【I-033】漆黒の船
牢の中の三人は、腹を減らしたまま只々丸一日、砲撃や剣の交わる音を聞きながら……ぐったりと、しかし凍えて丸くなりながら過ごしていた。しかし、夕方になってからはその音がはたと止んだので、彼らは怪訝に思って顔を見合わせる。
「……帝国のヤツら、居なくなったのか……?」
「いや、飛び立つ音もなかった。停戦か……」
フィジテールは、レオナールを人質に取る事に失敗し、エクラヴワからの援軍を断る手段を失ったはずだ。しかしまだそれが来ている気配もない。
……いや、しかしそれ以前に……ここから出ることが出来なければ、何を考えても仕方がない。寧ろ、ここに帝国の砲撃が当たり、牢が崩れて出られる展開さえ期待したが……それさえも叶わないまま、こうして夜を迎えてしまった。
あと一日、飲まず食わずでいたならば……命の危険がある。さらに、この凍える寒さ。リュックなどは既に朦朧としているのか、外で戦の音が鳴り響いている頃から殆ど口を利かず、ずっと俯いている。
「どうにか、どうにかしねえと……」
レオナールはそのように呟くが、身体は震えるばかりで、彼の焦りに付いてこない。だんだんと眠くなってきて、そこに誘われるまいと首を振るのだが、視界がぐるぐると回るだけだ。
そうしているうちに、小窓からは、美しく虹色に光り輝く幕のようなものが覗いていて……もしかすると天国からの迎えが来ているのか、と錯覚する。
……バタバタ、と足音のようなものが聞こえた気がした。天使とは随分と粗野な音を立てて来るのだな、と考えながらも、目を閉じて昇天させて貰えるのを待っていると……彼らは、次にガンガンと鉄格子を叩いたり揺らしたりした。
「レオ、シーマ……リュック!!しっかりしろよ!!」
……呼び掛けても、壁に凭れた三人が反応しないのに焦り、ジャンは後ろに付いてきたアナから、街で無人の鍛冶工房から盗んできた大きな金槌を受け取り、彼らのもとに遅れて走って来たフランクと共に握った。
「せーのっ!!」
鉄格子は大きな衝撃音を立てるが、少し凹んだ程度で破壊には至らない。
「ダメだ……やっぱ、鍵は見つかんねえのか!?」
……すると、ジャンの必死の呼びかけに応じるように、エマが金属の束を握って駆けて来た。
「あったわ、これでしょ……!」
「おおっ、出来したぜ、エマ!」
ジャンは彼女からそれを奪い取るようにして、片端から牢の錠前に差し込んでみようとするも、なかなか合わずに苛々とし始める。
「もう、貸しなよジャン!」
アナがそれをまた奪い、慎重に一本ずつ確かめてゆく。……やがて、その一つがカチャリと軽快な音を立てた。
「やったよ!」
アナが叫び、鉄格子がギイと耳障りに響いて開くと、一番にエマが中へ飛び込んだ。
「リュック!シーマ……!!」
彼女は涙を浮かべて、彼らの身を揺さぶる。シーマはうっすらと意識を取り戻したようだが……リュックは、なかなか反応しない。
「湯を飲ませろ!おい、レオ……!!」
ジャンがレオナールに駆け寄り、水筒から湯を飲ませると、彼は熱ちい、熱ちいと言って手足をばたつかせた。
「……ジャン……みんなも……来てくれたんだな……」
「おう、今、城はスキだらけだぜ」ジャンはこの寒さの中でも汗をかき、それを袖で拭いながら言う。「この監獄の棟の見張りなんか、みんな逃げ出したのか全くいねえし……城の兵士だってすげえ数減らしてボロボロで、女王と一緒に城の奥に篭ってやがる」
詳しい話は後だ、と言って、ジャンはレオナールを背負い始める。同じようにフランクがシーマを背負い、エマとアナはリュックを両脇から支えた。
「……じゃあ、やっぱり帝国が……」
毛布に包まり、まだ少しぼやけている意識をはっきりさせようと首を振りながら、レオナールは呟く。
……彼らは城壁のすぐ脇にある、元は貴族の物らしきひとつの屋敷へ逃げ込んでいた。ここの持ち主はかなり前から避難しているらしく、置き放しの果物が、冷気で腐ることはないが乾燥で干からびている。しかし一同が拝借するには、十分に豊かな環境であった。
「……おう。奴ら、カシラだけじゃなくて兵隊もバカみてえな強さだせ……」
城に向かったレオナール達がいつまで経っても帰って来ないので、ジャン達はひどく心配したものの……戦の始まる前のフィジテール城は厳重に警備されていて、近付く事すら出来なかったという。どうすれば良いのかとあれこれ模索していると、宣言の一日前に、フィジテール軍ではない異国の兵士……恐らく帝国兵がひとり、あの宿に来て、避難するように告げてきた。
宿主であった男性は強制的にどこかへ避難させられたが、ジャン達は何とかして逃げ、無人になりつつある街を転々として身を隠していた。そして帝国の攻撃が始まり……あっという間に押されてゆくフィジテール兵の様子に身震いしつつ、これはいい機会だとばかりに城へ侵入したのだ。
「俺ら四人以外のヤツは、危ねえから船に戻ってもらったんだ。本当はエマにもそうしてくれって言ったけど、聞かねえからよ……」
エマが少しはにかみながら、だって心配だったからと言うと、レオナールと同じように毛布に包まれているシーマが「お前、またか」と呆れた。
そこへ、小さく火を入れた暖炉の前で一番長く寝ていたリュックが、目を覚ました。
「……あれ、ここは……」
「リュック!良かった!!」
エマが瞳を潤ませながら、抱き着く。食べ物を与えられ、だんだんと回復してきた彼は……やがて、珍しくも悔しそうに呟いた。
「折角、あれだけ学んできた魔術を使えると思ったのに……僕がふたりを助けられると思って……」
「そんなの、いいんだよ。また幾らでも機会与えてやるって」
レオナールがその両肩に手を置いて、強くなって来たな、と励ますと、リュックは照れ臭そうに頭を掻いた。
「もう朝になっちゃうよ。そうすれば……また、戦が始まるかも」
アナが明るくなって来た窓の外を不安そうに眺めながら、言う。フランクも長い前髪を指で上げて、そばかすに囲まれた茶色の小さな目をそこへ向けると、レオナールに問う。
「……レオ、どうすんだよ。まだ乗り込むつもりでいんのか?」
「おう、オレはな。……例えオヤジが乗り込んで来たって、オレがアイツを止めなきゃなんねえ事に変わりねえ。……おめえ達は、もう船に帰ってていいぜ」
「俺も行くぞ」シーマが言い、毛布を脱ぐ。「船で指を咥えて待っていても何も得られん。世界が変貌してゆく、その瞬間を見る」
「じゃあ、僕も……!」
リュックが手を上げたので、エマは慌ててそれにしがみつき、下ろさせた。
「何言ってるのリュック。あなたは足手まといよ。私達と船に戻りましょ」
「そうだよ。意地張ることねえ」ジャンも同意した。「俺も戻るからよ。レオとシーマに任せときゃいい。必ず何か得てきてくれっから」
リュックは暫く、戸惑うように床に碧緑のつぶらな瞳を落としていたが……再び、何か決意したように上げる。
「……やっぱり、行きたいです。その為にこの旅に付いてきたんだから……」
「……」
一同、特にエマは、弟のその台詞にすっかり驚いて言葉が出なくなってしまう。あんなに弱虫で……何かあると、すぐに逃げたり泣いたり気絶していたリュックが。
「……いいぜ、付いて来い。エマ、オレとシーマがいるから大丈夫だよ」
レオナールが胸を叩き、彼女を勇気づけるように笑む。……エマは弟の腕を掴んでいた手をそっと離し、まだやや不安そうではあるが、頷いた。
そして、陽が高く昇った頃……その巨大な船は、現れた。
……船団ではなく、ただの一隻である。南、大王国の方向からやって来たそれは、無人の城下町をすっぽりと影で覆いながら、ゆっくりと城の後ろの雪原へ向かう。
その姿を目の当たりにして、レオナールは……しかし、呆然と立ち尽くしていた。
「……何だ、あの船……」
……エクラヴワの、レオナールがよく見慣れた飛翔船は……艷やかな臙脂色に黄金をあしらい、大きな獅子と龍の紋を誇らしげに掲げたものの筈だ。しかし……彼の目の前に現れたのは、只の漆黒の塊。エクラヴワの紋さえも、そこにはない。
「本当に、オヤジなのか……?」
……とにかく、ぼうっと見ていても仕方がない。レオナールとシーマ、リュックは、間もなく出て来るであろう黒い船の軍隊と帝国軍のぶつかり合いの様相を確認するべく、城壁の上へ上った。
「降りたぞ……」
シーマが城の後方を仰ぎながら呟く。リュックはやはり恐怖を感じ取っているのか、青ざめて身を硬くしつつも、頑張ってそこを凝視する。……それから半刻ほどか。
「……何か、変なニオイしねえか?」
「そんな事を言っている場合……」
シーマはレオナールに苦言しようとしたものの、自らもそれを感知する。
「……酷い、何か腐ったような臭いですね……」
リュックも鼻を覆って顔を顰める。……やがて、それはどんどんと強くなり、辺りは吐き気を催すほどの腐臭に包まれる。何か呪術でも行われているのかと城門の辺りへ移動すると。
「……何だ、ありゃ」
……城から、何か気味の悪い人々が大勢、呻き声を上げながら這うようにして出て来ている。浮浪者の集団なのか……皆、一様にぼろぼろの衣服を纏ったり、一部は脱げたりしている。髪はぼさぼさに乱れ、酷い怪我をしているのか、見当たらない片腕の付け根を押さえたりしている者もいた。
「……何だ、何だよ。オヤジ、何連れてきたんだ……」
鼻を摘んでおえっと嘔吐くレオナールの横で……しかし、シーマは城壁の縁に駆け寄って身を乗り出すようにし、それをよく確認して……顔を、蒼白に染める。
「……よく、見ろ……奴ら、死体だ……」
「……えっ?」
レオナールも、彼以上に怯んでいたリュックも、急いでシーマの両脇に来て、その集団に目を凝らす。……腕がないだけではなかった。頭が潰れ、片目が飛び出している者。下半身を失い、両腕で脚のようにして身を引き摺っている者。……その顔色は一様に、青白いを通り越して土気色だ。
「……な、な……」
レオナールは後退る。尻餅をつき、それでも尚その不気味極まりない集団から身を遠ざけようとするように後ろへ退く。
「……う……嘘だよ。死体が……何で、歩くんだよ。これが、これが……オヤジの軍なワケねえ……」
……しかし、そこであるものが脳裏に過る。アクティリオンを結成する直前、最後にエクラヴワ城に戻った時に見た、あの人物。……真っ黒な衣でその身を頭からすっぽり隠し、背筋の凍るような気配を醸し出していた謎の者……兄エドモンに促され、引き篭もる父大王の部屋に入って行った。
「……オ、オヤジ……まさか……」
「レオナール、しっかり……!」
リュックが駆けて来る。手拭いで鼻と口を覆いつつも、以前のように只倒れるのではなく、自ら気を確かに持つように努めている様子だ。
「……帝国軍が、対応に出てきたようです。ほら」
彼に助け起こされ、再び城壁の縁へ乗り出し、奇妙な軍団から目を背けるように、その対岸の方向を見る。……こちらとは対照的に、白く美しい身形の騎士、魔術師、そして銃士たちが、一丸となって街を駆け抜けてくる。
ドオン……!!
魔術師の放った、巨大な光の爆発。……数多の死体兵が瞬時に消滅するが、吹き飛ばされるものもあった。……その破片がこちらへ飛んで来て、三人は驚いて身を縮め、避ける。
それを合図として、謎の死体軍と帝国軍はぶつかり合いを始めた。先程の魔法で、かなりの数の死体を消したはずだが……それは無限増殖するように、城門から吐き出されてくる。
騎士たちは必死の形相でとにかく剣を振るい、銃士たちは隊列を次々と繰り出して発砲していたが、続々と増える屍たちにやがて応じきれなくなり、個別で対決を始める。しかし、騎士はねっとりと刃に纏わり付く相手の体液に苦労し、隙を見せてはやられてゆき、銃士は弾切れを起こして青ざめているところを、数体の屍に襲い掛かられて倒されていった。
魔術師たちも健闘するが、やはり間に合わない。彼らが懸命に術を唱えようとするのを、死体たちは待つことも出来ずにその餌食にしてゆく。
上空には白い船が数隻現れ、砲撃を開始するが……やはり、屍は消えても消えても、城門から押し出されるのみでなく、倒れたものまでもが蘇り、数を減らさない。
「押されてやがる……」
三人は何故だか……いつの間にか、帝国側の支持に付いてしまっていた。しかし、その苦境を見て下唇を噛む。
「……ウソだろ……フィジテールは、世界は、こんなヤツらに飲み込まれるってのかよ……」
レオナールは石壁を押さえる腕を震わせ、頼るように……グランフェルテ帝国側のその向こう、司令官の待機しているであろう船の方向へ、視線を投げた。
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