【I-043】大統領の子息

 「本当に良かったんだろうか……」

 通された応接間の長椅子に腰掛けてからも、彼はぶつぶつとそのような事を言っていた。後ろに控える騎士が、また少し呆れた表情で諭す。

 「もう来てしまったのだから、今更ごちゃごちゃと言うな。それに、その神器に付随する石が手に入るだけでも、収穫だろう」

 「それはそうだけど。三大兵団を連れてくる意味まであったのかな……」

 ヴィクトールは向かい側の壁に掛けられている歴代大統領の肖像達を眺めながらも、珍しくも確信が持てずに溜め息をついた。

 ……大々的にここを訪れれば、折角この街に集まった大勢の人間の目は、武芸の試合よりも自分に向いてしまうだろう。ゆえにまた人数を抑えてひっそりと隠れるようにやって来たものの、何故だかどうしても三大兵団のどれかを外すことに抵抗があった。

 「最近は、魔術元帥の立てた作戦でないと自信がないのか?」

 アルベールがそのように言うので、ヴィクトールは思わず振り向いて彼の顔を確認してしまう。……彼女とあのような関係に陥ってしまった事を、そんな話には疎いはずのアルベールが掴んでいるとは思えないが。

 「……そうじゃない。ただ、勘で決めるのもどうかと思ったから……」

 「古き時代の戦は、占いやまじないで方向性を決めていたものだ。……それらよりもお前の勘は当たる。フィジテールの時もそうだっただろう」

 そのようにアルベールが励ましてくれるので、ヴィクトールはひとまず余計なことで悩むのはやめようと決断した。……そこへ、扉が叩かれる。見張りの兵が出てきて大変緊張した様子で敬礼をした。

 「グランフェルテ七世陛下、大変お待たせし、申し訳ございません。マリユス氏の到着でございます」

 ……ややあって、その兵士以上に身を硬くした様子で入室したのは……十四、五歳の、まだ年端も行かぬひとりの少年であった。しかし、その顔を見てヴィクトールは怪訝な表情になり、斜め後ろの騎士を確認するようにちらと見る。……アルベールも同じく、不思議そうに彼の顔を眺めていた。

 大統領の息子マリユスはまず扉のところで、地に擦り付けそうなほどに頭を下げ、それからグランフェルテ皇帝の姿を一目確認するなり、下唇を切れそうなほどに噛みしめながらまた俯き、不自然に歩きながら向かい側の長椅子へやってきた。そして相手の顔もろくに見ないまま、またがちがちに固まって敬礼をする。……それほど緊張するなら何故仰々しく後から来るような演出をするのだろうと思いながら、ヴィクトールはその少年を探るようによく観察する。

 「……別人のようだぞ」

 彼はまず後ろの騎士にそのように囁いた。その間に少年は声を絞り出すようにして挨拶を始める。

 「は、遥々お越しいただき、本当に……ありがとうございます。わ……私は、フェルブル大統領マラブレラの次男、マリユスと申します」

 何か発表の舞台で台詞を言い終えたような少年の姿を前に、ヴィクトールはあまりにこうして威圧感を与えすぎるのも哀れだと感じ、背凭れから少し身を起こした。

 「……それほど硬くなるな。ここに私を呼んだのには理由があるだろう。まずそれを話してもらえるか」

 「は……」

 マリユスは呼ばれた客人の方であるかのように、申し訳なさそうに長椅子へ浅く座ると、ひとつ息を吞んでから話し出した。

 「……つ、拙いながら、この度……我が国の伝統として残る武芸を世界に広めるべく、かつてなく、大規模な大会を行うことを、私が企画いたしました。……そ、それで……今、その世界に御名を馳せられているグランフェルテ七世陛下に、是非とも、ご覧いただきたく……」

 「そうではない」

 説明を聞いているのも億劫になってきて、ヴィクトールは相手の言葉を遮った。マリユスはびくっと身を竦めて、碧緑の目を見開いて真紅へ返す。

 「えっ、あ……」

 「真の理由がある筈だ。そんな下らない名目の下に埋められた本当の目的がな。……だからこそ父親である大統領にも、私がここに来ていることを隠しているのだろう?」

 「……」

 俯いてしまった少年は、今このように感じている筈である。……どうして、悟られてしまったのだろう。父に何も説明していないことも、知らせていないはずなのに。……とにかく全てがお見通しであるということを覚悟したマリユスは、少しだけ緊張を追い出すように軽く息を吐き出して、また口を開いた。

 「……はい。本当は……お守りいただきたいのです、このフェルブルを。父マラブレラは……長くこの国の大統領を務め、世界の情勢が見えておりません。それを手伝う兄も……」

 昔から豊かで平和な自国内にしか目が行っておらず、怠慢になっていると。傲然たるエクラヴワ大王国がいつこの土地にまで侵出してくるかくるか判らないのに、あまりにものんびりとして、国民から上がる不安の声も軽視している、その現状を変えたいのだと。このような武芸大会を開いたのも、強者を集めて兵力を増強し、他国に対抗できる力を付けようとしたからなのだと彼は語った。

 「ふうん……」ヴィクトールは顎に手をやってそれを聞いていたが、ちらと相手を見て、少し不敵に笑む。「……だが、本当に脅威だと感じているのは、エクラヴワではないのだろう?」

 「……」

 マリユスはまたも、ひどく気まずそうに下唇を噛んで俯いてしまう。……しかし、真に恐怖するその存在の懐に、ならば逆に飛び込んでしまおうと画策する豪胆さは、なかなか侮れぬものだとヴィクトールは感じた。

 「目を掛けてやるのは構わない。但し幾つか条件がある。ひとつはその大会の優勝賞品となっている『妖精の涙』……」

 背後のアルベールが書束を机に出す。……魔術元帥が集めた、その名の宝玉が伝説の神器<グロワール・ド・ディジョン>に付随するものであるとの証拠資料である。マリユスはそれに目を通すと、青ざめ始めた。

 「……それは伝説の神器と同様、我がグランフェルテの所有物となる。誰の手に渡るかも判らぬ賞品というような、ぞんざいな使い方をして頂いては困る訳だ。即座に返却して貰おう」

 「……」

 マリユスは返事をしないのか、出来ないのか……ただ、またも俯いている。ヴィクトールはどうにも相手をただ虐めているだけのような気がして、このまま交渉を続けることにさえ疑問を感じた。

 「……次に、我が国と提携したいなら、大統領を通す事だ。其方はフェルブル元首の息子ではあるが、この国を動かす裁量権はない筈。そのような者から何であろうと話を持ち掛けられて、こちらとしても困るのでな」

 「……」

 顔を上げられぬマリユスの様子を確認し、やはりここへ来たのは無駄足だったのか……とヴィクトールが後悔し始めていると、相手はおずおずと漸く返答をする。

 「……あの、必ず……ふたつの条件ともお守りします。ただ……この武芸大会が終わるまで、お待ち頂けないでしょうか」

 勿論、『妖精の涙』は偽物にすり替えておくと、マリユスは必死で語る。

 「父には、この大会の開催さえ反対されていました。そこをどうしてもと漕ぎ着けたので、何としても成功へ導かなければ、私は……養子なので、すぐに縁を切られてしまうのです」

 彼は両拳を膝の上で握り、震わせた。

 「……そうすれば陛下にお守りいただくどころではなくなり、フェルブル国も、何も変わりはしませぬ。どうか、どうかあと四日だけお待ちを……!」

 何とも年相応の少年らしい、綻びだらけの策略である。そして、彼が本当に危惧しているものは、フェルブルの未来ではなく、彼本人がその肩書を失う事であろう。……だが、それを踏台としてこれだけ大規模な催物を企て、世界中の戦士たちの注目を集める事に成功しているという事実があれば、この少年の将来はまずまず有望なものではないかとも感じられた。

 「……判った、それまで待とう。其方の企図が父大統領の胸を打つものになるかどうか、私も陰から見届けておこう」

 「……あ……」

 マリユスは自らの決死の訴えが、思っていたよりもすんなりと届いた事に驚き、暫し絶句してしまう。

 「あ……有難う御座います!!か、必ず、成功に導きます……どうか今暫くお待ちを!」

 立ち上がったマリユスは、再び応接机に頭をぶつけてしまいそうな程に礼をする。では我々も今日は休ませて貰おうと言って、ヴィクトールも立ち上がり、アルベールを伴って今度は先に退室した。

 「……意外だな。短気なお前の事だから、そんなに待てんと怒り出すかと思っていた」

 廊下を歩きながら、アルベールがぼそりと溢す。

 「たかが四日も待てない狭量で、世界を覆せるか。……それに、俺もあのくらいの歳で革命を起こした。懐かしくなってな」

 マラブレラ大統領は恐らく、嫡子である長男は自らの側に付けて可愛がっているのだろうが、養子だという先ほどの少年の事は、やや疎ましくしているのだろう。哀れではあるが、その逆境こそが人間を強くする。……マラブレラが彼を捨てるような事態になれば、自分が拾っても良いかもしれない、とヴィクトールは思った。

 控室に戻ると、そこに待機していた技術・魔術両元帥が敬礼をした。応接の卓に集まり、アルベールが先の会談の経緯を話すと、サイラスは感心した。

 「おお、そのような少年がこの大会を主催しているとは。若いからこその大胆ですな」

 「ウィンバーグ元帥は、無謀と仰りたいのでしょ」メイリーンは相変わらずの彼の軽い話しぶりに呆れる。「しかし、十四、五といえば周りは見えぬ年頃。わたくしも自身の万能感に酔いしれていましたわ」

 「はっはっは。まだ十九歳のドゥメールに、そのように達観されてはな。私など二十七でまだ夢見ているぞ」

 ふたりの歓談の合間を見つけると、アルベールは先ほどの少年を見て疑問に感じていた事を口にする。

 「あの大統領の子息は、どう見ても……エクラヴワの第三王子が連れている少年に瓜ふたつだ。何かの罠ではないかと考えてしまったのだが……別人なのか?」

 「ああ、波長は似ているけど、全く別のものだったからな」ヴィクトールは紅茶に口をつけながらそのように言う。「生き別れた双子だか、他人の空似だかは知らないが。奴らとの繋がりも感じられなかった。そこはあまり気にする必要は無いだろう」

 波長とやらで人の区別がついてしまうのなら、この皇帝の前では影武者も立てられぬと三元帥は少し萎縮した。

 「……やはりヴィクトールの勘には並外れたものがある。それならばこれから、三大兵団の対応に値する何かが起こる可能性は十分にある。我々も気を引き締めて待機を続けよう」

 今夜のところは街外れに停泊した船に戻ろうと、サイラスが馬車の手配をしようとしたところ、ヴィクトールが立ち上がった。

 「待ってくれ。今のうちに会場の視察でもしておこうかな。明日頃からは整備や飾り付けの人間も入るだろうから」

 では護衛をとアルベールが付き添おうとすると、ヴィクトールはそれを制する。

 「アルは来るなよ。ただでさえ目立つのに、その金髪が付いてくると余計だ。それに、そこで闘おうとする者の生き様にゆっくりと思いを馳せたいからな」

 流石にこの姿では本番を見る訳にはいかず残念だ、と言いながら彼が扉の向こうへ消えてしまうと、アルベールはまた勝手な事をと呆れ、サイラスはあのお強さなら大丈夫でしょうと笑った。そしてメイリーンは……その扉を、意味深長な漆黒で見つめていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る