【I-040】秘密の花園

 渋々とそこに座ったのがラウラにはお見通しなのだろう、そんなにつまらなそうにしないのと言いながら、彼女は書簡の束を机の上に置いた。

 「こちらだそうです」ラウラはその一番上のものを取って、ヴィクトールに渡す。「いつものように危険なものが入っていないか、既に開封して確認だけ致しておりますので。……差出人をご覧くださいませ」

 そのように言って、ラウラは書斎を出た。とても質の良い紙を使った封筒の裏を返してみれば、そこに見慣れなくとも、確かに目を引く名が刻まれている。

 (……フェルブル大統領マラブレラ……の息子?)

 ……ここから南西のフェルブル共和国の存在は知らぬ訳はない。豊かで歴史も深い独立国である。しかし、共和国という性質もあり、グランフェルテにとっては今のところこれと言って狙ったり手を組んだりする必要がないと思われ、特に目をつけていなかった国だった。そんな国の、しかも君主でなくその息子が自分に手紙を寄越してくる意味は何なのだろう。小国と揶揄されたグランフェルテも、随分と有名になったものである。

 ともかくも彼はそこから中身を取り出し、ざっと目を通す。

 (……武芸大会の観戦?)

 何でも自国で大規模なそれを開催するので、是非見に来てほしい、との内容だった。もしかするとこの大統領の息子というのは、自分にだけではなく手当り次第の国家元首に送りつけているのかもしれない。

 「そんな暇があるかよ」

 呆れながら、その束を机の上に放り投げた。しかしここに座したついでなので、次の手紙に移ろうとして……ヴィクトールは何故か、そのフェルブル大統領の息子からの招待状がとても気になってしまった。

 「……」

 再びその手紙を取り、今度はしっかりと目を通す。……やはり、下らない大会への誘いの言葉しか書いていない。それなのに何故これがやけに引っ掛かるのか、その自分の感覚への疑問を解消したかった。

 その手紙を懐に入れて、書斎を出る。……取り敢えず、昔から何か気になることがあれば一番に相談するのは、親友でもある護衛の騎士だ。彼を探していると……珍しくも喫茶室で、その金髪を見つけた。

 「……」

 だが、ヴィクトールはそこへ入っていくのを躊躇してしまう。……アルベールの向かい側に座っているのは、大層に嬉しそうな顔をしたディアーヌだ。戦のせいで幼馴染みのふたりはずっと、ゆっくり話す機会もなかった筈だ。その時間が、やっとああして持てているのだから、邪魔をする訳にはゆかない。

 幸せそうな姉の表情に心和みながらも、ヴィクトールは踵を返す。……では、誰に相談するべきか……次に頭を過ぎったのは技術元帥サイラスだったが、軽薄な彼の事なので「陛下がご覧になりたいからじゃないですか」などと揶揄われそうな気がしてならない。探す前に、彼を候補から消去した。

 ……そして、次に……いや、最初に思い浮かんでいながらも、それを意識の外へ追いやろうとしていた顔を思い出す。

 「……致し方ないか」

 探しながら、城内にいて欲しくない、既に宿舎に帰っているといいのに、と願っている不思議な心境に気づく。……しかし、その姿は意外にも早く見つかってしまった。

 「……あ」

 回廊で鉢合わせてしまった相手に、彼は思わずそんな間抜けな声を出してしまう。……彼女は敵にでも出会ったかのように一瞬、身を竦めたが……そのままこちらに凄まじい警戒感を露わにしながら、一応は敬礼の型を取った。

 「……あの……ちょっと、お前に用事があるんだが……」

 ヴィクトールが大変に言いにくそうにそう告げると、メイリーンも、抱えている書類で身を守るようにしながら、何でございましょうと言った。

 「ここでは何だ。書斎に来てくれないか」

 「……」

 彼女はすぐに返事をしない。それどころか……ますます書類を抱える力を強め、相変わらず足を竦めているだけだ。

 「……あのな、仕事だから。別に……襲わないから。見てほしいものがあるだけなんだ」

 彼は気まずい思いに眉を顰めながら、懐から例の招待状を取り出し、一定の距離からこちらに近寄ろうとしない彼女に渡す。メイリーンはそれを恐る恐るというように受け取ると、抱えていた書類の上に広げ置き、目を通した。

 「……何でございますの、これ。特に重要でもなさそうですけれど」

 「……やっぱり、そうだよな……」

 ヴィクトールは少し前髪を弄って、余計な事をしたと反省しながら、突き返されたそれをまた受け取る。……しかし、そうして自分の手に渡ってくるとやはり、何か違和感を憶えるのだ。再度敬礼してそそくさと立ち去ろうとする魔術元帥に、また声を掛けてしまった。

 「ちょっと待ってくれ。……実は、ここに書かれている以上の……何かがあるような気がするんだ。でも、それが何かよく解らなくて……」

 メイリーンは振り返ったが、その黒い瞳には今度は鬱陶しいとでも言いたげな感情が浮かんでおり、ヴィクトールは気が重くなる。

 「……陛下でもお解りにならないものが、わたくしに解る訳がございません。他をお当たりになったら?」

 「いや、でも……」

 「ご覧になりたいなら、そうなさればよろしいじゃありませんか。招待されているのだから堂々と」

 またも行ってしまおうとする彼女を、どうしてフィジテールの前と立場が逆転しているのだろうと思いながらも、ヴィクトールはまた引き留める。

 「待てよ、いきなり素直に行ったら……何か、おかしいだろ。理由付けが必要なんだ」

 「ああ、そうね」メイリーンはまたも振り返りざま、彼を睨んでくる。「理由付けは、大事でございますわよね。フィジテール女王の説得も随分と早かったと聞きましたわ。エクラヴワから守ると理由を付けて、ああやって迫って抱いてやりましたの?」

 「誰が抱くかよ、あんな婆さん!」

 自分の声がよく通る性質であることを、彼は忘れて思わずそう怒鳴った。……そして、すぐに慌てて口を閉じ、周りを確認する。

 「……だから、そうじゃなくて。ちょっと、頼むから調べてほしいんだ、フェルブルのこの大会の事を」

 彼があまりに執拗いので、メイリーンは渋々と再び受け取った。それを書類の束の上に重ねると、軽く敬礼し、魔術兵団の詰所の方向へと去っていった。

 「……」

 自分も早く戻って残りの書簡の確認でもすべきなのに、何故だかその背が消えるのを見送ってしまう。……あの時の涙。虹の絹衣から滴る水滴のように美しく純なるそれが、こうして国に帰ってきても目に焼き付いて離れないのだ。

 ふと我に返り、自分に呆れる。……追われていたら避けたくなるのに、いざああして避けられると追いたくなるのは何故だろう。妙な気分を追い払うためにも、ヴィクトールは書斎に戻るのをやめて、フェリシティに乗って散歩でもしようと再び竜舎へ向かった。



 参謀の答えが出たのは大変に迅速で、その翌日の夕方には、彼女に打ち合せの意志がある事をラウラから伝えられた。

 「元帥閣下は、書斎ではなくて喫茶室でお話できないかと仰っておりますが……」

 ……相変わらず、大変に警戒されているようだ。ヴィクトールはやや落ち込みながら、半露天で回廊からも見通しの良いそこへ出向いた。

 先にそこで書類に目を通していたメイリーンは、彼の姿を認めると立ち上がり、敬礼をした。

 「……その大会についてよくお調べしました。理由も付けて参りましたわ」

 彼女はそう告げ……そして、羽織っているストールで豊かな胸元を少し隠すようにする。……それならそんな露出の高い服など着るなよと、ヴィクトールは感じた。

 「まず、この大会の優勝賞品になっている『妖精の涙』……こちらが、かの伝説の神器と、関連性のあるものだと判りました」

 「何、エクラヴワが持っているあれと関係あるのか」

 ヴィクトールが書類を覗き込もうとすると、彼女は離れる。……大変、やりにくい打ち合わせだ。

 「……剣の形をしている神器と、どのように関連しているかは不明のままでございますが。恐らくそこに嵌め込まれていた宝飾のひと粒ではないかと思われます」

 元はグランフェルテを興したバルタザールが使っていた伝説の神器……それを誰の手に渡るか判らぬような大会の賞品に掲げられるのは困る。……そのように表明すれば、フェルブルに接触する事が可能であると彼女は語った。

 「……また、この大統領マラブレラですけれども、自らの嫡子に加えてひとりの養子を迎えているようです。……今回の書簡を送ってきたマリユスというのは、この養子の方でございますわ」

 それと、同盟したアロナーダ政府を通し、同様の招待状が他国にも送られているのかと確認したところ、どうやらそうではなく、ヴィクトールのみに送られているらしいという事まで彼女は調べ上げてくれた。

 「……この『妖精の涙』を使って挑発でもしているのだろうか?」

 「さあ。その意図は、直接に出向いて聞いてみるのが一番、早そうですわね」

 メイリーンは調査を纏め上げた書類を、ヴィクトールに渡す。……これだけの情報があれば、彼自身の勘と照らし合わせて何かが導けそうだ。たった一晩でこれを調べてきた彼女の仕事ぶりに、改めて感心した。

 「助かった、ご苦労。あとはこちらでも考えてみる。……迅速に答えてくれたのは有り難いが、昨夜、しっかり寝たか?」

 「……」

 「今なら時間もあるから、少し休みを取ったっていい。父のドゥメール候にも少しは顔を見せてやらないといけないだろ」

 ヴィクトールが何気なくそのように言うと、メイリーンは何故だか気の進まないように俯き、そのまま口を開く。

 「……いいえ、私、ドゥメールの邸には帰らないと決めておりますので。お休みなど要らないのですけど、どうしてもと仰るなら……宿舎の方で過ごしますわ」

 「……」

 彼女もまた、ドゥメール候の養子であるとは聞いたことがあった。その侯爵に、ヴィクトールはそれほど接点がなかったが、とても物腰の柔らかな紳士であると記憶している。それでも帰りたくないというのは、彼の妻……つまりメイリーンにとっては義母との関係が良くないとか、そのような事があるのかもしれないと、彼は低俗な詮索をしてしまった。

 「……別に何が何でも休めと言うんじゃない。ただお前は、何か……いつも、少し無理をしているように見えるから」

 「余計なお世話よ。放っておいて」

 メイリーンがまた、眉間にしわを寄せてそのような態度を取るので、ヴィクトールは少しむっとしてしまう。

 「……何だよ、それ。心配してるだけだろ。それに……あれだけ人にちょっかい出しておいて、気が変わったら手の平を返したような振舞いだ。誘ってきたのはそっちだろ」

 「違う!違うわ……!」

 彼女の語調が強くなり、またその漆黒を潤ませ始めたので……ヴィクトールは言い足りなかった言葉を再び飲み込んでしまう。

 「……泣くなよ。狡いぞ……」

 彼は給仕口に控える召使たちの目を気にしながら、ひとつ息をついて声量を落とした。

 「……怖いなら、何で……あんなに無理やり、取り入ろうとして来るんだ。話があるなら、普通にしてくれればいいのに……」

 メイリーンは鼻のところへ手をやり、溢れてきた涙を何とか止めようと努めると……喉の奥から、言葉を絞り出した。

 「……違うの。怖いのは……貴方自身じゃない。ただ……あんなに、乱暴にされるのは……」

 「……」

 ヴィクトールは気まずいと思うと、前髪を弄る癖がある。机の上の書類など無意味に見つめつつ、またそのようにくるくるとそこを弄んでしまってから、言った。

 「……ごめん。戦の時は気が立ってるから、つい……」

 「……」

 メイリーンはちらちらと、鼻に手を当てたまま、その様子を見ていたが……やがて、くすっと可笑しそうに吹き出した。

 「……貴方って面白いのね。……ひとつの身体に、違う人が何人も住んでいるみたい」

 「……」

 「……嫌じゃないの。……あの夜は貴方の言う通り、そのつもりで行ったんだもの。だけど……次は、もう少し優しくして頂けないかしら」

 彼女は紅茶を一口飲んで、立ち上がった。それから、このところずっと見せていなかったあの妖艶な笑みをそこへ取り戻す。

 「……お休みを頂けるなら、私、まだヴィクトール様と過ごしたいわ。……お仕事の話は抜きでね。この間、とっても素敵な場所を見つけたの」

 付いていらして、と言ってメイリーンは彼の手を取る。……もしかして罠に引っかかってしまったのか、と疑りながらも……もう少し、そうされているのも悪くないのかもしれないと、ヴィクトールはされるがままに席を立つ。

 彼女は書類を抱え、如何にも魔術元帥然として、さも皇帝を会議室へ導いているかのように城内を歩く。しかし、会議室を通り越した彼女は、周りに衛兵の目が少なくなってきたのを確認しながら、その奥へ奥へと進む。

 「……どこへ行くんだよ……」

 「もう少し。……周りに人がいないのを気を付けてらしてね。折角の逢引が中止になってしまいますもの」

 最終的にメイリーンがやって来たのは、召使さえも最低限しか立ち入らないのではないかというような、狭い通路の奥だ。そこには通用口のような古く小さな扉がある。彼女はどこから持ち出したのか、小さな鍵を取り出し、それを開ける。

 そこを身を屈めて潜ると……そこには、周りを石壁で高く囲まれた、小さな花が一面に咲く叢があった。この扉から向こうの壁まで、五歩程度あるかないかだ。高き天から一筋の夕陽を注ぐ、秘密の花園のような場所である。

 「……何だ、ここは……」

 不思議そうにその光景を見るヴィクトールを、メイリーンは微笑みながら見遣る。

 「ご存じなかったの?ご自分のお城なのに」

 「だって、こんな奥……用があることないだろ」

 彼は口を尖らせるが……やがて、そこを興味深そうに一周りする。

 「……本当に何もない。何の為に設けられている場所なんだ……?」

 「きっと……初代皇帝バルタザール様も、お忍びで逢引する所が欲しかったんじゃないかしら」

 メイリーンはヴィクトールの傍らへやって来て、その腕をそっと掴んだ。……以前のように、振り払いたくなるような感触ではない。そのまま彼女が前に回ってくるのを許すと、彼も自然と、その肩を抱き寄せた。

 「……そうかもな。ここには何も見るものがない。相手の顔しか」

 「ふふっ……」

 メイリーンはそこに咲く優雅な一輪の花のように微笑んだが……少し、その瞳を伏せる。

 「……ご免なさい。私、まだ貴方に全てを語る勇気がないの……」

 「嫌なのに、語る必要なんかない」

 ヴィクトールは彼女の身を抱き寄せ、その唇に……優しく、自らのそれを重ねる。

 「……メイリーン、お前の過去を暴きたい訳じゃない。ただ、同じ道を進むつもりがあるなら、それはとてつもなく険しい……だから、無駄な詮索をしたくないだけなんだ」

 「……」

 彼女は暫しあってゆっくりと頷き、真紅をしっかりと見つめる。

 「覚悟を決めるわ。貴方の見据える未来を、ともに創るために」

 ふたりは再び、夕陽の差し込む舞台のもと、口付けを交わした。……その日、ヴィクトールは晩餐の時間も忘れてこの秘密の花園で過ごしていたため、後にディアーヌとラウラに大変心配される事になってしまったのだった。

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