で、俺が高校生の頃は。カレンダーには各人の予定が書き入れてあったし、漫画やゲームもリビングに置きっぱなしだった。母親が趣味で買ってくる小さなぬいぐるみとか、弟がガチャガチャでゲットした変なミリタリー小物とか、とにかくそこかしこに置いてあった。家族写真や、小学生のときにもらった賞状もリビングにずっと飾ってあった。……恥ずかしくて友達は呼べない家だった。

 そんなだから、当時は自宅をうざったく思うときもあった。でもこうして何もない殺風景な家を見てみると、こんな家はちょっと、……さみしすぎんじゃねーか。



 レキは午後五時ちょうどくらいに帰ってきた。……ガチャガチャッとあわただしくドアを開けて、開口一番かいこういちばん、「いますか、シロウ?」。

「おわ、意外と早ーな」

俺が高校生の頃は寄り道ざんまいで、夕飯なんか外で済ますのもザラだった。やっぱそのへんは真面目ちゃんか。

「……ただいまです」

息を整えてからそう言ったレキを見て、あれ、こいつ走ってきたのか、とわかった。そういえばドアの開け方も乱暴だった。それにタダイマより先に俺の名前って。

「お前、なに急いでんの?」

「あなたが……逃げてるかもと、思ったから」

「朝あんだけおどされてか?」

「もしかしたら私みたいな小娘の悪知恵なんか、気にしないかもって……授業中に、思って」

や、授業には集中しろよ。別に俺が言えることじゃねーけど。授業中まで、そんなに心配なもんか? 無表情でわかりにくい奴だと思ったら、ヘンなところで笑ったり、焦ったり。

「お前、ヘンなヤツな」

「……そうでしょうか?」

レキはよくわかっていないようなトボけた顔で首をかしげた。

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