【I-037】旅の女剣士
翌朝、一行はペズィーブルから寝台列車に乗り、フェルブルを目指した。ここでもレオナールは奮発するぜと最前列の一両を貸し切りにして、ゆったりと快適な旅を演出していたが……やはり、大量に仲間を失ってしまったのが堪えたのだろう。……そのうちあまり口を利かなくなり、自分の寝台室に篭りがちになってしまった。
彼の代わりにジャンが、まだ不安定なフランクの、リュックがポールの説得に当たっていた。シーマは相変わらず、一人で剣を磨いている。エマはまだまだアナとの仲を親しくお喋りできるほどに発展させることが出来ず、かと言って厳つい男たちの相手をするのも怖いので、またも居心地悪く過ごしていた。
(外の空気でも吸おうかしら……)
彼女は車両の端から、二両目との連結部へ出る。柵の貼られた休憩用の場所に凭れ掛かって風に当たっていると、かなり蒸し暑い地域とは言え、心地好かった。
……自信がないのは、フランク達だけではない。エマも同じだ。……あんなに弱くて情けなかった弟は、この旅を通して、目覚ましいほどに逞しく成長している。
(でも、私は……)
皆にお茶を出したり、荷物を整理したり、掃除をしたり……そんな事が、最近では彼女の主な仕事だ。レオナールはそれも大事な役割だと励ましてくれるが、シーマは褒めも労いの言葉もかけてはくれない。……アナは彼女と同じ仕事を片手間でこなしつつも、しっかりと皆に加わって情報を集めている。そして話にさえついていけない事の多いエマを、その都度、鈍臭いと罵ってくるのだ。
(……私、どうしてここに付いてきたのかな……)
行方不明の兄アルテュールを探すという名目ではあったが、このところ、本当にこれで良かったのかと悩む事がある。……帝国領となってしまったマリプレーシュの家で、もしかしたら兄は先に帰っていて、居なくなったエマとリュックを必死で探しているのではないか……。
「……?」
どこからか、男女の言い争う声が聞こえてくる。……エマはそれが気になって、心に渦巻いているものと向き合うのに集中出来なくなった。
(二両目の方……?)
思わず、彼女は聞き耳を立ててしまう。……割と冷静に説得している様子の男性に対し、女性の方はかなり強い口調で相手を責め立てているようだ。
痴話喧嘩をこっそり聞いているのも卑しいとは思ったが、どうしても気にかかってしまう。少しだけ二両目の扉を開けて覗いてみようか……と思った時、パアンという激しい平手打ちのような音と共に、何かドサッと倒れ込むような物音がした。そして、慌ててエマが扉を引こうとしていた手を引っ込めると同時に、その扉が勢い良く開いて、誰か飛び出して来る。
「……あっ!」
……相手も、そこに人がいるとは思わなかったのだろう。ひどく驚いて、足を止めた。その姿を見て……エマは思わず、唖然としてしまう。
(うわあ……何て、綺麗な人……!)
……背のすらりと高い女性。長く艷やかで華麗に波打つ、銀と金の間の色の髪に、凹凸のはっきりした魅力的な身体を強調するような、ぴたりとそれに密着した衣装を着込んでいる。そして、驚いて見張る瞳は銀にも見える薄碧で、白い肌に乗る表情には、やや気が強そうではあるが、同じ女性でも魅惑されそうな色香があった。
「……ご、ごめんなさいね。人がいるなんて思わなくて……」
女性はそう言って少し慌てた様子を見せる。……エマはまだその姿に見惚れつつ、しかし、どこかで彼女を見たことがあるような、不思議な感覚に襲われた。
(これだけ素敵な人……雑誌で見た、女優さんかしら)
そう思いながらも、次に目は二両目の扉の向こうで倒れて込んで呻いている、赤茶色の髪の男性に行ってしまう。……美しい女性はエマのその視線に気づくと、また慌ててその扉をガシャンと閉めた。
「……恥ずかしいところをお見せしちゃったみたいね。……もしかして……聞いてた?」
困ったように、女性はエマをちらちらと見る。……エマは自分などとこの美女は釣り合わないと感じていたのだが、その意外にも親しみやすい雰囲気に、思わず少しだけ笑顔になった。
「いえ……あ、剣士さん……?」
エマは彼女の腰に携えられている長剣に気付き、そう問うた。
「ええ、そうよ。フェルブルの武芸大会を目指して……来たんだけど……」
美女は最初のはきはきとした口調を、だんだんと窄ませ、また困った表情になる。
「……戻るに戻れなくなっちゃったわ。あと、二日……どうしようかしら……」
彼女は今度は二両目の扉を何度かちらちらと見てから……次に、一両目の扉に銀を投げた。そして、エマに向かって両手を合わせる。
「……お願い。もし、席が空いてたら……向こうに着くまで、お邪魔させてほしいの。そちらも、貸切だったわよね?」
「……ええ、席なら、空いてると思うけど……」エマは頷くが、少し自信のなさそうな表情をした。「……私の一存じゃ、決められなくて。リーダーに聞いてもいい?」
「勿論よ。連れて行って」
そこで、エマはこの極めて美しい女性を率いることに少し緊張しながらも、一両目の扉を開けて、レオナールのいる中央辺りの寝台室を目指した。……その途中、後ろから「あら?あなた、どこかで……」と呟く声がした。
個室の簡素な扉を開けると、レオナールもこの美女に驚いたらしく、おおと言って目を見張った。
「すげえ別嬪連れてきたな。……話があんだって?」
エマは頷き、レオナールが通路に出ると女性が自ら事情……とは言っても細かい部分は省いて、説明した。彼女も、ある組織に属して旅をしていたらしいが。
「……ちょっと意見が合わなくなって、向こうの組織とは別れてきちゃったのよ。お世話はかけないから、フェルブルに着くまでお願い」
「おう、いいぜ、いいぜ。何ならオレらの方に加わってくれてもいいし。ちょうど、こっちも仲間が減っちまって寂しいトコだったんだ」
レオナールが胸を叩いていると、何か用事があったのか、向こうからシーマが出て来た。そして、この美女の姿を見るなり……何を思ったのか鋭く目を見開き、腰の剣に手を掛けた。
「何してるの、シーマ!」
エマの驚きの声を受けて、レオナールが慌てて彼のその行為を止める。
「シーマ、おめえはまた…!!誰にでもケンカ売んじゃねえ!」
「違う、見ただろう、エマも……!」
シーマはそう言って、益々と警戒感を強める。意味が飲み込めずにエマが女性の方へ目を遣ると……彼女は、意外なほど冷静にシーマの姿を見ていた。
「……ああ、思い出したわ。……あの、大したことのない剣士さんね」
またやるの、と彼女は挑発する。……しかし、シーマは思わず、その強さを思い起こして身を硬くしてしまった。
「……冗談よ。彼女が無事で良かった。自己紹介をしなきゃね」女性はにこりと麗しく微笑むと、続ける。「私はマリー。元、帝国騎士よ」
「……!!」
エマもやっと思い出す。この旅が始まる前……マリプレーシュ城にシーマと一緒に潜入した時に、目の前に立ちはだかった女性騎士。……そして、その後に登場した巨大な兵士の斧をたった一人で勇敢に支えていたのが、彼女だった。
「マジかよ」
レオナールも仰天し、先ほどから開きっ放しの栗色の瞳を更に見開いた。……彼らのやり取りが他の部屋にも聞こえてきたのだろう、個室から続々と仲間たちが顔を出し始める。
「え、グランフェルテの騎士?……じゃあ……アイツの、皇帝の下にいたの?元ってのは、やめたって事か?」
「ええ」マリーは少し瞳を落とす。「ちょっとまた、色々あって……国にいるのが辛くなったのよ。だから、今は自由に旅をしてるの」
「マジか……」
レオナールはそんな台詞を繰り返すも……少し、言いにくそうに続きの言葉を濁す。
「……あの、オレ…………んワの……じなんだけど、大丈夫か?」
「えっ?」
「いや、だから………ヴワの、お……じ……」
「……エクラヴワの王子!?」
あまりにはっきりと彼女が言い直したので、レオナールは慌てて人差し指を立てて見せる。
「……何を言ってるの?馬鹿にしてるのなら、失礼……」
マリーはむっとした表情から、そこで少し考え、そして……何か思い当たったのか、まじまじと彼の顔を確認し始めた。
「……もしかして、第三王子?」
「……そうだよ。レオナールってんだ」
彼が認めると、マリーはああ……と言って、やけに納得したような表情になる。
「聞いてるわ。随分、変わってるみたいね」
「うるせえな……」
「とにかく、凄い奇遇に当たってしまった訳なのね……」
マリーはまた、顎に指を当てて少し考える素振りを見せたが……やがて、また魅力的な唇の端を上げた。
「いいわ、面白そう。私も、是非こちらの仲間に入れていただけないかしら」
「おう……でも、大丈夫なのか?」
レオナールは先ほど、彼女の正体を知るまでとは事情が違うと感じ、そのように問う。
「オレ達、実は帝国を追っててさ。それでアイツに……グランフェルテ七世に、かなり疎んじられちまってる。そこへ元帝国騎士のおめえが入ると、ちょっとやべえんじゃねえ?」
「あら、疎んじられてるなんて……前からそうなんじゃないの?」
「……」
「ものすごく、執拗いって聞いたから……」
その台詞に、レオナールはがっくり肩を落とす。エクラヴワ城ではあんなに丁寧に接してくれていたのに、やはり国に帰ればそう言われていたのかと。
「……いや、嫌われてる程度なら別に……いいんだよ。でも、今は……」
その様子を見て、マリーは事情を察したのか、ふうとひとつ息をついてこのように言った。
「……いいのよ。あなた、帝国が世界を侵略していくのを止めたいと思っているんでしょう?……私も、同じ思いだから」
「えっ……」
レオナールが意外に思って彼女の顔を見上げると、その銀の瞳は、何かの決意を秘めるような凛々しい表情になって、車窓の外へ向く。
「……だから、やめたのよ。半年余りで、もう三国が帝国の手に入り、一国が手を組んでしまった。そんな強引な進め方は、止めなければならないのよ……」
「……で、でもよ……」ふたつ隣の部屋から、フランクと共に顔を出していたジャンが、少し青ざめながら言う。「……それって、皇帝を……裏切ったって事だろ?そんな奴、連れてたら……」
「興味深いじゃないか」シーマが彼の言葉を遮る。「そいつがいれば、帝国の情報が手に入るんだろう。どうやら幹部だったようだしな」
エマはおどおどと不安そうに、マリーとレオナールを交互に見ている。リュックも同じようにしているが、シーマの言葉にも少し興味を持ったようだ。アナは怪訝そうにマリーを睨んでいて、ポールは怯えているのか、個室から出てこない。……レオナールはその面々をひと通り確認すると……決断した。
「……わかった。じゃあ、仲間になってくれ」
マリーが微笑む後ろで、ジャンはますます震え上がり、フランクはそっと顔を引っ込める。しかし、レオナールは続けた。
「帝国を止めんなら、そんくらいの覚悟がねえとダメだ。それに、おめえがいれば……今はほとんど相手にされてねえけど、少しは話聞き入れて貰えるかもしんねえからな」
彼は希望に満ちた目をマリーに向けながら、右手を差し出した。彼女の方も、にこりと自信溢れる笑みを漏らし、それを握ってくれた。
「……ところでよ、いいのか?……いやその、さっきまでの仲間が隣にいんだろ?」
「ああ……」マリーは少し二両目の方を見遣って、整った眉を顰める。「いいのよ。どうせフェルブルで会うでしょ」
それはそれで気まずいなと感じながらも、取り敢えず、レオナールはははっと笑って誤魔化した。
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