【I-035】巨大な刃

 ……一連の出来事を、三人はずっと何を成すことも出来ずに、たはだ城壁の上から見守っていた。

 「……終わったん……ですかね?」

 「おう……」

 黒い船の去った城の裏手の雪原で、皇帝と騎士が、竜に乗らずに何やら話をしている様子をぼうっと眺めながら、レオナールはリュックに生返事をする。

 「……良かった……良かったけどよ……やべえだろ、これ……」

 彼はそうぶつぶつと呟きながら、シーマを見る。……情けないと蔑まれるかと覚悟していたが、彼も思いはあまり変わらないのだろうか……眉間に皺を寄せて、腕組みをしながらやはり雪原のふたりへ視線を投げている。

 ……あの腐った軍団が現れ、帝国軍が押されている様子に、もう世界の終末さえ覚悟したレオナールだが……紅蓮の貴公子が輝かんばかりの白竜に乗って颯爽と現れ、またも極めて華麗に状況を打破してゆくのを見て、彼は別の意味での諦めさえ抱いてしまった。

 そこで突然にこの城壁に、いつの間に上ったのか腐った死体が幾らか現れて、青ざめながらも覚悟を決めて剣を抜こうとしていた彼らだが……その屍達は三人に全く興味を見せず、下にいる皇帝に飛びかかって行った。しかし、それをまたも大変に美しく迅速に処理してしまった騎士に、レオナールは思わず「アクティリオン、もうやめっかな」と呟いていた。

 しかし……正念場はそこからであった。皇帝と騎士が乗った竜を追いかけるようにして、城の裏手に回ったレオナールが見たもの。

 「アニキ……」

 黒い船から出て来た人物……それは紛れもなく彼の実兄、エドモンだった。命を狙われるほど仲が悪かったとはいえ、あのような……奇妙な黒い剣を生み出し、不可思議な力で屍を放出するような変わり果てた姿は、レオナールに言いようのない衝撃を与えた。

 しかし、それさえも霞んでしまったのが……その後に炎が繰り出した大爆発。……何が起きたのかも始めは判らなかったが、屍の束が瞬時に消えたのを確認して、漸くレオナールはその時の兄と同じ姿勢で腰を抜かしているのを自覚した。

 (……アイツ、やっぱ……)

 ……先のアロナーダの対決で、レオナールは彼の攻撃に違和を感じ、火焔の刃に恐れを為していたが……彼の持つ真の力は、それを大きく上回るものだ。あの時あまりにも気軽に刃を交えてしまったことに、レオナールは今更ながら恐怖し、両手を震わせる。

 「……あの、剣……」

 シーマが溢した言葉に、レオナールは少し我を取り戻した。

 「……あの巨大な剣。貴様の兄貴は鈍くて何も感じなかったようだが……おかしくないか?」

 「……」

 レオナールには彼の言いたいことが判っている。そして、彼には今更驚くような要素でもなかったが……リュックも、それが気になったようである。

 「……ちょっと、調べてみませんか?」

 「えっ!?」レオナールは彼の大胆な言葉の方に驚いた。「や、や、やめとこうぜ。だってもしバレたら……」

 「いや、俺も興味がある」シーマはその雪原に突き刺さった刃を横目に、急いで城壁の階段へ向かう。「まだ奴らは、あそこで何やら打ち合わせ中だ。今しかない」

 「……バカかよ、おめえら……」

 レオナールは半泣きのような表情で渋々と、二人の後に続いた。石の階段を降り、少し雪の丘を登っていった所に、それは立っている。

 シーマが、その頭の上にまで至る刀身を下からゆっくりと見上げた。……多少の屍の体液が残っているが、柄の近くには複数の宝石が嵌め込まれ、こうして見ていると装飾用のそれとしか思えなかった。……しかし、シーマが右手を高く上げてその柄を握り、思い切り力を込めるも、びくともしない。

 「……やっぱり、重いんですか……?」

 リュックがおずおずと聞く。シーマは頷き、彼とレオナールに何か合図を出した。

 「抜いてみよう。……一人では無理だ。そっちを持て」

 彼は二重に手袋を装着し、その上で手を切らないように気をつけながら刃を掴む。……レオナールも仕方なくその上の辺りを持ち、リュックは柄を掴もうとしたが、届かないので鍔の部分に両手を掛けた。

 「うー……ん!!」

 三人は渾身の力をかける。……しかし、やはり巨剣は……ぴくりとも動かなかった。

 「ダメだ……」

 「……でも、片手でくるくる回してましたよ」リュックは尚納得がいかないという風に、首を傾げる。「あんな、女の人みたいな綺麗な姿なのに、ものすっごい力持ちなんですかね?」

 「だからよ……」

 レオナールが呆れながら彼に説明しようとした時……ざくざくと、雪を踏みしめる音が聞こえた。

 「……!!!」

 三人は慌てて、剣から飛び退き離れる。背を向けるのも恐ろしく、階段の位置をちらちらと確認しながらそこを目指して後退を始めたが……既に、そこに金髪の人物の姿が迫って来ていた。

 「……またいらしていたのですか。エクラヴワ第三王子殿下」

 鋭い碧眼に射られ、レオナールはぎくりと硬直しながらも、両手を顔の前でぶんぶん振る。

 「いやっ、いや、違う!別にこれを、どうにかしようってんじゃねえんだよ……ただ、すげえなあ……ちょっと触りてえなあ〜…って思ってよお……」

 ……しかし、彼のそんな決死の言い訳を、無に返す者がいた。……何を思ったのか、シーマが……腰の剣に手を添えたのである。

 「バカかよ!!」

 レオナールが叫び、そこへ来たリュックと思わず抱き合うが、彼はそれを止めない。……それを見て対する金髪の騎士も、背の剣に手を掛けた。

 「……私は、其方らを見なかったことにする。引くなら今のうちだ」

 彼の忠告を、シーマは耳に入れなかった。目を見張るような素早さで、丹念に磨き上げた長剣を抜き、騎士に飛び掛かる。

 カァン!!

 瞬時に抜かれた相手の剣で、その刃は受け流された。……よろめいて剣先を地に着き、それでも尚碧眼を睨みつけるシーマに対し……騎士はすらりと雪原に立ち、軽く払った程度の剣を、ゆっくりと下ろす。しかしシーマはそれを見て、再び構えを取り始めた。

 「や……やめろって、シーマ!!」レオナールは必死で、無理のある行動を取り続ける彼を怒鳴りつける。「見てたろ!?そいつ、あの死体兵の束を一瞬で粉々にした奴だぜ!?」

 「……だから、何だ……」

 シーマは愛剣の柄を握り締めた。……長らく、剣を振るう機会もなかった。このまま刃を腐らせるのは……自らの誇りが、許さない。彼はまたも刃を上げると、相手の懐を目指して飛び込む。

 しかし、やはり騎士はそれをはらりと華麗に避け、自らの剣の柄の方をシーマの首筋に向ける。そこを素早く、とん、と叩くと、シーマはうっと呻いてそこに倒れた。

 「シ……シーマ!!」

 レオナールとリュックは雪原に伏せた彼に駆け寄りたい気持ちはあったが、気迫に怯え、動けない。騎士は、暫しその無謀な戦いを挑んでいた者の背を眺めていたが……それを、次に敵国の第三王子へ向ける。レオナールは「ひっ」と、先ほどの兄エドモンのような声を出した。

 「そのくらいにしとけよ、アル」

 突然、雪原によく通る声が響いた。……レオナールとリュックはもう目の前に絶望しか見えなくなり、思わず天を仰ぐ。

 「……素人を虐め過ぎだ。可哀想だろ」

 丘の向こうからヴィクトールが姿を現すと、アルベールはそれを認めて、長剣を背に戻した。倒れているシーマを「あーあ」と言って哀れそうに見遣ると、紅蓮をレオナールに投げる。

 「あんたも執拗いな。……この剣に興味があったのか?」

 三人がうんうん唸って抜こうとしても僅かにも動かなかったそれの柄を握ると、彼は雪に刺さった一片の枝を抜くように軽く持ち上げ、くるりと一回転させて背に戻した。

 「また遊びたいのか。……だが、フィジテールには闘技場がない。殺風景で寂しいけどここでやるか?」

 レオナールは「とんでもない」と言う声が出ない代わりに、ぶんぶんと首を振る。……しかしそれを見て、揶揄い半分だった真紅の瞳はそこに少し苛立ちのようなものを宿らせる。

 「……じゃあ、何で追い掛けて来る。我々がフィジテールをものにするのを、阻みに来たんだろ」

 「そ、そりゃあ……」

 炎が、一歩二歩、迫って来る。……アロナーダの臨場感を思い出して、レオナールは唾を飲み、またも後退った。

 「なら、やってみろよ。あの時みたいに……」

 ヴィクトールは先の戦いで傷を付けられた左手を見遣り、今度はその紅蓮を、はっきりと滾らせ始める。そして一気にレオナールの前まで進んでくると……その胸倉をぐいと掴み、無理矢理立ち上がらせた。

 「ぐっ……離っ……」

 「……やってみろ。我武者羅に剣を振り回して、俺に血を流させてみろ……あの時みたいにな!」

 ……このまま、殺されてしまうのか。レオナールがまたも半ば覚悟を決めた時……騎士が、その間に入ってふたりを引き剥がした。

 「やめろ、ヴィクトール……今、そんなことをしている場合ではない。フィジテール女王が逃走を始める前に行かなければ」

 「……」

 ヴィクトールは少し我に返ったのか、驚いたように碧眼を見返して……首元を掴んだレオナールを投げ捨て、肩を押さえつけたアルベールの手を振り払うと、くるりと踵を返して行ってしまう。アルベールは「だから先に返しておこうとしたんだ」と説教をしながら、彼へついて行き、ふたりの姿は雪原の向こうに消えた。

 「……」

 投げ出されて尻餅をついた姿勢のまま、レオナールはまたも固まっていた。……数分ほど置いた後、リュックが大丈夫ですかと言って彼を助け起こし、それから気を失っているシーマのところへ駆け寄る。ううんと言って彼が少しずつ身を起こすと、リュックは安心したようにへたり込んだ。

 「くっ……!」

 しかし、シーマは両の拳を雪に叩き付ける。

 「……何故だ……あれだけ世界を廻り、猛者と呼ばれる者と対決を重ねて来た。一撃も入らず、気絶させられるなど……」

 「……仕方ねえよ、シーマ……」

 レオナールはゆっくりと彼に近寄り、その背を軽く叩く。

 「おめえだって、十分に強ええ筈だ。ちょっと戦いを見てて判ったぜ……でも、そりゃ常識の範囲って事だ」

 彼はひとつ息を吐き出し、雪原の向こうに視線を投げ、続ける。

 「オレだって自信あった。でも……アイツらは、化けモ……」

 そこで、飲み込む。……この言葉は、使いたくない。

 「……あっ!!やっべ!!」

 急に何かを思い出したように、レオナールは声を響かせる。そして、がっくりと項垂れた。

 「……ダメなんだよ、そうじゃねえ……オレは、アイツと話をつけなきゃなんなかったんだ。ビビってどうすんだよ……」

 「いや、無理だと思いますよ……」リュックは何を言うんだというように、呆れさえ含んだ視線で彼を見上げる。「……いや、無理でしょ」

 「うるせえ!二回言うな!!」

 レオナールは怒って彼に顔を突きつけ、唾を飛ばしたが、そのまま頭を抱える。

 「……でも、今のまんまじゃ……確かに、無理だ。まともに話さえして貰えねえ……オレ嫌われちまったかな……」

 「いや、そんな生易しいものじゃない。どう見ても恨まれているだろ」シーマさえも彼に突っ込み出す。「……だが、今のままではどうしようもない事は確かだ。世界が帝国に呑まれて行くのを見ているしかないのか……」

 「エクラヴワ軍も、あんなんなっちまってるみてえだしな……お袋、残して来ちまったな……」

 ここは、間もなくグランフェルテ領となってしまう筈だ。長居するわけにはいかないだろう。あの黒い船を追って、エクラヴワへ帰るべきか。しかし……このような情けない姿のまま、母にそれを見せるのも、抵抗があった。

 「……取り敢えず、船に戻るぜ。考えんのはそれからだ……」

 彼らの心を表現するかのように、突然に強く雪が降り始める。船までの道が埋もれてしまわないうちにと、三人は帰途を急いだ。



 ……それから、僅か半日ほど。

 フィジテール王国がグランフェルテ帝国の支配下に入ったという報せが、全世界に知れ渡ったのだった。

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