【I-016】三王子

 いつもと変わらぬ、威圧感のある巨大なアーチ型の門が自分を待ち構える。生まれた時から何度もこの下をくぐっているのに、身体にのしかかる嫌な重圧に、未だにレオナールは慣れる事が出来なかった。

 彼は、もう一度だけ……父である大王に説得を試みようとしていた。ポーレジオンでの状況を説明すれば、あの父とて少しは考えを改めてくれるかもしれない。そう思い、彼はシーマたちを飛翔船から降ろすと、ひとまずは城下町にある知り合いの宿を提供し、ひとりエクラヴワ城へと帰還してきたのだ。

 自分の親と言えども、世界の頂点に立つエクラヴワ大王である。レオナールは普段の外出用の軽装から、王子としての正式な服装に着替え、召使いたちに乱れた栗色の髪を整えさせた。もともと凛々しい顔立ちと引き締まった長身を誇る彼の事、この正装が似合わぬ筈はない。女中たちは彼の身形を仕上げると、いつもこの格好でいらっしゃればいいのにと惚れ惚れするように王子を見つめた。

 しかし大王の私室に入ろうとする彼を、近衛兵は遮った。

 「申し訳ございませぬ、レオナール殿下。誰も通すなとの御命令ですので」

 「またかよ……」

 父ロドルフは、あのグランフェルテとの通信の直後から、不審な行動が目立っていたようだ。……以前はどっかりと落ち着いて一日の大半を多くの臣下に囲まれ、意味のない宴に明け暮れて威張りくさってばかりいた筈だ。たまにレオナールが訪ねても全く緊張感もない様子で、おお来たのか、一緒に楽しもうと言って同じ長椅子に座らせ、裸に近い服装の女性を間に押し込んできた。

 しかし、マリプレーシュを帝国が制圧したあと一度レオナールが国に帰った時には、今日と同じように部屋に閉じこもりがちであった。また、食前食後に妙な呪文のようなものを口走ったり、突然笑い出したりする事もあるという。

 もしかすると、奴隷だと思っていたグランフェルテの突然の裏切りによる恐怖に精神をやられてしまっているのかもしれない。それを考えると、侍医も付けず父をこれ以上ひとりにさせておく事は、危険なのではとさえ感じられた。 レオナールは少し焦り、近衛に食ってかかる。

 「おい、実の息子でも会わせねえってのはどう言う事だよ。それともまた、中に新しい女でもいるってのか?」

 ロドルフには五人の正妃がいる。その中でも最も大王に気に入られているのが隣国ミリエランスの元王女・リュシエンヌで、その息子がレオナールだった。

 ふたりの兄とは、それぞれ母親が違う。大王と正式な契りを交わさぬ女の数と言ったらそれこそいちいち名前を覚える暇もない程だから、レオナール自身は知らないだけでもっとたくさんの兄弟が存在しているのかもしれない。

 ……そのようなどうしようもない父親であっても、レオナールにはやはりロドルフを心から蔑むことなど出来なかった。今でこそ大王は若い女にうつつを抜かす日々であるが、かつてはリュシエンヌを一番の寵妃としていた事に違いはない。彼女の嫡男であるレオナールだからこそ、これだけ王子としては異質な存在であるのにも拘わらず、ロドルフは三王子の中で最も気にかけてくれるのである。

 レオナールは父親のことが決して好きではないが、そのような情をかけられれば悪くも思えないし、彼の性格であるから尚更見捨てる事が出来ないのだった。


 ところが……そのようなレオナールの事を、身内でありながら快く思わない者がいる。

 「また貴様、余計な口を挟もうとしているのか」

 近衛兵と押し問答していると、不意に後ろから低い声が響いた。黒に近い茶色の巻き毛、エクラヴワ地方の民族に特徴的な淡褐色の肌、そこにやや時代遅れとも言える貴族趣味そのものの衣装に身を包んだ男。九歳ほど年の離れた長兄、大王の最初の妃の王子エドモンだった。

 「アニキ……」

 「言った筈だ。父上の政略に手出しをすると、弟と言えども容赦はしないとな」

 王子としての執務など殆どしないくせに、父大王から何かと愛されるこの一番下の弟をエドモンは全く可愛がっていないどころか、嫉妬し憎しみに近いものまでも抱いているようだ。その立場を逆転すべく、常にエドモンは父大王の気を惹こうと必死なのが滑稽である。

 「政略って……どこに政略があるってんだ。閉じこもって怯えてんのが、政略か?」

 「子供が判ったような口を聞くな」

 エドモンは苛ついたように組んだ腕の上になった方の指で、せわしなくもう一方の腕を叩いている。……確かエドモンはグランフェルテの皇女、皇帝の姉を妃に迎える予定になっていたが、病だとか色々と理由をつけて何年も先延ばしにされていた。このような事になってはそれも破談であろうが……それも一因となっているのだろうか、彼は常にも増して苛立った素振りを見せている。

 「……とにかく、オヤジがいつもと違うのはアニキだって分かってんだろ?そりゃ、心配すんのは当然……」 

 「貴様になど心配されても、父上も鬱陶しいと思われるだけだろう。さっさと貴様を甘やかす母親のところへ帰って、乳でも飲んでいたらどうだ?」

 兄は切れ長の、父にそっくりな眼を細めて冷笑する。その笑いは『炎』の自信に満ち溢れた笑みとは逆に、卑屈な人格をそのまま描き出したようなものであった。グランフェルテ七世があれほど強気な性格と判った今、改めて思えば、姉をこんな人間に充てがわせたくないと必死で阻止していたのも理解できる。

 ……父にべったりで自分の頭で考えようともしないこの兄に、何を話しても無駄に終わるだろう。レオナールは踵を返し、大王への接触をひとまずは諦めてもと来た方向へ戻ろうとした。……が、そこで向こう側からやって来る奇妙な人影に気付いた。

 黒いローブを頭から目深に被った、いかにも不審な男。背はかなり高く、兜でも装着した上から布を被せてあるのか、頭の一部は少し角張ったような形をしている。姿をすっぽりと隠しているにも拘わらず、そこから周囲に放つ空気には何とも形容できぬ威圧感が宿っている。

 人物は圧倒されるレオナールの横を通り過ぎると、エドモンに促され、父の私室へ入っていった。

 (……オヤジの客?)

 様子を伺おうとするレオナールに、最後にそこへ入ろうとしていたエドモンが、レオナールに向かって追い払うような仕草をしてきた。わだかまりを残しつつも、その場を離れようとすると……今度は逆の方向から、女官の悲鳴が聞こえた。

 「きゃああ、殿下っ!!」

 明らかに異常事態を示すその声を聞いても、レオナールは特に驚きもしないどころか。

 「……またかよ」

 ……ここへ来て二度目のそんな台詞を口にしたが、先程のものに比べて呆れを含む意味合いが大きかった。レオナールには大切なやるべきことがある。ゆえに放っておくべきかとも感じたが……気が引けるので一応、広い本殿の回廊を進み、悲鳴のした方へ足を速めてみる。

 想像していた通りの風景がそこにあった。天気が良いのに窓さえ開けず、女官が入るまで閉め切られていたであろう部屋の中に散乱する、無数の錠剤と数種の薬瓶。その間に倒れている、麦の穂色のか細い髪と華奢な体の持ち主。蒼白なその顔は、レオナールの二番目の兄であり、やはり大王の別の妃の息子、第二王子ミシェルのものに間違いなかった。

 数人の召使いが慣れた手つきでミシェルを寝台にのせ、部屋の掃除を始める間に、侍医がやって来て素早く処置を施す。

 ……勿論、数年前にミシェルが初めてこの事態を引き起こした時は、いくらそれぞれが仲の良くない兄弟だとはいえ、レオナールも兄のエドモンも喫驚してミシェルの部屋に駆け付けた。辛うじて命を取り留めた彼は、その際に自分に掛けられた溢れる程の心配と優しさに味を占めてしまったのか……以来、事あるごとにこのような自殺未遂騒動を繰り返しているのである。

 (……本当に死ぬ気あるんなら、とっくに死んでるはずだろ)

 ミシェルは服用する薬の量や種類を、微妙に調整しているのである。それだけの知識があるのなら医者か薬剤師にでもなって国に貢献すれば良いのにと、これが起こる度にレオナールは呆れるのだ。

 部屋の角でうずくまって泣いているひとりの女官の姿を見つけた。確か、先日ミシェルの世話係に任命されたばかりの少女だ。恒例行事を知らぬのだから無理もない、悲鳴を上げたのも彼女だろう。

 「気にすんなって。コレでいちいち泣いてたら、涙がどんだけあっても足んねえぞ」

 レオナールは彼女を落ち着かせると、侍医の手当てで眼を覚ましたらしき兄の枕元に歩み寄った。

 「……いい加減にしとけよ。周りに迷惑だろ、今度は何が原因なんだよ」

 ミシェルはその言葉を聞くと、ただでさえ青白い顔にふっと儚げな笑いを浮かべた。兄エドモンのものに負けず劣らず、卑屈なものである。

 「……迷惑か。それもまた、良いかもしれんな。神を欺く世の者どもに気を遣って生きる必要など、無意味に等しい」

 何だか話がずれているような気もしたが、何ぶん言い回しが抽象的なので、意味が良く判らないのが彼の話の特徴だ。大方、ミシェルもまた父に何か話を取り合おうとして、エドモンに追い出されでもしたのだろう。

 「……ま、確かにこんな世の中、イヤんなることは多いと思うけどよ。死のうなんて考えるなよな」

 「ふん、お前に何が解る。相変わらずの単純思考で羨ましいことだ」

 ミシェルが朦朧とした意識ながらも彼を疎ましく睨み付けたところで、バタバタと背後から忙しない足音がした。近衛たちによって引かれた扉が開ききらないうちに駆け込んできたのは、ミシェルに良く似た、蟷螂かまきりのような痩身を派手な紅色のドレスに包んだ女だ。

 「ああ、ミシェルや…無事なのね!」

 彼女……ミシェルの母親である、ロドルフの第二王妃は、そこにいたレオナールを突き飛ばすように寝台に駆け寄ると、息子をひしと抱き締める。

 「また思い詰めていたのね……ごめんなさいね、気が付かなくて。それにしてもどうしたというの……まさか…」

 彼女の、細かな皺の間の三白眼が、未だそこに呆然として立ち竦んでいたレオナールを睨む。……妙な疑いをかけられて、こんなところで足止めされている時間はない。彼は不本意ながら、今度は近衛たちに閉じられようとしている扉にそそくさと滑り込んで廊下に出た。

 ……前述の通り二人の兄や、その母親たちがどんなに大王の目を引こうと努力しても、ロドルフはレオナールだけを贔屓していた。表立っては傲慢で残忍で、ただ地位に甘んじる大王であっても……レオナールの顔を見れば、無謀な行動を起こしがちなその身を常に気遣い、希望を汲み取ろうとする優しい父親であった。

 けれどそれはごく一部の者だけが知る偏愛である。父のせいで世界中の人々が苦しんでいるのを知りながら、自分だけが蜜を吸うような生き方など、レオナールは望んでいない。

 この第三王子はそのような性格であるから、少年の頃からお目付け係たちを悩ませた突飛な行動も、自由を求める国民たちの目には好意的に映った。いつの間にやら民衆までもがレオナールを支持していて、次期大王は彼なのではないか、との噂まで広まっている。

 ……しかし、それらがどうも兄達およびその母親の妃たちにとっては彼を疎ましがる原因になってしまっているらしい。レオナール自身は大王の椅子など微塵も狙っていないのに、彼らはこの第三王子の立場を、時には存在までを抹消しようと躍起になって来る。……既に慣れてしまった事だとはいえ、血の繋がった兄弟の手先に命を狙われ度々と恐ろしい目に遭わされるのは、やはり気分の良くないことだった。

 (あんまりここに居ても、またおっかねえ事が起きるかも知んねえしな)

 せっかく一度帰ってきたので、街へ憂さ晴らしに行こうかとも考えた。彼は幼い頃から街の子供達と泥まみれになって遊んでいたので、街には彼と気の合う仲間たちがいる。……それは、彼の母親の意向でもあったのだ。

 レオナールの母、リュシエンヌは普段は穏やかな気質に小柄の愛くるしい女性だが、ミリエランスからエクラヴワに嫁ぐ事が決まった際、かなりの抵抗を示したらしかった。

 それでも強引に連れてこられた辛さからか……彼女は息子には人の気持ちをわかる優しい子になって欲しいと、彼にエクラヴワの教育者をつけるのを徹底的に断り、息子の身分を隠して民の学校で一般的な教育を受けさせた。そして大王国の居城ではなく、そこから少し離れたリュシエンヌと息子の為の別邸でレオナールを育てたのである。

 ロドルフはリュシエンヌに心酔していたため、彼女のわがままは多少の事なら通してくれたし、可愛いその息子の為という理由がつけばなおさら規制を甘くした。リュシエンヌもまた以前から、歳の離れた夫の傲慢な政治に嫌気がさしていたので、民の感情を汲める器の広い主導者として息子を育てようと、学校が終わった後も街の子供たちと自由に交流させた。

 そのお陰でレオナールはすっかり王子らしくない人柄に育ってしまったが、現在でも城下町には、あの放送の後に竜を遣わせてくれたように何かにつけて助けてくれるジャンたちのような、彼にとって本当の友と呼べる者が数多くいた。

 (……いや、けどそんなゆっくりしてる場合じゃねえ。そうだ、今度はジャン達にも手伝ってもらうかな)

 レオナールは鬱陶しい気分を切り替えようと、ふうっと短く深呼吸をした。

 「おい、宿に泊まってる三人組を迎えに行って、城門前まで連れて来といてもらえねえか」

 レオナールは自分の私室の前に控えていた召使い達にそう告げると、役に立つ事の無かった衣装を着替えるために部屋の中へ入っていった。

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