【I-026】希望を抱いた会話

 アロナーダの役人たちのものに紛れさせて停めていた飛翔船だが、街が寝静まった夜中に動かすのは少し勇気が要った。グランフェルテに見張られていないか、撃ち落とされようとしていないかと大いに気を張りながら、緑色の船はひっそりと浮かび上がった。

 アナはぼろぼろになって帰ってきたレオナールの姿に驚き、服を引き剝がして湿布を貼ってくれたりと世話を焼いてくれた。だが彼は徐々に一定になっていく船の機動音を聞きながら、別のことに思いを馳せ、再びがっくりと項垂れる。

 (……あの時から、ホントは鬱陶しいと思われてたのか……)

 つい、半年前。レオナールは先ほど刃を交えたのと同じ人物に会い、穏やかな時間を過ごした筈だった。いつものように大王への謁見の合間に中庭で本を読んでいた彼に、レオナールは、今年は互いに二十歳を迎える、何か新しい始まりにしたいなと笑い、その肩を叩いたのだ。

 


 そもそも、レオナールがグランフェルテ七世と初めて出会ったのは、六年前……レオナールが十四歳になったばかりの頃だった。やんちゃ盛りの彼は、ジャン達とつるんで街で悪さばかりをしていたが……将来の大王位継承のためにそんなことばかりしている訳にはいかないのだと、たびたび酒場で張っていた私服兵に捕まってはエクラヴワ城へ無理矢理連れて行かされていた。

 剣の稽古ならまだしも、座学などさらさらやる気のなかった彼は、たびたび教師の目を盗んでは逃げ出していた。その日も城の裏の塀をよじ登って越えようとしていたのだが、召使のひとりに見つかって、呼ばれた屈強な兵士たちによって引き摺り降ろされてしまった。

 「ざっけんな、大王になんかなる気はねえ!離せよ!!」

 そう言って暴れるレオナールに兵士たちも苦戦していたが、彼を見つけた召使が、王子の気をどうにか引こうと思ったのかこんな話をしてきた。

 「そうそう若様、今日はグランフェルテの皇帝がこちらを訪れているのですよ」

 「はあ?だから何だってんだよ。そんな奴知らねえし」

 その小国を、父は一番の奴隷国として扱っているという知識くらいは持ち合わせていたが、レオナールの興味を搔き立てるには至らない。それは十分にわかっているらしく、召使は続ける。

 「皇帝と言っても、若様と同じ十四歳だそうですから。それと、その者は一目見たら忘れられぬほどの面白い特徴を持っております」

 「……?」

 「何でも、『魔族』との混血だそうで。……どうです、一度お目に入れてみては。きっとご友人との話題の種になることでしょうから」

 彼の巧みな誘導に、レオナールはついつい引き寄せられてしまう。『魔族』という少数種族のことをどこかで聞いたことはあったが、どのような特徴なのかまでをも知り得てはいない。召使も詳細を語らなかったため、余計に気になってしまったレオナールは、その場を用意される前に自ら、父大王の玉座の間辺りの回廊をうろうろして過ごした。

 (一体、どんなヤツなんだ?『魔族』って……)

 そういえば、父や兄がよく「グランフェルテの化け物」という言葉を使っている。それまで無関心だったので、また相手を馬鹿にしてそのような言葉を使うのだと思い、あまり気にしたことはなかったのだが……その真の意味が解ったら、色々と想像が広がってくる。

 (角と牙が生えてんのかな?毛むくじゃらだったりすんのかな……)

 ……怖いもの見たさに近い気持ちで待てど、一向にそれらしき姿は現れない。

 (……もう、面会終わっちまったかな)

 残念そうにため息をつくと、また今度見ればいいやと、今度は再び脱走の機会を見つけようと城内を歩き始める。幾つも設けられている庭園のうち、比較的小さな中庭に差し掛かった。……ここは背の高い植込みに囲われているため、人目が届きにくい。

 (確か噴水脇の地下通路から、外に出られたハズだ)

 レオナールは見回りの兵が向こうへ行くのを確認すると、回廊を飛び降りて植え込みの間に素早く身を隠す。暫くそこへ潜んで、今の行動を見つかっていない事が確信できると……小枝に身体中を突き回されながら、何とか中庭側へ回転させ、今度はそちら側に人がいない事を確認しようとする。

 「……!?」

 古い小さな噴水の流れよりも先に、視界に飛び込んでくるものがあった。鮮やかな紅。

 (……鬘?)

 ……あんな色のものを付けて、何をしているのだろう。よく見れば背に届くほどの長さのその所々は金髪で、意図して目立とうとしているとしか思えないのに、こんな人目のつかないところに居るのが似つかわしくなかった。

 (仮装の宴かなんかあったかな?……ここで準備して脅かそうとしてんのかな?)

 それならこっちから脅かして、邪魔な場所から退けてやろう……悪戯好きなレオナールはそう思ってにやりと唇を歪ませると、植え込みからそっと抜け出る。盗人のように気配を殺して二、三歩を進めたつもりであったが……相手は、すぐそれに気づいてしまったらしく、振り返った。

 その者の手に乗っていたらしき、栗鼠や小鳥が一斉に散る。……しかし、そんなものを気に留めている場合ではなかった。

 (……何だ、こいつ?)

 レオナールは自らが今、夢か幻の世界に入り込んでしまったのではと錯覚する。……警戒心を顕に彼を見てくる両眸は、髪より少し深い、しかし同じ緋色。白に僅か桃色を混ぜたような肌と、何よりもその美しさと佇まいを包むものは……現実の世界の人間ではない、しかし瞬時にして魅了されてしまう、神々しい精霊か何かのようであった。

 少年なのか、少女なのかもよく判らないが、歳の頃は自分とそう変わりないのではと推測できる。……とにかく、このようにその存在にただ見惚れていても、何か気まずいと感じ始めたレオナールは。

 「……何してんだ、こんなとこで。ひとりで……」

 取り敢えず、そのように声を絞り出してみる。だが、相手は彼の正体が判らぬからなのか、緊張を解かずただ探るように黙っているだけだ。

 「あ、オレは……レオナールってんだけど」

 彼がそのように名乗ると、相手は些か慌てた様子を見せ、しかし慣れた様子で跪いた。

 「大変失礼いたしました、殿下。私は、グランフェルテ七世ヴィクトールと申します」

 それを聞いて、レオナールはやっと先ほどの召使の話を思い出し、その内容と一致させることが出来た。

 「ああ、おめえが……そうなのか。……いや、そんな固くなんなよ。オレは、そういうの気にしねえから」

 そう言って相手の最敬礼は解いたものの、まだ心を開くには遠いようで、グランフェルテの少年皇帝は彫刻のように整った顔立ちを和らげない。レオナールはそれをどうにかしようと懸命に考えを巡らせた。

 「えっと……すげえな、動物慣らすの、上手だな。好きなのか?」

 「……はい。動物は……見た目で、判断することをしませんから……」

 ……やはり、その事に触れずに話すのは無理があったのだろうかと、レオナールは反省する。そして先程まで好奇の目で彼の姿を確認しようと考えていたことなど棚に上げて、こう続けた。

 「いや、オレも動物っぽいから、人を見た目で区別したりしねえぜ。もしかしてそれでここに隠れてるんだったら……オレ、話し相手になるよ。同じ十四歳なんだろ?」

 「……」

 「初めてウチ来たのか?いや、オレもあんまりウチに居ねえんだけど。城ってさ、オレあんまり合ってなくて、今日も……」

 レオナールが一方的に話すのを、暫し硬い表情で、身構えながら聞いていた様子のグランフェルテ七世であったが……ふと、あるところでふっと薄く微笑んだ。

 「……面白い方なのですね、レオナール殿下は。もう少しお話を聞いていたいのですが、そろそろ……大王陛下の元に謁見に参らねばなりません」

 「おっ?……まだだったのか、そりゃ悪りいな」

 レオナールは相手が少しばかり打ち解けてくれた事を大変に嬉しく思った分、そこで別れなければならない事を残念に感じる。グランフェルテ七世は優雅な仕草で再び礼をすると、中庭から去っていった。

 その日からレオナールは彼の事がとても気になってしまって、今までなるべく避けようとしていたエクラヴワ本城に、頻繁に通うようになった。グランフェルテは遠い国のため、なかなか再び少年皇帝に会える機会は訪れなかったが……彼の事を調べ回っているうちに見えて来たのは、どれだけ父大王がグランフェルテ帝国に、そして世界に対して卑劣で残虐で、不当な支配をしているか、という事であった。

 グランフェルテ七世を三月に一回呼び付け、遠路遥々やってきた所、父は彼に何をしているかを召使から聞いた時……レオナールは耳を塞ぎたくなってしまった。父は、玉座に謁見にやって来た彼を罵り、その場に集まった貴族達への見世物として、その反応を楽しむだけではない。一晩、二晩滞在させている間は……自らの寝所へ呼び寄せるというのだ。

 ……だから、レオナールはたまたま居合わせていた玉座の間で、挨拶を終えた少年皇帝が父大王を振り返り、『あの表情』を見せたのを目撃した時も……背筋は凍ったものの、意外ではなかった。へらへらと配下と雑談を始めている父は、なぜ気付かないのだろう。自らの仕打ちの非道さを、それがもたらすであろう壮絶な結果を――。

 (……アイツと、話さなきゃ)

 レオナールはその後、まだ滞在しているはずの紅の姿を探して、あの小さな中庭へ入った。案の定、彼はそこに設けられた木の長椅子でひとり本に目を落としていた。レオナールはそこへ駆け寄ると、相手が挨拶する暇も与えずに、いきなり捲し立てた。

 「あのさ、ウチのオヤジが……すげえ酷えことしてんの、オレ知ってる。本当に済まねえ……オレが謝ったって、仕方ねえんだけど」

 「……」

 「だけどさ、もし……それでやり返してえとか考えてたら、ちょっと待ってくれ。オヤジが可愛いから言うんじゃねえ。おめえにだって、いい事なんかねえから……!」

 相手は何も言葉を挟まず、ただ勝手に激情するこの第三王子の顔を怪訝そうに凝視しているだけである。それでも、レオナールは思いを伝えたくて、続けた。

 「オレもずっと何も出来なかったけど、ぜってえ、オヤジにやり方改めてもらう。オレはバカだから、国のことも全然勉強してなかったけど、もっとマジメに頑張って、こんな現状変えられるように次の大王目指す。だから……」

 「……殿下」

 白熱する王子を止めるように、少年皇帝はそう静かに、しかしはっきりと呼びかけると、またあの日のように穏やかに笑んだ。

 「ここで、そのような事を仰るものではありません。貴方にとってお寛ぎになれる場所なのだと存じますが……」

 彼は本を閉じ、隣に腰を下ろしていたレオナールに少し顔を寄せると、やや小声になった。

 「……宮廷というのは、様々な人間の想いが渦巻く所。……貴方ご自身のお命を狙う者が、いないとは限らないのですよ」

 「……」

 青ざめて口を噤むレオナールに、グランフェルテ七世は軽く息をついてから、また落ち着いた表情で、続ける。

 「……私は、大王陛下に感謝申し上げておりますよ。このように生まれ、本来ならば血筋に相応しくない異端の者として、すぐに殺されていてもおかしくはありません。しかし、陛下は私に生きる権利を与え、小国とはいえ歴史に名を残すグランフェルテの国を、こうして任せて下さっているのですから」

 「……」

 彼の話にレオナールは整合性こそ感じたものの、納得は……到底、出来なかった。

 「……んなワケあるかよ。感謝なんか……してるワケねえだろ。あんな目に遭ってよ……」

 しかし、少年皇帝はそこで立ち上がった。

 「殿下、お気にかけてくださり……ありがとうございます。あまりここにいると連れの者に叱られますので、失礼ながら私は、これにて」

 ……そうしてまた去ってゆく真紅の姿を、レオナールは呆然と見守るしかなかった。グランフェルテ七世に、これ以上の屈辱を味わってほしくない……しかし、彼自身は今すぐそれを変えることを望んでいないのかもしれない。

 (……いや)

 あの時の、『あの表情』。……やはりどうにかしなければならないと、それが出来るのは自分だけだと、レオナールは思い直した。

 それから彼はグランフェルテ七世がエクラヴワ城を訪れる度に、接触を試みた。会話の形は常套的で、中庭でつかの間の休息を取っている相手の元へ、レオナールが直撃して、思いをぶちまけるという事から始まった。相手はなかなか本音を語ろうとしてはくれなかったようだが……諦めの悪さには、自信がある。どうにか心を開いてもらおうと白熱するうちに、いつの間にか同い年の少年皇帝に宥められていて、しかし核心に触れようとすると、はぐらかされて立ち去られてしまう。

 それでもいつか、いつの日か、彼は心を開いてくれるはずだと信じて、レオナールはそれをし続けた。自分が将来、大王の座についたならば……彼と共に、何かを成し遂げることが出来るのではないか。この、父親と先祖たちが腐らせ切った世界を、浄化することが出来るのではないか……。



 ……そのような想いを抱き続けながら、最後に穏やかな会話をした、あの半年前の日。

 「オレら、もうすぐ二十歳になるんだよな」

 いつもと同じように、レオナールは彼の座る気の長椅子の隣にやって来て、そのように言った。

 「おめえより一足早く誕生日迎えちまうけど、ひと月しか変わらねえんだよな、確か。今年はさ、オレ……何か新しいことが始まるんじゃないかと思うんだ。いや、始めてえな。そう思わねえか?」

 レオナールがまたも息を荒くして話すのを、グランフェルテ七世は本を閉じて最後まで聞くと……珍しく少し明るい表情をして、そこから覗く空を見上げた。

 「……始まりますよ、今年は」

 「え?……おめえも、そう感じてんの?」

 レオナールは先ほど自分でそう同意を求めたくせに、相手の答えが普段と違ったので、思わずそのように確認してしまう。その丸くなった栗色の瞳に、真紅は麗しく笑み返してひとつゆっくりと頷く。

 「世界は変わりますよ、間もなく。貴方が望む通りにね……」

 「そうだよな」レオナールは嬉しくなって、彼の肩を思わず少し強く叩き、そして立ち上がった。「ようし、オレも負けずに気合入れるぜ。今年こそ、ガラッと世界変えて見せような!」

 ……単純なレオナールは、そのように何も考えずに両手で拳を作って叩き合わせ、何の疑念も持たずに、相手に最高の笑顔を見せたのだった。

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