【I-024】剣舞
城にほど近い、この市長官邸の一室へ逃げるようにして帰ってくると、ジャンは後ろからイメルダが追ってくるのも気にする余裕がない様子で、大慌てで扉をバタンと締めてしまった。
「おう」長椅子に座っていたレオナールが少し驚いて、その顔を確認する。「ジャン、早えな。イメルダは?」
「いや、いや、レオ……」
ジャンは絶え絶えの息が少しばかり整うのを待って……それからレオナールに駆け寄り、食って掛かった。
「何でだよ!?何であいつ追っかけてんだ?」
「え?」
「やべえだろ、あいつ……グランフェルテ七世。すっげえ怖えじゃん」
ジャンはその姿を思い出して、身震いする。……長らく不良の世界で生き残ってきた彼は、自分と相手との気迫の差に、本能的とも言える敏感さを備えているようである。
「正気の沙汰かよ、レオ……いや、いくらエクラヴワん時は相手が猫被ってたったって、それでも分かんだろ。丁寧に話してんのに、何つうかその……佇まいがやべえんだよ」
そうやってジャンが怯えていると、再び扉が乱暴に開いて、イメルダが入って来た。
「レオナール、ダメだったよ〜、ごめ〜ん。だって先に向こうが話しちゃったみたいなんだも〜ん」
「え、最初の作戦通りいっちまったのか!?」
レオナールは立ち上がって、困ったように両手で栗色の髪を掴んだ。
「帝国よりだいぶ着くの遅れちまったんだから、強引に王様に取り入ってもしょうがねえだろ。応用効かせよ……」
……帝国はやはり秘密裏で、アロナーダ国王と何らかの交渉をしているらしいと予想できた。アロナーダのような大国と手を組んでしまったら、グランフェルテの世界侵略はますます加速してしまう。
何としても阻止しなければ……そう思ってレオナールは、国王が帝国と話をつける前に、このアクティリオンが先に介入出来ないだろうかと話していた。しかし、この日の朝に城へ到着していたらしいグランフェルテに対し、アクティリオンはまず船を停泊する場所に迷い、イメルダの父である市長に誤魔化しながら説明した上で、王城へ入れてもらえるように取次いでもらうのに手間取っていたので、計画が狂って動き出すのも夕方になってしまったのだ。
「……そんな頭の足りん女と、覚悟の足りん素人に任せたのが失敗だ。最初から俺達だけで動けば良かったんだ」
シーマが苛立った様子で、イメルダとジャン……それからレオナールを順に睨みつける。
「だって、ジャンのヤツ髪型変えてまで気合い入れたんだ。イメルダだけじゃ流石に難しいから、補佐役として活躍させてやろうと思ってよ。それなのに、何ビビって先に逃げてきてんだよ……」
言われてジャンは、だってよ、と反論しかけるも、自らの情けなさに、慣れていない焦茶の短髪を掻く。レオナールはひとつため息をつくと、腕組みをして考えの整理を始めた。
「アイツ、もう王様と話纏めちまったのかな。そうだとするともう遅えのか……いや、まだ間に合う」
彼はそこに置いていた曲刀を手に取り、腰に携えると、シーマを見る。
「……アイツがいる間に、入って止めねえと。正々堂々と行くしかねえ」
「ふん」シーマはそんな事に興味はないといった様子で顔を背けたが、レオナールと同じように長剣を手に取った。「……貴様の駒に使われるのは癪だが、貴様が一番情報に近い。付き合ってやる」
レオナールは彼に信頼の笑顔を向けると、イメルダとジャンへ向いた。
「イメルダ、悪いけどもっかい王様に取り次いでくんねえか。あと、ジャンはどうする?怖えならここで待ってっか?」
「と、とんでもねえ」ジャンは頭をぶんぶんと振って、一度腰を下ろした椅子から立ち上がる。「何度もビビってたまるか。……レオが行くなら、俺も行くぜ」
一同は気合を入れ直すと、官邸を出て、自動で動く床に乗って専用通路を急ぎ渡り、アロナーダ城の裏門までやって来た。ここへ来るまでにイメルダが「王様に怒られちゃった」という話をしていたので、レオナールはいくら彼女の縁があってもここを再び突破するのは簡単ではないかもしれない……と、塀から侵入するとか、あれこれ策を練っていた。
しかし、まずはその門を守る兵士たちに話を付けてみようと彼らのもとへ歩いていく。市長令嬢の率いる三人を見ると、四人組の門兵は眉を顰めて集まり、何やらこそこそと話し始めた。
「本当だ。また来たぞ」
「執着が凄いな。やはりあれだけ風格があると、変な奴もついてくるんだな」
「わざわざイメルダ嬢まで手玉に取ってさ……」
レオナールが彼らの前まで歩み寄ってきて怪訝な表情でそれを見ると、四人は持ち場に戻り、隊長らしい一人が咳払いをする。
「えー……イメルダ様。やはり、その者たちは中に入りたいと申しておるので?」
「そうだよー。王サマ、もう怒ってな〜い?」
イメルダがそう返すと門兵たちは顔を見合わせたが、意外なほど、すんなりとそこを通してくれた。弾み歩きを始めているイメルダのあとを三人が少し気を張りながらついて行くと、その回廊に、既に待っていたように国王カリムスらしき姿があり、挨拶の準備すらしていなかったレオナール達は驚いて身体を硬くした。
「……断っても無駄なのじゃろう?ならば早く行かれ、お話されるが良い。寒い中、ずっとお待ちになっておられる」
王はさも気掛かりそうに回廊の奥を見て、小さく息をついた。
「まだ晩餐も振る舞うことができず、儂も心苦しくしておるのじゃ。満足したら早く帰るのじゃぞ」
国王はそのようにだけ告げて、さっさと通って欲しいというように脇に避けた。案内役のため兵士を一人付けられて、その指示に従って城の奥へ奥へと行くと……何か、軍の訓練道具のようなものが並ぶ地下室へ連れて来られた。
「あ、イメルダ様はこちらでお待ちを。それと、そんなにぞろぞろ来ては駄目ですよ。せめてどなたか一人にして貰わないと、私が怒られるかもしれないし……」
身震いする兵士を見ながらも、まだ意味がよく掴めずにレオナールは彼に問う。
「あのさ、何だっていうんだ?何でこんな所連れて来られるワケ?」
「何だはこっちが言いたいですよ。行くなら早くして下さいよ……すっごい怖いんですから。あなた知ってるはずでしょ」
兵士は有無を言わさずレオナールの腕を引っ張り、その部屋から屋外に続いているらしき石の階段通路へ押し込んだ。……仕方なく十数段を上って行くと、視界は急に開けて、タイル張りの広場のような場所……どうやら闘技場らしきところへ出る。そこを照らす満月の光を頼りに前方を見て。
「!」
レオナールは思わず身の竦むような感覚に陥り、足を止める。……相手は武舞台の、レオナールが入ってきた場所と対角線上にある囲いの縁に凭れて腕組みをしていた。
「やっと来たか。この寒い中、面倒をかけやがって」
穢らわしい物でも見るようにヴィクトールは眉根を顰め、レオナールに紅蓮を投げる。……既に自分が来るのを察知していたかのような言葉に、レオナールは戸惑う。
「何で分かってんだよ……」
「これだけ執拗くて、さらに行動に移すような奴、あんたしか思い浮かばなかったからな」
鬱陶しい、と吐き捨てるように呟くと、ヴィクトールはそこから身を起こし、今一度レオナールの姿を射た。
「国王の伝手まで使って追って来てくれるとはご苦労だが、どうやって我々の居場所を知った?」
「……」
「随分と大人しいな。エクラヴワ城にいた時とは別人のようだ」
……それはこっちの台詞だ、とレオナールは思いながらも、以前のようにすらすらと言葉が口をついて出て来ないのが、彼自身にももどかしかった。だが今こそ、グランフェルテ七世とゆっくりと話が付けられる絶好の機会。これを生かさなくてどうすると、彼は自身を発奮させる。
「アロナーダに……世界に秘密で、何しに来やがった。まさか王様を脅して……」
「人聞きの悪いことを言う。貴様の欲しい答えがそれなのか?」炎の君は歩みを進め、敵国の第三王子の目の前で止める。「エクラヴワの支配に入らないアロナーダを、グランフェルテが脅迫し、傘下に入れようとしていると。だから正義を掲げ、阻止するべくここへ来たとな」
ふん、と鼻で笑い、彼はまた数歩戻ってから、向き直る。
「……じゃあ、そうすればいいじゃないか。ポーレジオンの時みたいに暴れて、俺を止めようとしてみろ。……進めてしまった物事は覆らないけどな」
それを聞いてレオナールは、挑発されている、と感じた。力のない民たちがいくら怯えて暮らそうと、ささやかな抵抗を試みようと……それは無駄なことだと嘲笑われている。
「てっめえ……」
感情の動くままに、レオナールは紅蓮の姿を睨みつけ、腰の曲刀に手をかけた。
「全く単純な奴だ。それに付き合ったらさっさと帰るのか?」
ヴィクトールは呆れる。いい加減に腹も減ってきたので、面倒事は早く片付けてしまおうと思ったが……そこで、あ、と呟く。アロナーダ側の余計な不安を煽らないため、この城にはあの巨大な剣を持ち込んでいなかった。
「……アル、武器を貸してくれないか。剣舞遊びをしたいらしい」
彼が技場の袖に向かって呼びかけて間もなく、金髪の騎士が現れ、自ら背負っていた長剣を抜いて柄と刃を掌で支えると跪き、主君に渡す。レオナールも何度も見たことのあるその騎士が引くと、炎は刃の重みや手応えを確かめ、本当に剣の舞でもするのかというようにレオナールに向かって優雅に、しかしごく軽く構えた。
「……舐めやがって!!」
レオナールも曲刀を抜き、両の手でしっかりと構える。……しかし、これならいけるかもしれない、とも感じる。前回ポーレジオンでの対決……その時に受けた巨大な刃は、まともに攻撃を返すどころか受け止めるのさえ危うかった。
「行くぜ……痛え目、見せてやる!」
レオナールは刃を振り上げ、真正面から飛び掛る。その辺りの一般兵程度なら十分に斬り倒せるほどの力と速さで向かってきたそれを、ヴィクトールは片手のままでくるくると回した長剣で脇に流し、勢い余ったレオナールをよろけさせた。
「焦るなよ、まだ何本勝負か決めてないだろ」
「てめえっ……黙れ!!」
再び斬り込むが、炎は白いマントをふわりと翻して避けると同時に、剣を逆の手に持ち替え、背を見せたレオナールの刃をカン、と弾いた。曲刀は飛ばされ……先ほどレオナールが入って来た闘技場の入口脇へ突き刺さり、そこから様子を覗いていたジャンとシーマは驚いて顔を引っ込めた。
「一本取った。……まさか、これで終わらないよな?」
つまらない、と言いたげに口を尖らせる相手を見ながら、この冷たい空気の中……レオナールは額から冷や汗が流れるのを感じる。
(……やっぱ、クソ強え……)
いや、単純に力や素早さ、技量の問題ではない。その攻撃に、レオナールは違和を感じていた。
「……てめえ、剣に……変な細工、仕掛けてねえよな?」
「また難癖をつけるのか。ほら、お仲間が拾ってくれたぞ」
ヴィクトールが顎で示すと同時に、シーマから曲刀が投げられてきた。レオナールはそれを受け取ったが……再び構える気になるのに、時間を要してしまう。
「……負け惜しみを言って、やる気がなくなったか。ならとっとと帰れ。早く食事を取りたい」
紅蓮の貴公子は演舞によってやや乱れた髪をかき上げ、呆然としているレオナールに背を向けた。そして剣を持っていない方の手を彼に向かってふざけるように振って、舞台の袖へ向かう。どこまでも馬鹿にされたような態度に……レオナールは腸の煮えくり返るような怒りが込み上げるのを感じる間もなく、本来の目的さえ忘れ、衝動的に曲刀を握り締めてその背に斬り掛かった。
「……!」
ヴィクトールは振り返りながらそれを横に避ける。……予想外の速さと勢いで向かってきた刃により、真紅の髪の数本が断たれてはらはらと舞った。
「本当に、執拗い奴だ」
長剣を握り直すと、さらに向かって来る相手に向かって一文字に振る。レオナールはうおっと言いながらも、すんでのところで身体を逸らして斬撃を免れると、そのまま姿勢を低くしながら炎の足元に攻撃を入れようとした。しかし、ヴィクトールは軽やかな足取りで飛び退ける。
「少しはその気になったようだな」
「うるせえ、いちいち挑発すんじゃねえ……!!」
エクラヴワ城で軍長相手にしっかりと剣技の訓練を受けた上で、街でごろつきと対決しながら鍛えたレオナールの腕は、決して不確かなものではない。特に彼が感情の迸るがままに繰り出す攻撃は鬼神の如く強く、ジャンはよく「レオを本気にさせるな」と、自ら青い顔をして対戦相手に忠告していたほどだ。……しかし、この世界を脅かす紅蓮はそれを物ともせず、華麗な剣の舞の演出の一部として利用するだけだった。
「さあ、そろそろお終いにしてくれないか。晩餐が冷えてしまう」
「黙りやがれ!!」
体力ばかりは有り余っているらしく、ヴィクトールがいくら攻撃を跳ね返しても何度も何度も、栗色の瞳に闘志を燃やして相手は斬り掛かってくる。だんだんと苛立ちを募らせてきた炎は、遊び半分といったようだった表情をあるところから一変させる。
「……しぶとい。いい加減にしろ!」
その長剣に、より一層不思議な力がかけられたような感覚があり、レオナールの刃はとてつもない勢いで弾き飛ばされる。絶対に離すまいと必死で柄を握っていた彼だが、それでも滑りそうになり、慌てて過去最大の握力でそれを繋ぎ止めた。
大きく体勢を崩して片膝をつくレオナールを見て、流石に再度は掛かってこないだろうとヴィクトールは判断した。さも厭わしそうに大きく息をつくと、もう付き合っていられないと呟きながら再び背を返す。レオナールはそれを最後の機会と捉えた。
「……ふざけるなよ、雑魚が!」
向かってきた攻撃を、うんざりとした様子で避けたつもりであったが……手の甲に刺すような痛みを感じ、ヴィクトールは信じられぬという思いでそれを確認する。……白い手袋の一部が斬り裂かれ、血が滲み出していた。
「……貴様っ……!!」
紅蓮の瞳に宿ったのは、かつてレオナールが目撃し、記憶に強く残っているあの、凍り付くような業火……数年前の彼が大王ロドルフを振り返り、その姿を射た時のものと、全く同じであった。
それを見て、レオナールは熱く滾っていた心に水を差されたように、突然に我に返る。相手がじりじりと寄って来る歩幅の分だけ後退りながら、先ほどどうにか僅かに当てることの出来たらしい曲刀で自らを守るようにし、顔を蒼白に染めた。
「わ……わ、悪りい。ごめん。そんなつもりじゃ……」
「黙れ、虫けら!!」
地の割れるような怒号と共に……レオナールの目の前に向かってきたのは、ゴオッと音を立てて燃え盛るものである。
「うおっ、熱ちっ!?」
動転しながらどうにか飛び退け、尻餅をついたが、前髪の一部が焼け焦げたのか、独特の匂いを放つ。……何が起きたのか確認する前に、またそれが、苛烈な速さで迫ってくる。
「ま、ま……待って!待ってくれ!!」
状況もいまいち解っていないままではあるが……レオナールはとにかく身を守らねばと、転がりながら逃げ、再び座った姿勢になると尻と足とを慌ただしく動かしながら、後退する。
……しかし、背後に硬いものがぶつかり、絶望が心を占めた。技場の端まで追い詰められてしまったのだ。
命乞いをしようと、すぐ目の前まで迫り来る相手の姿を捉えようとする。……今まさに自分に向けて振り下ろされようとしているものは、月灯りを照り返す刃ではなく……激しく熾る、火焔の塊。
(……ダメだ)
降りかかる衝撃に、目を閉じようとした時。
……キインと耳を劈くような音が聞こえ、目の前が明るい黄色に包まれた。……そっと視界を上げてみれば、そこに光の膜が張られ、レオナールを護ってくれている。
「お戯れが過ぎますわよ、陛下」
そのように女性の落ち着いた声が響いた。勇気を持ってもう一段階、レオナールは顔を上げる。……炎の剣を握ってやや呆然としている皇帝の向こうに、杖を構えた魔術師らしき妖艶な姿があった。
「……折角、すんなりと話が進みましたのに……こんなことで棒に振ってどうしますの?剣を貸したローランも困っておりますわよ」
そこへ、普段レオナールが見る時は常に冷静な騎士が、焦燥した様子で駆け寄ってくる。……憎々しげにレオナールを睨みつけていたヴィクトールであるが、ひとつ息をついて剣の炎を消し、彼の手へ押し付けた。アルベールは熱っと呟きながらそれを取り落としそうになるも、何とか耐えて背へ収める。
「……失せろ」
ヴィクトールはまた吐きつけるようにレオナールへそう言い、向こうの入退場口へ向かう。騎士と魔術師はそれをしっかりと護るように、彼の後ろに付いた。
……流石にレオナールにはもう、再び飛び掛かる気力は残されていなかった。
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