【I-008】嵐の後

 炎の嵐が去った城内は、元の飾り立てられた優雅さなど見る影もない様相ではあったが、あの阿鼻叫喚の状況からは一転して驚くほど静かになっていた。

 後を任された新首長ラミーは、彼と共にこの地に留まるよう命ぜられた一部の配下たちに何やら指示を出すと、城の奥へ消えていった。その場に残された、ほぼ戦意を喪失したマリプレーシュ兵や官僚、貴族たちを何処やらへ連行して行くと、帝国兵たちは後から来た技術者らしき者たちと早速に城を修復するための検証を始めたが、呆然と残ったままの抗議隊を乱暴に追い出すような事はしなかった。若者たちの方も衝撃的な主君交代劇を見せられて抗う気力も失せたのか、自ら散って行った。


 「兄さん、結局、見当たらなかった……」

 エマとリュックは、落胆してそう言った。あの後、城中の可能な場所を出来る限り探そうとして異国の兵の目を盗みながらずっと歩き回っていたし、それに色々なものを見てとても疲れてしまっているに違いない。シーマは珍しくも彼女らに優しい言葉をかけた。

 「おそらく既に家に戻っているだろう。お前達ももう、帰るといい」

 「シーマ……あなたは?」

 「俺は、また旅に出る」言いながら、柱の向こうで検証を続ける帝国兵の姿を見つめる。「“探し物”の手がかりが、掴めそうなんでな」

 「シーマ、もしかして……あの何とかっていう、剣の事?」

 どうしてそんな危険を冒してまで……と続けようとして、エマは止めた。そんな事まで、シーマがぺらぺらと喋ってくれるとは思えなかったからだ。

 「……分かったわ。じゃあ、せめて家まで送ってくれる?」

  ため息をつきながら……エマはそれだけ、彼に告げた。



 正門から城を出て、夜の帳の降り始めた街へ降りるところの長い階段で……三人は下から猛烈に駆け上って来た見知らぬ若者に刃を突き付けられた。……いや、正確には先頭を歩いているシーマだけに突き付けられていた。

 「てめえ、帝国のもんか!?」

 血気盛んな若者は勢いづいてそう怒鳴った。が、シーマの表情は普段と変わらない。

 「……物騒な世の中だな」

 「質問に答えろっ!帝国の奴か!?」

 本来ならエマやリュックは驚いて悲鳴を上げている所だが、あの究極の迫力を持った『炎』を目にしてしまった後では、この若者の行動など取るに足らぬように見え、ただぼうっとして彼らのやりとりを見ているだけであった。

 「……女や子供連れで、帝国兵に見えるのか?」

  シーマはあくまで冷静に、熱くなった若者を見下すように言う。

 「……」

 若者はシーマと、きょとんとした表情の姉弟とを交互に見ると……急に熱気を引かせて、少し恥ずかしそうに曲刀を鞘に納めた。

 「……女や子供を拐おうとしてる、帝国兵かと思っちまって…」

 ……どうにも下手な言い訳だった。悪者には見えなかったので、エマは思わず気軽に彼に話し掛けてしまう。

 「遅刻してきた抗議隊の人?」

 「いや……ああ、いや、そんなようなもんだな」若者は栗色の髪を掻きむしると、がっくりと項垂れて階段に座り込んだ。「もう少し、早かったら…」

 そんな様子を見つけた巡回中の帝国兵が、四人に声を掛ける。

 「ほらほら、まだいるのか。そんな中途半端な所で話し込んでもらうと仕事の邪魔だ。さっさと街へ帰れ」

 「ああ……悪かったな」

 重い腰を上げる若者に、シーマはひとつ、疑問を投げかける。

 「本物の帝国兵には、刃を向けないのか」

 若者は暫くぽかんと口を開けていたが……すぐに、階段を上って行くその兵の後を猛然とした勢いで追いかけようとした。エマとリュックは必死の思いで彼を捕まえようとしたがさすがに難しく、ここでやっとシーマも仕方なく手伝って彼を階段の下まで引き摺り下ろしたのだった。

 ……その三十分後、シーマとその若者のふたりは、例の酒場に居た。エマたち姉弟は何よりも兄が気になると言うので、急いで帰路に就いた。そして兄の姿が確認できるまで、行かないでくれと……シーマはエマに懇願されていた。なので仕方なく、彼女が報告に戻るまでこの酒場に腰を落ち着けることにしたのだ。そこへこの若者が勝手にくっついて来たのである。

 シーマと若者はそこで少し話をした。……というよりも、若者が勝手に喋っていた。

 栗色の髪の、もともと小麦色の肌を更に健康的に日焼けさせた活発な印象のこの若者は、名をレオナールといった。歳は二十歳、シーマよりひとつ年下である。シーマはそのレオナールという名に何か引っ掛かる事があるような気がしたが、よくある名のひとつだと気に止めぬことにした。

 レオナールは本当に気さくな……シーマにしてみれば単純な性格らしく、初対面のしかも極めて無愛想なシーマに向かって尽きる事なく語りかけ続けた。

 「だからよ、オレがもうちょっとだけ早く着いてさえいりゃあ、こんな事にならずに済んだんだ。せめて皇帝の奴のいる時に間に合ってれば……あ、給仕の姉ちゃん、もう一杯頼むぜ」

 シーマはずっと、彼の延々と繰り返される話を黙って聞いてやっていたが……いい加減、飽きてきた。面倒だとは思ったが、彼は少し気になっていた基本的な事をレオナールに尋ねてみることにした。

 「……大体、お前は何者なんだ?」

 「えっ」

 レオナールは急にびっくりしたような顔つきになり、口籠った。

 「……ど、どういう意味だよ」

 「そのままの意味だ。抗議隊の市民かと思えば、どうやらそうではない。勿論、帝国側の人間でもないだろう。だとしたら何者だ?」

 レオナールが押し黙り、シーマが彼を問い質しているという、なんと今までと逆の形勢だ。

 「グランフェルテ皇帝の信奉者のひとりか?それとも、俺のように……」

 五杯目の酒が、テーブルに運ばれた。

 「……オレのことは……その、ちょっと、言えねえんだ。訳があってな……」

 給仕の女が卓から離れると、レオナールは辿々しく、言葉を繋げた。つい五分前の彼からは想像できないほどの変わりようである。

 「信用ならん奴だ。どうでも良いことは、べらべらと喋るくせに……」

 シーマが皮肉を言いかけた時、エマが店の中に入ってきた。その表情を見ればアルテュールが家に戻ったのか否かはすぐに判断する事が出来る。

 「……居なかったか」

 「ええ……戻った様子もないの。リュックは、疲れちゃったみたいで……」

 彼女はシーマを見上げる。その蒼緑の瞳は少し、潤んでいた。

 「……やっぱり、行くの?」

 「俺にはやることがある。行動しない訳にはいかない。……お前たちは、もう下手に動くな」

 「待ってよ……」

 ……ふたりの様子を見ていたレオナールも、さすがに居づらい雰囲気をひしひしと感じた。そして「ちぇっ」と軽く舌打ちをすると、邪魔をしないように一応は気を使いながら席を立ち、席の下に立て掛けていた曲刀を再び装備し始める。腰に携えた、その剣の鞘には……あるひとつの紋章が刻まれていた。

 「……!」

 シーマは、はっとした。

 彼の名に覚えのあった意味を、今、思い出した。慌てて、栗色の髪の若者を呼び止める。

 「待てっ、お前……!」

 ……紋章は、確かに――彼がある、とてつもない身分にあることの証を示していた。



 いくら「元エクラヴワ」いちの流通都市と言っても、これだけの人が湧いて出て来たのには、ずっとここで生まれ育ったエマとリュックにとってもいささか驚きだった。

 マリプレーシュから大王国エクラヴワ城下町方面へ続く列車は、あれから一晩経っても街から逃げ出そうとする人、故郷へ帰ろうとする人、一大決心をして大王へ要請を求めようとする人等でごった返し、運行がそれについて行けない状況になっていた。

 列車の屋根に上る者、最後尾の鉄棒に掴まって引き摺られて行く者が後を断たないので、自警団や先程配置されたばかりの帝国兵までもが出動したが、無謀にもその帝国兵に襲い掛かる者も出て来ており、駅は昨日のマリプレーシュ城とさして変わらぬほど殺伐とした雰囲気に染まっていた。

 「くっそお、これじゃ帰れねえじゃねえかよ!!」

 「え、え、列車で来たの……!?」

 幾らか離れた場所から恐る恐る、遠巻きに抱き合いながら様子を伺ってくるエマとリュックに、レオナールは地団駄を踏みながらも更にやや苛々とした表情を向けた。

 「だぁから、普通にしろってんだよ!さっきまで普通に喋ってたろ?」

 「だ、だって……」

 「列車なワケねえだろ、飛竜で来たんだよ……でも、あいつオレに懐いてなくて、どっか行っちまったんだ。そうすると、列車で帰るしかねえだろ……」

 ……昨日からずっと生きた心地のしない体験をしてばかりであったエマたちであるが、この栗色の髪の青年の正体を知ってしまってからは、またもそのような思いを抱いて身を震わせていた。それまでも悪夢を見ているのではないかと思わされていた彼女らだが、それを更に混乱に陥れるような事実が判明したのだ。

 この、目の前で栗色の頭を掻きむしっている青年。

 レオナール・ベルトラン・ド・エクラヴワ。

 それは……エクラヴワ大王国第三王子の名であった。

 昨日放送で聞いた声の持ち主、エクラヴワ五世大王の、実の息子である。

 曲刀の鞘に描かれた獅子と竜の対峙する形の紋章こそが、それを如実に証明していた。

 が、その鞘には現在、布が巻き付けられてあった。シーマが隠せと命じたのである。

 「……まったく。今この状態の街で、そんな物を振り回してこの街を歩いていたら、どうぞ殺してくれと言っているようなものだ」

 シーマは呆れ顔で言いながら、その名前と確かにエクラヴワ民族の特徴を受け継ぐ彼の小麦色の肌を確認しておきながら、何故そのことにすぐ気がつかなかったのかと自らの鈍さを戒める。……が、レオナール自身は帰りの手段を失ってしまった事の方が気になるらしく、忙しなくそこらを歩いたりしゃがみ込んだりしている。

 彼がエクラヴワの王子であるという衝撃的な真実をまだ飲み込み切れないほどであるが、シーマもエマたちも何故だか彼の側から本当に逃げ出すことが出来ずにいた。この、とても王子とは思えないような、況してやあの威圧的な大王の息子とは思えぬような庶民的な人柄……と言っても今は狼狽うろたえてばかりいるだけなのだが……何故だか、心を許せてしまう不思議な魅力が彼にはあるのだった。

 エマは彼を、そして自分を落ち着かせる為にも、素朴な疑問をレオナールにそっと投げかけてみた。

 「ね、ねえ……レオナール。あなたはどうして、ここマリプレーシュへ?」

 問われたことによって、ようやく少しばかり我を取り戻した様子で……彼はエマの顔をちらと見て、また頭を掻いた。

 「……あんな事言われて、エクラヴワ王子として何もしねえ訳にいかねえ……それに、アイツは……」

 何かを切ないとも言える表情で言いかけて、彼は慌てて両手をその前で振った。

 「まあ、まあいいんだ。そんで放送の後いっそいでここに飛んで来たけど、間に合わなくってよ……」

 「成る程な。今、やっと話が繋がった」

 シーマは再び呆れた。どうやらエクラヴワの王子であっても、父王と連携したり兵を連れていたりするわけではなく、レオナールが単独で突発的に動いたようだと判って安心はしたが……このままでいても仕方がないと思い、すぐ反対側の海路の方へ伸びている列車の手続所の方を確認しに行った。

 ……レオナールやシーマのみでなくエマ達もまた、このマリプレーシュから動き出そうとしていた。足が悪く遠くへなど行ける筈も無いアルテュールの……最悪な結末だとしても、遺体さえも発見できないのはおかしい、帝国が何か手掛かりを持っているのではないかと言い出したのは意外にも、一番びくびくしていると思われたリュックだった。

 シーマは、『グロワール・ド・ディジョン』を巡る両国の動向が気になる。レオナールはとにかく、国へ帰らねばならない。そこで四人は合流し、北のエクラヴワ大王国城下町を目指す事になったのだ。しかし……。

 シーマが戻って来た。彼はいつも無表情なので、その顔色から結果を予想するのは困難である。

 「どうだったの?」

 エマが一本の糸をも頼る気持ちで問うが、彼は首を横に振った。どうやら反対側も同じ状況という事か。

 「……ったく!マジ、どうすんだよ……」

 「しっ、静かに……!」

 愚痴り始めたレオナールを、リュックが制する。彼が注目しているのは、畳みかけた露店の脇に置いてある放送機だ。

 『……したグランフェルテ帝国ですが、早くも次の声明を告知した模様です。弊社独自の調査によりますと、次の標的はマリプレーシュ南部のポーレジオン王国、半月後に帝国軍が上陸するとの事ですが、詳しい情報、大王国側からの表明は一切……』

 「は……半月後!?」

 素頓狂な声を真っ先に上げ、俄にそこに集まった聴衆を驚かせたのはレオナールだった。

 「どうする、王子様?のろのろしていては次も、間に合わんぞ」

 シーマはエクラヴワ方面へ向かうのをやめ、ポーレジオンへ向かおうとすぐに作戦変更を決めた。剣の行方を追う為には事の最前線へ向かう方が適していると考えたからだ。

 不安げに両者を見つめるエマとリュック。

 「……」

 レオナールは珍しくも真剣な表情で、三歩分ほど先の地面を見据えている。……ばたばたとしている時にはよく分からなかったが、その精悍に整った横顔にエマは一瞬、隣のシーマの存在を忘れてどきりとしてしまう。やがて彼は顔を上げると、言った。

 「オレはやっぱ一旦国へ戻って、援軍連れてポーレジオンへ行く。必ずだ。それまでおめえら、帝国の動きを追っててくれ」

 ……ぽかんと口を開けてしまっているエマたち姉弟の向こうから、唯一表情を変えないままのシーマが「待て」と制した。

 「いつから俺達は、エクラヴワの使い走りになった?」

 「ンな事言ってる場合じゃねえ!半月後なんて言ってたって、実際にはいつ、アイツが……皇帝のヤツが事を起こすか判んねえんだ。おめえだって剣がどうなってんのか知りてえんだろ?」

 レオナールは捲し立てて、そしてシーマからふと栗色の瞳を離すと……人々が騒ぎ立てている方向と逆の、街の奥の方をきっと見据えた。

 「……オレはあっちから何とかする。おめえらも何とかして、ポーレジオンへ渡ってくれ。頼んだぞ!」

 「ぞ」と言った時には、レオナールはもう背中を向けて走り出していて、三人はもはや呆気に取られるしか無かった。

 「な……何だったんでしょうか、あの人……」

 リュックの呆然とした問いに、当然ながら二人のどちらも答える事は出来なかった。

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