【I-007】紅蓮の皇帝

 巨人の亡骸の後ろには、ひとりの青年の姿があった。

 その右手には宝石のちりばめられた、長身の彼自身の丈ほどもあろうかという大剣が握られており、巨人の血にべっとりと濡れている。

 ……だが、そんな事はこの際、どうでも良いことだった。

 人々の注目が、最も集められたのは……その青年自身の、一目見れば忘れられぬほど特徴的な姿である。

 大柄な帝国兵たちが、一斉に平伏した。

 「皇帝陛下……!!」


 白を基調とした豪奢で華麗な衣装。それを覆う長髪は……燃え上がるような、炎の色。

 驚くべき事にその両の瞳も、頭髪よりやや深い紅色をしており……対して色素が薄く、純白が僅かに赤みがかった肌との対比、そして彫刻のように整った顔立ちは、思わず目を奪われるほどに美しい。身に纏う風格は、誰しもが夢でも見ているのかと錯覚してしまうような、神憑かっているとさえ言えるものである。

 現実の人物とは思えぬ姿に、混乱を極めていたはずの全ての人の視線は、一瞬にして魅了されたように彼に吸い込まれてしまう。……皇帝と呼ばれたその鮮烈な紅蓮の青年は、辺りをゆっくりと見回すと、唇を開いた。

 「ずいぶん、手間取ったな。こんな小さな城で」

 その堂々と良く響く声は……昨日の放送で、マリプレーシュのみでなく世界中を震え上がらせた、まさにそのものであった。

 「あれが、『炎』……」

 シーマは呟いた。魔族とやらとの混血はすっかり、大王が化け物と形容していたような恐ろしく醜い見てくれだと思い込んでいたが……その想像を裏切る姿に、只々驚くばかりであった。

 まだ少年の面影さえ残す若さに見える紅蓮の青年の、その存在感に圧倒されるあまり……もはやマリプレーシュ兵士たちも帝国軍に襲い掛かるのを誰からともなく止めている。辺りには加えて抗議隊や賊などの民衆が多く集まっているにも拘らず、いつの間にかしんと静まり返っていた。

 「……ありがとうございます。わたくしの力が至らず、申し訳ございません」

 ウィンバーグ大将がその場に立膝をつき頭を下げようとしたが……皇帝はそれを巨剣を持たぬ方の手で制し、既に彼女の周りでひれ伏している配下の兵卒らの方に問うた。

 「何故だ?こんな岩みたいなのが出てくる前に、片付かなかったのか」

 「申し訳ございません。こやつが、どうしようもなく暴れるもので……」

 侯爵を取り押さえていた数人の帝国兵が、再び頭を下げる。突如、自分に話題を移されたカプールは言葉通り飛び上がった。

 「ふうん……」

 若き皇帝はその丸く小柄な老人の存在に気付くと、彼に向かってゆっくり歩を進めた。抗えぬその威圧感に、カプールは戦慄する。

 「あんたが、マリプレーシュ候カプールか」

 神秘的な風貌からは想像に至らぬ乱暴な手つきで、皇帝は侯爵の胸ぐらを掴んだ。不敵な笑みを浮かべると、彼を捕まえたまま顔を近付けて、囁く。

 「助けてくれなかったな。貴様の大王様は」

 紅の瞳に間近で射られたカプールは恐怖もさることながら、その心をも見透かすような力に惑わされてしまいそうな、くらくらとした感覚になった。しかし何とか理性と勇気を振り絞って、震えながら答える。

 「こ、こ……これからだ。大王様は必ず来て下さる。準備に手間取っておられるだけだ……!!」

 「あんた、ずいぶん市民から嫌われているそうじゃないか。まあ……」

 皇帝は、無駄に豪華絢爛な飾り物が無数に揃えられた広間内をちらと見やった。

 「これだけのがらくたを飾れるだけの税金を巻き上げているんだから、当然と言えば当然だな」

 反論しようとしたカプールの顔の横で、何かが光った。……タイタスの血に濡れた巨剣の端を頬に押し当てられ、言葉を飲み込む。

 「言う事を聞けば、命までは取らない。いいか。今日、この時からは……」

 ……そのまま黙っていれば良かったものを、カプールは皇帝以外の帝国兵が彼から離れたのをいいことに、つい行動を誤ってしまった。

 「う、うるさいっ!!誰が貴様の言いなりになど、なるものか!この……紅い瞳の、化け物めがっ――!!」

 皇帝の顔から、余裕の笑みが消えた。

 しばし恐ろしいほどの静寂。

 紅蓮の貴公子はふっと、カプールの胸ぐらを放した。苦しさから解放され、咳き込もうとした、その刹那。


 鮮血が、飛び散った。

 何が起きたのか判らなかった。……ただ事態を呆然と見守ってきたシーマ達の足下に、物体が転がってきた。

 それはまさしく……数十歩ほど先の距離で皇帝と対峙していたはずの、カプール候の首だった。 かっと開かれた眼に直視され、エマは思わず口元を覆う。気の弱いリュックは、失神する前に目を反らすのがやっとだった。

 

  「……くそジジイ」

 美貌に嫌悪の表情をむき出しにすると、皇帝は叩き付けるようにそう言い放った。

 すると奥の方から、帝国兵の長か……立派な金髪碧眼の騎士が現れて皇帝の脇へ走り寄り、何かを小声で訴えた。若き皇帝は未だ苛立ちの収まらぬ様子ではあったが、それを受けて自らの方へ向けられる数多の視線に気付いたようである。巨大な刃を背に収め、白い頬についた返り血を乱暴に拭い取ると、配下のひとりの名を呼んだ。

 「ウィンバーグ。この第三部隊にはそろそろ隠居したがっている騎士がいると言っていたな」

 「は……」

 眉間に皺を寄せて一連の様子を見ていたあの女性騎士は、呼ばれて生返事をしたが……何かを躊躇うように少し俯くと、意を決したように再び面を上げ言った。

 「陛下、わたくしの兵を……今このために、差し出すつもりはございません」

 「……」

 自分の言葉に抵抗する彼女を、紅蓮は無言のまま睨みつける。……その様子をシーマの背の陰から恐る恐る覗き見たエマは、非情な皇帝が彼女をも処分してしまうのではないかと気が気ではなかった。……しかし皇帝はやがて、ウィンバーグの後ろに控えるひとりの帝国兵に視線を移した。

 「ラミー大佐」

 「は……、は!これに!」

 指名されて若干動揺しながらも立ち上がったのは、全体的に若さを感じさせる帝国軍の中ではやや目立ってしまっていた初老の兵だ。

 「マリプレーシュはお前に任せる。今からあの爺に代わってこの地を立て直せ。……やれるな」

 「は。有難き幸せ……」

 ラミーは立膝をつき、敬礼をした。ウィンバーグがその様子を見て思わず一歩踏み出す。

 「陛下、わたくしは今……!」

 彼女は怒鳴りかけたが……すぐに、どこか遣り切れぬような表情を浮かべ反論を諦めた。それを気にも止めぬように紅蓮の皇帝は、恐怖におののきながらただこの様子を見守っていた抗議隊の民衆や大公城兵士の方へ向き直ると、宣言する。

 「たった今、マリプレーシュはグランフェルテ帝国の支配下に置いた。首長はこのラミーが務める。そして主君は、あの棺桶に片足を突っ込んだエクラヴワ大王ではない。このグランフェルテ皇帝だ」


 ……誰も逆らう事が出来ない。


 と、思われたが……ひとりの勇敢な抗議隊の若者が突然、震える声で叫び出した。

 「ふ、ふざけるなっ!!てめえ……そりゃ、そのカプールはイヤな奴だったけど、こんな形で……今度は、その何とかって奴が、おれ達を苦しめるってのか!!」

 ……暫しの沈黙。

 皇帝は何かを考えている様子であったが、やがて一歩、踏み出した。

 「……!!」

 若者の命がこれで終わると確信したのは、本人だけではなかった。

 ……が。

 何を思ったのか紅蓮の姿は、その若者とは全く反対の方向へ歩を進めた。そしてまず広間に残っている絹のカーテンの一枚をむしり取り、それを袋にして室内に飾られている小さな金の置物や杯、宝石類、小型の絵画などを片端から回収しては、その中に納めてゆく。

 この行動には、身内である帝国兵たちやウィンバーグ大将、側近であると思しき金髪の騎士までもが、暫し唖然としてその様子を見ていた。部屋を一周すると、皇帝は先ほどの若者の前に立ちはだかり、おののく彼の鼻先に回収品を丸めて突き付けた。

 「これだけで、かなりの額になる。分配するなり、自分で使い込むなり好きにすればいい。我々にはこんな悪趣味な飾り物は要らないからな」

 若者は複雑な表情を浮かべ、恐る恐る、その装飾品の塊と緋色の瞳を交互に見た。

 「文句あるか?」

 皇帝はそう言って少年のように悪戯っぽく微笑むと、ばさっ、と若者の前に回収品を投げ捨てる。そして、そこの半分崩れ落ちた壁に掛けられた大きな世界地図へ紅蓮の視線を移した。

 次の標的を、早くも定めたようだった。

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