【I-034】決着

 「何だ、これは……」

 白船の甲板、その船首から、紅蓮はその信じられぬ光景を唖然と見つめる。

 「陛下!!」

 伝令がその背に向かい、敬礼も忘れて報告する。

 「押されております……三元帥も最前線に出て、応戦しておりますが……状況は変わらず……!」

 ……ここで、その奇妙な風景を眺めている場合ではなさそうだ。ヴィクトールは彼を下げると、船尾まで走り、竜舎を開く。

 「フェリ、行くぞ!」

 主の呼びかけを受けて、彼女は鮮やかに嘶いた。そのままヴィクトールは船に掛けられた地上への階段を駆け下りながら、背の巨剣に手をかける。

 ……街外れに停泊したこの船の前まで、死体の兵は群れ出て来ている。多く配下は出元である城下町へ出陣しているが、ここを守る為に幾らかの衛兵たちが残されており、必死に対応していた。

 「武器を仕舞って、引け!」

 勅令に、騎士たちは戸惑いながら皇帝を振り返る。そこへ飛び掛って来る複数の屍。ヴィクトールはそれと配下たちの間へ飛び込み、大剣をひと振りする。

 上半身と下半身、真っ二つに割かれたその残骸が、ぼとぼとと音を立てて地に落ちた。……騎士たちが斬っても斬っても蘇っていたそれは、この状態になってしまえばそれを接着する事までは出来ないらしい。呻いて藻掻いている間に、騎士たちは皇帝に素早く敬礼し、船へ駆け戻ってゆく。

 それと入れ替わるように、紅蓮の姿の背後には、竜が舞い降りてきた。……その姿は、純白。このくすんだ雪の地の景色にさえ光を跳ね返すような、美しい白い飛竜である。

 ヴィクトールはまだそこに残る屍たちをあらかた片付けると、彼女の元へ駆け寄りながら、飛翔船へ向かって指示を出す。

 「よし、準備万端だ。アル達を助けてやらないとな」

 彼は白竜にそう呼び掛けると、その背に軽やかに上って跨り、手綱を握る。フェリシティは高らかな声を上げ、背後の船と共に、翼を大きく広げ、浮上を始めた。

 船が上空に避難したのを確認すると、次にヴィクトールはすぐそこに見えてきたフィジテール城門前広場を見下ろす。……先頭に出ているのは魔術兵団のようだ。メイリーンが巨大な半球の幕を張って、軍全体を護ろうとしているが……それはだんだんと、薄く小さくなって来ている。

 半球の外側に山積みになって貼り付いている屍たちは、そこでただ足掻いているだけではあるが、とにかく数が多すぎるのである。……幕が弾ければ、それは一気に内部へ雪崩れ込んで、疲弊している帝国軍へ一気に襲い掛かる筈である。

 「……あいつ、ひとりで気合入れ過ぎだ」

 つい思い出してしまう、昨夜のあの涙。……泣き落としに同情する必要などないと自分に言い聞かせていたが、もし……彼女がそれを意地としてあのように無理をしているなら、それは少し哀れだと感じた。

 「降りるぞ、フェリ!」

 白竜を急降下させながら、ヴィクトールは大剣の柄に手を掛ける。……光の幕が、パアンと弾けた。一挙に押し寄せて来る屍に、魔術元帥はまるで、早くも命の覚悟を決めたような表情を見せる。

 「諦めるな!!」

 まだ地上までややあるが、ヴィクトールはフェリシティの背から飛び降りる。そして巨大な刃を抜き、その集団に向かって振り下ろした。……爽快とも言えるような感触と共に、先ほどと同じように、彼の周囲で腐った肉片が落ちてゆく。

 「陛下……!」

 彼女の相手は、また戦が終わってからゆっくりすればいい。屍たちが、本能的に彼に引き寄せられるように、一気に紅蓮に狙いを定めてやって来た。

 「……困った。人気者になってしまったようだ」

 そのような事を言いながらも、整った唇は、その端を少し上げる。次の瞬間から……炎は、あのアロナーダの闘技場で演じた舞を、あの時の三倍にも至る刃を小道具として再現してみせる。

 無数の屍が、ばらばらと辺りに転がってゆく。それに、彼の配下達は迂闊にも暫し見惚れてしまっていたが……。

 「止まるな!陛下に続け!!」

 奥の方から響いたのは、技術元帥の声。途端、我に返った帝国兵たちは、気迫の籠った掛け声を上げ、再び戦い出した。

 広場の入口から演舞を続け、城門前まで辿り着いた紅蓮は、そこで一旦、刃を下ろす。……もう、ここから際限なく出てくるものも止まったか。巨剣を仕舞おうとした、その時……城壁から、まだ残っていた十体ほどの屍たちが、彼目掛けて飛び掛って来る。対応するために背に収めかけた刃をまた抜こうとしたが、そうするまでもない。

 彼のもとに、黄金に輝く者が駆け付ける。そして炎と演者を交代するように、そこで剣の舞を舞った。……屍達は瞬時に、半分どころか其々複数の肉の塊と化す。

 「……そんなに切り刻まなくてもいいだろ、アル。こんな材料で煮込み料理でも作るのか?」

 ヴィクトールはその塊のひとつを見て、哀れだとでも言いたげに眉を顰める。

 「半身だけでも、時間をかければ蘇るようだ。なるべく小さくしておいた方がいい」

 「死体が相手だと残酷なんだな、お前……」

 アルベールはそれどころではない、と言いながら、剣を背に収めた。

 「伝令から、あの黒い船の司令官の情報を得た。やはり、あれはエクラヴワらしい」

 「本当か?……随分、美的感覚に磨きがかかったようだ」

 ヴィクトールは城の向こう側に停泊している筈の、黒い船の方を見遣る。騎士も同じ方を見て、続けた。

 「……だが、率いているのは大王ではなさそうだ。とにかく行ってみた方が早いだろう」

 ここは、もうメイリーンとサイラスに任せておけば大丈夫だ。ヴィクトールは後方に飛んで来ていたフェリシティに向けて口笛を吹き、アルベールも上空の船に合図を出して、自らの青い鱗の竜を放たせた。



 ……その黒光りする船は、上空から見ると、まるで雪原に大穴を開けてしまったようにも見える。……大量の屍はここから放出されていたのか。そこへ近づくにつれ、ヴィクトールは何か頭の中で鳴り続ける電波音のようなものに苦しめられるようになってきた。

 「……大丈夫か、ヴィクトール?」

 顔を顰め、頭を押さえているのがアルベールにも判ったようだ。彼を安心させるように頷くと、紅蓮は黒い船からその船体分ほど離れた所に着地点を定める。

 彼らが降りて行くと、黒船から降ろされている階段からも何者かが家来を引き連れて出て来た。……また黒い衣装に身を包んではいるが、その者は今度はしっかりと生命のある人間で、しかもよく見覚えがあった。

 「……長男だ」

 ヴィクトールは呟いて、頭痛の為に眉間に寄せていた皺をさらに深くした。

 エクラヴワ第一王子エドモン。父大王をそのまま縦に引き延ばしたような、見るからに卑劣な細身の男である。……この輩は、何年も前から姉のディアーヌを自分のもとへ嫁がせると豪語し、執拗く執拗くグランフェルテに使いを送って来ていた。

 エドモンは雪原にただ側近とふたりだけで降り立った紅蓮を見つけると、いつものように陰湿ににやりと笑う。

 「おや、化け物。寂しいではないか。体裁ばかりは随分と立派になったようだが……それでは、エクラヴワの王宮に頭を下げに来ていた時と変わらぬな」

 ……奇妙な波動は、この男から発せられている訳ではないようだ。出て来たこれは駒に過ぎない、とヴィクトールは感じ取る。反応せずに見ていると、相手は調子に乗って、こちらへ歩み寄ってきた。

 「どうした、奴隷。今日は挨拶もなしか。……驚いてしまったのかな、我が兵団の強さに」

 エドモンはそう言って、いきなり両手を広げ、楽団の指揮者のように下から上へ引き上げる仕草をした。……すると、その両脇の雪の地面がぼこぼこと盛り上がり……そこから、先程の腐った死体が現れる。そしてエドモンが手を前に翳すと、それらはヴィクトールを目掛けて飛び掛って来る。

 彼が動くまでもなく、護衛の騎士が躍り出て、素早くそれを処理した。エドモンはそれを見て、やれやれと先ほどの両手を肩のあたりに上げた。

 「幾らでも出す事が出来るのだよ、面白いだろう?……だが、思ったより早く片付けたようだ。どういう訳か分からないが、貴様ら、いつの間にか鍛錬を積んでいたな……」

 敵の第一王子は、紅蓮の貴公子の目前まで迫って来る。……その目線は彼の顎の辺りにあるので、見上げるような形になってしまうが……それでも、エドモンは渾身の力を以てそれを睨んだ。

 「謀ったな。……それまで通り我が国の従順な犬である振りをしながら、水面下で謀反の準備を進めていたな。道理で何かおかしいと思っていたぞ……」

 ……間近で鼻息を荒くしながら、その父親にそっくりな汚い顔を突き付けてくるので、ヴィクトールは頭の痛さも相俟って、酷く鬱陶しく感じた。……今すぐ遠ざけたいが、ただ蹴り飛ばすのも芸がない。

 「……人形遊びは、楽しいか?」

 彼はこの上ない蔑みの真紅をエドモンに向けた。

 「はあ?何だと?」

 「何でも言うことを聞くお人形を扱うのは、さぞ楽しいだろう。……生身の人間は、王子様の言う事を聞かないからな」

 ……エドモンは言葉を出すのも忘れてしまったようだ。浅黒い顔をみるみると紅潮させ、ぶるぶると震わせて、歯ぎしりを始める。それが輪をかけて不快だったため、ヴィクトールは手段を間違えたか、やはり単純に蹴り飛ばして遠ざけるべきだったかと思っていると、相手は何を思ったか、突然にまた奇妙な笑みを見せた。

 「……奴隷。調子に乗って余計な口を利いたことを、後悔させてやろう」

 エドモンは彼から数歩離れ、そして両手を合わせる。その左右の掌を少しずつ離してゆく間には、黒い靄のようなものが生まれ……彼が両腕を思い切り広げる頃には、一本の、深い紫の霧のようなものを纏う黒い長剣になっていた。

 「驚くなよ。この剣は、凄いんだ……どれ、その馬鹿のように大きな刃を抜いてみろ」

 面倒で、ヴィクトールは軽く息をついたが……これも弟と一緒で、遊んでやらないと納得しないだろう。仕方なく、彼は背の大剣を抜き、片手で構える。……と。

 

 ガシィン!!

 

 ……大きな響きを上げたかと思うと、炎の手からそれが離れていた。「あっ」と彼が声を上げる中、それは舞い散る雪を反射させながらくるくると宙を舞い、かなり遠くの雪原を破壊し雪煙を立てて突き刺さる。アルベールが緊迫し、自ら剣を抜こうとするが……ヴィクトールは、大剣に投げていた真紅を彼に向けて、それを制した。

 「……はっは……はっはっは!!恐れたか。やっとこの私を恐れて、手下に手を出させるのをやめたのか……」

 エドモンは余程、爽快だったのだろう。一度発した笑いを、なかなか止められない。広い雪原に響き渡ってこだまするそれは、やはり酷く炎の気分を害した。

 「……はあ……」

 大きな、大きな溜め息。そして、またエドモンに蔑むような紅玉を向ける。……頼るべき武器が手元から離れてしまったことなど、何の問題もないかというようなそれに……エドモンは一転、またその顔を真っ赤に染め上げた。

 「何だ……何だその態度は!この奴隷、化け物!!……跪け。地に頭を擦り付けて、命乞いをしろ!!」

 「やってみろよ」ヴィクトールはうんざりとして、そう呼び掛けた。「その不格好な剣で、斬ってくればいいじゃないか。今こっちは丸腰なんだ。絶好の機会だろ」

 「……」

 ……謎の余裕を醸し出す、炎の挑発。それに怖気づいたのだろうか。エドモンは黒い長剣を持った手を震わせ……何を思ったか、突然に背を向け、向こう側へ戻り出す。

 「……あんな風に敵に背を向けるなんて、よっぽど戦い慣れてないんだな」

 ヴィクトールが呆れて、アルベールに言う。

 「俺は、お前が何をしでかすか分からなくて怖い」

 騎士は普段通りの、困ったような顔をして、そう返す。……そうしているうちに、エドモンは配下の待つ最初の位置まで戻ったようだ。

 そして振り向き、クックックと不気味に笑い出した。それから……また、最初にそうしたように両腕を広げる。

 「……もっと多くの手下を連れてここへ来なかった事を、せいぜい悔やむがいい。化け物の貴様を消せば、グランフェルテなどといった小国、塵も同然!」

 その両手を、勢いよく天へ掲げる。それと同時に、地からは無数の隆起が起き……先ほど城門前で帝国兵たちを苦しめていたものと同等、それを上回るほどの腐った者が、密集して這い出てきた。

 「うわ……」

 ヴィクトールは思い切り顔を顰めて、高い鼻を摘む。

 「出し過ぎだろ。この地の価値が下がってしまう。これから……うちのものになるのにな!」

 そう言って、その反対の掌を……屍達の塊に、すっと翳した。


 ドォ……ン!!


 大爆発が起こる。

 鼓膜を震わせるその音と振動が、数十秒かけて漸く収まり……辺り一面を覆っていた雪は全て溶けてその下の山肌が露になる。次に、それによる土煙が流されてゆくと……その場に現れた筈の恐ろしい数の屍は、不思議なほどに消え去っていた。

 「……あ……あ……」

 ……対岸のエドモンは、呆気にとられて口をあんぐりと開け、腰を抜かして尻餅をつく。……手を翳したまま、その様子を遠くから嬉しそうに観察していたヴィクトールであるが……楽しんでくれたのかどうかよく見えないと言って、歩み始める。彼の後ろで……やはり碧眼を見開いて唖然と固まってしまっていたアルベールも、慌ててその後に続く。

 「……く……く……来るなっ!!来るな、化け物!!」

 エドモンは酷く蒼白になりながら、先ほどの黒い剣を取り落としつつ、手足をばたばたとさせて慌てふためくが、思うように動けない。大股で歩を進めてきた炎が、あっという間にその目の前まで迫ってしまう。

 「……そうさ。あんた方が散々と馬鹿にし、そして恐れてきた化け物の力だ。やっと思い切り披露できた。……感想はどうだ?」

 「ひっ、ひいっ!!」

 エドモンは失禁さえしながら、尻を地につけたままで後退り、彼よりも先に逃げようと船の黒い階段を駆け上って行った配下の兵達を怨めしそうに見ながら、自身もそれに続こうとする。

 ……その時。

 その階段の上……黒い船の乗降口の扉が、ガチャリと外れる音がした。

 「……!」

 ヴィクトールは情けない姿の王子から視線を外し、そちらを確認する。……ずっと頭の中に鳴り響いている奇妙な波動が、一層重く強まり、胸にまで突き刺してくるような感覚。

 「……殿下。早くお上がりなさい」

 ……その扉から出て来た男は、低い声で静かに、エドモンにそのように告げる。だが、その姿は……真っ黒な衣に頭からすっぽりと包まれ、全身を覆い隠していて、背の高さ以外の様子は判らない。

 その者が呼び掛けても、エドモンはまだ立ち上がれずにいた。仕方なしに漆黒の男はゆっくりと階段を降り、逃げかけてその段の途中で脇にへばり付いているエクラヴワ兵士たちの間を通り、エドモンの元……ヴィクトールの目前にまでやって来る。

 ……彼は先ほどまでの余裕を忘れてしまったかのように、この男から発せられる気迫……いや、それだけでは言い表せない何かに、身を硬くしてただその姿を見ていた。黒い男は身を屈め、エドモンの細長い身体をひょいと持ち上げると、その肩に掛ける。そして立ち上がり、少しだけ炎に顔を向け……少し首を傾げるような仕草をすると、元の階段を踏み締めるように一歩一歩上り、また扉の向こうへ消えた。

 ……そして、ややあって黒い船は浮上の為に機動音を上げ始めた。ヴィクトールとアルベールは竜のもとへ戻り、その暗黒の姿がまた南の方角へ去っていくのを見届ける。

 「……何だ、あの男は。……ヴィクトール、また顔色が優れないが大丈夫か?」

 アルベールが心配の様相で覗き込んでくるのに対し、ヴィクトールは曖昧に首を振って少し笑みを作る。

 「……ああ、少し張り切り過ぎたかな。今まで出来なかった分、思いっきりいったから」

 それを受けて、アルベールはいつも通り呆れたように眉を顰める。

 「全く、驚いたぞ、あそこまで出来るなんて。……だが、派手にやり過ぎだ」

 「何だよ、細かくした方がいいんだろ?」

 口を尖らせながらヴィクトールは白竜に手を掛け、そこでまだ大剣を拾っていなかった事を思い出していると、アルベールは彼からふと、黒い船の去った方向に碧眼を投げた。

 「……だが、エクラヴワ第一王子。相変わらずだ。……あれの元に、ディアーヌをやるような事を避けられて、本当に良かった……」

 ……その、普段の彼と少しだけ趣の異なる表情を見て……ヴィクトールはおっ、と言いながらそれを少し覗いて見たが……それ以上は余計な事を言うまいと、敢えて目を逸らした。

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