【I-042】花火の夜に

 扉の向こうにいたのは、レオナールの見た事のある人物……赤茶の髪を肩で切り揃えた、品のある青年だった。

 「あれ、おめえ確か……」

 「ああ、ジュリアンと言うんだ」

 彼はそう名乗ってにこやかに右手を差し出してきたので、レオナールも思わず名前を告げて握手に応じた。

 「……実は、とても気になる情報を掴んだんだ。それを彼女……マリーにどうしても確認したくて、随分と探した」

 それを受けてレオナールが、後ろを振り向く。……そして背筋を凍らせて、また前を向いてしまう。

 「……あ、あの……ちょっと、本人が乗り気じゃねえみてえなんだけど……」

 「そんな事を言っている場合ではない。それに廊下では出来ない話だ。……大変に無礼なのは承知しているが、入れてくれないか」

 ……何とも返答に困っていると、レオナールの背後からわざと靴音を高らかに鳴らすようにして、マリーが迫り、彼の身体を押し退け、ジュリアンと対峙した。

 「気持ちが悪いわね……もう、関わらないでと言ったでしょ!?宿までわざわざ……」

 「違うんだ、マリー。実は……」

 ジュリアンは彼女の勢いに押され気味になりつつも、周囲をよく確認する素振りを見せ……小声で、続ける。

 「……帝国が、ここに来ているかもしれないんだ」

 「……!」

 思わず固まってしまったマリーの横から、先ほど突き飛ばされて転んでいた体勢から慌てて起き上がったレオナールが、驚きの表情でジュリアンを覗き込む。

 「な……何だって?帝国が来てる!?」

 「しっ」

 ……ジュリアンは口に人差し指を当て、とにかく確認したいと言う。レオナールがマリーを見ると、彼女は渋々というように踵を返し、部屋の一番端のスツールへ座った。

 ジュリアンはレオナールに勧められて応接の長椅子へ腰掛けると、少し姿勢を正す。

 「……申し遅れて済まない。私はジュリアン・パトリック・ランベールという」

 「ランベール?」

 どこかで聞いたことがあると思って、レオナールは眉間に皺を寄せる。……すると窓際のシーマが口を開いた。

 「……エクラヴワ南西にあるノアモンド王国。……その事実上の政治的権力を握るのが、ランベール家だ」

 「ああ!」

 レオナールは思い出したように、ぽんと掌を拳で打った……が。

 「ええっ!?……そ、そんなヤツがどうしてここに?」

 自分の肩書は忘れて、彼がそのように問うと、ジュリアンはまた上品ににこりと笑んだ。

 「……ご存知だと思うが、組織を率いているんだ。国のことは父がやるので、比較的自由が効く今のうちにな」

 その名を、中立組織クウラージュといった。ノアモンドはエクラヴワ領であるが、他の国のように派遣兵を置かれ支配されているのではなく、独立国に近い自由な動き方を任されている。ノアモンドには大きな武芸学校と魔法学校があり、その二大勢力こそが、やがて兵力となる優秀な人材を多く大王国に送り出しているからだ。エクラヴワに支配された当初のノアモンド王家の失態を、この二つの学校組織が覆した形になる。

 その武芸学校の理事長をジュリアンの父ランベールが、魔法学校の理事長を、彼と行動を共にする女性ジゼルの母が務めている。元から幼馴染であったジュリアンとジゼルはこの大帝戦争が始まってから、世界の人々が恐怖に眠れぬ世を無くすことを目標に掲げ、活動しているという。

 「それじゃ、要はオレ達と目標は同じじゃねえか。なあマリ……」

 レオナールはマリーの方をちらと見たが、恐ろしい殺気に気付いてすぐジュリアンに視線を戻した。

 「……で、その流れで帝国の情報を掴んだって事か」

 「そうだ。……組織の一人がそれらしき軍服の兵を見たというのだが、まだ確信が持てない。だから確認しに来たのだ」

 ジュリアンはその出で立ちの特徴を話した。……そっぽを向いていたマリーだが、一応は聞いていたらしい。

 「……確かに、帝国技術兵団のものと一致するわね。でも、何かの罠だったら?……例え本物でも、あなた達に何か出来るの?」

 「勿論だ」ジュリアンは立ち上がる。「……有難う、マリー。それが判れば、あとは何とか接触して交渉に漕ぎ着けるだけだ。……無論、その軍服が本物であるかどうかも確かめないとな。出来れば君が同行してくれると助かるが……」

 冗談じゃないわ、とマリーがまた顔を背けると、ジュリアンは少し困り顔になり、またレオナールの方に顔を向けた。

 「……では、君たちが確認してくれないか。協力しよう。同じ目的で動いているのだろう?」

 「えっ……」レオナールは、しかし戸惑ったように眉を寄せる。「……そりゃ、追ってねえのにアイツらが来てるんなら、運がいいっちゃいいのかもしんねえけど……」

 「頼んだ」ジュリアンは張り切って彼の手を取り、焦茶の誠実そうな目を向けてきた。「必ず、知らせてくれ。我々の泊まっている宿はここだ」

 彼はその宿の案内図をレオナールに手渡し、部屋を去っていった。唖然としているレオナールにジャンが寄ってきて、その地図を覗き込む。

 「なんか、凄え出会いばっかりだぜ。……でも、あいつ結構、品よく見えて強引だよな」

 「……やるの?レオ……」アナが不安そうに彼を見つめる。「今、出ていったところで相手にしてもらえないんでしょ?……それより、三日後は試合だし……」

 ……そんな事は一番、レオナールが心配している。しかしあの好青年の言う事を無視するのも気が引けるし、もしも本当にグランフェルテ軍なら、この機会を逃してもいいのかと迷ってしまう。それに、帝国がフェルブルと何らかの交渉をしているとなれば、この武芸大会が開催されるかどうかも怪しい。

 (……そもそも、この大会自体が、何か仕組まれたモンなのかな……)

 ……ジュリアンも帰ったことなので、マリーの顔色を見て決めようとそちらを向くと、彼女の方からこちらに歩み寄って来るところだった。

 「……行くわよ。早くしないとクウラージュに抜け駆けされるわ」

 「……え?抜け駆け?」

 「そうよ。リュック、あなたも来なさい。ついでに大統領の息子に会いに行くの」

 彼女はそこにいたリュックの胸倉をぐいっと掴んで立ち上がらせると、彼が昼間使っていた鬘を取って、乱暴に被せた。……レオナールはそれを見て、かつて彼女と交際していたという勇猛果敢な人物に、尊敬すら感じたのであった。



 三人は、祭り騒ぎの街を潜り抜けて公邸脇の雑木林へ身を隠した。……まだまだ、この景気の良い花火の連打は続きそうである。

 「……あの人、やっぱり間抜けてるわ。どこでその服を見たのか言わないんだもの。でも……本当に来てるなら、この公邸のはずよ」

 マリーはそう言って、そこを囲む石壁に張り付いた。レオナールとリュックも、慌てて彼女に倣う。

 「……あのよ、マリー。おめえに確認してえ事、色々あんだけど……」

 レオナールはここまで黙ってついてきたが、ようやくその機会を得たと思って、話し出した。

 「あのジュリアンっての、いいヤツそうじゃねえか。何でそんなに毛嫌いすんだ?」

 「うるさいわね。考え方が合わないって言ったでしょ」

 城壁を上る方法を探るように目線を上に向けながら、そう言い捨てる彼女に気づかれぬよう、リュックはレオナールに顔を寄せると「女性は、難しいんですよ」と囁いた。

 「……じゃあ、別の質問にすっけど……もし帝国軍がいたとして、前にも言った通りオレは相手にされてねえんだ、アイツに。だから今回も難しいと思うんだけど……おめえは、大丈夫なのか?」

 マリーはきっ、とレオナールに銀を突き刺すと、うんざりするように言う。

 「確かに、私は裏切り者よ。でも、やるしかないから来たんでしょう。あなたには覚悟が足りないのよ」

 「……」

 「……命を取られる恐れは少ないと思うわ、あなたがやるよりね」

 それには自信があるというように、彼女はまた唇の端を上げて見せた。……そうなのだろうか。マリーは配下だったから、あの炎の気迫を前にしてもレオナールほど恐怖しないのだろうか。しかし少なくとも、帝国を裏切った者が皇帝の前に顔を出せば捕らえられてしまうのではないか……とレオナールは不安で仕方なかった。

 「……見て、あそこに梯子があるわ」

 ……彼女の指す方向には確かに壁沿いに梯子が掛かっていたが、そこに見張りが一人、配置されている。

 「リュック」マリーは突然、指名する。「あなたの作戦を試す時よ。花火の鳴る瞬間をよく見てね」

 「えっ!」リュックは驚き戸惑って、碧緑の目を真ん丸にした。「……もしかして、さっきの窓割り作戦の前に言ってたやつですか……?」

 「そうよ。……失敗しても大丈夫、その時は私たちが処理するわ」

 マリーはそう言って勝手にレオナールの肩を叩く。……ここでまごつくのはあの兵士に追われるよりも怖いような気がしたので、リュックは恐る恐るではあるが、懐から杖を取り出した。

 ドォン。……ひと際大きな花火が、鳴る。彼はその轟音に気を取られて間違えないように細心の気を使いながら、呪文を唱えた。

 衝撃波が、兵士の鳩尾を直撃したようだ。少し酔っ払っていたらしいその兵士は、持っていた酒瓶を落とし、ぐえっと今にも吐きそうな汚い音を立てて、その場に倒れた。

 「やるじゃない、リュック!」

 マリーはそう言って今度はリュックの背を叩き、その兵士を確認しに駆け寄った。……完全に気を失っている。リュックは自分の術が成功したことに呆然としながら、レオナールに早くしろよと背を押されつつそこへ辿り着いた。

 「……上にも見張りがいるから、気を付けて」

 ……公邸の屋上から、兵士が顔を出している。しかし彼は一か所に留まるのではなくそこを巡回しているらしく、暫くすると姿を消した。その隙を狙い、三人は急いで梯子を上り、飛び降りるように下りて、茂みに身を隠す。

 ……いかにリュックが成長したといっても、この梯子から降りる際に足首を挫いてしまったのを切っ掛けに、恐れが出てきたらしい。震え出す彼を両脇のふたりで励ましながら、茂みの隙間をそのまま奥へ進む。

 「……あれは……!」

 レオナールは思わず、驚きの声を上げてしまう。……公邸の離れと見えるそこへ立ち入ると、レオナールにとっては身の竦むような、マリーにはやや懐かしささえ感じるような……その出で立ちの見張りがいた。

 「……帝国騎士だわ。ジュリアンの話は本当だったみたいね」

 マリーはそう言って、レオナールに逆方向へ戻るように合図する。

 「恐らく、あの離れにグランフェルテの人間がいるんだと思うわ。……あんな奥の小さな建物にひっそりと陣取ってるなんて、余程目立ちたくないみたいだけど」

 「じゃあ、あそこから侵入すんのは危険すぎるってことか……」

 彼らは先ほどの屋上の見張りに気を使いながら、侵入出来そうなところを探す。やがて物置とみえる灯りの消えている場所を見つけた。

 「……あそこなんか、いいんじゃない。リュック、足はどう?」

 「……ええ、何とか……」答えながら何度も深呼吸をし、彼は動悸を抑えようとする。「大丈夫です。覚悟は……出来ました」

 「よし、じゃあ行くぜ!」

 三人は茂みから抜け出ると、今度はそこの大きな窓の下の壁に張り付く。レオナールは足元に落ちていた、大きな石を抱えた。

 「花火を見て……」

 彼らは一斉に空を仰ぐ。すると、丁度一番の盛り上がりを見せるところなのか……複数個の光の球が、一挙に夜空へ打ち上げられるところだった。

 「せーのっ!」

 ドン!ドン!ドォン…!!

 ……一気に割るのは難しかったが、鳴り響き続けた花火達のお陰で、どうにか三人が中へ侵入できるほどの穴を開けることが出来た。急いでそこへ雪崩込むように、まずリュックの尻をマリーが押し、彼女を助けるように最後にレオナールが入った。なるべく着地音を立てないように意識し、硝子片と埃の溜まった、外の灯りだけが頼りのそこへ屈む。何かの箱が積まれ、清掃用具などが立て掛けてあるのがうっすらと見えた。

 「……ふう、何とか、中に入るのには成功……」

 ……しかし。その時、彼らの侵入したのと逆の方向……公邸の内部側の方から、兵士達のバタバタという足音が聞こえた。

 「こっちから聞こえたぞ!」

 「外は調べたか!?」

 ……そんな声を聞いて、三人は顔を見合わせる。……やがて、何故だかマリーが突然、笑い出した。

 「あっははは。随分、戸締まりがしっかりしているのね」

 「……」

 「締め切っていれば……花火の音は、外ほど大きくは響かないわ。でも……そうすると硝子の割れた音は、響くわよねえ」

 「……何、開き直ってんだ!!」

 ……迂闊である。誰も、その事に気付かないまま実行してしまったのだ。兵士は外も探しに行ったようだから、割れている窓が見つかれば、ここに潜んでいる彼らも発見されてしまうのは時間の問題である。

 「ひとまず、手分けして隠れるのよ。固まっていたら見つかるわ。先に行って、早く!」

 マリーはふたりに指示する。レオナールがリュックの背を押して、物置の入口まで誘導した。兵士が居なくなったのを見計らい、彼は決断する。

 「おめえはあの、石像の陰に隠れてろ。オレはあっちに逃げる!」

 また背を強く押され、リュックはその大きく逞しい戦いの神を象った像と、その後ろの壁の隙間に身を捩じ込む。恐る恐る振り向いてみれば、レオナールの姿は、もう無い。マリーはあの物置の中に、まだ居るのだろうか。

 「……この後、どうすればいいんだろう……」

 リュックは半泣きになりながら、そう独りごちた。

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