【I-041】酷似する人物

 「やっ!」

 先ほどまでなかなか的に当てることすら出来なかった木の剣が、今度は、しっかりと人形の持つ盾の中央を叩き付けた。

 「いいじゃない、アナ。だんだん上達してきてるわ」

 マリーが手を叩きながら近付いてくると、アナは少し照れくさそうに指の先で頭を掻きつつも、とても嬉しそうな表情になった。

 「おっ、アナも頑張ってんじゃねえか」

 稽古場の向こうから、一刻前よりもかなり身形を崩したレオナールとジャンがやって来た。

 「いや、レオの奴相変わらず強えや。俺もかなり頑張ってんだけど……」

 「ジャン、おめえは武器なし、身体ひとつで闘ってんだ」レオナールは親友の肩を叩いた。「それで刃を構えてるこっちに何度も向かって来んのは、やっぱ大した度胸だ。自信持てよ」

 するとマリーが、その様子に興味を持ったようだ。

 「あら、レオナールってそんなに強い訳?じゃあ、ちょっと私と手合わせしてみない?」

 彼女は唇の端を上げながら、稽古場の角に幾つか設けられている、対戦用に囲われている場所を親指で差しながら、そこへ向かった。レオナールはおう、望むところだぜと言って彼女を追う。

 レオナールが曲刀を握ると、マリーも腰に携えた長剣を抜き、美しく構えた。審判係の始めの合図を機に、ふたりはぶつかり合う。力任せに掛かって来たレオナールの剣を、マリーは華麗に避けながら、横から攻撃を仕掛ける。レオナールは飛び退き、また飛び掛かった。

 「……帝国軍には、綺麗に戦わなきゃなんねえ決まりでもあんのか?」

 刃を繰り出しながらも、相手の剣捌きの無駄のなさに感心して、レオナールは問う。

 「隙のない戦い方は、自然と美しくなるものよ。あなたの戦い方がそうでないと思うなら、それはまだ隙だらけってことね!」

 カン!

 ……高らかに曲刀が宙を舞う。勢いに押され、尻餅をついたレオナールの前に、それが落ちてきて刺さった。……呆気に取られてそれを見ていると、いつの間にか周りに集っていた修行者たちから、自然と歓声と拍手が巻き起こる。

 マリーは剣を鞘に収めると、レオナールに歩み寄って右手を差し出し、助け起こす。

 「……やっぱ、半端ねえ。オレももっと頑張んなきゃな……」

 「悪くはなかったわよ。……ただ私が強すぎるだけね」

 彼女は得意げに微笑みながら技場の段を降りると、駆け寄って来たジャンとアナを見て、しかし小首を傾げた。

 「ねえ、あの無愛想な彼は?昼間に行った公式の訓練場にも居なかったみたいだけど……」

 「ああ、シーマか」レオナールは汗を拭きながら、少し呆れた様子で答える。「あいつは一人でやるんだってよ。朝から裏の森に出掛けてたぜ」

 「それは随分と自信があることね」マリーも同じような表情をした。「……今日は、終わりにしましょうか。街へ情報収集に行ったエマ達も、そろそろ帰るはずだわ」

 彼らは稽古場を出ると、そこから繋がった宿の玄関広間へ出て、また食事の時に落ち合う約束をする。そしてレオナールはジャンと、マリーはアナとそれぞれの部屋へ帰り、汗を流した。

 「……お姉さんは、やっぱり凄いよ……」

 寝台の上で呆然としていたらしきアナが、マリーがシャワーから戻ってくるなりそのように呟いた。

 「……あたし、やっぱりやめようかな。次元が違うもん……」

 「それは勿体無いわよ。あそこまで剣が扱えるようになったのに」

 「でも……」アナはいつもはひとつ結びにしている焦茶の髪の、先ほどのシャワーで流して乾かしている途中のそれを、しきりに弄る。「……少しは、レオの役に立てればいいなと思ってたのに。これじゃ逆に足手まといなんじゃないかなって……」

 それを聞いて、マリーは彼女がレオナールに寄せる純粋な想いに気付いた。

 「……そんなこと無いわよ。その思いがあれば十分だと思うわ」

 普段は強がっているアナのそんな姿を可愛らしいと思って、マリーが思わず表情を綻ばせていると、エマが戸惑ったような顔で帰ってきた。

 「お帰りエマ。どうしたの」

 「……実は、情報収集どころじゃなくなっちゃって……」

 困り果てるエマに、アナは本当に鈍臭いと言いたいのを、マリーがいるのでぐっと飲み込む。マリーはエマが何か紙を持っているのに気付いて、美しいシルバーブロンドの長い髪を布で巻き上げながらそこへ寄る。

 「これは?」

 「……ええ、ここを見てほしいの……」

 彼女の指先を見て、後のふたりは同時に驚いた表情になる。

 「えっ!?これって……」

 「……リュック……よね?」

 一体何故、この大会の広告らしい紙切れにリュックの顔が載っているのか。……しかし、その顔写真の下の方を見れば、そこに書いてあるのは……この大会の主催者である、大統領の息子マリユス・ダニエル・マラブレラという名である。

 「……他人の空似?」

 「分からないけど……とにかく、それで一緒にいたリュックが持て囃されちゃって……」

 ただ興味本位の者から新聞社と名乗る人間までに追い回され、よく似ているエマまでもが親戚ですかと問われながら、揉みくちゃになったのを何とか巻いてきたのだと、エマは言う。

 「困ったわね。……でも、それならリュックは食事にも出られないだろうから、レオナール達と相談して届けてあげましょうか」

 マリーはそう言って、身支度を整え始めた。……男性の主要な面々が泊まっている部屋を訪れると、やはり彼らも困り果てた様子で輪になっていた。

 「……何で、この大統領の息子が僕と……」

 修行していたレオナールとジャンより遥かに疲れ果てた様子で、リュックが呟いた。

 「……それに、これじゃあポール達を探すどころじゃない……」

 落ち込む彼の背中を、レオナールはぽんと叩いた。

 「……仕方ねえ。街の人探しの掲示板にも幾つか貼ってっけど、フランク達から返事は来ねえ……」

 「大丈夫だよ」彼らを励ますように、ジャンが言う。「……あいつら、ビビリだから……修行に励もうとしてる俺らと一緒にいるのが、しんどかっただけだよ。大会終わりゃ、ビビリだから自分たちで帰れなくて顔出すだろうよ」

 彼の言葉に一同が頷いていると、また、エマがおずおずと口を開いた。

 「……シーマは?まだ帰ってこないの?」

 「ああ、オレも帰りがけ見に行ったけど、まだ森にいるぜ。……ったく、自分勝手だよな……」

 レオナールの答えに、エマはそうねと言いながら寂しそうに瞳を伏せた。それを見てまたも彼女の気持ちを理解したマリーが、彼女に寄る。

 「大丈夫よ。彼は突っ慳貪だけど、そんな人に限って本心ではとっても寂しがりなの。……私の元彼も、そうだったのよ」

 それを受けてエマが少し微笑んていると、噂をすれば、シーマが帰ってきた。……そして特定の事以外に興味を示さない筈の彼が、珍しく、先ほどの大会の広告の紙を手にしている。

 「……何だ、これは」

 流石の彼もこの写真には驚いたようである。リュックとエマが事情を話すと、シーマはますます難しい顔をした。

 「……他人の空似どころではないだろう、これは。親戚など心当たりはないのか?」

 「ううん……」エマが顎に手を当てて、考える。「聞いたことはないけど……私たち、小さい頃に両親も失くしちゃったし、写真もあまり残ってなかったから。アルテュール兄さんなら分かるのかしら……」

 兄の顔を思い浮かべると、帝国支配下のマリプレーシュで悲しんでいるかもしれないその姿までが想像できてしまって、エマは辛かった。……そう、あの城に来ていたマリーなら、何かを知っているのかもしれない。

 「……ねえ、マリー。話は変わるけど……」

 エマはあの日……帝国がマリプレーシュを攻めたあの日の事を、彼女に話した。脚の悪い兄アルテュールが、カプール公の城に抗議に行き、そのまま帰ってこなかった事を。

 「もし……残念な結果になってしまったとしても、焼け跡に兄さんの身体も、車椅子の破片さえも見つからないの。だから……」

 帝国が持ち去ったのではないか……とまでは、彼女は言えなかったが、相手は察してくれたようだ。マリーは真摯な表情でエマの話を最後まで聞き……そして、銀の瞳を悲痛そうに伏せた。

 「……あれに巻き込まれて亡くなってしまった人の把握までは出来なかった。けれど……決して犠牲者を隠滅したりもしていないわ、信じて」

 エマは流石に諦めをつけるつもりで、静かに頷いた。……あの牢の中で聞いた、皇帝や金髪の騎士の話は真実だったと、ここで確信が持てた。

 「解ったわ、ありがとう……兄は、きっと家に帰っているわ」

 自分達のことは、隣人が伝えてくれた筈だ。だから焦る必要はないと、エマはリュックと顔を見合わせて再び頷いたた。……しかし、マリーの方はまだ浮かない表情でいる。

 「……やっぱり止めなきゃね、こんな事は。普通に、貧しくとも幸せに暮らしている人々の暮らしを、一変させてしまうような事は……」

 彼女が顔を上げて話を戻しましょうと言うと、リュックは再び紙面の顔を眺める。

 「……この写真の人に会えないかな。大会で見られるのかもしれないけど、人も多いと思うから……」

 「じゃあ事前に会おうぜ。あと数日あるんだからよ」レオナールはそこへ首を突っ込んで、言う。「大統領公邸の周りでも張って、会うんだよ。向こうだってビックリするぜ。それに……もしかしたら、リュックやエマの知らねえ事、知ってっかもしんねえ」

 すると、リュックとエマも少し顔を明るくした。どこまで出来るのか分からないが……やってみる価値はある、と一同も同意してくれた。



 大会の開催三日前になると、街は一層の活気に包まれた。それまでもちらほら現れていた出店の数が増え、街道も飾り立てられている。

 大会の会場となる闘技場の後ろには、樹齢数万年とも言われる大樹が一本、生えている。夜になると、その付近からは華やかな花火が何刻にも渡って打ち上げられた。

 「賑やかだなぁ……」

 リュックはまたも疲れ果てた様子で、窓から見える光の輪を見ながら、そう呟いていた。……この数日、エマと二人で、鬘や眼鏡で変装しつつ、時にはレオナールやジャン、マリーに手伝って貰いながら大統領公邸付近を探っている。しかし、その写真の人物らしき者に接触できそうな機会は一向に訪れず、ほとほと草臥れてしまったのだ。

 「……もう、いっそ変装解いたほうがいいんじゃね?」ジャンは言う。「そしたらそのマリユスって奴に間違われて、入れてもらえるかもしれねえぜ」

 「そんな怖い事、出来ないわよ……」

 エマも弟と同じような表情でいた。鍛錬に集中したいであろうレオナール達の手を借りるのにも、後ろめたい思いでいた。

 「大会が終わってから、会えばいいんじゃないの?」

 彼ら姉弟を馬鹿にしていたアナも、流石に少し気の毒だと感じたのか、そのように言う。

 「……でも、そうすると僕が出場すると騒ぎになっちゃうし……」

 リュックは残念そうに、溜め息をつく。

 「修行も出来てないし。今回はやめようかな……」

 「いや、勿体無えだろ、リュック。折角、おめえは目覚ましい成長見せてんのに……」レオナールは彼の肩を叩く。「それに、オレ達も見てみてえんだ。おめえの魔法の腕、まだ確認してねえからな」

 そうは言ってもと後ろ向きなリュックに、奥で剣を磨いていたシーマが、またも珍しく口を開いた。

 「……そんなに会いたいなら、強引に公邸に忍び込みでもすればいい。俺に付いてきたなら、やり方は知っているだろう」

 ……そうは言われてもと困り顔をする姉弟だが、しかし、レオナールやマリーは真剣にそれを考え出してくれたようである。

 「……この騒ぎに乗っかったら、案外忍び込めるんじゃねえの?」

 「見張りの兵も飲んでいるしね。……この凄い量の花火も、使えるんじゃないかしら」

 「花火……」リュックは気乗りしない表情ながらも、一応は考える。「音に紛れさせれば、魔法で兵士を気絶させても、分からないかなあ……」

 随分と大胆な事を言うようになったとエマが驚いていると、マリーは更なる提案をした。

 「正面突破じゃ危ないわ。……花火が鳴った瞬間に、窓を割って侵入するのは?」

 「おっ、いいんじゃね、それ」レオナールはまた乗り出してきた。「流石、元帝国兵だな。色んな作戦思いつくな」

 するとマリーはちょっと照れ臭そうに頬を赤らめて、口元を軽く手で押さえる。

 「いえ、そんな大したものじゃないのよ。……元彼が、そういう風に部屋に忍んで来てくれた事があったから……」

 ……帝国騎士を夜這いする男は、相当に豪胆な手を使うものである。レオナールは呆れた。

 「……やべえだろその彼氏。突っ慳貪なのとは別の奴?」

 「違うわよ、そんなに私ふしだらじゃないわ。……突っ慳貪で窓も割るのよ」

 なかなか厄介そうな交際相手だが、マリーの口からは頻繁にその元彼氏の話が出てくるので、別れたとはいえ彼女はまだその彼に想いがあるのだろうと、その場の全員が悟った。

 「……とにかく、その作戦、借りようぜ。よし、早速これから……」

 ……そこへ、突然に部屋の扉が叩かれたので、一同はびくりと身を竦めた。

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