分かつ時灯り～Gloire de Dijon

【I-018】砂漠からの旅人

　「出来ません」

　母が厳しい顔でそのように言うので、レオナールは面食らった。……あの放送の日に突然飛び出していく彼にそうしてくれたように、最近ではほぼ何でもにこにこと微笑んで受け入れてくれていたというのに。

　「……で、でもさあ、ふざけて言ってんじゃねえんだよ。オレが今動かなきゃどんどん事態は悪くなるし、オヤジは動かねえし……」

　「それなら、自力でおやりなさい」レオナールと同じ栗色のリュシエンヌの瞳は、いつもは柔和な光を宿しているのに、この時ばかりは頑として動かない。「私はエクラヴワに嫁いだ身。あなたのお父様とは別に暮らしているけれど、エクラヴワ大王の妃に変わりはないの。あなたがそんな活動を始めたことにだってはらはらしているのに、そんなことが出来るはずがないでしょう？」

　「ああ……」

　気まずそうに頭を掻く息子に、リュシエンヌはひとつため息をつくと、諭すように続ける。

　「……国というのはね、そんなに簡単に動かせるものではないの。お父様だって、況してや……あなたが止めたいと思っているグランフェルテだって、思いつきで動いたりはしていないの。……あなた、グランフェルテの若君とは同い年だったわよね？」

　「おう……だから……」

　「だから尚更気になるのでしょうけど、そういう事なのよ。あなたにも歴史や帝王学を教えたはずなのだけど……」

　レオナールはますます肩身が狭くなって、膝に手を当てて小さく丸まった。……子供の頃、民衆に紛れて通っていた学校の授業とは別に、リュシエンヌは彼に専属の教師をつけていた。しかしレオナールは放課後まで勉強をさせられるのは嫌だと言って逃げ出したり、寝ていたりして、まともに聞いていなかったのだ。

　……とにかく意気揚々と母の部屋に入っていったのに、結局は説教をされ己の浅はかさを思い知らされただけで、レオナールはしょぼくれて部屋を後にすることになっただけだった。

　しかし、言われて冷静に考えてみれば母の言う通りである。グランフェルテ七世だって、今まで何年もレオナールや父ロドルフに見せていた慇懃な態度は、緻密に計算し尽くした上で作っていて、来たるあの日に備えていたに違いない。いくら同い年とはいえど、レオナールは自分と相手との歴然たる差に今更気づいて落ち込み、いっときの努力を放棄してきたことを後悔した。

　（……いや、だからってここでやめるワケに行かねえ……）

　彼は信念の強さだけには自信があった。リュシエンヌの言う通り、彼女を頼らなくても自力で道は切り開けるはずだ。

　夜になると散り散りになっていた仲間を改めて広間に集め、レオナールはリュシエンヌの力を頼れないことを伝えた。……シーマは再び邸を出ていこうとしたが、レオナールも再びその背にへばりついて引き留めた。

　「お袋のチカラは借りれなくなっちまったけど、ミリエランスには行くつもりなんだよ」

　レオナールは先日まで使っていた飛翔船からエクラヴワの紋章を取り、色も塗り替えるように技師たちに指示を出していた。リュシエンヌの伝手がないので、いきなりミリエランス国王を訪ねるわけにはいかないが……エマたちが怖気づいた通りの大国である、動くだけでも何らかの進展は期待できるはずだ。

　「大丈夫だよレオ。つうか、お前に権力を期待してねえし。思い立ったら即実行、のその行動力がお前のいいところだからな」

　ジャンはそう言ってレオナールの肩に手を置き、シーマに「そうなんだよ」と言ってニヤッと笑ってみせる。

　「……解った。一人では情報収集するにも限界がある。もうしばらくは使ってやるとしよう」

　「はっは、シーマおめえ相変わらず捻くれてんな。素直にチカラ合わせようぜって言やあいいんだよ」

　今度はレオナールが、相変わらずも無愛想に腕を組むシーマの肩を叩く。ともかくもエマとリュックの姉弟も、ひとまず胸を撫で下ろした。

　この生まれたばかりの組織は翌日にはさっそく、深い緑色に変身した飛翔船に仲間たちを乗せ、エクラヴワの地を後にするのだった。

　その色の船体は思った通り、ミリエランスの領地の半分以上を占める樹海に違和感なく隠れることができた。城下町からほど近くのそこに停泊させた船に、何かあればすぐに出られるようにと、兵隊たちを始めとした大方の仲間を待機させた。そしてレオナールがしっかり者だと特に信頼を寄せているジャンとアナ、そしてシーマとオリヴィエ姉弟を街で聞き込みするための面子として連れて行くことにした。

　「レオナール、シーマはわかるけど……どうして私達を？」

　徐々に木の密度が減っていく、野生動物が作った狭い道を歩きながら、エマは戸惑った様子でそう問う。

　「ん？だってほら、オレの元からのダチは大体オレの勝手分かってっけど、おめえらにはまず慣れて貰わねえとだからな。それにナディアみてえな派手な女よりは、おめえたち姉弟の方が自然に街の住人に溶け込めんだろ？」

　……エマがレオナールと話していると、必ずと言っていいほどこのアナという娘が睨みを効かせてくる。それが気になってしまってエマはレオナールの話の後半はほぼ聞いていなかった。

　森の終わりから発する列車に乗り込み、半日ほどでミリエランス城下町の端へ到着すると、もう夕方であった。

　「今日はこの辺りに泊まっけど、せっかくだからちょっと聞き込みてえよな。手分けしてやろうぜ」

　レオナールはまるで観光にでも来たかのように嬉しそうな表情で、ジャンの腕を掴み、シーマにもそうしようとしたがするりとかわされた。

　「俺は、一人でやる」

　そう言ってシーマは雑踏へ消えていく。エマとリュックは彼がちゃんと戻ってくるのだろうかと心配になったが、レオナールは爪先立ちで「七の刻にここで待ち合わせなーっ」とその背に向かって大声で呼びかけた。

　「……じゃ、アナはこいつら連れて、向こう聞いてきてくれよ。オレたちはこっちの裏通り行くから」

　「えっ！？」その気の強そうな顔を、アナはさらに嫌そうに思いっきり顰（しか）めた。「レオ、何であたしが面倒見なきゃいけないんだよ。あの男みたいに勝手にやらせりゃいいじゃないの」

　「シーマは慣れてるみてえだけど、そいつらはこないだまで一般人だったから、こういうの分かんねえんだよ。アナやり方教えといてくれ、じゃあな！」

　そういってレオナールはジャンを引っ張って、飲み屋の立ち並ぶ通りへと勇み歩いて行ってしまう。……本当に情報を集めようとしているのか怪しいところだ。

　エマとリュックは仕方無しにアナの顔をおずおずと見るが、彼女はそれを受けると嫌悪感を顕にふんとそっぽを向いて、表の大通りの方へ行ってしまう。……ついて行ってもいいのかと姉弟は顔を見合わせたが、また見知らぬ異国の街で二人きりで行動する勇気はない。人混みの中で彼女の後ろ姿を見失わないよう、足を早めた。

　つかず離れずの距離を保ちながら必死でそうしていると、アナは路地裏に入っていく。……エマとリュックは当然ながら、このような雰囲気の場所に立ち入った事がないので、大いに困惑しながらその姿を追う。寂れた建物が所狭しと立ち並ぶ中、そのあちらこちらに立ったり腰掛けたりしている、レオナールの友人たち以上に素行の悪そうな男女は、彼女らを舐め入るように見つめてくる。

　するとアナはその一角で立ち止まり、無表情でエマたちが追いつくのを待った。姉弟は不思議に思いながらも、どこか救いを求めるような心持ちでそこへ行くと、彼女はそこの薄汚い建物の狭い階段入口で会話している、ひと組の男女を指差した。

　「あのお兄さんたちに、情報聞いてきてよ」

　「……え……」

　体を硬直させながらその男女とアナを交互に見る姉弟。アナはちっ、とひとつ舌打ちをした。

　「早く行きなよ。仕事しないつもり？」

　「……で、でも、何て聞いたら……」

　「自分で考えな！」

　アナは腕を組んで、それ以上は何も語らないと言ったように向こうを向いてしまった。……エマとリュックはやるしかないのかとまた顔を見合わせたが、思い切って互いに頷いた。

　大きな筋肉質の体躯を、何か金属の棘のようなものが生えている黒い衣装に包んだ剃髪頭の男が、売春婦風の派手で際どい衣装の女をしきりに口説いている。……姉弟はあの炎の前に突き出された時に比べればましな筈だと自分に言い聞かせつつも、ガタガタと震えながらそこへ近づいていった。

　「……ああ？なんだこのガキども！？」

　男が彼女らに気付き、威嚇してきた。

「邪魔すんじゃねえよ。てめえらみてえなのが来るところじゃねえぞ」

　女から手を離して指を鳴らす男だが、女がその腕を掴んだ。

　「やめなよ、怖がってるじゃんこの子達。お兄ちゃん可愛いねえ、遊びたいの？」

　でも保護者と一緒じゃ無理なんだよ、と言われると、リュックは顔を真っ赤にしてうつむいてしまった。エマはあの牢に閉じ込められていた時の勇気を思い出して、声を絞り出す。

　「あ、あの、お話を聞きたくて……」

　「何の話？あんたみたいな芋娘じゃ、うちの店では働けないよ」

　「え、えっとそうじゃなくて……帝国のこと、何か知ってたら教えてほしいんですけど……」

　女は鬱陶しそうに彼女を一瞥して、何言ってんだか解らないよと言って元のように男との戯れを再開してしまった。……これ以上は難しいと判断して、エマたちはアナのところへ戻る。

　「聞けなかった？じゃ、聞けるまでやって来な。いくらでもいるだろ？」

　……彼女にそれ以上は取り付く島もなさそうだ。エマとリュックはとてつもなく重い心を奮起させ、その通りにいる人々の何人かを当たってみた。先程のように軽くあしらわれる、無視されるのはまだいい方で、怒鳴られたり刃物をちらつかされたりする事もあり、情報など何も得られないどころか生きた心地さえしなかった。

　それでも一刻ほど粘って、もう無理だとアナのいた場所に帰って来たところ、彼女の姿はなかった。一通り探すも、もうこの路地にいたくないという気持ちも強く、エマとリュックは表通りまで出て、うろ覚えの道を何とか辿り、少し早いがレオナールたちとの約束の場所まで戻る。

　すると、既にそこの喫茶店の屋外席に座っているアナを見つけた。情報は得られていないが、一応は報告しなければと、姉弟は彼女の席へ近寄って行った。

　「いちいち来んなよ。解ってるよ、あんたたちの無様な結果なんて」

　彼女は眉間にしわを寄せて、飲んでいた果実水を手に向こうを向いてしまう。エマとリュックがまたもおろおろしていると、アナは大きくため息をつく。

　「……何でも引き入れりゃいいってもんじゃないよ、レオはさ。何でこんな、使えないの……」

　……罵られていると、エマは先日、リュックの決意に影響されて固めた意志を揺るがしてしまいそうになる。やはりマリプレーシュに帰って大人しく兄の帰りを待ち、シーマが寄ってくれるのを期待して暮らすべきなのだろうか……と、彼女はタイル張りの地面に目を落とした。アナはそんな彼女の様子をちらと見て、さらに苛々したように乱暴に果実水を卓に置く。

　「……でもさ、レオはあんたみたいな、愚鈍な女が好みなんだよね。正義漢だからさ、助けたくなっちゃうみたいよ。……前の女だってそうだったんだもの」

　「……」

　「あたしやナディアがいくら頑張ったって無駄なわけよ。全く、やんなっちゃうわ……」

　ほぼ独り言なのだろうか、吐き出すようにアナがそう呟いていると、周囲よりひときわ大きくガチャガチャと食器同士が当たる音がしてきた。随分と雑な運び方をする店員がいるのか……とエマが顔を上げてみれば、そこに大柄な、黒い縮れ毛を大きく丸く膨らませた髪形の女性が、食事の乗った盆を持って歩いて来た。ミリエランス民族ではなさそうな特徴的な外見の彼女は、そこに立ち止まると、大きな耳飾りをジャラジャラと揺らしながら辺りをきょろきょろ見回した。

　「混んでるなー。全然空いてないじゃん。ねえ、ちょっと相席いい？」

　アナが何も言わないうちに、彼女は勝手にガッシャンとけたたましい音を立てて卓に食事を置き、エマたちが座れなかった椅子を引いて、よいしょっと言いながら腰を下ろした。……アナがむっとする以前に呆気に取られているのも気にせず、女性は大声でいただきまーすと言って熱々の麺をどんどんすすっては、使い古した手拭いを取り出して汗を拭き、「これ邪魔」と何重にもかけていた首飾りを引きちぎるように取って卓に置いて、またすすり出した。

　……アナはエマたちを侮辱するのも忘れ、エマたち姉弟は小さくなるのも忘れてただ茫然とその異国の女性を眺めていた。そこへちょうどレオナールとジャンが、やや酔っ払って肩を組みながら帰ってきた。

　「よぉ〜アナ、もう戻ってたのかよ、早えな。ん、誰だ？」

　レオナールは相席の女性を見て、赤ら顔を不思議そうに傾げた。ちょうど彼女は麺を平らげて、満足そうな笑顔で腹を叩いていたところだった。

　「あ、ごめーん。お友達来たんだ。今、どくねー」

　 言いながらも、満腹で動けないのか、ふうーと息をついている。アナが再び苛立ってきた様子で席を立った時、いつの間にそこにいたのか、レオナールとジャンの後ろから見ていたらしきシーマが呟くように言った。

　「……アロナーダ民族だ。この大陸には珍しい。情報ならこういう奴が持っているんじゃないか」

　「おっ！？」

　レオナールはそれを受けてジャンの身から離れると、その卓に駆け寄り、アナの脇に押し入ってその女性に声をかけた。

　「おめえさ、アロナーダの奴なの？」

　「ん？そうだよー。ミリエランスに旅行に来てるんだあ」

　この時世に、帝国に攻め入られつつあるこの大陸にわざわざ旅行とは、随分と楽観的なのか、何も知らないのか。エマとリュックはそう感じて呆れたが、レオナールと女性は意気投合したように、旅行かぁ、と言って盛り上がっているようだ。

　「でもよお、アロナーダったらここから随分遠い砂漠の国だよな？どうやって来てんだ？」

　「船で来たんだよー。あ、空飛ばない方のやつね」彼女も話し相手が見つかって嬉しい様子だ。「え、お兄さんなんて名前？あたしイメルダって言うんだ」

　「オレ、レオナールだよ。船ってことは、まさか金持ちだな？」

　そんな様子のレオナールたちを見て呆れたように笑いながら、ジャンはシーマに話しかける。

　「……レオの奴、あんな調子ですぐ誰とも仲良くなっちまうんだよ。お前さん達もそうなんだろ？」

　「……」

　「ちょっと見てて怖えくらいだよ、だから大王になるって噂されてんのかもな。……ところでシーマ、お前アロナーダ行ったことあんのか？」

　「……仕事で、一度」

　アロナーダはここから遥か南西、『忠犬または追われる竜』と呼ばれる大陸にある。長年の民族紛争が比較的多い地域で、エクラヴワも手が出しにくいのかその領地となっている国も少なく、その大陸の情報は手に入れにくい。

　しかしアロナーダは例外で、砂漠が多くを占めるが油田や鉱山も豊富であり、そこに住む者も非常に豊かで平和な暮らしをしていることが有名だ。目の前のイメルダという女性も、あまり品があるとは言えない仕草ではあるが、身につけているものはいかにも価値のありそうな絹織物や宝石である。

　彼女はひとり旅なのか、レオナールと会話を弾ませるのがとても楽しい様子で、こんなことまで言い出した。

　「ちょうどいいからさあ、明日、ちょっと船に乗せてあげよっか？」

　「えっ、いいのかよ？どうするアナ、アロナーダの船、ちょっと見てみてえよな。でも……」

　そんなことしてる場合じゃねえんだ、とレオナールが帝国の情報を追っていることを話すと、イメルダはふーんと言って顎に手を当て、黒く丸い瞳で夜空を仰ぎ見た。

　「アタシは難しいことわかんないけどさー。もしかしたら、アタシの彼とかお父さんとかが、何か知ってるかもよー？」

　「マジで？」

　……とは言っても、さすがのレオナールにも、彼女が調子づいてそんな話をしているだけかもしれないと判っている。彼は仲間たちを見回して、どうする、と合図を送った。ジャンも少し困ってシーマを見ると、彼は頷いたので、ジャンが代わりに返答する。

　「……せっかくだから船、見せてもらおうぜ。そんな遠い国の船なんか見るチャンス、めったにねえからよ」

　「そうだな。じゃイメルダ、よろしく頼むぜ」

　レオナールが言うと、イメルダはオッケー、と満面の笑みで親指を立て、盆を持って席を立った。