【I-025】その晩の思い

 波立ってしまった気分を抑え込み、咄嗟に切り替えるのがあまり得意でないということは、自分でも解っている。しかしカリムス王は自身も忙しい中で、この急な対戦が入る前から饗(もてな)しの用意をしてくれているのだから、それを無下にするわけにはいかない。

 ヴィクトールは何度も大きく息をついては苛立ちを外へ追い出そうと試みていたので、湯浴みや着替えを手伝ってくれている帝国騎士はおろか、アロナーダの使いの者までもを、随分と怯えさせてしまったようだ。

 ……これではメイリーンの言う通り、折角の結果をふいにする事に繋がりかねない。理論では解っているのに……あの栗色の瞳の浅黒い顔がふと過ってしまう度、鎮火させようと努めている感情はまた滾ってきてしまう。

 それゆえに食堂へ通された時も、ヴィクトールはあまり適切な表情をしていなかったと思われる。アルベールがずっと心配そうに眉を下げながら、しかし何かを言えば余計に彼の機嫌を損ねてしまうかもしれないと、我慢している様子があった。

 しかしカリムス王本人はそれに気付いていないのか、ようやく晩餐を振る舞えたのが実に嬉しいといった様子で、ヴィクトールに語りかける。

 「いやはや、先ほどの様子を応接間から拝見させていただいたのですがな。実に美しい、まるで舞の舞台をお目にかからせて頂いたような戦いぶりでしたな。思わず、アドリーヌの演舞を思い出してしまいましたぞ……」

 感動の言葉を掛けてくれる王に、ヴィクトールは何とか笑みを作って返答の言葉に代えた。……もしかすると引き攣っているかもしれない、と思いながら。

 「……ところで、最後のあれは一体何だったのですかな?もしかすると、西のシュバリエ地方に伝わる『魔法剣』というものでございますかな?」

 「……ええ、まあ……」

 はっはっは、と国王は笑い、どうあれ帰ってくれたようで何よりじゃと二、三頷いた。そして食の進んでいないヴィクトールの顔を、少し覗き込む。……口に合っていないと思われてはいけないと感じ、彼は慌てて食器を動かした。

 「……グランフェルテ七世陛下、お名前でお呼びしても構わないかの?」

 「……え?……はい、勿論でございます」

 ヴィクトールは自分より半世紀も長く生きているこの老王に敬意を込め、頷いた。

 「では、ヴィクトール殿。……あまり、お気になさらなくて良い」

 「……」

 「若い頃は、誰でも少しは突っ走ってしまうものじゃからの。儂も随分とやらかしたわい」

 王はまた豪快に笑うと、続いて温かな表情になり、ヴィクトールによく聞こえるように、また顔を向かい側に寄せた。

 「……特に、其方は幾重にも難しい運命のもとに生まれ、他人にはなかなか理解されぬことも多いであろう。儂ならとうに、腐っておるじゃろうが……それでも立ち上がろうという姿勢に、儂は本当に感激しておる」

 「……」ヴィクトールはまたも、暫し手を止めてしまう。「……ありがとうございます、カリムス様。……確かに、なかなか……理解はされませんが……」

 彼は今までのものとは別に湧き上がってきた感情を飲み込み、カリムスへ視線を返して、少し笑む。

 「……このように生まれついてしまったからには、嘆いても仕方がありません。だから、やるしかないのです」

 「ふふふ。そうか、そうか」

 カリムスはまたも優しげに微笑み、満足そうに、ひとつ葡萄酒に口をつける。

 「……まあ、無理はするでない。何かあればすぐこのカリムスを頼って下され。……そうじゃ、次は其方の姉君も、ここへ連れて来ては下さらんかの」

 是非に、とヴィクトールは返事をして、引いてしまった食欲を押し隠そうと努めて食事を進めた。それを終えると少し酔ったカリムスは、まだ浮かない表情をしがちな彼を励ますように抱き締めてさえくれた。

 しかし、そうされればされるほど……疑念も大きくしてしまう自分に、ヴィクトールは嫌気が差していた。二元帥と口も聞かぬまま部屋の前まで来ると、アルベールは彼の心境を十分に解っているらしく、よく休めとだけ言って彼の肩をひとつ叩き、ほど近くに与えられた自室へ去って行った。しかし、メイリーンはやや心配そうにヴィクトールの顔を見て、部屋に入ろうとする彼を引き止めた。

 「……陛下。少し、お話できませんこと?」

 「……」

 ヴィクトールは少し疲れたように、ひとつ息をつく。

 「……今、そういう気分じゃない。またにしてくれないか」

 「私……」それでも彼女は、何かを言いたげにその場に留まる。「あまり貴方の心を解ろうとしないまま、あの就任の日……あんな事をしてしまったの。でも……」

 メイリーンは伏せていた長い睫毛の下の漆黒の瞳を上げ、真紅を見つめる。

 「私は、本当にその瞳が綺麗だと思ったから……」

 「あのな、ドゥメール」ヴィクトールはうんざりして、整った眉を顰め、彼女の言葉を遮る。「……俺に近付いてくる女は、みんなそういう風に言うんだ。もう聞き飽きたな」

 「……」

 「ただ三大兵団を率いる元帥にそれをやられると、少し厄介だと思うだけだ。……取り入りたいなら、仕事で結果を出した方が早いぞ」

 彼はメイリーンの顔から自身のそれを背けると、衛兵が扉を締めようとするのも待たず、自ら取手を引いて部屋に入ってしまった。

 「……」

 そこに暫し呆然と佇んでいたメイリーンであるが……仕方なしに、アルベールの部屋の隣の自分に与えられた部屋へ向かう。

 (……なら、元帥として結果を残せば、認めてくださるのでしょ)

 次はこんなに、生易しくない現場へ。自分の実力を、存分に発揮し見せつける事のできる地を、彼女は頭の中に思い描いていた。



 一方、あの後視聴官邸に急いで逃げ帰ってきたレオナールたちは、食事を取ることさえ忘れ、広間のあちらこちらに各々座って暫く放心していた。

 「……レオ、あれ……何だったんだよ。最後の……」

 ジャンがまだ声を震わせながら、呟くように問う。……まだ命があることが夢なのか現なのか判断しきれていないレオナールは、それに答える余裕もなく、部屋の角の観葉植物の隣でぐったりと項垂れているだけだ。

 「『魔法剣』か…?」窓際に凭れ掛かっていたシーマが、顎に手を当てて考える。「……シュバリエの騎士だけが身につけているという技を、グランフェルテの皇帝も使うのか?しかし、術を唱えている素振りがなかった……」

 「違えよ、そんなんじゃねえ……」

 レオナールは漸(ようや)く顔を上げると、ゆっくりと乱れた頭を振った。

 「普通の攻撃だって、何かおかしかった。アイツ、変わってんのは見た目だけじゃねえのかも……」

 ともかく、レオナールがまともに太刀打ちしても到底及ぶ相手ではないということは、はっきりとした。ここで諦めて、グランフェルテの意のままに世界が動かされるのを見ているしかないのか……いや。

 「……とにかく、今ここにいたら危ねえ。すぐ目の前にまだアイツがいるんだしな……」

 レオナールはいててと呟きながらもゆっくりと立ち上がり、スツールに大柄な身体をちょこんと収めているイメルダに言う。

 「イメルダ、オレらもう行くわ。色々チカラ貸してくれてありがとうな」

 「えーっ」彼女は意外そうに驚き、それから悲しそうに円らな瞳を垂らした。「もうお別れなの~?ご飯くらい食べていかないの?」

 「ああ、すげえ楽しみだったから残念だけどな。おめえももうこんな時勢に無暗にひとり旅すんなよ、彼氏いんだろ?」

 そう言われると、イメルダは彼に会わせたかったのに……と、せめて明日まではいられないかと一同を引き留めた。だがレオナールは首を横に振り、ジャンとシーマも荷物を取って身支度を始める。

 「……わかったよ。絶対、また来てよねッ」

 飛び跳ねながらイメルダがレオナールの両肩をバンバンと叩き、もともとの身体の痛みに響いてとても苦痛だったが……レオナールは親指を立て、笑顔を作って扉を出ていった。

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