分かつ時灯り～Gloire de Dijon

【I-030】人質交渉

　翌朝、レオナールはふたりを連れて王城へ向かった。簡素な獅子の石像が定期的に配置されている城門への街道には、常に民の暴動が起こるのを見張っているかのように多くの兵士が見張りのために彷徨き、彼らを獣を狙う猟師かのような目で睨んで来る。

　やがて、雪の吹き付ける城門へ辿り着く。温かみの一切感じられぬ、しっかりと重厚なそれの前も、数人の屈強な兵が護っていた。

　「止まれ！何の用だ！」

　レオナール達が彼らの十歩程度手前に来た時点で、隊長らしき兵が怒鳴る。レオナールは意を決し、曲刀に手を掛けた。すると一斉に、兵士達も同じように身構える。

　「待ってくれ。これを見てくれよ」

　レオナールはそれを腰から鞘ごと外して、普段は厳重に巻きつけている布を取り払った。そこに現れたのは、獅子と竜が対峙する、世界で最も知られた重々しい紋章だ。

　「オレは、エクラヴワ大王国の第三王子レオナールだ。女王に話がある。入れてもらえねえか」

　そう堂々と名乗るレオナールの後ろで、シーマは渋い顔をし、がちがちと緊張していたリュックはさらに、はらはらとした。もう少し王子らしい話し方は出来ないのか……これでは怪しまれさえする前に追い返されるのでは、と感じていた。

　……この台詞だけならば、確かに兵士達は剣も抜かずに笑い飛ばして彼らを追い返しているところであろう。しかし……その紋の威力は、大王国と緊迫した関係を続けるこのフィジテールではあまりに大きいものだったらしい。

　「……その紋を、もう少し近くで見せてみよ」

　隊長が言う。レオナールがそれを掲げて彼のもとへ歩み進んで行くと、二、三人の兵がそこへ集まってよく確認し、本物だ、間違いないと頷いた。

　「その紋は紛れもないエクラヴワ大王国のものらしいな」

　「そうだよ、判ったろ。だから女王に……」

　……しかし、兵士達は門扉に手を掛けるのではなく……彼の身体をいきなり、がしっと捕まえた。

　「な、何すんだ！」

　驚いてシーマとリュックを振り返ると、彼らも同じようにされてしまっている。彼らはそのまま、何故だか罪人のように捕まえられながら、城内へ足を踏み入れることとなった。

　彼らは女王の前に連れて行かれるのではなく……小窓に鉄格子の嵌められた、少し広めの牢ヘ放り込まれた。突き飛ばされて手を前につき、膝を折っていたレオナールだが、牢が閉められるガラガラという音を聞いて慌てて立ち上がり、その鉄の棒を掴む。

　「おい、何でだよ！？何で牢屋にぶち込まれなきゃなんねえんだ！エクラヴワの王子だって言ってんだろ？」

　すると既に持ち場に戻るべく背を見せてしまっている門兵達に代わり、そこの看守がやって来て、彼の問いに答える。

　「王子かどうかはさておき……その紋を着けた者が訪れて来た場合、ひとまず捕らえてここに入れ、女王のご判断を待つ事となっている。騒がずに待て」

　……フィジテールはエクラヴワの領土であり、曲がりなりにも立場は上であるのに、そのような事を言われレオナールは絶句する。混乱してそれ以上の反論をするのも忘れ、あんぐりと口を開けたままシーマとリュックを振り返る。

　「……情勢は思っているよりもややこしいようだ。帝国の目の付け所も、間違ってはいないのかもしれんな……」

　シーマは状況を受け入れたのか、そう言って床に胡座をかく。リュックもこうして捕まるのが二度目のせいか、意外と怯える様子は少なく、困ったように眉を下げているだけだった。

　「これじゃ、姉さん達の方と連絡が取れませんよね……取り調べ受けたら開放して貰えるんでしょうか……」

　「クソっ、何だよ」レオナールは諦めたのか、鉄格子から手を離し、彼らの方へよって来て同じように座り、憤った。「女王に取り次いでみろってんだ。それでもダメなら、オヤジにでも何でも取り次ぎゃあいいんだ。オレが王子なのは紛れもねえ事実なんだからよ」

　そうして愚痴を言いつつ、火が焚べられているとはいえ少し冷え込んできた室内に凍え出していると……コツコツという、兵士達ではない様子の靴が鳴る音が聞こえてきた。

　三人が鉄格子の向こうの石壁に目をやっていると……やがて、そこに初老の女性が現れた。質素な薄灰色の毛皮の衣に包んだ身は、かなり痩せているが、その目付きは神経質そうに鋭く釣り上がり、きつく結った白髪と相俟ってまるで魔女のような印象を与える。

　「フィジテール十二世、オフェリア陛下のお成り！」

　連れの近衛の一人が号令をかけると、他の数人の兵や看守も額に手を当てて敬礼した。……レオナール達も、思わず背筋を伸ばす。

　「其方ですね。エクラヴワの王子と名乗っているのは」

　口調ばかりは柔らかいものの、その声質は張りがあり、レオナールは子供の頃に彼に付いていた教師を思い出して身を硬くしてしまう。

　「……この件について何も連絡は受けておりませんが……その髪と瞳、年の頃。身体的特徴は彼の国の第三王子と一致しているようですね」

　「……そう、そうなんだよ。だから言ってんじゃねえか」レオナールは女王の前に、格子越しに駆け寄った。「オヤジ……いや、大王とは連携してねえ。オレは、大王とは別で女王様に話があんだ」

　すると女王はほう、と興味を持ったように、その鋭い薄灰の目を少し見開いた。

　「エクラヴワ大王とは別の意図があるというのですか。では……其方はこの行動を独自で展開している、という事なのですね」

　「そうなんだよ、だから安心して貰いてえ。フィジテールをどうこうしようってんじゃねえんだ。ただ、これから帝国が来るから……」

　女王はレオナールの話をみなまで聞かぬうち、そのくすんだ紅を塗った、薄い唇の端を引き上げた。そして相手の話を遮るように、口を開く。

　「これは、これは……面白いものが手に入りましたね。これを『盾』にすれば、エクラヴワ大王も少しは大人しくなるかもしれませんよ」

　「……え？」

　「まあ、可哀想に。お父上とは別で動かれていたものだから、王子は何も聞かされていないのですね」

　女王オフェリアは哀れなものを見るようにして、少し首を傾げながら、レオナールの困惑した表情を覗き込む。

　「……グランフェルテの宣告を受けて、エクラヴワ大王国から我が国をお護り頂けるとの声明を頂きました。……我がフィジテールにはそのような小国に十分に対応できる軍力がありますから、余計なお世話ですのにね」

　「えっ！？」

　予想外の展開に、レオナールはひどく驚く。オフェリアはその反応を見て、ほっほっほと可笑しそうに笑った。

　「本当に何も知らされていないのね、お父上も愛するご子息に酷い仕打ち。……大王は帝国を追い払う代わりに、我が軍を縮小し他の領国のように派遣兵を配置させろと脅して来るのですよ。要りませんと申しているのに」

　ゆえに、レオナールを人質としてその申し出を拒否するつもりだと、女王は語った。……まんまと駒に利用されようとしている事に、レオナールは愕然としつつ……強い憤りを感じ、再び強く鉄格子を掴んだ。

　「ざっけんじゃねえ！！勝手に……人の事何だと思ってんだよ！てめえらの政略の道具じゃねえ！！それに……」

　女王は、あのグランフェルテ帝国を舐めてかかっている。そちらはまるで大した問題ではないかのように……確かにグランフェルテ軍の規模は大きくないかもしれないが、紅蓮の皇帝の不思議な力を伴う常軌を逸した強さ、そして謎に漲る自信を目の当たりにしているレオナールは、それを軽んじようとしている女王に警告を鳴らしたかった。

　「そんなんだから、グランフェルテの奴がつけ上がんだ……どいつもこいつも権力争いにばっか目が行って、国民の暮らしなんか、民たちがどんなにしんどい中で生きてるか、ちっとも見ちゃあいねえ……」

　……言いながら、レオナールの心に一つの疑問が浮かび上がって来た。……グランフェルテ帝国自体も、エクラヴワの支配下に置かれていたはずだ。他の領国と同じように城から城下町にまでエクラヴワの摂政や派遣兵が配置され、皇族から一般市民に至るまで、他国よりも厳しい管理下に置かれていたはずである。

　（……アイツ、何で突然に……自分の国を自由に動かせるようになってんだ？）

　彼を我に返らせたのは、女王が靴先をひとつ鳴らした高い音だった。

　「さて、楽しみですね。衛兵、早速エクラヴワに連絡を取るよう伝えなさい。看守係、彼に十分な食事と休息を与えておきなさい。お付きの者もね。……決して殺してはなりませんよ」

　「ちょ、ちょっと待ってくれ！」

　レオナールが握り締めた格子をガシガシと鳴らすも、オフェリアは衛兵たちを引き連れて行ってしまう。……ここで父大王にレオナールの居場所が知れ、問題視されれば……アクティリオンとしての活動を続けられなくなってしまうかもしれない。

　「クソッ、オレが動けなくなっちまったら……世界はもっと、混乱しちまうんだよ……！」

　「ふん、自惚れの強い奴だ」シーマはそんなレオナールの背に向かって、無表情のまま嘲った。「お前の存在などなくとも、世界は勝手に方向を定める。……しかし、問題は俺がここで自由を奪われてしまっているという事だ……」

　「だ、大丈夫じゃないですかね……？」リュックはおどおどとしながらも、そのように言う。「殺されるような事は無さそうですし、きっと、大王様はレオナールが囚われていると分かれば、いくら何でも助けてくれますよ。その後、一緒に活動が出来るかどうかは分からないですけど……」

　「……ひとまず、ここでうだうだ言ってても仕方ねえ……」

　レオナールは下唇を悔しそうに噛み締めつつも、一息つき、鉄の棒から手を離した。

　「……オヤジの反応を待つしかねえ。考えんのは、それからだ」

　その晩、三人は…自身の今後と世界の行方、そして街や船に残してきた仲間たちの事などあらゆるものを気に掛けながら、この薄ら寒い牢獄で眠れぬ夜を過ごした。

　しかし、それからふた晩、三晩が経っても、三人はそこから出される気配はなかった。……街にいるジャンやエマ達が、さぞ心配しているだろう。焦りを募りに募らせたレオナールは度々看守に食って掛かっていたが、もう明日に帝国の宣告日が迫ったその晩……またあの日のように、そこへ厳しい表情の女王が現れた。

　「……大王国は、其方を要らぬと言っております」

　「……えっ！？」彼は耳を疑い、愕然として彼女の言葉を繰り返す。「要らねえ……？オヤジが、そう言ったのか？」

　「さあ、お父上が仰られたのかどうかは存じませんけども、とにかく大王国の正式な表明としては要らぬという事です」

　女王は、この役立たず、とでも言いたげに、レオナールの顔に酷く冷たい氷のような視線を送る。

　「数日間、確りと交渉しましたよ。しかし、何度説得を試みても、その命より我が国の支配権が欲しいとの様子でしたから」

　「ウソだろ……」

　レオナールには俄に信じられなかった。世界には傲慢で非道な大王と評されても、レオナールには、溺愛とも言える態度で接してくれていた父が……。

　（……中立軍なんか立ち上げた事がバレて、見切られたのか……）

　裏切ったのは自分が先だ。それでも……レオナールには、まだ父と縁を切る覚悟ができていなかったのだ。

　「まあ……今は、処刑の準備などしている暇がありません。戦が終わってから処分することとしましょう」

　そう言い残して、女王は踵を返し、行こうとする。そこで、まだ呆然としているレオナールより前に大股で歩み出て来たのはシーマだ。

　「待て！このまま王城が攻撃されたら……」

　オフェリアは聞く耳持たぬ様子で去ってしまう。代わりにそこを守る看守が、煩い囚人達に呆れたように告げる。

　「要らん物が攻撃に巻き込まれるのを誰が心配するか。俺ももう、避難する。逃げたいんなら自分らで考えろよ」

　看守はそう言って、女王の一行が戻っていったのを見計らい、裏口の方へそっと逃げていった。

　シーマはそれを受けて、珍しくも悔しそうに眉を顰め、畜生め、と吐き捨てる。牢の奥の方で全て見聞きしていたリュックは、レオナールと同じように暫く唖然としていたが……やがて、何を思ったか、ばたばたと自分の身を叩き出す。

　「……ないな……シーマさん、何か棒のような物、持っていませんか」

　「……？」

　「術が唱えられれば、あの小窓の格子くらい頑張って外せるかも……でも、杖がないと」

　彼の言葉を聞き、女王と話していた時のままの姿勢で固まっていたレオナールが、はっと振り返る。

　「……棒！？棒がありゃあ、出れんだな？」

　「いや、出来るかどうかは、分からないですけど……」

　「とにかく、可能性のある手段は試せ」

　シーマが言い、自らの懐を探し始めると、レオナールも続いた。……しかし武器は勿論、大方の持ち物はこの牢ヘ入る時に取り上げられてしまっている。

　「胴締めの皮じゃ、ダメか……？」

　レオナールがそれを腰から外して丸めたりしていると、シーマは何かを発見したようだ。

　「あれならどうだ」

　彼が駆け寄った先……牢の外の、先ほどまで看守がいた場所に、何か金属の長い物が一本、落ちている。……錐か何かか……看守が道具の一つを落として行ったらしい。

　「運がいいぜ！」

　レオナールもそこへ寄りシーマの後ろから覗き込む。鉄格子の間から手を伸ばす彼だが、なかなか届かずに苦労している。レオナールが代われと行って同じようにする。

　「取れそうだ！」

　……しかし、指先で触れているうちに、余計に錐は向こうへ転がってしまう。

　「あークソッ！！」

　「レオナール、さっきの胴締めで取れませんか！？」

　リュックに言われて、レオナールは先ほどの場所に戻り、それを拾って来る。格子の隙間から鞭のようにして錐に叩きつけ、それをこちら側に寄せようとするが、またもさらに向こう側へ転がってしまった。

　「下手糞め！」

　罵るシーマにレオナールも腹が立って、胴締めを放り投げて立ち上がる。

　「じゃあ、てめえでやってみろってんだよ！！」

　彼がシーマに掴み掛かるのを、リュックは何とか止める。……そのようにして何とかその錐を取ろうと三人は一刻ほど格闘したが難しく、ならば他の方法がないかと色々と調べたり考えを巡らしたりしたが、そうしているうちにすっかり疲れて果ててしまった。

　壁に凭れ掛かり、うとうととしていると……小窓の格子の外が次第に明るくなって来た。看守が最後に焚べた薪が燃え尽きたのか、朝の冷たい空気がそこから射し込むと、芯から来るような冷えに三人は目を覚ました。

　「やっべ、寝ちまったな……」

　レオナールは両手で各々反対側の腕を擦りながら、身を縮める……と、何か小さく機械のような一定の音が、どこからか聞こえる気がした。

　「……まずいぞ、来た……！」

　シーマが小窓に駆け寄り、背伸びして、空を確認する。……そこに浮かぶ幾つかの点。機械音が大きくなるにつれ、舞い散る雪に紛れていたその姿もはっきりと見え始める。

　「あれは……ポーレジオンで見た奴だ……！」

　レオナールは拳を握り締め、それらを見つめる。……自らの存在を誇張するような、真っ白な船体。アロナーダの時には使われなかったそれが、今回は何機もを引き連れ、威風堂々と現れている。

　「……アイツら、今度はあんな大勢で来てんのかよ……！」

　三人が只々、その船団を身を凍らせながらその姿に目を奪われているうちに……そのうちの一隻から、戦いの狼煙を上げるための砲が発射された。