分かつ時灯り～Gloire de Dijon

【I-029】一足先に

　緑色の船体は、漸く海を渡り、ちょうどポーレジオンの辺りへ差し掛かっていた。……帝国領となって三カ月ほどが経ち、あの拷問王の納めていた海の街はどのように変化したのかとエマは気になったが、目立たぬよう少し高度を上げて飛んでいるこの船からは何の様子も覗うことはできない。

　もう船上での生活にもすっかり慣れて、低く唸る機動音にも眠気を催すほどになっていた。エマは小さく欠伸をすると、皆が集っている中央の卓へ移動し、お茶でもしましょうかと声を掛ける。……がらの悪い面々にも、もう馴染んできてしまった。

　「ちょっと、それあたしの役目！」

　際どい服の金髪娘、ナディアがエマに絡んでくる。

　「……じゃあ、先に用意すればいいじゃないの。私が言うまでのんびりしてたくせに」

　エマが口を尖らせ、ナディアが彼女を睨みつけていると、レオナールが手を叩いて笑いながら寄ってきた。

　「おう、エマも随分強くなってきたじゃねえか。ナディア相手にタメ張ってんのかよ」

　……エマは彼が話しかけてくると、少し緊張して身をきゅっと固くしてしまう。……アロナーダへ向かう前、ミリエランスの露天喫茶で、アナがレオナールは彼女のような娘が好みだというような話をしていたせいだ。シーマは相変わらず、彼女に構ってくれる様子もなく剣を磨いているし……もういっそ、レオナールに浮気してしまおうかとも感じていたが、彼の肩書を思い出すと実際に行動する気にはなれない。

　「そう言えばよ、レオ」爽やかな短髪にも違和感のなくなってきたジャンが、しかし相変わらずも卓に足を乗せて思い出したように言う。「最近、何か動きあんのか？……お前の好きな奴」

　エマが勝手にどきりと心臓を高鳴らせている脇で、レオナールはそこにあった放送機に、複雑な表情をして手を置いた。

　「オレもそろそろだと思って、こいつをずっと点けてんだけどよ……」

　……エクラヴワやその支配下の国の放送では、大王に都合の良い情報しか流れないように言論統制されているだろう。あらゆる国の電波を拾えるように、この放送機をイメルダの連れの技師に調整して貰っていたが、なかなか関連情報は入って来ていなかった。

　その様子を見て、いつものように部屋の端で剣を磨いていたシーマが、立ち上がって彼のもとへやって来る。

　「……あれだけこてんぱんにされておいて、まだ立ち向かおうと言うんだから、お前も懲りないな」

　「違げえよ、違げえ」レオナールはあの時の戦いを思い出して青ざめながら、首を横に振る。「あん時はアイツが闘技場なんかで待ってて、散々、けしかけて来やがるから……つい、そういう流れになっちまっただけだ。本当は、アイツと話し合わなきゃなんねえのに……」

　「いや……話し合いだって、ムリだろ」ジャンは彼に釣られて身震いする。「あんだけ怒らせて、次、どうやって話持ち掛けんだよ……配下とかいるんだから、まず違う奴に当たった方がいいんじゃねえの？あの金髪の側近とか、色っぽい姉ちゃんの魔術師とか……」

　それを受けてレオナールは腕を組んで少し考えたが……やがて、再び首を振る。

　「……それじゃ意味がねえ。オレは、アイツともう一度しっかり話してえんだよ」

　シーマは呆れたようにため息をつき、ジャンは「ベタ惚れだな」と言って宙を仰いだ。……すると、そこへ放送機から、臨時の情報へ切り替える旨の放送担当者の緊迫した声が響いた。レオナールは慌てて、それの前に手を付いて向かい合う。

　『――この放送は全世界で流れている。例え、情報を取捨選択し民の統制を図ろうとする愚かな首長が居たとしてもな。この星に生きる、全ての者が知るべき話だからだ』

　……あの対戦がまたも脳裏に蘇り、レオナールは一筋の冷や汗を垂らす。これを聞いている多くの者が彼と同じように、この魅惑さえされてしまいそうな圧力に満ちる声に身を固くしているだろう。

　『我がグランフェルテ帝国は、ひと月後……北の「誇りある不死鳥」、その首に掛かる、フィジテール王国を攻める。領主であるエクラヴワ大王は神器の開放の仕方を知らぬ様子の為、もはやそれを求めるのはやめとする。その手に執念深く握り締める領地を頂くとしよう』

　シーマがレオナールの隣に一歩進み、眉間にしわを寄せ、複雑な表情をする。

　『エクラヴワ大王がその地を護るかどうかは知らぬが、これまでの二国の様相を見て判断できるだろう。フィジテール十二世、丁重に準備をして迎えてくれる事を期待している。以上だ』

　……真紅が不敵に細まる様子が、目に浮かぶようだ。……放送が再び緊迫しながら、炎の言葉を要約して繰り返すものに切り替わってからも、レオナールは暫くそこへ佇んでいた。

　「神器を求めるのをやめた、だと……」

　シーマが珍しくもやや呆然とした様子で呟く。それを見て駆け寄って来たのは、エマだ。

　「……シーマ、あなたの『目的』って、もしかして……」

　彼女の予想が当たっているのであれば、シーマはまた、この船を降りると言い出すのではないか。すると、レオナールが漸く静かにそちらを向いた。

　「……神器がどうこうなんて、アイツは最初から口実に使ってるだけだよ。実際オレだって見た事もねえし、あの最初のオヤジへの宣戦布告まで、アイツの口から聞いたこともねえし…だからそれを追っかけてるってんなら、幻を掴もうってなもんだぜ」

　「……」

　「だからアクティリオンを出てったって、同じ事だ。好きにすりゃあいいけどよ……とにかく、オレらの行き先は決まった」

　アロナーダから逃げるように浮上し、取り敢えずはエクラヴワの拠点に還ろうと北を目指してきたが……方向的には、運が良かったことになる。

　「このままもう少し飛ばしゃあ、今回は帝国よりも先にフィジテールに着く。よし、行くぜ！」.

　彼はすっかりと気を入れ直した様子を見せると、この飛翔船を動かしている技師たちのもとへ向かっていった。

　そして、アクティリオンの船はアロナーダへ向かう時もそうであったように、ミリエランスの森から人の住む場所の途切れぬ地を見下ろし、やがて船内まで凍える空気が達する空へ差し掛かった。いよいよだとレオナールとジャンが毛皮を着込んで準備していると、そこへ既にそうした出で立ちになるのを終えたシーマが現れ、ふたりは意外そうな顔になった。

　「おっ、シーマ。オレてっきり、ミリエランス辺りで降りるって言うかと思ってやきもきしてたんだぜ」

　「……いや、もう少し付き合ってやる」シーマは相変わらずの無表情のまま、淡々と説明を始める。「帝国の最終目的がエクラヴワならば、最終的には神器の謎も解明してくるだろう。それにお前たちに付き合っていた方が、世界情勢も入りやすいしな」

　「はっはっは」レオナールは手を叩いて豪快に笑った。「何だよ、つまり結局、付いてきてくれんのかよ。心配して損したぜ。つーか、オレおめえよりエマが心配でよ……」

　シーマの後ろから茶を運んできたエマが、真っ赤になって固まってしまう。リュックがその横から顔を出し、「良かったですね、姉さん」と嬉しそうにその肩を叩いた。

　「じゃあ早速だけど、作戦会議でもしようぜ。ちょうど茶も持ってきて貰ったとこだしな」

　レオナールは一番に卓の椅子に腰掛け、シーマとジャン、それからエマとリュックにも勧めた。あたしはと言って不満そうにレオナールに絡みつくナディアには、アナとフランク・ポール兄弟、それからレオナールがエクラヴワから連れてきた軍出身者による親衛隊の隊長を呼んで来るように伝えた。

　「……今回、フィジテールには帝国より前に到着する計算だ。だから、まずはフィジテール女王に接触して、戦うのをやめるように持ちかける」

　レオナールは集まった面々にそう言ったが、皆、ピンと来てはいない表情だ。

　「……持ちかけるったって、どうやって？今回、ツテもねえぜ？」

　ジャンが不思議そうに問うと、何言ってんだとレオナールは言った。

　「ツテならあるだろ。ここによ」

　彼は自信満々に両の親指を立て……自らに向けた。おおっ、そうだったという、感激の声が……一切上がらずに、彼はずっこける。

　「な、何だよおめえら。オレがエクラヴワの王子だって忘れてねえか？」

　「いや、忘れてねえけど……」前髪に隠れてその目を確認できないフランクが、ぼそっと口を挟む。「……レオ、まさかお前王子のくせに、フィジテールとエクラヴワの関係、知らねえの？」

　「し、知らねえわけねえだろ。フィジテールはスキ見ちゃウチに逆らおうとしてる国だ。二年前、オヤジがラントマン使って脅したけど、やり返してきやがったから……オヤジやエドモンのアニキは随分カリカリしてたぜ」

　しかし自分の利点は、エクラヴワの王子という立場がありながら、父や兄とは別の価値観で動けるという事だ。もし、アクティリオンがフィジテールとうまく連携できたなら、ミリエランスで叶わなかった組織の基盤が……大王国にも帝国にも渡り合える力が出来てくる。

　「……まあそれで女王をうまく説得して不戦に持ち込めりゃ、帝国だって必要以上に攻撃しねえだろ。あとはアイツと何とか交渉に持ち込むだけだ」

　「そんなにうまく行くのかしら……」アナは疑い深そうに彼の顔を横目で見る。「レオ、あたしらだってその通りにいけば嬉しいよ。でも追い返される可能性のが高くない？」

　「まあ、ここで燻ってるよか、何かしら動いた方がいいだろ。成功するかどうかなんか分かんねえけど、取り敢えず下りてみようぜ」

　ジャンが言うと、じゃあ早速詰めてこうぜとレオナールは紙を取り出し、彼の人柄をそのまま映し出すような乱雑かつ大胆な字で、頭の中の計画を書き出して行った。

　そして、その二日後の夕方……帝国が宣告した日のちょうど一週間前に、アクティリオンの緑の船は街から少し離れた針葉樹林の中に身を埋めた。万が一、戦に巻き込まれてしまった際のために……親衛隊長にはすぐに出動できる準備をしつつ船に残ってくれるよう頼み、それ以外の仲間たちを引き連れて、雪の舞う厳しい寒さの中を歩き城下町を目指した。

　……しかし、そこへ伸びる街道からは彼らと逆方向へ進んで行く人々が目立った。大きな荷物を背負い、酷く暗い顔をして、しかし急ぎ足できつい山道を登ってゆく。どこへ行くのかと聞くと、大抵はふざけてるのかと怒鳴られたり、無視をされたりしたが、ある、小さな三人の子供を荷車に載せた夫婦が答えてくれた。

　「決まっているじゃないか。逃げて隣のネジェソール村へ避難するんだ」

　「あんた達、こんな時に団体旅行？引き返した方がいいよ。もう、フィジテールは終わりだよ」

　夫婦はうんざりした様子でそう言うと、子供が帰りたいと泣き出すのを宥め、坂を登って行ってしまった。

　「……予想した以上に雰囲気がやべえみてえだ。マリプレーシュやポーレジオンより時間がある分、国民たちも落ち着いて避難できんのはいいけどな……」

　今まで、どこか浮かれ立っていた自分を反省しながら、レオナールたちは進んだ。街に着いたら宿でも取って拠点にしようと考えていたが、実際、営業している店を探す方が大変であった。

　……古い街は寂れ、吹き付ける雪が看板にこびり着いている。しっかりと雪かきをする者も少ない為、その商店街の名残らしき場所の中央に、必要最低限の通り道が作られているだけだ。暗くなってきたが街灯は壊れて点かず、松明を握る必要があった。……帝国の宣言よりも遥か以前から、この国の民は貧しく辛い暮らしを強いられているようだ。

　それでも一行は何とか、もう宿を畳んだという男性から許可を貰い、寝床を提供するだけで何の饗しもしないという条件で、そこを貸してもらった。……彼に話を聞くと、かつて両親と妻、二人の息子がいたが、二年前の戦で息子たちは死に、妻は自殺したという。そして男性の両親は先日の帝国の宣言を聞いて、最期にふたりで山の上に『虹の絹衣』を見に行こう……と言って、行方を暗ましてしまったのだという。

　「……女王は軍にばかり金を注いで、民の暮らしなど気にかけてくれません。でも私は……ここに残りますよ。逃げる気力もありませんしね……」

　街が攻撃されたなら、それで死ねるので楽だ、と宿主であった彼は呟いた。励ましても、相手にとっては余計に酷だろう。酷く遣る瀬無い気分になりつつも、アクティリオンの面子が蜘蛛の巣の張る部屋で明日の動き方を確認していると、外からは暴漢に襲われる女性の悲鳴や盗人に遭って助けを求める人の声が響いてきて、彼らはしばしば救出作業に追われた。

　「こんな国を手に入れて、どうするつもりなんだろうな」

　シーマがふと、そんな言葉を溢す。豊かな資源を誇るアロナーダと帝国との同盟は納得がいったが、いくらエクラヴワ領とはいえ、滅亡寸前のようなこの国を狙うのはどういう意図なのだろう。

　「……アイツの狙いは、オヤジの肩身を狭めてって、最終的には世界を取り戻す事だ……昔、初代のグランフェルテ皇帝がそうしたみてえにな。だから、領地さえ広がりゃあいいんだよ」

　レオナールは際限の無い街からの悲鳴を聞いて、ため息をつきながら言う。そうではない、世界は、各国其々が自立して成立するべきだ。……しかし、例えばこのフィジテールという国を自立させたとして、人々は本当に平穏に暮らせるのか……そう考えると、迷ってしまう部分もあった。

　「……とにかく、明日は王城に乗り込む。ジャンはここにいて、オレが戻るまで皆を守っててくれ。シーマ……それからリュック。オレに付いて来てくれ」

　えっ、とリュックは意外そうに目を見開き、彼を見る。レオナールはそれに応えるように、にやっと笑む。

　「立派な魔術師になりてえから、ここに付いてきたんだろ。なら、色んな経験しねえとな。オレ、アイツと対決した時に……相手の魔術師が張ってくれた光の幕見て、思わず感激しちまった。あんな魔術師がウチにも欲しいんだよ」

　「は、はい！が……頑張ってみます……！」

　リュックはそう言いながら、つい癖で、姉の顔へ視線を投げてしまう。エマは少し驚きながらも、両手を握り、弟の勇気を讃える表情になってくれた。