【I-014】避けられぬ対峙

 いよいよ、長い夜が開けた。

 今日、昼までにポーレジオン若しくはエクラヴワからの申し入れがなければ、前回の恐怖が再び繰り返される事になる。昨日去ったディアーヌと入れ替えのように、朝早くから続々と帝国兵たちが到着し、物々しく戦の準備を始める。緊張感が一気に高まるのが、牢の中の三人にもひしひしと感じられた。

 「皇帝の話を信じるなら、王が戦前降伏しようがしまいが俺達は解放されるはずだ。だが……」

 シーマはやすやすと逃げ出す事など考えていなかった。両者がぶつかるその時こそ、奇跡の剣の情報が得られる最有力機会だと思っているからだ。この時機を待って、彼は屈辱的な檻の奥で従順な鼠を装い耐えていたのだから。

 だが、ひとつ懸念事項も増えていた。昨日、皇帝が彼に掛けた言葉……まるで、彼の心の内に秘めている野望を既に見抜いているかのようだった。もしかすると、エクラヴワと繋がりを持ってしまっていることも。

 「ねえ、シーマ……」エマがひどく不安そうな顔で、近寄ってきた。「あの人。マリプレーシュで会ったあの人、来てくれるのかしら……?」

 リュックもちらちらと気にするように、彼の顔を覗き込む。だがシーマは終始彼らと視線を合わせることもなく、何かを言うでもなく相変わらずの無表情だ。それが彼の普通であると解ってはいるものの、姉弟はやはり落ち着かず、疲れも忘れてそわそわとしていた。

 皇帝はまだ眠たそうな顔で、画面の中の王城の様子を伺っている。彼の向こう側には銀の台が備え付けられ、その上には忘れもしない、あの異様な程大きな剣が安置されている。女性と見まごうほど美麗な姿をしたこの若き皇帝が、あの巨大な剣をいとも軽々と自在に操るのは何度考えても不思議な事だ。今日はあの刃で、ポーレジオン国王の首を斬り落とすのだろうか。



 約束の時刻まで、あと二時間。

 早めの昼食を終えたヴィクトールは、再び映像装置の前へ戻って来た。画面には絵が貼付けてあるかのように、何ひとつ動く所はない。せっかくの映像技術が勿体無い、と彼は思った。

 「そろそろ本格的な準備をしないと、失礼だな」

 ヴィクトールはアルベールに目配せした。騎士将軍は更に彼の部下に指令を出す。前回マリプレーシュも、今回のポーレジオン作戦も本当に僅かな軍力のみ率いてきたのだが、それだけでも暇を持て余してしまう程、彼等は有能であった。

 さて、ここに座っていても退屈なだけだ。そろそろ自分も体裁を整えよう、ヴィクトールは一息つくと立ち上がった。……と、画面の中で何かが動いたような気がした。

 向き直り、画面を覗き込む。城の扉から数人の兵らしき男達が出て来た。そして彼等の間に挟まれるように、中年の卑屈そうな男が現れる。……拷問王として国中に悪名を轟かせる、ポーレジオン国王だ。

 国王はどういう訳か帝国の仕掛けた映像装置の存在を知っているらしく、ゆっくりとこちらを向くと、両手を大きく広げた。その手に武器らしきものは一切、握られていない。

 「……降伏か」

 ヴィクトールは嘲る。その言葉には少し、残念そうな響きが残った。

 どうしてこの映像装置の存在を知ったのだろう。そこが少し気にかかってはいたが、彼は画面に視線を落としたまま、斜め後ろに控えるアルベールに出陣取り消しの合図を送ろうとした…刹那。

 画面が、砂嵐になった。

 どうしたのだと、技師に尋ねようと振り返ったその時。



 爆音と悲鳴が響き渡った。画面の中のポーレジオン城ではない。……この、拠点となっている建物の中で。

 そこに居た誰もが暫し呆然とした。だが騎士達がすぐに音の方向へと駆け出す。その間にも爆音と悲鳴は次々と、あらゆる場所で立ち上る。

 「市民の暴動……?」

 ヴィクトールは信じられぬと言った表情で呟く。……が、すぐにそうではない事に気付く。規模が大きすぎる。飛翔船の轟音が聞こえる。時機が、合いすぎる。

 「……ポーレジオン国王め、謀ったか」

 炎は一瞬、凍りついた紅蓮で砂嵐を睨みつけたが……すぐにそれを不敵な笑みに変える。

 「失礼なことに、少し相手を舐めてかかっていたようだ。やる気があるなら応えてやらないとな」

 台の上の巨大な剣の柄を握り、部屋の外へ歩を進め始める。アルベールや部屋に残る近衛騎士たちも、そのあとに従って部屋を出て行った。

 ……部屋には、檻の中の三人だけが取り残される。近付く爆音にどうする事も出来ず、焦燥感のみが募った。

 「冗談じゃない……こんな所で、訳も判らずのたれ死ぬのは御免だ!」

 シーマが鉄格子に掴み掛かったその時、部屋の扉が開いた。誰かが戻って来たのか……だが、その人物は見知らぬ軍服を着た兵士だった。彼は何故か檻の鍵を持っている。

 「ご安心ください!今、開けますからね」

 カシャと音を立て、檻の扉が開く。呆然とする三人に謎の兵士は早く、と促し、先導して部屋を出る。外にはひとりの帝国騎士が倒れている。確か檻の鍵を管理していた者だ。……この見知らぬ服の兵が伸したのだろうか。

 彼に促されるまま、三人はとにかく狭い通路を走り、走り、通算五つめの扉を駆け抜ける。突然、強い刺激が瞳を襲った。三日振りに浴びる太陽の光。が、すぐに轟音と共に大きな影が三人を覆った。上空に現れたのは、一機の巨大な飛翔船である。

 「シーマ、あれ……!」

 エマは低空飛行する船体を指差した。その側面には、見覚えのある、獅子と龍の対峙する紋章が描かれていた。……そして次の瞬間、甲板の先にひとりの人物が見えた。三人を見つけて、手を振りながら精悍に微笑み、その親指を立てる。

 その姿に三人は仰天し……そして、歓喜せざるを得なかった。



 何故だ。

 何故、あの紋章がここにある。……忘れもしない、忘れる訳がない、獅子と龍の絡み合った下品な紋章。少しばかり前まで、自分の城の中にあれがはびこっていたのだ。

 「エクラヴワが、何故……」

 ヴィクトールは驚愕の表情で立ち竦んだ。器量の狭いエクラヴワ大王はこんな小国のためになど、絶対に動く筈がないと確信があった。絶対に。

 「皇帝陛下、お急ぎに……!」

 アルベールが身分で自分を呼び、急かす。周囲の住民は既に避難させたのか、相手は容赦なく攻撃を仕掛けてくる。小型の船が一隻のようだが、このままぼうっとしていては、やられる勢いだ。

 ヴィクトールは気持ちを引き締めると、アルベールをはじめ、騎士たちに令を出した。

 「応戦を。必ず、あの船を墜とせ!」

 小隊の隊長たちが、騎士将軍の合図をもとに散る。すぐに指令が伝わり、街のあちこちに隠れ控えていた砲撃隊の拠点から爆煙が上がる。本来なら全て、ポーレジオン王城へ向けられるはずだった攻撃。

 それぞれの小隊から騎士たちが一斉に飛び出す。船から下りてきた敵側からも同じように兵士が迫り出し、剣を交え、火花が飛ぶ。

 高台の上まで押し寄せてきた敵軍を相手に、アルベールは自らも剣を振るいながら、エクラヴワの紋章の描かれた戦艦の甲板の先頭を見遣る。この軍を率いる将を確認しようとしたのだ。……が、そこに立っている人物は服装も軍人のそれとは違うし、何よりその姿に確かに見覚えがあった。

 「あれは、エクラヴワの……」

 間違いない。最近まで年に数回、あの栗色の髪の青年を見ていた。エクラヴワ大王家の三王子のうち、末の王子だ。アルベールはヴィクトールに知らせようと、敵を薙ぎながら君主へ駆け寄る。だが彼も既にそれに気付いているのであろう、強張った表情でエクラヴワの戦艦を直視していた。

 (エクラヴワの大王家自らが、動き出しただと……?)

 他者ばかりを動かして、自らは傲慢に一か所に居座り続ける、あの無精者のエクラヴワ大王が。憎しみ余るばかりに逆に大王をよく知るヴィクトールにとっては全く計算外の出来事だ。……いや。

 「……第三王子か。あれか……」

 大王国の中でも異質な存在だ。奴なら大王ロドルフの意図とは外れたことをやりかねないと、ヴィクトールは表情をしかめた。……牢の鼠が何か頼っていたようだが、奴のことだったのか。

 だが、それならばこのように応戦しても無意味だと、大剣を背に納める。

 「ローラン元帥」彼はアルベールを配下として呼んだ。「軍に攻撃を一時停止するように伝えろ。それと……敵の方には、話をする機会を与えてやるとな」



 未だ指令の伝わり切らぬ地上では刃の交え合いの音が続く。

 今はまだ互角だが……ごく僅かの兵しか率いてきていない帝国軍に対し、こちらにはいざとなれば、先程相手に警戒感を与えるためにやむなく数発撃った戦艦の砲がまだまだ使える。この状況ならその気になればすぐ帝国軍を押すことができるだろう。住民を避難させたとはいえ街を壊し続けるのは心苦しいが、相手が引いてくれるまで仕方ないが攻撃を続けるしかない。

 ただ、帝国兵たちは密かにじっと修行を積んで来たのか、その腕前は確かであった。対する自らの兵たちは瞬発力はあるものの、長い戦いに耐えられる持久力に欠けている。今回の為にレオナールが急遽寄せ集めの軍を作ったという事実に加え、永年、世界の頂点に君臨してきた安心感が、エクラヴワ兵士にも甘さをもたらしているのだ。

 「このままじゃキリがねえどころか、こっちも向こうも壊滅しちまう…」

 レオナールは焦慮した。相手を決してやり込めたいわけではないのに、無意味な戦いを続ける事にも疑問を感じていた。何とか話し合いに持ち込みたい……その為には、自分が皇帝に直に接触する必要がある。彼は振り向くと、地上に見える軍長に向かって、船の機動音に自分の声が掻き消されぬよう、怒鳴る。

 「おい!兵士を引かせて、オレが皇帝と話をする!全軍と相手側に、伝えてくれ!」

 「は!」

 軍長が手を上げようとしたところに、ひとりの伝令が駆け込んで来た。……両者の意図は、意外なほど簡単に疎通する事が出来たようである。

 (そりゃ、通じるはずだ。相手は……)

 レオナールはその顔を思い浮かべるが、そうすればする程、この事態を起こした者とその印象が一致せずに困惑する。……夢でも見ているのではないだろうかと、未だに疑ってしまう。

 やがて絶え間なく響いていた金属音が止んだのを機に、レオナールは自らの搭乗するこの飛翔船を、既に相手の船の停泊している町外れの広場へ降ろさせた。

 「……」

 甲板から地上へ降りるための階段が設置されるのを、彼は緊張のようなものに身を硬くしながら見つめる。恐怖の対象として人々が怖れるようになってしまった『炎』、グランフェルテ七世は……しかしレオナールにとって初対面ではなく、況してやこのような感覚を憶えなければならない相手ではなかったはずだ。

 階段を一歩一歩踏み締めながら、彼は向こう側の軍勢の中央からも進み出て来るその姿を見つける。膝の丈まであろうかという、真直ぐな紅蓮の髪。後ろでひとつに束ねているとは言え、風になびく鮮明な紅は嫌でも目に入ってくる。……だがレオナールの知っているはずのその人物の纏っていた空気とは、がらりと豹変したものを放っている。

 先に口を開いたのは、相手の方だった。

 「久しいな。前に会ったのは半年前だったか。………次がこんな形になるとは、思ってもみなかったが」

 「ああ……」

 レオナールは戸惑う。人違いであったなら、随分と気は軽くなるのに……話しぶりは全く違うものの、その声は確かに、よく知っているものである。

 何故、こんなに変わってしまったのか。何故、こんな事をするのか。

 「どうして……」

 いつもはすらすらと溢れる言葉が、詰まって出てこない。レオナールは感情を押し殺そうと努力した。

 「こんな争い、無意味だ。もうやめてくれ……」

 「ふうん。自分の方から爆撃しておいてか?」

 相手は呆れたように嘲笑する。……こんな風に笑う奴ではなかったのに。マリプレーシュの時に間に合っていれば、彼の暴走を止められていただろうか、とレオナールは唇を噛む。

 「その……そっちが、ウチの奴らに嫌な目に合わされてんのは、前から言ってるように良く知ってる。これからはオレももっとマジメに、オヤジに掛け合ってみる、だから……」

 彼は戸惑いながらも、懸命に説得を試みようとしたが……その紅蓮の瞳は、彼の後ろの臙脂色の船体に向いた。

 「この船の差し向けは、大王の指示ではないのか?」

 「違う、オレが勝手にやったもんだ。オヤジにはまだ話は行ってない、けど……」

 「そうか……」

 ヴィクトールはそう呟くと、形ばかりはエクラヴワの船を、改めて見つめた。やはり大王にはまだ、動く気はないのだ。

 「そうか」

 彼は同じ台詞を繰り返す。同時に不敵な笑み……だが彼はすぐに冷笑を消した。彫刻のように整った無表情は、気迫を倍増させていた。

 何も言わずに、右腕一本で、以前の印象からはそんなものを持ち出すとは信じられぬほどの大剣を背から取り出し、構える。

 「おい……おい、違う!オレはおめえと戦う為に、ここへ降りたんじゃねえ!!」

 「知った事か。邪魔者は消す」

 次の瞬間、一閃の巨大な光が顔の横を縦に通過した。栗色の髪が辺りをはらはらと舞う。


 ……やるしかないのか。


 レオナールはやむを得ず、自分の曲刀を抜いて、握る。出来れば、相手を傷つけたくはない。

 あんなに親しくなろうとして、何回も言葉を交わそうとして……例え、一方的にであったとしても……その思いを共有しようと試みた相手を斬るのは、嫌だった。

 迫り来る大きな刃を、あまりにか細い自剣で何とか受け止める度、体中に衝撃が走る。

 (こんなに強かったのかよ……!)

 この様子では相手にとっては、お遊び程度のものであるに違いない。レオナールは焦る。

 「おい、やめろ!もう一度、話し合いを……」

 レオナールがそう言いかけた時……遠方で、爆音のようなものが聞こえた。

 「ポーレジオンの城……!?」

 上り立つ黒煙を見て戸惑うレオナールの顔に剣先を突き付けたまま、炎は言う。

 「王の降伏宣言を聞いた憶えはない。約束の時間が来たから、約束通りにさせてもらっただけだ」

 ……何と言う事だ。帝国は拠点の奇襲攻撃に応戦しながらも、本来の標的へ対する準備も怠っていなかった。唖然とするばかりのレオナールを見て、グランフェルテ皇帝は大剣を降ろした。

 「心配なら、行ってやったらどうだ?今頃既に、王様は口が利けない状態になってると思うけどな」

 片手の指先を揃えて自分の方に向け、横に振る。首を斬り落とす仕草だ。

 「仕事が早いんでな、うちは」

 「!……」

 レオナールは立ち尽くした。

 また、繰り返してしまった。

 自分に対する悔しさを隠しきれない。だが……非力な自分に、この場でこれ以上できる事は、残されていない。

 彼は曲刀を鞘に収め、後ろを向いて、退却命令を出すしかなかった――。

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