【I-017】中立軍の結成

 エクラヴワには一体、城がいくつあるのだろう。……先に乗っていたののは別の小型の飛翔船の窓から、地上に見えるその圧倒的な風景を呆然と眺めながらエマは思った。

 大王は世界中から集めた富と技術で数多くの邸を建設し、貴族や役人ひとりひとりにそれを与えているのだと言う。王子であるレオナールには特に豪勢な城がいくつか付与されていて、今からそのひとつへ向かうのだと言う。

 やがて、その邸に到着した。……マリプレーシュ大公城など到底及ばぬのではないかと言う程の建築物が、そこにあった。

 「ま、その辺に座っといてくれよ」

 レオナールはそう言うと、緊張する三人を置いてどこかへ行ってしまった。……その辺、と言われても、通された広間だけでも広すぎて一体どこに座って良いのやら判らず、三人はただ立ち竦むだけだ。

 「お手洗いに立ったら、絶対に帰って来れない……」

 リュックは相変わらず不安そうな顔をして、震える声でそう言った。そこへ再び誰かが入ってくる気配があって、彼は驚いて少し飛び上がる。……優しそうな初老の召使いと分かり、胸を撫で下ろした時にようやく背後で姉が吹き出しそうになっているのに気がついた。

 「私は執事のニコルと申します。若様がお支度の間はどうぞお寛ぎくださいませ、お客様」

 彼は三人をいくつかある応接机のうち中央のものに座らせて、見たことのないような高貴なカップに入った紅茶を運んできた。手を滑らせてカップを落としてはまずいと、逆に手を震えさせる姉弟はもとより、感情を滅多に表に出すことのないシーマでさえ普段よりやや緊張しているのが判るほどだ。……彼は厳しい戦いの現場には慣れているのだろうが、こういったもてなしの席には、むしろ弱いのかもしれない。

 「うわあ、こんないい香りのお茶初めて……!」

 エマがカップに顔を近付けて思わず感嘆の声を上げていると、また扉がノックされて、先程のニコルと同じくらいの年代の召使いらしき女性と共に、身分の高そうな落ち着いた色のドレスの女性が現れた。

 「ようこそ。レオナールのお客様がいらっしゃるなんて、珍しいわね」

 にっこりと愛嬌のある笑顔を振りまいた、エマたちの母親の年代の女性は、召使いに茶菓子を置かせてから戸惑う三人に向かって自己紹介を始めた。

 「私はレオナールの母親のリュシエンヌ。こちらは邸の世話係のクロエよ」

 つやのある栗色の髪と、同じ色のくるくる良く動くつぶらな瞳。誰が見てもレオナールは母親似であると感じるだろう。……それはともかくとして、その名は確かに、エクラヴワ大王の妃のひとりとして聞いたことのあるものだ。エマやリュックはますますと身を固くしてカップを持つ手をさらに震わせ、シーマは何かの罠ではないかと疑い始めたところに、レオナールが帰ってきて豪快に笑った。

 「はっはっは、何だよおめえら。ホント、そんなガチガチになんなくていいんだって。ここにはエクラヴワ本城の威張りくさった役人たちなんかいねえんだからよ」

 あまり邪魔しては悪いわね、とリュシエンヌが奥へ下がると、三人はようやくやや緊張を解くことが出来た。レオナールもひとつのソファに腰を下ろして、話し出す。

 「ここはオレとお袋と、ちょっと身の回りの世話してくれる奴らが住むには、広すぎてよ……ちょうど困ってたトコなんだよな」

 「と、言うと?」

 シーマが言葉の裏にある、彼の考えを聞き出そうとする。

 「いいだろ?ここ。今じゃオヤジの目もほとんど届かねえし……『正義の味方軍』の拠点としてはよ。まあ、あと三つ……四つかな?ほとんど使ってねえ邸があるから、そっちで活動してもいいし」

 レオナールは笑って紅茶を一口飲むと、背に凭れて腕組みを始める。

 「軍の名前、何にすっかなー。カッコいいやつがいいよな……あ、肝心な事聞くの忘れた。おめえら、結局どうすんだ?」

 「ええ、その事なんだけど」エマが最高級の紅茶を恐る恐る口につけ、そのカップをまた恐る恐る置きながら、答える。「私達も、その軍に協力させてもらう事にするわ。どうせ私達、行く所も判らないし……ひとりふたりじゃ、何も出来ないから」

 「協力する事が前提で、ここへ連れて来たんだろう?」

 シーマがエマの言葉に付け加えた。

 「へっ。ばれたか」レオナールは立ち上がる。「じゃ晴れて、帝国にも大王国にも属さねえ中立軍!結成だ!」

 彼は意気揚々と、右手を卓の上にかざした。……エマとリュックはぽかんとしてそれを眺め、シーマは酷く冷めた目でそれを見る。

 「……何だ、それは」

 「え?……こりゃ、あの……気合いだよ。みんなで手を重ねて、エイエイオーって」

 「……くだらん」

 冷たすぎるシーマの反応に、レオナールはがっくりと肩を落としたが……目の前で喜劇が上演されているようで、エマとリュックは腹を抱えて笑った。

 「よし、まあそうと決めたら、オレのダチも紹介しねえとな。首脳部ってヤツが四人じゃ幾ら何でも太刀打ちできねえからな」

 落ち着きのないことに、レオナールは三人がひとときの休憩が終わった様子を確かめると、またすぐに移動を促した。



 エクラヴワ城下町は大王のお膝元であり、また役人や軍人など政府に関わる親族の割合も多いため、治安は厳しく守られ、かつてのマリプレーシュ等他の属国の街に比べれば、庶民達もある程度は自由な暮らしが出来ていた。とはいえ帝国が反旗を翻した今、その“何事も起こっていない”風の穏やかさはやや不自然にも感じられる。

 レオナールが慣れた手つきで、馴染みの酒場の自由扉を押し開けると、体格の良い酒場の主人が満面の笑みを見せながら手を上げた。

 「レオ様、随分とご無沙汰じゃないか。いつものでオッケーか?」

 「おう頼むぜ。それと今日は新しいメンツを連れてきたんだ。良くしてやってくれよな」

 肩を叩かれたシーマはその言葉を受け入れるというよりは無視する形で、いつもの酒場に腰を落ち着けるようにそつなくそこの椅子のひとつに腰掛けた。……そこにたむろしていた癖の強い男達が、それが気に食わないというように彼を睨むが、何も言ってこないのはレオナールの顔のお陰なのか。

 エマと、またもやたらとびくついているリュックは、入口のところでまごまごとしていたが、レオナールに強引にシーマと同じ卓へ引き摺られていった。するとひとりの気の強そうな黒髪の少女がつかつかと歩いてきて、そこに申し訳なさそうに座ったエマを睨みつける。

 「ちょっと何、この芋っぽい娘。あんたみたいなのが来る場所じゃないんだよ」

 「やめろよアナ。オレの客だぜ」

 レオナールはその少女の肩を押して三人の卓から退けさせると、自身は酒場の中央の卓についた。そこには先に、髪を人工的な金色と桃色に染めて逆立たせた若者が足を卓に乗せた状態で座っており、先ほどの少女に威嚇されて目を丸くしていたエマとリュックはさらに身を強張らせる。だがレオナールはその若者の肩に気軽に腕を乗せた。

 「こいつはオレの一番の親友、ジャンだ。ジャン、こいつらはオレがマリプレーシュで捕まえてきたヤツらだ」

 「おう。よろしくな、色男くんたち」

 ジャンは破顔したが、シーマは普段通り聞いているのかいないのかと言った風で、エマとリュックは未だ怯えた様子で軽く会釈するだけだった。拍子抜けするジャンを見て今度はレオナールが笑った。

 「まあ、そのうちお互い慣れっから。ジャンはこう見えてお偉い役人の息子なんだぜ。頼りになるイイ奴だから安心しろよ」

 ……どうやら、この店に既に集まっていたその他十人前後の、少し強面な若者たちも、全てレオナールの仲間のようである。

 「みんなオレの留守中も無事みてえで何よりだぜ。でもよ、なあフランク……」

 彼は木の椅子の片側の脚だけを浮かせて隣の卓へ近寄ると、そこで静かに飲んでいた様子の、長い前髪に顔の上半分が隠れた無口そうな青年に話し掛けた。

 「ここも別にいつもと同じだし、街も混乱してねえみてえだけど……大丈夫なのか?」

 「ああ……」フランクという青年は彼の方に顔だけを向けたが、やはり目は半分も見えない。「特に気にすんなって言われてる。騒ぐな、っていう方が近いかもな」

 「レオは飛び出してっちまったから知らねえんだろうけどよ」ジャンが横から口を挟んだ。「あの放送の後、やっぱ皆、混乱してたぜ。だってお前の親父があんなよ……」

 彼はそこで一旦言葉を切って一応、酒場内を確認した。……王子の御用達であるこの店に、市民を無闇に取り締まる見張り兵は配置されていないはずだ。

 「……ありゃ、オレ達一般市民の、大王様の印象とはまるで違げえからな。なんつうか……」

 「ああ、オヤジは市民にゃ威張りくさったところしか見せてねえからな」

 レオナールが飄々とそう言うと、フランクはジャンの話の続きを受け継ごうと「だから……」と言いかけたが、彼とレオナールの間に際どい衣装で豊満な胸元を強調させる、派手な金髪の少女が割り込んできた。

 「つまり脅されちゃってるのよ、あたし達市民はァ。そんなことよりレオ、向こうの部屋で楽しまない?」

 「うるせえよナディア。今から大事な話すんだよ」

 レオナールが椅子を戻して纏わり付こうとする彼女を追い払うようにするのを、卓の向こうからあの元気そうなアナという少女が苛立たしげに見ている。フランクもまた軽くため息をついてまた酒にひと口を付ける。……その彼と同じ卓に、この場にはやや似合わない素朴な感じの少年が座って本を読んでいて、リュックは自分と同じ年の頃ということもあって多少気になった。

 「……ならば結局、本国だろうが属国だろうが同じ事だな。民は真実からは遠ざけられ、知ろうとする者は処分される」

 突然に、シーマがそう呟いた。レオナールは今度は彼の方に椅子と盃を持っていく。

 「だから、やっぱり必要なモンは中立軍だ。ここにいる皆にはそれに協力して貰おうと思ってんだ。勿論、ポーレジオンに連れてった兵士達も賛同してくれてる。あとはどんどん活動広げて、雪だるま式にでっかくしてく。そうすりゃいずれオヤジにも、あのグランフェルテ帝国軍にも立ち向かってモノが言えるようになるって算段だ」

 そんなに簡単に物事が進むのか。シーマは疑念を抱かざるを得なかったが、何かしら動かなければ剣の手掛かりも掴めないだろう。仕方ないと言ったように栗色の瞳を見返した彼に、レオナールは得意げな笑顔になって親指を立てて見せた。



 中立軍の名前は『アクティリオン』――行動する獅子。レオナールは自分の名前にも因んだ言葉を入れ、気持ちばかりは昂ぶらせながらそれらしい形にしていき、仲間を邸に集めていた。

 しかし、人数ばかり集めても大王や帝国がどう出るか判らないのでは、どうにも進めようがなかった。ジャンたちが街を駆け回って情報を集めようとしてくれていたが、あの黒ずくめの謎の男のことなどはおろか、大王国軍の動きひとつさえも入ってこない。

 「予告もなく攻撃する程常識知らずじゃねえよなあ、アイツも……」

 レオナールは大きな窓枠に手を付き、空の向こうをを仰ぐようにして、そう呟く。

 ……敵となってしまった今も、グランフェルテ皇帝に情をかけずにはいられなかった。以前から会話を交わしていた時の空気は、素っ気無くも険悪なものではなかった筈だ。だが、あれほど変貌した姿を見せられるとどこまでが真実だったのか、わからなくなってくる。

 「新聞も、まるで帝国の反逆なんかなかったかのような記事ばかりですね……」

 魔法修行中のリュックは旅先でも知見を広めようと、毎日数種類の新聞を城下町で買い込んできて、端から端まで読み込んでいた。その隣では、あの酒場で静かに本を読んでいた少年……ポールがそれを覗き込んでいる。彼は一緒に卓にいたフランクの弟で、たいへん大人しい性質だが、庶民では珍しく竜を飼い慣らせる特技を持っていた。リュックとさっそく仲良くなったようで、互いに知識を教え合うなどしている。

 一方エマは、数少ない女子の面子であるアナにもナディアにも話しかける勇気がなく、少しばかり居心地を悪くしていた。仕方なしに彼女は、弟のところへ寄ってゆく。

 「じゃあ、エクラヴワにいても何も分からないわね。マリプレーシュよりは平和だけど、ちょっと落ち着かないし……」

 すると、レオナールのいる隣の窓際で腕組みをしていたシーマが、急に立ち上がった。

 「何が『行動する獅子』だ。身分ばかり大層で何の利点もない。一人で行動した方がましだ」

 彼はそう言って、二階から邸の玄関広間まで降り、本当に扉から出ていこうとした。エマとリュックはついて行くべきかどうかおろおろとし、レオナールは階段を駆け下りて来て彼を羽交い締めにし、必死で引き止めた。

 「焦んな、焦んな!……確かに、今こんな状態じゃ行動なんて出来てねえけど……そうだ!」

 エクラヴワが駄目なら、他に頼るしかない。レオナールはそんな存在に思い当たる節があった。

 「オレのお袋、隣のミリエランスの王女だったんだよ。お袋のアニキの伯父さんなら何か知ってっかもしれねえ」

 背を向けていたシーマがようやく興味を示し、彼の方を振り向く。ところが、エマとリュックはその国名を聞いてまたも身震いを始めた。

 「ミ、ミ、ミリエランスって、またすっごく大きな国じゃ……」

 「おう、だからよ、後ろについてくれりゃ心強えだろ?」

 レオナールは一度は白い歯を見せてニッと笑ったが、しかし、すぐに何か気づいたように眉間にしわを寄せて右上の方を見た。

 「あ~……でも、オレすっげえ小さい時にしか、伯父さんに会ったことねえんだよな。いきなりそんなこと言いに行っても、引かれるかもしんねえしな。一回お袋通すか」

 そう言ってリュシエンヌの部屋へ向かっていってしまった彼の背を、しばし三人は呆然と眺めていた。……やがてシーマが首を横に振りながら呟く。

 「あんな場当たり的で物事が進むとは思えない。だが……」

 もしも本当にミリエランス王を取り込むことができるのなら、その力はエクラヴワには及ばざるとも、グランフェルテ程度になら瞬時に追いつくことができるはずだ。シーマの『目的』への距離もぐっと近づくだろう。

 「ね、ねえシーマ……ひとりで行ったりしないわよね?ここまで来ちゃって、私たち……」

 エマが駆け寄ってきて、不安そうに見上げてくる。シーマはそれを一瞥し、邸の玄関へ向かうのはやめたようだが、レオナールとは別方向に歩き出す。

 「俺はお前たちの世話係じゃない。マリプレーシュなら隣だ、どうにでもして帰れるだろう」

 そう言われて、エマは二の句を告げなくなってしまい、ただ廊下の端に消えてゆく彼の背を見つめることしかできなかった。……アルテュールの行方を掴みたいと意地になってここまで来たつもりだったが、本当は、ただ彼の傍に付いていたかっただけなのかもしれない。そんな自分の弱さを突き付けられた気がした。

 「姉さん」リュックが寄ってきて、今度はさっきの彼女と同じようにエマの顔をおずおずと覗き込んだ。「……もし……シーマさんが、レオナールさんと別行動するって言ったら、どうするつもりですか……?」

 「……」

 エマがすぐに答えられずにいると、次に弟の口からは意外すぎる言葉が出た。

 「あの、僕は……シーマさんが出ていったとしても、ここに残ってやってみたいなって思うんです」

 「……えっ!?」

 思わず甲高い声を出してしまった姉に……リュックは照れ臭さを感じたのだろうか、家にいた時からは随分伸びて後ろでひとつにまとめるようになった金茶の髪を、指先で掻きながら下を向く。

 「……今まで、ずっと逃げてきたから。魔術を習ってたって、マリプレーシュにいても、お城に仕えるような立派な魔術師にはなれなかったと思うから……そのお城も、帝国に取られちゃいましたし……」

 どこへ行っても相変わらずに情けない様相を見せていると思えた弟は、このひと月に強制的に色々なものを見せられて、心の中で何かを変えていったのかもしれない。あのポールという同い年の少年の存在も大きいだろう。

 「……そうね、ここまで来ちゃったんだもの。私も、もう少しやってみようかな」

 エマはつぶらな瞳に決意を見せて、同じ形をしたリュックのそれに返した。姉弟は今一度頷くと、仲間たちの集まる二階への階段に戻って行った。

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