分かつ時灯り～Gloire de Dijon

【I-013】耐え抜きながら

　貴様、この、化け物。

　その力を使えば、どのようになるかと言ったのをもう忘れたか。　

　いいだろう。では、思い知らせてやる。

　鋭い光が、だんだん近付いてくる。足が竦んで、その場を動く事が出来ない。

　脚に、瞬時に冷却されたような、灼熱で燃やされたかのような衝撃が走る。

　くっくっく。

　血の色ばかりは、普通か。その奇妙な瞳の色と同じか。

　我らと同じ血を流すというのか、化け物め――。

　跳ね起きた。

　暫く、何も考えられなかった。起きたばかりだと言うのに、うっすらと額を汗が覆い、心臓は激しく鼓動を打っている。

　……やがて、朝の冷たい空気と聞き慣れぬ潮の音が、ようやく彼に我を取り戻させた。深呼吸をすると、彼は再び寝床に沈む。

　……また、あの夢か。

　いつもと違う寝台を使ったので、こんな夢を見たのだろうか。……いや、違う。この夢には、過去十五年間……何度も何度も苦しめられて来た。

　こんな夢を見るのは……そう、あの憎たらしいエクラヴワ大王のせいだ。先日は仕方なしにとはいえ、そして通信の電波に乗せていたとはいえ、聞きたくもないのに随分と長いことあの声を聞いた。あれを聞くと間もないうちに大抵はこの夢を見る。

　横になったがもう一度眠る気にはなれなかった。彼は寝台から降りると手早く身仕度と朝食を済ませ、仮の司令室へ向かう。部屋に入るなり、配下たちが一斉に敬礼をするのは見慣れた光景だ。

　だが、そうでないものも中には含まれていた。暇つぶしの為に捕らえておいた、三匹の鼠ども。……鼠は夜行性だと思っていたが、こいつ等はそうではないらしい。鼠語は良く判らないが、どうやら檻から出せ出せとほざいているようである。

　妙な夢に朝から既に気分を害されていたヴィクトールは、すっかり頭に血が上って再び鉄格子を叩き付けた。

　「うるさい！貴様等すぐにでも、あの拷問具に挟まれて串刺しになりたいのか！？」

　三匹が静まる。ヴィクトールは机の脇にある椅子に、乱暴に腰掛けた。

　「昨日は、何もしないって言ったのに……」

　檻の中の少年が、涙目で呟く。ヴィクトールの脇に控えていたアルベールがそれを見兼ねて、端からはその理由も判らないまま苛立つ若き皇帝の側へ移動し彼を窘めた。

　「自分で捕えておいたんだろう。せめてもう少し優しく接してやれ」

　「……」

　今は、慣れている護衛の騎士の声さえも鬱陶しい。気分を変えるためにヴィクトールは檻の存在を意識から遠ざけたまま、部屋の内部に変わったことがないか見渡した。……詰め所にもともと置かれていた試作の画像投影機…画面の前には数人の技師が集まり、部品を取ったり入れたりしている。帝国技術兵団は銃の取り扱いも出来る優れた組織だが、この戦争が始まる前までは専らこのような時に重宝されて来た。

　技師たちも先程の主君の怒鳴り声にいささか焦っているようで、緊張の色を走らせながら黙々と手を動かしている。アルベールがそれを見て、またやや困ったような表情になりつつヴィクトールに問う。

　「あれを直してどうするんだ？」

　「王城前を映す。奴等がひいこら言って駆けずり回る姿をしかと見届けておいてやる」

　「……また、暇潰しか」

　アルベールは呆れたが、別段止めようともしなかった。マリプレーシュの時、大公は事前に裏口から逃れようとしたらしき情報が入っている。それを防止する為に監視が必要なのだが、迂闊に普段より多く兵士を配置し市民に反乱等を起こされると厄介だ。それを見越しての手段なのであろうという事が判ったからだ。

　「いずれにしろ、まだポーレジオン側もエクラヴワも、動きは無いようだな」

　アルベールは報告書に軽く目を通してゆく。輝かんばかりの金髪を短く切ってしっかりと固めているので、下を向いても髪が顔に落ちてくる事は無い。

　「こんな時は誰しも最後の最後まで頑張るものだ。時間を過ぎたら……約束通り、だがな」

　ヴィクトールはようやく落ち着いたのか、機嫌を取り戻しつつあった。……代わりにひとつ気になる事がある。姉ディアーヌが今日はまだ部屋から出てこないからだ。

　彼女はこれまでの人生、革命の最中にあったグランフェルテに於いてもほとんど何も知らされず、姫君として城の中に閉じ込められて大切に扱われてきた。ゆえに、ずっと外の世界を見てみたいという希望があったのだろう、この遠征に付いて来たいと言って聞かなかった。

　ヴィクトールもその身を案じつつも、攻撃開始までは比較的安全であろう今回は、彼女の気晴らしになるならとそれを許可したのだった。初めて見る外国、そして庶民の暮らしを体験し、護衛の騎士たちに囲まれながらも嬉しそうに出かけてゆくその姿を見ると、弟は緊張の続く遠征中にも一時の癒しを見いだす事が出来たのだ。

　だが……昨日の、鼠の一言を気に掛けているのだろうか。余計な事を言いやがって。ヴィクトールは檻を一瞥したが、今日はまだ奴等と遊んでやる気にはなれなかった。

　三人がこの狭い箱の中に入ってから二日目の夜。帝国のポーレジオン王城攻撃まで、わずか一日半となった。

　シーマは隣室で行われているらしき帝国幹部たちの会議にじっと耳を澄ませていた。壁は薄いようなのだが波の音が邪魔をし、やはり聞き取ることは難しく、奇跡の剣はおろか王城攻撃作戦の一部の情報さえ掴む事は出来なかった。

　エマは何とかして兄の手掛かりに繋がるような事を聞き込もうと思っていたが、やはり残念ながら時機を逃していた。……いや、それは単なる理由付けであり、本当はやはり恐怖と戸惑いが先行していたのだ。リュックは一番若いのにも拘らず、人生を諦めたような顔をしている。

　やがて会議が終わるような号令が聞こえ、人の気配が散ってゆく様子が窺えると、エマは疲れ切ったような表情でこう言った。

　「私達……どうなっちゃうの……？」

　娘盛りの真珠のような肌の輝きは、もはやそれを失いつつあった。リュックは勿論シーマも、この誰にともなく向けられた問いに答えはしなかった。無表情の彼は普段と変わらぬように見えたが、おそらく彼もかなりの疲労感に襲われているのだろう。

　……潮騒に紛れて突如、扉の開く音がする。喫驚する余裕さえ、彼等には残っていなかった。

　数人の召し使いらしき女達が、何やら大きな袋を持って入室する。彼女たちの後について入って来たのは、皇帝の姉…ディアーヌだった。今日初めてその姿を見る彼女は、三人の困憊した顔を心配そうに覗き込んだ。

　「大丈夫？……今日は差し入れを持って来たの」

　彼女が合図を送ると、女官たちは大袋の紐をほどいた。中から出て来たのは……幾らかの毛布だった。 確かに昨夕、彼女は彼らを気遣う言葉を掛けてくれてはいたが……三人は気休め程度に掛けられたものだろうと思っていたので、エマは彼女に一時酷い言葉をかけ、少しでも疑いを掛けた事を、心の底から恥じた。

　「ディアーヌ様……」

　「待って。今、中に入れるから」

　ディアーヌは今度は近くに居た見張りの騎士に合図を送った。彼は暫し隣の騎士と顔を見合わせたが、やがて腰から鍵束を外すと檻の錠前を解き始める。ディアーヌは皇帝の姉……この騎士らにとっては皇帝に等しき権力を、彼女は持っている筈である。

　錠が外された時、エマはシーマが騎士に掴み掛かるのではないかと心配した。……が、彼は十分程前と同じ体勢のまま、檻の口が開く様子をじっと伺っている。今、騒ぎを起こす事がどんなに不利に繋がるか察しているのだろうし……そのような事をする体力と気力も無いのであろう。

　檻の中に毛布が運び入れられると、再び固い封印がなされた。決して最高級品の肌触りではなかったが、夜の肌寒さを凌ぐには十分なものだった。使い古した形跡もない。

　「私達のために、わざわざ……？」

　「ええ……まあ私が街に出るのは禁止されちゃったから、調達してくれたのは彼女達だけれどね」

　そう言われて後ろの女官たちが、遠慮がちに会釈をする。エマは彼女達がこんな仕事をさせられて大変な思いをしているのではないかと申し訳なく思っていると、先にディアーヌが言ってきた。

　「こんな事しか出来なくて……ごめんなさいね。もう少し、頑張って」

　「謝らないで……本当に、ありがとうございます。あの……」

　エマは昼間から行き場を失わせていた質問を、ディアーヌにぶつけてみる事にした。彼女なら真摯にそれを受け入れてくれると思ったからだ。案の定、彼女はエマの瞳を真直ぐに見、言葉を聞き入れる姿勢を作っている。

　「この間の……マリプレーシュの時も、今回みたいに誰か捕まえたの？」

　「マリプレーシュ？あの時は……」

　ディアーヌは小首を傾けて、しばらく壁の一点を見つめた。……が、やがて首を横に振る。

　「……ごめんなさい、判らないわ。私、あの時は同行しなかったものだから」

　「そう……」

　項垂れたエマの様子に、ディアーヌは慌てて言葉を探している。彼女は本当に、三人の為に親身になってくれているのだ。ずっと顔を伏せていたリュックもほんの少し目を上げて、彼女を見た。

　「そんな事を聞くなんて、何か事情があるのね。いいわ、後で弟に聞いてみる。もちろん、あなた達がそう尋ねていたなんて言わないわ」

　ディアーヌの可憐な微笑みは、疲れ切った心身に潤いをもたらしてくれるようだった。私が男だったら、間違いなく彼女に心惹かれている事だろう、エマはそう思ってちらとシーマを見たが、彼は相変わらず無表情だ。

　ディアーヌは三人にお休みと挨拶を告げると、町娘のような気取らぬ足取りで部屋を後にした。波音は昨晩よりも優しく、囚われ人たちを包んでいた。

　ついに攻撃の約束まで一日と僅かばかりを残す朝となった。

　基本的に皇帝と行動を共にしてこの司令室にいる騎士将軍アルベールは、この檻の中の三人が何処から来たのか、何故ここへ入り込んだのか……大方の予想をつける事が出来てきた。

　三人の内のひとり、金茶の髪を持つ娘が、しきりに自分に同じ質問を繰り返すのである。

　「前回のマリプレーシュの攻撃の時、本当に一般市民に危害は加えなかったの？」

　皇帝にはやはり聞きにくいのであろう、その分までまとめて自分にぶつけるように、彼女はよく喋る。その内容からすると娘はマリプレーシュの民で、彼等の親族あるいは知り合いが大公城攻撃の際に消息を断ち、その疑惑なり恨みを晴らす為に勇敢にもここ帝国軍の拠点へ乗り込んだという事だ。

　彼女の背後にいる剣士風の青年が渋い顔をしている。娘の言動がすべてを語っている事を察しているのだろうが、彼女をここへ先導してきたのはおそらく彼であろうに。

　「……無論、マリプレーシュ城爆撃の際には、そこに居た貴族や警備兵、召使い、そして市民抗議隊の中に、多少の犠牲者は出てしまったのは認めざるを得ない。しかし、その各々の身元まで我々は……」

　いくら娘にそう説明しても彼女は納得してはくれず、人質はとらなかったのか、遺体は回収しなかったのかと問いを重ねてくる。……アルベールは囚人と言えども決して他者を軽く扱う事のない騎士精神を持っているが、こうもしつこく同じ事を繰り返されると、いい加減に解放して欲しいと思わざるを得なかった。

　無駄な仕事が増えるだけなら、三人をいつまでも捕らえておく意味もないのではないか。彼らを捕まえた張本人であるヴィクトールの方へ目をやる。だが彼は例の画面が映るようになった事がよほど嬉しいらしく、それをなぞったり軽くたたいたりしながら技師たちと歓談を続けている。グランフェルテには当然まだ発達していない技術であるから、その気持ちも判らなくはなかったが。

　娘はそうしているうちに疲れてしまったのだろう、やがて問いを発しなくなった。……彼女もその弟と見える少年も、今日になってからかなり落ち込んでしまっている様子だ。その訳は、彼らの面倒を見ていたらしきディアーヌが今朝一番、船で帝国に還されてしまったからであろう。

　いち反抗市民に親身になっていてもきりがないのだが、アルベールはこの一連の措置をやや哀れに思って、未だ画面から離れようとしない皇帝と、得意気な説明の止まらない技師との間へ押し入った。

　「ヴィクトール、ディアーヌを還すのは明日の朝一番の予定だった。彼女も不満を漏らしていたぞ」

　「何だよ、急に」紅の若君は満悦していたところを邪魔されて不機嫌な表情になる。「もう街は飽きたようだし、ぎりぎりでは危ないから余裕を持って還しただけだ。彼女が付いてきて一番はらはらしてたのはお前の方だろ？」

　「……」

　アルベールはやや顔を赤らめ、ひとつ咳払いをした。

　「だが……あの囚人達は彼女を頼りにしていた。知っていただろう。あの毛布もおそらく……それとも、それが気に喰わなかったか？」

　「お前もくだらない話するな。それに、俺がそんなに器の狭い人間だと思ってるのか？」

　ヴィクトールは画面から離れ、自らの椅子に戻りがてらにちらりと、彼が動く度に身を硬くする囚人達を見遣り、それから彼に合わせて脇に寄ったアルベールに顔を近づけた。

　「……姉の度の過ぎた親切は、戦争の時には不要だ。況してやこの間まで敵国の民で、我々に不審を抱いているような者にはな。判っていないはずはないだろ、騎士将軍閣下も？」

　「だが、たかが市民だぞ」

　「果たして、そうかな。まあ娘と子供はそう見えなくもないが、あの端の男なんか如何にも怪しい。それに今は、ただの市民に見せかけていても……」

　「……」アルベールは怪訝そうに、小さな牢を見遣る。「……あの三人、ただ気紛れで捕えた訳では……」

　まあいい、と側近のその台詞を遮り、ヴィクトールは意味深な笑みを彼に向ける。そして立ち上がり、その牢獄へ足を向けた。娘と少年が、はっと竦み上がる。

　「あと一日もないが、ポーレジオン王にはどうやら前向きな意思が感じられないようだ。あのロドルフの犬なら、そうだろうな。まあ、あんた達はそこまで我慢すれば解放されるんだから、関係ないな」

　「……」

　エマは何とか自分の体の硬直を解こうとしていた。ディアーヌを頼れなくなってしまった今、皇帝から直接にでも聞き出そうと、決めていた。だがなかなか思うように口は開かず、ただその唇が切れそうなほどに歯を食い縛ってしまうばかりだ。そんな彼女をわざと覗き込むように、皇帝は少年のように膝を抱えて屈む。

　「姉はあんたと友達になりたかったようだから色々と手を尽くしたんだろうが、我々には大義がある。あんたらの身内がどうなったかなんて細かいことまでいちいち気に留めてられないのさ、悪いけどな。……それと」

　昨日の騎士との会話で、とうにこちらの聞きたいことは見透かされていた。それにやっと気づいてうつむき震える彼女から、ヴィクトールは奥で睨みだけを利かせてくるシーマへ視線を移しながら、ゆっくりと立ち上がる。

　「こんなことする度胸があるんなら、次は自分のとこの主君へ直談判したらいいんじゃないか？」

　「……」

　「欲しいものがあるんだろ？それなら、我々を追いかけてきたって意味がない。こっちだって欲しいと言ってるのに、教えてくれないんだから。自分の民なら、もしかするかも知れないぞ？」

　今度はシーマが珍しくも驚きを露にして、顔を上げた。その様子を見て鼻で笑うと、炎はそのまま豪奢な衣装を翻して、部屋を去った。